小さい頃から、歌うことが好きだった。
カラオケが趣味である母親の影響で、俺は他の同年代の子たちに比べれば歌う機会が多かったし、多くの曲を知っていたと思う。
時折、母が友人たちとカラオケをしている場に連れていかれることもあり、そこで「嵐くんは本当に歌が上手いね」「将来は歌手になれるんじゃない?」などと言ってもらえるのが、すごく嬉しかったのを覚えている。
中学に入って、スマホを買ってもらった俺は、動画サイトで歌ってみた動画を見るのにハマった。
ある時、俺が熱心に歌ってみた動画を見ているのに気づいた母が「投稿してみれば?」と言ってきた。
これがきっかけで、俺は動画投稿を始めることとなった。
「Rain」という名前は、なんとなくでつけたものだった。
何かカッコいい活動名がほしい、そんな中学生らしい理由だ。
本名の「嵐」を英語にすることも考えたが、俺は天気で言うと「嵐」よりも「雨」の方が好きだった。それに、「雨」の方がどこか落ち着いた印象がある。
少し大人びた名前にしたい。そんな背伸びをした気持ちもあって、俺は「Rain」という名前を選んだ。
最初に投稿したのは「青い春を願って」という曲の、弾き語り動画だった。
とはいえ、ギターの腕は拙く、安物のマイクで録音していたこともあり、そこまで再生数は伸びなかった。
それでも、自分の歌がひとつの動画として形になり、それが誰かの目に触れる。そのことが、当時の俺にはたまらなく嬉しかった。
それからも俺は、いくつもの歌ってみた動画を作成し、動画サイトに投稿していった。
顔出しはせず、年齢などの情報も一切明かさない。それ自体は親からのアドバイスに従っていただけだが、とはいえ俺自身は「正体不明のアーティスト」みたいで、なんだかかっこいいなと思っていた。
次第に再生数も伸び、コメントもつくようになる。
心無いコメントが寄せられたらどうしよう。そんな不安もあったが、幸いにもそうしたコメントを目にすることはなかった。
もしかしたら、俺のアカウントを管理してくれていた親が、ひそかに削除していたのかもしれない。
そのことに気づいたのは、もう少し大きくなってからだった。
ある日のこと。
俺は動画サイトで、同年代の子が路上ライブをやっている動画を見た。
人前で堂々と歌い、拍手や歓声を受ける姿が印象的で、俺の心を高鳴らせた。
――俺もやってみたい。
そんな衝動が、自然と湧き上がってきたのを覚えている。
ちょうど、俺の地元から電車で数十分ほどの距離に、路上ライブの聖地のようになっている場所があった。
俺自身も、そこでアーティストの卵が路上ライブをしているのを目にしたことがある。
親に、「路上ライブをしたい」という熱い思いを伝えたところ、親はそんな俺の背中を押し、ライブのための手配も進めてくれた。
何を歌おうか。
今まで動画投稿してきた曲の中から選ぶことも考えたが、せっかくの路上ライブ。
思い切って、今までに歌ったことのない曲を歌いたいと思った。
そこで俺は、動画サイトの自分のチャンネルで、路上ライブの告知と同時に、歌う曲を募ることにした。
普段から動画にコメントをくれる人たちが、各々のリクエスト曲をコメントしてくれる。
その中で、俺はとあるコメントに目がとまった。
「柚」という名前のユーザーからのコメントだ。
『初めまして、いつも動画見ています。Rainさんの歌が本当に大好きです。「Rain Falls on Blue」を歌ってほしいです。Rainさんの高くて綺麗な歌声に合うと思います。路上ライブ、絶対に行きます』
今まで、「雨」や「Rain」などがタイトルに入っている曲を歌うことがよくあった。
それに加え、俺は「青信号」という曲が一番好きなこともあり、「青」や「ブルー」といった単語にも思い入れがある。
その二つがどちらも入っている曲名に、俺は心を掴まれた。
早速、その曲を聴いてみる。
切ないラブソングのようでありながら、背中を押してくれるような前向きな歌詞もある。
ミディアムバラードの曲調と、綺麗な歌詞が気に入り、俺はすぐにその曲を好きになった。
路上ライブではこの「Rain Falls on Blue」を歌おう。
そう決心した俺は、来る路上ライブの日に向け、練習を始めた。
完璧に演奏できるよう、譜面を完璧に頭に叩き込み、そして自信をもって歌えるよう、歌詞も一言一句完全に覚える。
当日、少しでも悔いを残さないように。そして、リクエストしてくれた柚さん含め、見に来てくれる人々の心に少しでも残る歌が歌えるように。
しかし、練習を始めて少し経った頃。
俺はふと、声が出づらいことに気付いた。高音が出ないのだ。
歌だけではない。話すときも、声が出しづらい。
俺の中には、焦りが芽生えていた。
――声変わり。
いつかこの日が来ることは分かっていた。
でも、それがよりによってこのタイミングで……。
親からは「その時できる最善のパフォーマンスをすればいい」と励ましてもらった。
でも、俺は日に日に出しづらくなっていく自分の声に、どんどん自信を失っていた。
そんな俺の感情とは裏腹に、過去の動画には少しずつ新しいコメントが増えていく。
『めっちゃ綺麗な声!』
『女性かと思ったら、男性なの?すごい』
『この声一生聴いてたい』
皆、声変わり前の俺の歌声に惹かれて、動画を見てくれている。
その事実が、俺をこれでもかというほど、苦しめた。
もし、今の声で動画を投稿したら、どんなコメントがつくのか。
つい、そんなことを考えてしまう。
俺の頭に浮かんだのは、失望のコメントだった。
