僕だけが知ってる君の歌

 あれから学校生活の合間をぬって、二人で何度も練習を重ねた。
 俺自身も、帰宅してからギターの練習に励み、時には一人カラオケに行って歌の練習もした。
 あの頃の歌声はもう出せない。それでも、練習を重ねるうち、少しずつ歌う感覚を体が取り戻していくのを感じ、人前で歌っても恥ずかしくないくらいには、歌えるようになってきた。

 ……いや、本当に歌えるだろうか。

 柚葵を応援してばかりで気付いていなかったが、俺も俺で緊張しているようだ。
 いや、むしろ、俺の方が緊張しているかもしれない。

 柚葵は路上ライブの日に向けて、ずっと前から曲作りに励んでおり、曲が完成してからは歌の練習を熱心に行ってきた。
 そんな柚葵の努力を、無駄にするわけにはいかない。

 絶対に、路上ライブを完成させよう。
 そしてライブが終わったら、打ち明けるんだ。
 俺が、Rainであるということを――。


 路上ライブ、当日。

 いつもの公園で、柚葵と合流する。
 柚葵の顔には、緊張の色がにじんでいた。
 「……四倉、緊張してる?」
 「え?」
 柚葵から先手をとられ、俺はハッとする。
 どうやら俺の顔にも、柚葵に負けないくらい、緊張が表れていたらしい。
 「はは、ちょっと緊張してるかも」
 「大丈夫だよ。俺が隣にいるから」
 「それ、俺の真似?」
 「へへ……俺じゃ、頼りにならない?」
 困ったような笑みを浮かべる柚葵に、俺は全力で首を横に振る。
 「ううん、心強いよ。よし、行くか!」

 俺たちは最寄駅から電車に乗り込み、目的の駅まで向かった。
 時折、俺が背負うギターケースに視線が注がれていることに気付く。そのたびに、俺の中の緊張が増していった。

 数十分ほど電車に揺られ、俺たちはついに目的の駅に到着した。

 改札を通り、駅舎から外に出る。見上げると、一面の青空が広がっていた。
 俺たちのライブに、うってつけの天気だと思った。

 俺たちは早速、ライブの準備に取り掛かる。
 土曜日ということもあり、駅前には老若男女、様々な人の姿があった。
 俺は中学時代に、この場所で一人で路上ライブをしようとしていたのか……。そう思うと、当時の自分の無謀さに、思わず苦笑してしまう。

 俺はギターを取り出すと、音の確認を始めた。
 弦を一本ずつ鳴らしながら、音程に狂いがないか確かめていく。
 続けてコードをいくつか弾き、実際に歌うときの音量や響きも確認する。
 そんな俺の横で、柚葵はイヤホンをし、スマホの画面を凝視しながら小さい声で曲を口ずさんでいるようだった。
 やがて、それぞれが最終調整を終える。俺が柚葵に目を向けると、柚葵も俺を見つめ返した。
 その表情には、絶対に成功させるという強い覚悟がにじんでいる。

 そして柚葵は静かに、けれど力強く頷いた。

 柚葵が、ゆっくりとマイクを口元へ近付ける。
 「こんにちは、柚といいます。今日は、初めての路上ライブです。今日のために何度も練習してきました。拙いところもあると思いますが、精一杯歌います。よければ聞いていっていただけると嬉しいです」
 マイクを通した柚葵の声は、緊張でわずかに震えていた。それでも、最後まで言葉を詰まらせることなく、しっかりと挨拶を終える。
 俺はそんな柚葵に目を合わせ、笑いかけた。
 大丈夫。
 そう伝えるように小さく頷くと、俺も目の前のマイクスタンドに向き直った。
 「柚と一緒に歌います、嵐です。今から歌う曲は、柚が一から作詞作曲をした曲です。最初は柚一人で歌う予定だったんですが、なんだかんだ言って一緒に歌うことになりました。上手く歌えるか分かりませんが、頑張ります」
 俺が「上手く歌えるか分からない」と言った時、視界の端で柚葵が首を横に振るのが見えた気がした。

 俺たちの挨拶を受け、何名かの人が足を止めてくれる。
 すると、隣にいる柚葵が「あっ」と小さく声を上げた。
 柚葵の視線を追うと、そこには遠藤たち三人の姿があった。三人は俺たちの視線に気づくと、楽しそうに手を振る。

