ある日、ゾンビを助けたら。2

誰とも――。
いや、煌人と目を合わせたくない。

ツカツカと席に戻る俺を、煌人が目で追ってるのは気配で分かってしまう。

見るな。俺、絶対変な顔してる。
頭も気持ちもぐっちゃぐちゃ。
なんか……なんか……超っ絶っ敗北感っ!!

俺の事ウブだって笑った、気持ちの悪い奴。見透かしたようなあの目が大嫌い。

いつも通りの顔をして、俺の腹の中は煮えくり返っていた。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

《《あの》》風太がかじりつくように教科書を見ている。様子がおかしい……。

あと――コイツも。
すらっと横目で、隣に座る遥人を見る。
戻ってきてからずっと口元に拳を当て、肩を震わせ笑っている。
周りに気づかれないよう俯いた横顔は、眉が下がり、目尻には軽く涙が滲んでいる。

なんだ、その顔は。
これ……俺の知ってる兄貴じゃない。
嫌な予感がするって、俺の直感がそう言ってる。

風太――、遥人――、まつ毛の隙間から交互に見つめる。手元の教科書なんか目に入らない。

じぃぃぃ……

風太、俺の兄貴に何かされました?
あぁ、今すぐ駆け寄って声をかけたい。

「――じゃぁ、ここ、んー……洞……《《煌人》》、読んでみなさい。」

じぃぃぃ……
風太、ふ・う・た、風太ちゃーーーん!!

――バチッ!
あっ♡風太と目が合いましたっ♡え?ついにテレパシーが使える仲に?そんなのっ、俺、溶けるかもしれ……

パコンッ!!
俺の脳天に、担任の教科書アタックがヒット。
「洞・煌・人!!何ボーッとしてるんだ?」
「えっ!?」
担任が指先で俺の教科書をトンッと叩く。
「そこ、読んで。」
「あっ、はいっ!!……えっと。」

チロッ……。
慌てながらももう一度、風太を見る。
風太の口がパクパクと動いている。

眉を少し上げ、風太に尋ねる。
“なんだい?ダーリン?俺だけに奏でるウィスパーボイスは、な♡あ♡に♡?”

『お・バ・カ。』

ぐはっ!!
愛しのハムちゃんから“おバカ”頂いてしまいました。

意地悪そうなその口っ!プクっとした唇っ!このっ!こいつめ!
今すぐ、えっと、えっと、ぐわぁぁぁ!!キャパオーバー!!

「あれ?洞!?」
担任が俺の顔を覗き込む。
「お前……鼻血出てるぞ!!」
「ええっ!?」
慌てて手のひらで鼻と口を覆う。
隣からため息が聞こえる。
「ほら、行くぞ。」
顔を上げた先には、優しく笑う遥人がいた。
「ったく……仕方のない奴だなぁ。」
「あぁ……遥人サンキュ。先生、すみません。」

いつもそうだ。
“仕方のない奴だ”と言いながらも、兄貴の眼差しはいつだって温かいんだ。

「ああ、とりあえず保健室行ってこい。洞遥人、転校早々すまんな。」
「いえ、兄の役目なんで。」

はぁ……何という失態。俺、正真正銘の“おバカ”じゃないですか。
のそのそと立ち上がる。

カタン……
「――先生、俺が行きます。遥人くんは教室にいてもらった方が。」

え。その声――。

風太が手を挙げ、スッと立ち上がる。
ほんのりと口角を上げ、俺に向かって歩いてくる。ふわっと揺れる前髪の向こうから、まっすぐに俺を見つめながら。

はうっ!俺様ゆるふわ王子っ!キュン死!
心の臓のスペアを出前一丁!!

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――廊下。

「手、出せよ。」
「もしかしてお手手繋いで野道を?」
「行かんわ!ほれ、これ!」

無造作にポン!と渡されたのはパステルカラーの……いや、風太色のハンカチ。
クシャッとほのかな温もりを抱えて、俺の手のひらに乗っかっている。

「え、いいのですか?」
「ポケット入れっぱなしでシワクチャだけどね。てかお前、ピッカピカのやつ持ってそうなのに持ってないのか?」
「そんなもん持ち歩いたこともないですっ。」
「嘘をつくな。」

こっ……これはっ……。
手に取ったハンカチを食い入るように見つめる。

「シワが気になるなら返せ。」
風太が少し恥ずかしそうだ。

トゥンときて、そしてトゥンク……♡

「いえ!これは“風太尻”という名のアイロンが作り上げた芸術的なシワ!!」
「はい?風太……尻?」
「ええ!プレミア級です!持って帰ってスプレーで固めても?」
「やめろ。ドン引きだ。早く拭け鼻血を。」

これで拭く?俺の鼻血を?

「いやいやいやいや。ナイナイナイナイ。」
「早く拭けって。固まったらめんどくせぇだろ。」
「それならば鼻血のスーパーボールになった方がいいです。」
「チッ……うるせぇ奴だな。」

ガシッ。

グイッ。

むぎゅう……

風太が有無を言わさず、俺の顔にハンカチを押し付ける。

「あーーーーっ!!なんてことを……なんてことを……」
「黙って抑えとけ!」

ペタペタと足音を響かせ、ふたり並んで歩いていく。
廊下の窓から吹き込む風が、ひんやりと俺たちの髪を揺らす。

窓の外では、茶色い落ち葉がカラカラ……と、軽やかな音を立てながら地面を転がっている。

「……前は、蝉が鳴いていましたね。」
ふと口からこぼれる。
風太の目線が窓の外へすっと流れる。
「ああ……そうだな。空も、青くないな。」
風太のため息のような声が、俺の耳をくすぐってくる。

――心地いい。

あの頃の俺には、風太の白いポロシャツが
眩しくて。コロンとした後頭部が愛しくて。
ブハッと笑うその顔を捕まえて抱きしめたくて。

全部、俺のものにしたくて。

そう、全部――俺のものに。

俺の――……


バチーン!!
自分の頬を思いっきり引っぱたく。

「ぅわ!なんっだよ!?」
風太が飛び上がって驚いている。

「怖い怖い怖い!俺、今、ちょーっと!怖かったです!」

「なにが!」

「自分がです!非常にマズイですね!!はい!!」

「あーあ、またバグってんな。ほら、保健室着いたぞ。取り敢えず入れ。」

風太はドア開けると俺を引き寄せ、トンッ……と部屋の中へ押し込んだ。


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カラカラカラ……パタン。

「ほら、顔拭くぞ。」
まだ立ち尽くしてる俺の手を、風太が軽く引いていく。俺は風太の力に抵抗もせず、
素直に手を預けている。

キュッ。ザーッ!!
蛇口から水が出た瞬間、風太が何かを呟いた。

「――……だな。」

「え?今なんて……」

「もう、倒れないんだな。」

風太が顔を上げ、俺の目を見る。


「え?どういう意味ですか?」

「クスッ……無自覚。」

風太の目線がゆっくりと下に落ちる。
そしてまた、俺を見る。

「俺、さっきからお前に触りまくってんだけど。」





「――あ。」

俺の中で何か大きなものが蠢いた。