『前の方が良かった』
『声変わっちゃったの……?』
『なんか今までと違う』
そして、そんなコメントを俺の目に触れさせまいと、必死に削除する母親の姿まで浮かんだ。
そんなネガティブな想像に頭の中を支配され、気付けば俺は、歌うことそのものが怖くなっていた。
そして、過去の自分の動画を見ることすら嫌になっていった。
もう、以前のような声で歌うことはできない。
そう思えば思うほど、過去の自分が自分ではないような遠い存在に思えた。
俺は衝動的に、全ての動画と自分のチャンネルを削除した。
路上ライブが中止となったのは言うまでもない。
こうして臆病な心に負けた俺は、今まで熱心に応援してくれた視聴者たちに何の報告もできないまま、「Rain」としての人生を終えたのだった。
配信サイトで「柚」を見つけたのは、偶然だった。
自分で歌うことはなくなっても、人の歌を聞くのは好きだった。だから俺は配信サイトで時折、色々な歌配信を覗いていた。
そんな時に目に留まったのが、柚の配信だ。
今の時代、顔出しで配信することは珍しくない。
そんな中で、一切顔出しをせずに配信をしている柚が、以前の俺と重なった。
柚ののびやかな歌声に一瞬で心をつかまれた俺は、気付けば配信に何度も顔を出すようになっていた。
柚の歌に魅力を感じていたのはもちろんだが、俺は、柚自身の人柄にも強く心を惹かれていた。
柚の話を聞いていると、決して私生活が順風満帆というわけではないことが、痛いほど伝わってきた。
それでも、柚の言葉にはいつも、「前を向いて進みたい」「自分を変えたい」という思いがこもっており、そんな柚を見ているうちに、俺は思うようになった。
俺は柚の味方でありたい。柚の今後の人生が、溢れんばかりの幸せで満たされてほしい、と。
その気持ちは、今も変わらない。
柚の、柚葵の一番の味方でいたい。柚葵が幸せになるためなら、どんなことだってしてあげたい。
……はずなのに。
――Rainさんと一緒に歌いたい
柚葵が抱いている夢。その夢を応援することができない。
文化祭のステージ発表。
歌を歌ったのは本当に久しぶりだった。
マイクを通して、耳に届く自分の歌声。
その声は、かつてRainとして歌っていた頃の声とは、あまりにもかけ離れていた。
柚葵が一緒に歌いたい「Rain」は、声変わり前の俺だ。
でも、俺にはもう、あの頃のような声は出せない。
柚葵の夢は、どう頑張ったって叶わないのだ。
どれだけ俺が応援したところで、柚葵の夢が叶うことは一生ない。
そう考えると、とてつもない罪悪感に襲われた。
柚葵の一番の味方でいたい。
なのに、柚葵が一番叶えたい夢だけは、応援できない。
俺は、自分が柚葵の夢を応援していいのかさえ、分からなくなってしまった
*
「四倉、今日このあと時間ある?一回ギターと歌を合わせてみない?」
ある日の放課後。
隣の席の柚葵が、俺にそう持ち掛ける。その手元には、歌詞を書いたルーズリーフがあった。
「あーごめん、今日バイトなんだ」
嘘だ。本当は、バイトなんてない。
文化祭の日以降、俺は柚葵とどう付き合っていくべきか分からなくなってしまった。
柚葵は路上ライブに向け、曲作りを進めている。
その曲は、Rainと一緒に歌うことを想定して作られた曲だ。
でも完成したところで、Rainと歌うことはできない。
それなら、柚葵を失望させてしまうだけなんじゃないか。
だったら、曲なんて完成しない方がいいんじゃないか。路上ライブだって、果たしてやる意味があるのだろうか。
そんなことばかり考えてしまうのだ。
「そっか。じゃあ、また今度合わせよう。あとで録音したデータだけ送っとく」
「あぁ、うん」
柚葵の言葉に返事をするものの、その目を見ることはできなかった。
そして柚葵も、俺の不自然な態度に違和感を覚えているようだったが、あえてそのことに触れようとはしなかった。
こうして気付けば、俺たちの間には見えない壁ができていった。
「何、お前らまた喧嘩してんの?」
俺と柚葵の間に流れる気まずい空気は、周りにもだだ漏れだったらしい。
二人になったタイミングで、遠藤が俺に話しかけてきた。
「別に、してねえよ」
「でも、最近お前ら全然話さないじゃん」
「そうかな」
「そうだよ。……あのさ、最近の青梅、すごい寂しそうだぞ」
「え?」
「気付いてない?青梅、お前の方チラチラ見てるのに、お前全然青梅のこと見てやらないじゃん。何があったか知らないけど、あんまあいつのこと悲しませるなよ」
「……分かってる。俺だって、悲しませたいわけじゃ……」
自分で、自分が何をしたいのか分からなくなる。
柚葵の幸せを願っていたはずなのに、これじゃ全く真逆のことをしているじゃないか。
でも、柚葵にちゃんと向き合ったところで待ち受けているのは、柚葵を失望させてしまう未来だ。
「はぁ……もう分かんねえよ……」
項垂れる俺に、遠藤は何も言わず、ただ肩をぽんと叩いた。
柚葵と話さなくなってからも、日々はせわしなく過ぎていき、気付けば期末テストの時期になっていた。
テスト期間中は学校が午前で終わり、昼前には下校することになる。
この頃には、柚葵と二人きりで帰ることもすっかりなくなっていた。
*
帰宅後、俺はテスト勉強をする気にはなれず、ぼーっとスマホを眺める。
そして、ついいつもの癖で配信サイトを開いた。
すると「登録済みチャンネル」の一覧に、「配信中」の文字が表示されていることに気付く。
柚葵の配信だった。
「こんな時間に……?」
柚葵の配信は決まって夜に行われる。