 その姿を見た瞬間、張りつめていた気持ちが少しだけ和らいだ気がした。そしてそれは柚葵も同じようで、その表情は先程と比べリラックスしているように見えた。

 「いける?」
 俺は柚葵に声をかける。
 「うん、大丈夫」
 柚葵は俺の問いかけに、はっきりした声で応じた。

 俺は大きく深呼吸をする。

 「1、2……」

 カウントと同時に、俺はギターを弾き始めた。
 柚葵が何か月もかけて作ったメロディーが、俺のギターの音色に乗せられ、夏の空気を揺らした。

 そしてイントロ部分が終わると共に、柚葵が大きく息を吸って、歌い始めた。

 「――天気予報は 連日土砂降りだなんて 暗い気分を煽るけど
 無理に落ち込むことない あの日買ったカラフルな傘を広げよう――♪」

 柚葵の歌声が、駅前の広場に響き渡る。
 柚葵が文化祭の後、一から作り変えた歌詞。
 明るく、前向きなその歌詞は、夢に向かって突き進む柚葵の心情をそのまま写し出しているようだと思った。

 Aメロは、歌い出しを柚葵が、そしてその後に俺が続く構成になっている。
 俺は目の前のマイクに顔を寄せ、息を吸い込んだ。

 「――狭くて真っ暗な部屋から 広くて果てしない空の下へ
 雨のち嵐、時々、青い世界が広がってる――♪」

 不思議だった。
 マイクを通して聞こえる自分の歌声は、かつて「Rain」として歌っていた頃の歌声ではない。俺を散々苦しめてきた声。
 そのはずなのに、今はあの頃のような劣等感を感じなかった。
 ただ、気持ちよく歌えている。
 自分の声が、こんなにも心地よく感じられることが、不思議だった。

 それから、曲はBメロに入る。ここは、柚葵のパートだ。

 「――怖くなって 自信を失って 立ち止まってしまうこともあるけど
 止まない雨があったって その中で笑ってられればいいんだ――♪」

 そして曲はサビに突入する。一番のサビを歌うのは、俺だ。

 「――ただ走れ 青に向かって
 泥だらけだっていい 遠回りだっていいから
 頬を濡らす水が 雨か涙かなんて分からなくていい
 青に輝く日を 追いかけるんだ――♪」

 一番が終わり、間奏を挟んで二番に入る。
 気付けば、観衆の数は先程よりも増えており、皆、俺たちの歌を真剣に聞いているのが窺えた。

 俺は気を引き締め、再びマイクに向かう。

 「――窓の外には灰色の雲が広がり 胸がざわつくけれど
 降りしきる雨の音なんて 君と僕の歌声で消してしまおう――♪」

 「――僕を救ってくれた君へ 今度は僕が光を届けたいんだ
 雨のち嵐、時々、青い世界が君を包めばいい――♪」

 二番も一番と同様、Aメロを俺と柚葵で歌い繋ぐ。

 「――怖くなって 自信を失って 立ち止まってしまうこともあるけど
 雨上がりの虹を見て 君が心から笑えればいい――♪」

 俺がBメロを歌い終わると、今度は二番のサビを柚葵が歌い始めた。

 「――ただ進め 青く輝いて
 空よりも青く澄んで 僕らの日々は終わらないから
 胸に宿る熱が 君がくれた幸せの証だから
 この青春の日々を 忘れたくないんだ――♪」

 サビが終わると、すぐにCメロに入る。
 先ほどまでの明るく軽やかな曲調から一転、ギターの音色も少し切なげなものに変わる。

 「――この声よ どうか君に届け 
 君の辛い日々が 少しでも ほんの少しでも 減りますように――♪」

 「――過去は変えられないし 未来に進むのは怖いけど
 君となら大丈夫 
 青く澄んだ空が 僕らの青い日々が 味方をしてくれる――♪」

 俺、柚葵の順番で歌い繋ぎ、曲はついにラスサビへと到達した。
 相互に歌い繋いでいた歌声が、ここでようやく重なる。

 「「――ただ走れ 青に向かって
 泥だらけだっていい 遠回りだっていいから
 頬を濡らす水が 雨か涙かなんて分からなくていい
 青く光る僕らに 幸せよ降りそそげ――♪」」

 俺と柚葵の歌声が重なり合い、駅前の広場へと響いていく。

 やがて曲全体が終わり、俺はギターを鳴らす手を止めた。
 最後の音が、静かに広場へ溶けていく。

 ――その瞬間。

 割れんばかりの拍手の音が、広場に響き渡った。
 気付けば目の前には10、20……ぱっと見ただけでは数えきれないくらいの人が集まっている。

 「すごい」
 「歌うまくない?」
 「めっちゃ良かった」

 そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
 皆、笑顔で顔を見合わせながら、楽しそうに話しているようだった。
 友達同士や、カップルの姿が多いようだが、中には一人で足を止めている人の姿もちらほらと見受けられる。
 同年代くらいの男の子、若い女性、スーツ姿の男性。
 その人たちは、俺たちに向けて温かな眼差しを送ってくれていた。