昼間は学校があるため、当然と言えば当然だ。
ただ、この日は学校が午前で終わっているため、別に配信をしていても不思議ではない。
それでもこの時間に柚葵が配信をするのはあまりにも珍しい。
俺は困惑しながらも、思い切って「視聴する」ボタンを押した。
コメント欄に、『そらさんが入室しました』という文字が表示される。
「あ、そらさん。こんにちは」
俺はいつも通り、挨拶コメントを入力した。
柚葵は当然、俺がそらだということを知らない。
「そら」という名前で自分の素顔を隠したまま、俺は久しぶりに柚葵と言葉を交わした。
『そら:こんな時間に珍しいね』
「テスト期間で、学校が早く終わったんだ。この時間だから人来ないと思ってた」
『そら:俺も、学校早く終わった』
「あぁ。もしかして、そらさんも高校生?」
『そら:どうかな』
我ながら、何をやってるんだと思う。
正体を隠したまま柚葵と話して、これじゃまるで柚葵をだましているみたいじゃないか。
柚葵が憧れている「Rain」。
そして、今俺が名乗っている「そら」。
俺はそのどちらの正体も明かせないまま、何も知らない柚葵と、都合よく話している。
もし柚葵がこのことを知ったら、俺を軽蔑するだろうか。
「二人きりだね」
柚葵の言葉に、思わずドキッとする。
今、他のリスナーは配信にいない。俺と柚葵、二人きりの空間だ。
「初めてそらさんが配信に来てくれた時のこと思い出した。あの頃は、そらさんしか聴いてくれる人いなかったから」
柚葵の言葉に、俺はあの頃のことを振り返る。確かにその当時、柚葵の配信には全く人がいなかった。
こんなに魅力的な歌声なのに。
俺だけがこの歌声を知っているのはあまりにもったいない、そう思ったのを覚えている。
「ごめん、今日は歌は歌わないんだ。ちょっと話に付き合ってもらってもいい?」
そう話す柚葵の声には、どこか寂しげな響きがあった。
『そら:いいよ』
「ありがとう。ちょっと、友達のことで……悩んでて」
俺のことだ。
そう気づいた途端、罪悪感が俺の胸を突き刺す。ズキンと鋭い痛みが胸の奥を走った。
「友達と最近、上手く話せなくて。どうすればいいか分かんないんだ。別に喧嘩してるわけじゃないんだけど」
違う。違うよ、柚葵。
上手く話せないって、自分のせいみたいに言うけど、全部俺が悪いんだ。
そう書き込もうとしたが、送信ボタンを押す手前で、手を止める。
「そら」として、それを言ってどうするんだ。こんなの、柚葵を混乱させるだけじゃないか。
「どう、関わっていけばいいのか、正直わかんなくて。このままずっとこんな感じなのは嫌なのに……俺、あいつにまだ、好きってちゃんと伝えてないのに」
柚葵……。
伝わってるよ。お前が俺を好きだってこと、前から知ってる。
そう言って、柚葵を安心させてやりたい。
今すぐ柚葵を抱きしめたい。
なのに――。
俺の手は、どうしても送信ボタンを押せなかった。
打ち込んでいた言葉を、すべて削除する。
無言の時間が続く中、俺はしばらく画面を見つめた後、ゆっくりと代わりの言葉を打ち込んだ。
『そら:元気出して、柚。みんな、柚の味方だよ』
“みんな”、か。
我ながら、ずるいコメントだ。俺は自分に嫌気がさした。
それから柚葵は、そらに対し礼を言うと、配信を閉じた。
俺の中でも、そして柚葵の中でも、何も解決していない。
このまま俺たちの距離は、離れていってしまうのだろうか。
俺は部屋の隅に置かれたギターを一瞥し、深いため息をついた。
*
「話がある」
期末テストが終わった日の放課後。遠藤が俺に声をかけてきた。
その後ろには鵜ノ山、佐藤の姿もあり、三人とも俺に対し険しい顔を向けている。
「え、っと……何?」
「この後時間ある?いや、なくてもいい。時間作れ」
「いや、マジで何?ていうかテスト終わったし、お前ら部活じゃ……」
「部活はサボる」
「えっ、三人とも?」
「そう」
遠藤の言葉に、鵜ノ山と佐藤が頷く。
結局俺は、何もわからないまま、学校近くのファミレスに連れていかれた。
ドリンクバーを注文した後で、遠藤が話を切り出す。
「何の話をしたいか、分かるよな」
「……まぁ」
なんとなく見当はついていた。柚葵の話だ。
「ここ最近、青梅はずっと落ち込んでるし、四倉は青梅を避けてる感じだし。正直お前らのこと心配なんだよ」
鵜ノ山が遠藤の話を引き継ぐ。
「そうだよ。何があったんだよ」
続けて、佐藤が前のめりに尋ねてきた。
「別に……」
「また、『別に』か。お前、青梅と今のままでいいの?」
「それは……」
いいわけない。柚葵とこのまま気まずい関係を続けるなんて。
せっかく仲良くなったのに。せっかく、思いを伝えたのに。
「お前らには、分からないよ」
するとその途端、遠藤が席を立ち、俺の胸ぐらをつかんだ。
「分かるとか分からないとか、そういう問題じゃねえんだよ!分からなくたって、俺は分かりたいと思ってる。だからこうやって話を聞く場を作ったんだろ。青梅から前に話を聞いたよ。あいつ、中学時代、学校通えてなかったんだろ。もしお前のせいで、また学校通えなくなったらどうする?俺たちはこれからも青梅の居場所でい続けるつもりだよ。でも、お前にその気がなかったら、また中学時代の二の舞になるかもしれないんだぞ」
遠藤の言葉に、俺はハッとさせられた。
――高校生活不安っぽかったから。柚葵が今楽しいなら、良かったなって
――うん、楽しいよ。四倉と一緒にいるの、楽しい
俺が、柚葵の居場所になっていたはずだった。
でも、今はどうだ?柚葵は安心して学校に通えているか?
俺のせいで、せっかくできた居場所に、いづらくなっているんじゃないのか。
俺の胸ぐらをつかんだままの遠藤を、鵜ノ山が冷静になだめる。
「二人の間に何があったのか、もし話したくないなら話さなくてもいい。二人の問題だからね。でも、もし力になれることがあったら頼ってほしい。俺らにとって、二人は大事な友達だから」
「そうそう。まだ高校生活始まったばっかじゃん。これから夏休みもあって、楽しいこといっぱいあるんだからさ。そのためにも、早く前みたいな関係に戻ろうぜ」
鵜ノ山と佐藤の言葉に、俺は心を満たしていた暗い霧が、さっと晴れた気がした。
「じゃあ……一個、お願いしていい?」
「もちろん」
三人が俺の言葉に耳を傾ける。
「何も聞かず、ただ、応援してほしい。お前ならできるって。頑張れって、応援してほしい。自信が……欲しい」
俺の言葉に、三人は各々顔を見合わせた後、再び俺に向き直った。
「お安い御用すぎ。じゃ、一旦店出るか」
「え?」
三人が伝票を持って早々にレジに向かったため、俺は急いで後を追いかける。
店を出た後、三人が向かったのは、帰り道にある公園だった。
人気のない場所を選んだようだが、奇しくもそこは俺と柚葵が初めて出会った、あのタコの滑り台のある公園だった。
「よし、ここならいいか」
遠藤が周囲をうかがう。
「おい、一体何を……」
そこまで言いかけたところで、俺の言葉の続きを遠藤の大きな声がかき消した。
「四倉、ファイトーー!!」
「お前ならできる!」
「そう、できる!自信のない四倉なんて、四倉じゃないだろ!」
遠藤に続き、鵜ノ山と佐藤が声量のバグった大声でそう言いながら、俺の背中を思い切り叩いた。
「いった!え、ちょ、な、何」
「お前が応援してくれって言ったんだろ」
「いや、言ったけど……」
「なぁ、俺、中学の時応援団長してたことある」
「お、佐藤!やったれ」
「フレー!フレー!し・く・ら!!」
「声でかいって!!」
もうわけがわからない。カオスな状況に俺は自然と笑いがこみあげてきた。
遠藤、そして鵜ノ山と佐藤もつられて笑い始める。
「どう?自信わいたか?」
「おかげさまで」
「まぁ、何があったかは深く聞かないけどさ。これ以上、青梅のこと悲しませんなよ」
「うん、心配かけてごめん。ありがとう、みんな」
三人が先程よりも優しく、俺の背中を叩く。
俺の中には、覚悟が芽生えていた。
やっぱり俺は、柚葵の夢を叶えてやりたい。
そして、柚葵の夢を叶えられるのは、俺しかいない。
声がどうとか、もう関係ない。
柚葵と歌おう。
文化祭の時とは違う。今度は「Rain」として活動していた頃のように、自信をもって歌いたい。
そして、柚葵と真正面から向き合うためには、柚葵に俺がRainであることを打ち明けなければならない。
俺はスマホを開く。
その時、ちょうど柚葵からのメッセージが届いた。
あまりのタイミングの良さに、俺は運命的なものを感じる。
――が。
画面に表示されたメッセージを目にした瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
『助けて』
柚葵の連絡を受けて、俺はすぐに走り出した。
柚葵が何かしらのトラブルに遭っていることは間違いない。
でも、その後いくら俺の方からメッセージを送っても、返信どころか既読すらつかなかった。
――柚葵が危ない。
そう直感した俺は、パニックになった頭を必死に動かし、柚葵が行きそうな場所を考える。
今日学校が終わって、柚葵は俺たちよりも先に教室を出ていったはず。
もしまだ外にいるのだとしたら、学校帰りにどこかに寄り道していたことになる。
もしくは、一度帰宅した後に、どこかに出かけたのか。
どちらにせよ、行動範囲は学校からさほど離れていないはず。
しかし、柚葵が行きそうな場所が思い浮かばない。俺は柚葵のことを、まだ何も知らない。
柚葵ともっとたくさん話をしておけばよかった。後悔が一気に押し寄せてくる。
それでも俺は頭を振り、ひとまず先程別れたばかりの遠藤たちにも連絡を入れた。
すると遠藤たちも、柚葵を探してくれるという。
俺たちは手分けして、柚葵の行方を追うことになった。
柚葵が助けを求める状況――。
そう考えた時、俺の中にとある日の記憶がよみがえってきた。
柚葵と出会って間もない頃。
柚葵が、カラオケ店で、そらになりすました中年男に迫られた時のことだ。
俺はまさかと思い、あの時のカラオケ店へと向かった。
店に入った俺は店員に「高校生と、中年の男が来なかったか」と尋ねる。
しかし、店員の答えは「そんな組み合わせの客は来ていない」というものだった。
柚葵の行方探しは、振り出しに戻ってしまった。
店を出た俺は、他に何の手掛かりも思い浮かばず、途方に暮れた。
その時、頬に冷たい水滴が落ちてきた。
――雨だ。
だが、見上げると、そこには一面の青空が広がっている。
――お天気雨、か。
青空に降る雨。まさに「Rain Falls on Blue」。
俺が路上ライブで歌う予定だった曲のタイトルのようだ。
こんな緊迫した状況なのに、俺の頭は冷静にそんなことを考えていた。
――その時。
「……路上ライブ」
脳内に、ある場所が思い浮かんだ。このタイミングで、柚葵が行きそうな場所。
俺の足は、自然と走り出していた。
息を切らしながら到着したのは、とある駅前の広場。
俺が路上ライブをやる予定だった場所だ。
そして同時に、ここは柚葵が路上ライブをしようとしている場所でもある。
だから、柚葵が下見をかねて、この場所を訪れていても不思議ではない。
「あの、すいません。この付近に男子高校生と、中年の男が二人でいませんでしたか?」