 「ありがとうございました。今歌ったのは、『雨のち嵐、時々青』というタイトルの曲です。えっと……」

 本来なら、ここで柚葵が曲について紹介をすることになっていた。
 しかし、歌い終わった達成感と疲労感が一気に押し寄せたのか、柚葵は何かを言おうとしながらも、言葉に詰まっている。

 「がんばれー!」

 その時、観衆の中から声が聞こえた。
 声の主は、遠藤だ。その隣では鵜ノ山と佐藤も、柚葵に向けガッツポーズをしている。

 「えっと、俺が歌を好きになったのは、とある動画投稿者さんの影響です。その人に感謝を伝えたい、という思いから、曲作りと今回の路上ライブを計画しました」

 柚葵は遠藤たちの応援を受け、言葉を立て直す。
 柚葵は今、この観衆たちの中に「Rain」がいるかもしれない、と思いながら、この話をしているのだろうか。

 「でも曲を作ってるうちに、俺のように悩んだり、一歩を踏み出せなかったり、そんな人の背中を押すような曲を作りたいと思うようになって、途中で歌詞を全部変えました。明るく前向きな歌詞が、少しでも皆さんの心に届けばいいと思ってます」

 柚葵の言葉に、再び広場には拍手が巻き起こる。
 俺も隣の柚葵に向け、拍手を送った。

 「あ、あとっ」

 柚葵が思い出したように言葉を続ける。

 「俺が今一番感謝したいのは、横にいる彼……嵐です。俺は中学時代、学校に通えず、ずっと辛い日々を過ごしてきました。そんな俺を、嵐は救ってくれました。何度も、救ってくれました」

 ――何度も。

 その言葉に込められた意味は、きっと俺にだけ伝わっている。

 俺は「四倉嵐」として、入学式の日からずっと、柚葵のそばにいた。
 そして「そら」としても、画面越しに柚葵のことを陰ながら応援してきた。

 振り返れば、柚葵にとって俺は、「四倉嵐」としても「そら」としても、何度もその心を救ってきた存在だったのかもしれない。

 「嵐がいなきゃ、俺は今日、この場に立つこともできなかったと思います。だから、本当にありがとう」

 柚葵が俺に向かって言う。
 たくさんの観衆の前で、素直に感謝の言葉を述べられ、俺は照れ笑いを浮かべることしかできなかった。

 「えっと、ライブはこれで終わり……で……」

 そう柚葵が言うと、観衆が何やらざわつきだす。
 よくよく聞いてみると、「えー」「早くない?」「一曲だけ!?」といった声がちらほらと耳に入ってきた。
 当初の予定では、先程の一曲だけでライブを終えることになっていた。
 しかしこの状況を受け、俺と柚葵の間に迷いが生まれる。

 すると、その時。

 「アンコール!アンコール!」

 そんな声が聞こえてきた。
 声の主は、佐藤だ。持ち前の大声で、アンコールを叫んでいる。
 さらに続けて、遠藤と鵜ノ山もそれに加わった。

 そして瞬く間に、広場全体が「アンコール」の声に包まれていった。

 俺は柚葵と目を合わせる。
 俺たちの中に、もう最初の頃の緊張はなかった。
 柚葵が、静かに頷く。きっと、考えていることは同じだ。

 歌うなら、――やっぱりあの曲。

 「アンコールありがとうございます。じゃあ、もう一曲、聞いてください。――『Rain Falls on Blue』」



 肩に、温かな重みを感じる。
 横目で見ると、柚葵の頭が俺の肩にもたれていた。

 帰りの電車。

 柚葵はよほど疲れたのか、もしくは張りつめていたものが一気に緩んだのか、席に座るや否や、すぐ眠りに落ちてしまった。

 俺は柚葵の頭を軽くなでる。
 すると、柚葵は「ん……」と小さな吐息を漏らし、ゆっくりと目を開けた。
 「ごめん、起こしちゃったな」
 「あっ……俺、寝てた?」
 まだ寝ぼけているのか、とろんとした目を向けてくる柚葵が可愛くて、俺は思わず笑みをこぼす。
 「いいよ、寝てて」
 「ううん、大丈夫。起きてる」

 そうは言うものの、柚葵の方から言葉を発することはなかった。
 疲れて話す気力すら残っていないのか、それとも、今日のことを振り返っているのか。
 柚葵の満ち足りた顔を見て、「後者だな」と俺は直感した。