俺は駅前にいる人に、片っぱしから声をかけた。
しかし、柚葵の目撃証言はなかなか得られなかった。
焦りがどんどん募っていく。こんなことをしている間に、柚葵の身に何かあったら――。
その時。
「さっきの、大丈夫かな」
「流石に親子とかじゃない?」
そんな会話が耳に入る。
声がした方を見ると、若い女性二人が歩いていた。
「え、いや明らか男の子の方嫌がってなかった?」
「マジ?どういう関係?」
俺はすかさず女性たちに声をかける。
「あの、もしかして男子高校生と、中年の男を見ましたか?」
「えっ。はい。さっき二人で向こうの方に歩いてったんですけど」
女性の返答を聞いた途端、俺は礼を言うと、女性の指さす方向へと走り出した。
間違いない、柚葵だ。
女性が指さした方角には、駅の駐輪場があったが、柚葵の姿はない。
俺は駐輪場を通り過ぎてさらに奥へ進む。
シャッターの閉まった店が並び、人気のない路地が続いていた。
「柚葵!」
俺は柚葵の名前を何度も呼ぶ。
――その時だった。
「四倉!助けて!」
柚葵の声だ。
俺は声のした方へと急いで向かう。
そして、路地裏を覗き込むと、そこには柚葵と、そんな柚葵に至近距離で迫るあの中年男の姿があった。
「何やってんだよ!」
俺はすぐに男を押しのけ、柚葵を引き寄せる。
男は一瞬ひるんだ様子を見せたものの、俺のことに気付くと、すぐに反論を始めた。
「またお前かよ、俺と柚の邪魔しに来やがって」
「嫌がってるだろ!これ以上、柚葵に近付くな」
「あのな、俺は柚とは長い付き合いなんだ。ずっと前から柚を知ってるんだよ、ずーーっと柚のこと見てたんだ。なぁ、柚?」
男が柚葵に気色の悪い笑顔を向ける。
柚葵の目には、恐怖の色が浮かんでいた。
「いい加減なこと言うな!なりすまし野郎のくせに」
「は?俺はそらって名前で、柚のことずっと見守ってんだよ」
こいつ、この期に及んでまだそんなこと言ってるのか。
俺の中に、燃えるような怒りが募っていく。
その時、柚葵が口を開いた。
「違う……この人、そらさんじゃない」
「えぇ?なんでそんなこと言うの柚。そらじゃないかどうかなんて、柚には分からないだろ?何か証拠でもあるの?」
「え、だって……本物のそらさんは別にいて」
「その“本物のそらさん”が、偽物なんじゃないの?」
柚葵の目には、明らかに混乱の色が浮かんでいた。
「なぁ、柚。俺と柚の仲だろ。仲良くしようよ」
「い、いやだ……」
「俺がいつも応援してあげてるの忘れたの?それとも、そらがこんなおっさんとは思わなかった?でもさ、まさか、見た目や年齢で態度変えたりしないよね?柚は」
男が、柚葵に手をのばす。
俺は、その手が柚葵に触れるより先に、柚葵を自分の背後へ隠した。
「お前は、そらじゃない」
「はぁ?お前に何が分かるんだよ。俺はそらって名前で昔からコメントして……」
「だって、俺がそらだから」
「……は?」
困惑の表情を浮かべる男に向かって、俺はスマホの画面を突き出した。
画面に表示されているのは、配信サイトのプロフィールページ。
ユーザー名は、「そら」。
「いや、こんなの……て、適当にアカウント作っただけだろ!お前こそそらの偽物だ!」
「じゃあ、はい」
次に、SNSの画面を表示する。「そら」という名前のアカウント。
「今この場で投稿してやるよ。変なおっさんに絡まれてダルいって。はい、これ証拠」
俺はその場でSNSに投稿し、その画面を男に見せつけた。
男は、反論の余地を失ったのか、口をパクパクさせながら真っ赤な顔をしている。
その時、複数の足音が聞こえてきた。
「君たち、大丈夫?」
振り向くと、警察官と、先程駅前で会った若い女性二人組がこちらを心配そうに見ていた。どうやら、先程の俺の態度が尋常ではなかったため、女性二人が警察を呼んでくれたらしい。
「くそっ」
男は俺を押しのけると、すぐにその場から逃げ出そうとする。
警察官が慌てて男を止めるが、暴れる男を押さえつける際、その腕が警察官の顔に勢いよく当たった。
「至急、応援願います」
警察官が無線で仲間を呼んでいる。詳しいことは分からないが、警察官に手を出したのなら、これは公務執行妨害になるんじゃないだろうか。
「四倉」
その声に俺はハッとし、柚葵の方を振り向く。
柚葵は潤んだ目でこちらを見つめていた。
「ありがとう、来てくれて」
「柚葵、大丈夫?何かされてない?怪我は?」
「大丈夫」
そう言いながらも、柚葵の手はかすかに震えており、相当怖い思いをしていたのが目に見えて分かった。
その後、俺と柚葵は警察から事情聴取を受けることになった。
俺たちはそれぞれ、男と出会った経緯や、何があったのかを警察官に説明する。
幸い、俺たちに大きな怪我はなかったため、簡単な確認だけで済んだ。
事情聴取を終えると、先ほど助けてくれた女性二人組にも改めて礼を言った。
「本当にありがとうございました」
「ううん、無事でよかったよ」
そう言って笑う二人に頭を下げる。
その後、俺と柚葵は電車に乗り、地元の駅から二人で歩いて帰った。
「あの男、まだ柚葵のこと諦めてなかったんだな」
「うん。駅のあたりをうろうろしてたら急に声かけられてね……ずっと俺のこと探してたみたいで。逃げたんだけど、追いかけられて」
「怖かったよな。もっと早くかけつけてやれれば……」
「いや、俺ももっと具体的な場所を送れれば良かったんだけど、余裕がなくて。でもよく分かったね。あそこに俺がいるって」
「柚葵が行きそうな場所、手当たり次第に探してたんだけど、今だったらあの駅かなって」
「うん、路上ライブのために下見しておきたくて」
「やっぱりな」
「……あのさ」
柚葵と俺の間に、沈黙が流れる。
柚葵が何を言おうとしているのか、なんとなく分かった。
「ごめん、隠してて」
俺は、柚葵が次の言葉を発するより先に、気付けば謝罪の言葉を口にしていた。
「俺、ずっと柚葵のこと知ってた。ずっと前から、配信聞いてたんだ。なのに、言い出せなくてごめん」
「じゃあ、ほんとに……四倉がそらさんなんだ」
「うん。……がっかりした?」
「え、なんで?」
「いや、だって……」
自分の中の不安をどう言葉にすればいいのか分からなかった。
俺はちらっと、柚葵の顔色を窺う。
けれど、俺の不安とは裏腹に、柚葵はきょとんとした顔を浮かべていた。
「むしろ、良かったよ。そらさんが四倉で」
「え?」
「そらさんは、俺が配信始めた頃からずっと聴いてくれてたリスナーさんで……凄く大好きなリスナーさんだからさ。あ、もちろん他のリスナーさんも好きだよ!それは前提としてね?だから、そんな大好きなリスナーさんの正体が、四倉だって知って、嬉しかった」
「ほんと?」
「うん。まぁ、俺が『柚』だって気付いてたなら、もっと早く言ってくれても良かったんじゃないか、とは思うけど」
「うっ……そうだよな。それはほんとごめん」
「いや、いいよ。四倉の中でも色々葛藤があったんだろうし」
柚葵はそう言って、優しい笑みを浮かべる。
打ち明けるなら、今だろうか。俺が、Rainだということを――。
「あのっ」
「あ、そうそう」
俺の言葉は、柚葵の声にかき消された。
「路上ライブの日程、決まったよ」
「え!?いつの間に?」
「来月末。道路使用許可の申請も出した。あとは曲の最終調整と、練習のみ」
「そっか……曲ってどのくらい出来てるの?」
「もうほとんどできてる。あのさ、四倉。一緒に歌わない?」
「え?」
柚葵の提案に、俺は思わず目を丸くした。
路上ライブは当初、柚葵一人で歌う予定だったはず。それなのに、何で急に?
「曲、二人で歌う用にパート割りも考えて、一から歌詞を練り直したんだ。だからせっかくなら、一人じゃなくて、二人で歌いたい」
「えっと……」
柚葵と一緒に歌う覚悟は決めたつもりだった。
けれど、まさか二人で歌う場が路上ライブになるだなんて思っていなかった。
せいぜい、カラオケでデュエットするくらいのものを想像していたのだ。
「俺は……」
「歌うの、怖い?」
柚葵がそう問いかける。
「俺も怖いよ。だから、四倉に隣にいてほしいんだ。四倉と一緒に歌いたいんだよ」
柚葵の思いがまっすぐ、俺の心に突き刺さるように伝わってきた。
今の柚葵は、心の支えを必要としている。そして、その支えとなれるのは、俺しかいない。
もしここで、俺がRainであると打ち明けたら、柚葵はきっと委縮してしまう。
心の支えになるはずの俺の存在が、逆に緊張の原因になってしまうかもしれない。
そうなれば、路上ライブで柚葵は思うように歌えなくなってしまうだろう。
柚葵にとって路上ライブは、Rainと会うための手段であると同時に、きっと「自分を変えたい」という覚悟の表れでもある。
だからこそ、その一歩を俺が邪魔するわけにはいかなかった。
「……分かった。俺も一緒に歌うよ」
「ほんと?ありがとう」
俺は、自分がRainであるということは、まだ打ち明けないことに決めた。
打ち明けるのは、路上ライブが成功した後だ。
「後で録音したデータ送る。あと、歌詞も」
「おっけー。ギターはまぁ大丈夫だと思うけど、歌も練習しなきゃな」
「大丈夫だよ。俺知ってるよ、四倉が歌えること」
きっと柚葵の頭の中には、文化祭のステージ発表の時の光景が浮かんでいるのだろう。
俺は、あの時のクオリティよりは、どうにかマシな歌を歌わなきゃなと思い、苦笑いした。
俺たちは気付けば、タコの滑り台がある公園までたどり着いていた。
公園の前で、二人して足を止める。
俺も柚葵も、「またね」を切り出す気配は一向にない。
「四倉、俺……四倉と今まで通り、普通に仲良くしたい」
柚葵は真剣な面持ちでそう言う。柚葵のことをずっと苦しめていたことを改めて実感し、俺の胸に鈍い痛みが広がった。
柚葵はきっと、俺が急に自分を避け始めたと思っている。
その理由について、柚葵はどう考えているのだろう。
文化祭のステージ発表で、迷惑をかけてしまったから――。
もしかすると、そんな風に思っているのかもしれない。
「うん。俺も、同じこと言おうと思ってた。悲しませてごめん」
「四倉、あのさ」
「ん?」
「……四倉って、そらさんなんだよね?」
「うん。そうだけど」
「じゃあ……今までの配信での雑談とかも、全部聞いてたよね……」
「雑談?」
何の話だろう。俺は記憶を手繰り寄せる。
「あの、俺、四倉のこと配信で話題に出したことがあって……」
「あぁ、出してたね。ごめん、知らないふりして話題に乗ってた……あっ」
ここまで言って、俺はようやく柚葵の言いたいことに気付いた。
「えっとー、いつの配信だかは忘れたんだけど、リスナーさんたちに相談事をした日があってー……」
「恋バナ枠、ね」
俺がそう言った途端、柚葵は顔を覆った。
その反応が可愛すぎて、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。
「やっぱり……。あのとき、そらさんのコメントが急に途切れたから、どうしたんだろうって思ってたけど……最後まで聞いてたよね……?」
「聞いてた」
「そっか、だからか……」
柚葵が今、頭の中で具体的に何を考えているのかは分からなかったが、どうやら柚葵の中では、これまでの出来事が一本に繋がり始めているらしい。
「柚葵、顔見せてよ」
俺は柚葵の手をつかみ、顔を覆っていた手をゆっくり剥がさせた。
真っ赤になった柚葵の顔があらわれる。