 「楽しかったな」
 柚葵の顔を見ているうち、自然とそんな言葉が口からこぼれていた。
 「うん、楽しかった。思った以上にたくさんの人が来てくれて、遠藤たちも応援してくれて……何より、四倉とあの場所で歌えたのが、嬉しかったよ」
 「俺も」
 「でも、四倉のお母さんが来てるのは、聞いてない」

 そう、今日のライブは俺の母親もこっそり見に来ていた。
 ライブが終わった後、後片付けをしている俺たちのところへ、母親が駆け寄ってきたのだ。
 その時の柚葵の緊張っぷりと言ったら……。

 母親は車で来ていたため、俺たちを家まで送ると言ってくれた。でも、母親の車の中で柚葵が緊張しっぱなしなのは可哀想だと思ったので、俺はそれを断り、電車で帰ることにした。ちなみに、ギターは母の車で家まで送ってもらった。

 後でちゃんと、親に柚葵のこと紹介しなきゃな。俺たちの関係を含めて。
 ガチガチに緊張する柚葵を思い浮かべながら、俺は必死ににやけるのをこらえる。

 気付けば、電車は俺たちの地元の最寄り駅に近付いていた。
 車窓からの眺めが、見慣れた景色に移り変わっていく。

 「俺、今日のこと忘れないよ。絶対」

 柚葵の言葉に、俺は頷いた。
 柚葵の忘れられない思い出の一部になれたことが、嬉しかった。

 しかし同時に、胸の中にじわじわと不安が広がっていく。

 路上ライブが成功したことは、俺としても嬉しい。それは当然のことだ。
 でも、路上ライブの成功の先に待っているのは――「Rainと一緒に歌いたい」という、柚葵の絶対叶うことのない夢。

 きっと柚葵は、今日の路上ライブで自信をつけた。
 Rainと一緒に歌いたい、という願いはよりいっそう強くなっているだろう。

 俺は今日、自分がRainだと打ち明けるつもりだ。
 でも、もしそれで柚葵を傷つけてしまったら――。

 だったら、伝えない方がいいのでは?気弱な自分が、そんな言葉を囁く。

 そんなことを考えているうちに、電車は最寄り駅へと到着した。

 「着いたよ、行こう」

 柚葵が俺に声をかける。俺は柚葵の後に続き、電車を降りた。

 駅を出てからの道中は、今日のライブの感想を語り合った。
 楽しそうに話す柚葵の姿に微笑ましい気持ちになる一方で、俺の心は少しずつ沈んでいった。
 不安や緊張がないまぜになった感情が、俺の心を満たしていく。

 切り出さなきゃ。
 頭では分かっている。でも、打ち明けた瞬間に、目の前の柚葵から笑顔が消えてしまうかもしれない。
 そう思うと、どうしても言うべき言葉がなかなか喉から出てこなかった。

 やがて、いつもの公園に到着する。
 土曜日の夕方。公園には子供たちの姿があった。ここでは、ゆっくり話せそうにない。

 このままさよならしたら、柚葵に話す機会を一生失ってしまう。

 「四倉、こっち」

 その時、柚葵が俺を手招きした。
 柚葵は公園を抜けると、細い道を突き進んでいく。しばらくすると、川を見下ろすように整備された遊歩道に出た。
 ジョギングコースにもなっているようだが、遠くに犬の散歩をする人が見える以外は、人の姿はほとんどない。

 「こんなとこに繋がってるんだ」
 「うん。ごめん、時間大丈夫?」
 「あぁ、それは、もちろん」

 柚葵が与えてくれた猶予。
 まだ俺と一緒にいたい、という気持ちを遠回しに伝えてくれているのだと思った。
 この時間を、無駄にするわけにはいかない。
 伝えるなら、今――。

 「四倉」

 しかし、先に口を開いたのは柚葵だった。

 「一緒に歌ってくれて、ありがとう」
 「いや、そんな……えっと」

 柚葵が本当に一緒に歌いたいのは、Rainだ。
 俺だけど、俺じゃない。

 「ゆ、柚葵、俺……」
 「やっと、夢が叶った」
 「……え?」
 柚葵の言葉に、耳を疑う。今、何と言った?

 「それは……どういう……」
 「Rainさんとずっと歌いたかった。俺の作った曲を、一緒に」
 「ちょ、ちょっと待って。Rainさんと、だよね?俺じゃなくて」
 「Rainさん、でしょ?」
 柚葵が俺を指さす。
 混乱のあまり、頭が真っ白になった。
 「な、なんで知って……ていうか、いつから?えっ、いつから気付いてた?」
 俺が必死に問いかけると、柚葵はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 「文化祭の時から、かな」