「柚葵の思い、伝わってるけど、直接聞きたい」
柚葵は一瞬目を伏せるが、すぐに覚悟を決めたように、俺の目を見る。
「俺、四倉が好き」
その言葉が耳に入った瞬間、気付けば俺は柚葵を力強く抱きしめていた。
柚葵は、そんな俺の体を、遠慮がちに抱きしめ返す。
「俺も柚葵が好き。世界で一番好き」
「お、おおげさじゃない?」
「おおげさじゃないよ」
俺は体を離すと、たまらず柚葵の唇に、自分の唇を重ねた。
柚葵の肩がビクッと跳ねる。
その反応が可愛くて、俺は一度離しかけた唇を、再び柚葵の唇に押し当てた。
柚葵の余裕のなさそうな呼吸が、俺の理性を吹っ飛ばしそうになる。
「ちょ、ちょっとっ」
柚葵が俺の肩を掴み、体を引きはがした。
「そ、外!外だから!!」
柚葵の言葉に、俺はようやくここが公園であることを思い出す。幸い、人の姿はないが、誰かに見られていたら大変だ。
「少しは我慢しろよ!もう!!」
真っ赤になって怒る柚葵に、俺は「ごめん……」と弱弱しく謝った。
「じゃあ、俺、帰る」
柚葵が俺に背中を向ける。怒らせてしまっただろうか、と俺は不安に襲われる。
「柚葵……ごめん、もうしないから」
「……そ、外ではもうしないで」
「うん……ん?外ではってことは、室内でならしてもいいってこと?」
柚葵から返事はない。背中を向けているためその表情は見えないが、今柚葵がどんな顔をしているかは手に取るようにわかった。
「じゃあ、続きはまた今度、俺ん家でってことで」
「あーはいはい、じゃあまたね!」
恥ずかしさを誤魔化すよう、大きい声でそう言い、足早に去っていく柚葵の姿に、俺は思わず笑みがこぼれる。
「路上ライブ、頑張ろうな!」
去っていく柚葵の背中にそう声をかけると、柚葵はそれにこたえるように片手を上げた。
カラオケが趣味である母親の影響で、俺は他の同年代の子たちに比べれば歌う機会が多かったし、多くの曲を知っていたと思う。
時折、母が友人たちとカラオケをしている場に連れていかれることもあり、そこで「嵐くんは本当に歌が上手いね」「将来は歌手になれるんじゃない?」などと言ってもらえるのが、すごく嬉しかったのを覚えている。
中学に入って、スマホを買ってもらった俺は、動画サイトで歌ってみた動画を見るのにハマった。
ある時、俺が熱心に歌ってみた動画を見ているのに気づいた母が「投稿してみれば?」と言ってきた。
これがきっかけで、俺は動画投稿を始めることとなった。
「Rain」という名前は、なんとなくでつけたものだった。
何かカッコいい活動名がほしい、そんな中学生らしい理由だ。
本名の「嵐」を英語にすることも考えたが、俺は天気で言うと「嵐」よりも「雨」の方が好きだった。それに、「雨」の方がどこか落ち着いた印象がある。
少し大人びた名前にしたい。そんな背伸びをした気持ちもあって、俺は「Rain」という名前を選んだ。
最初に投稿したのは「青い春を願って」という曲の、弾き語り動画だった。
とはいえ、ギターの腕は拙く、安物のマイクで録音していたこともあり、そこまで再生数は伸びなかった。
それでも、自分の歌がひとつの動画として形になり、それが誰かの目に触れる。そのことが、当時の俺にはたまらなく嬉しかった。
それからも俺は、いくつもの歌ってみた動画を作成し、動画サイトに投稿していった。
顔出しはせず、年齢などの情報も一切明かさない。それ自体は親からのアドバイスに従っていただけだが、とはいえ俺自身は「正体不明のアーティスト」みたいで、なんだかかっこいいなと思っていた。
次第に再生数も伸び、コメントもつくようになる。
心無いコメントが寄せられたらどうしよう。そんな不安もあったが、幸いにもそうしたコメントを目にすることはなかった。
もしかしたら、俺のアカウントを管理してくれていた親が、ひそかに削除していたのかもしれない。
そのことに気づいたのは、もう少し大きくなってからだった。
ある日のこと。
俺は動画サイトで、同年代の子が路上ライブをやっている動画を見た。
人前で堂々と歌い、拍手や歓声を受ける姿が印象的で、俺の心を高鳴らせた。
――俺もやってみたい。
そんな衝動が、自然と湧き上がってきたのを覚えている。
ちょうど、俺の地元から電車で数十分ほどの距離に、路上ライブの聖地のようになっている場所があった。
俺自身も、そこでアーティストの卵が路上ライブをしているのを目にしたことがある。
親に、「路上ライブをしたい」という熱い思いを伝えたところ、親はそんな俺の背中を押し、ライブのための手配も進めてくれた。
何を歌おうか。
今まで動画投稿してきた曲の中から選ぶことも考えたが、せっかくの路上ライブ。
思い切って、今までに歌ったことのない曲を歌いたいと思った。
そこで俺は、動画サイトの自分のチャンネルで、路上ライブの告知と同時に、歌う曲を募ることにした。
普段から動画にコメントをくれる人たちが、各々のリクエスト曲をコメントしてくれる。
その中で、俺はとあるコメントに目がとまった。
「柚」という名前のユーザーからのコメントだ。
『初めまして、いつも動画見ています。Rainさんの歌が本当に大好きです。「Rain Falls on Blue」を歌ってほしいです。Rainさんの高くて綺麗な歌声に合うと思います。路上ライブ、絶対に行きます』
今まで、「雨」や「Rain」などがタイトルに入っている曲を歌うことがよくあった。
それに加え、俺は「青信号」という曲が一番好きなこともあり、「青」や「ブルー」といった単語にも思い入れがある。
その二つがどちらも入っている曲名に、俺は心を掴まれた。
早速、その曲を聴いてみる。
切ないラブソングのようでありながら、背中を押してくれるような前向きな歌詞もある。
ミディアムバラードの曲調と、綺麗な歌詞が気に入り、俺はすぐにその曲を好きになった。
路上ライブではこの「Rain Falls on Blue」を歌おう。
そう決心した俺は、来る路上ライブの日に向け、練習を始めた。
完璧に演奏できるよう、譜面を完璧に頭に叩き込み、そして自信をもって歌えるよう、歌詞も一言一句完全に覚える。
当日、少しでも悔いを残さないように。そして、リクエストしてくれた柚さん含め、見に来てくれる人々の心に少しでも残る歌が歌えるように。
しかし、練習を始めて少し経った頃。
俺はふと、声が出づらいことに気付いた。高音が出ないのだ。
歌だけではない。話すときも、声が出しづらい。
俺の中には、焦りが芽生えていた。
――声変わり。
いつかこの日が来ることは分かっていた。
でも、それがよりによってこのタイミングで……。
親からは「その時できる最善のパフォーマンスをすればいい」と励ましてもらった。
でも、俺は日に日に出しづらくなっていく自分の声に、どんどん自信を失っていた。
そんな俺の感情とは裏腹に、過去の動画には少しずつ新しいコメントが増えていく。
『めっちゃ綺麗な声!』
『女性かと思ったら、男性なの?すごい』
『この声一生聴いてたい』
皆、声変わり前の俺の歌声に惹かれて、動画を見てくれている。
その事実が、俺をこれでもかというほど、苦しめた。
もし、今の声で動画を投稿したら、どんなコメントがつくのか。
つい、そんなことを考えてしまう。
俺の頭に浮かんだのは、失望のコメントだった。
『前の方が良かった』
『声変わっちゃったの……?』
『なんか今までと違う』
そして、そんなコメントを俺の目に触れさせまいと、必死に削除する母親の姿まで浮かんだ。
そんなネガティブな想像に頭の中を支配され、気付けば俺は、歌うことそのものが怖くなっていた。
そして、過去の自分の動画を見ることすら嫌になっていった。
もう、以前のような声で歌うことはできない。
そう思えば思うほど、過去の自分が自分ではないような遠い存在に思えた。
俺は衝動的に、全ての動画と自分のチャンネルを削除した。
路上ライブが中止となったのは言うまでもない。
こうして臆病な心に負けた俺は、今まで熱心に応援してくれた視聴者たちに何の報告もできないまま、「Rain」としての人生を終えたのだった。
配信サイトで「柚」を見つけたのは、偶然だった。
自分で歌うことはなくなっても、人の歌を聞くのは好きだった。だから俺は配信サイトで時折、色々な歌配信を覗いていた。
そんな時に目に留まったのが、柚の配信だ。
今の時代、顔出しで配信することは珍しくない。
そんな中で、一切顔出しをせずに配信をしている柚が、以前の俺と重なった。
柚ののびやかな歌声に一瞬で心をつかまれた俺は、気付けば配信に何度も顔を出すようになっていた。
柚の歌に魅力を感じていたのはもちろんだが、俺は、柚自身の人柄にも強く心を惹かれていた。
柚の話を聞いていると、決して私生活が順風満帆というわけではないことが、痛いほど伝わってきた。
それでも、柚の言葉にはいつも、「前を向いて進みたい」「自分を変えたい」という思いがこもっており、そんな柚を見ているうちに、俺は思うようになった。
俺は柚の味方でありたい。柚の今後の人生が、溢れんばかりの幸せで満たされてほしい、と。
その気持ちは、今も変わらない。
柚の、柚葵の一番の味方でいたい。柚葵が幸せになるためなら、どんなことだってしてあげたい。
……はずなのに。
――Rainさんと一緒に歌いたい
柚葵が抱いている夢。その夢を応援することができない。
文化祭のステージ発表。
歌を歌ったのは本当に久しぶりだった。
マイクを通して、耳に届く自分の歌声。
その声は、かつてRainとして歌っていた頃の声とは、あまりにもかけ離れていた。
柚葵が一緒に歌いたい「Rain」は、声変わり前の俺だ。
でも、俺にはもう、あの頃のような声は出せない。
柚葵の夢は、どう頑張ったって叶わないのだ。
どれだけ俺が応援したところで、柚葵の夢が叶うことは一生ない。
そう考えると、とてつもない罪悪感に襲われた。
柚葵の一番の味方でいたい。
なのに、柚葵が一番叶えたい夢だけは、応援できない。
俺は、自分が柚葵の夢を応援していいのかさえ、分からなくなってしまった
*
「四倉、今日このあと時間ある?一回ギターと歌を合わせてみない?」
ある日の放課後。
隣の席の柚葵が、俺にそう持ち掛ける。その手元には、歌詞を書いたルーズリーフがあった。
「あーごめん、今日バイトなんだ」
嘘だ。本当は、バイトなんてない。
文化祭の日以降、俺は柚葵とどう付き合っていくべきか分からなくなってしまった。
柚葵は路上ライブに向け、曲作りを進めている。
その曲は、Rainと一緒に歌うことを想定して作られた曲だ。
でも完成したところで、Rainと歌うことはできない。
それなら、柚葵を失望させてしまうだけなんじゃないか。
だったら、曲なんて完成しない方がいいんじゃないか。路上ライブだって、果たしてやる意味があるのだろうか。
そんなことばかり考えてしまうのだ。
「そっか。じゃあ、また今度合わせよう。あとで録音したデータだけ送っとく」
「あぁ、うん」
柚葵の言葉に返事をするものの、その目を見ることはできなかった。
そして柚葵も、俺の不自然な態度に違和感を覚えているようだったが、あえてそのことに触れようとはしなかった。
こうして気付けば、俺たちの間には見えない壁ができていった。
「何、お前らまた喧嘩してんの?」
俺と柚葵の間に流れる気まずい空気は、周りにもだだ漏れだったらしい。
二人になったタイミングで、遠藤が俺に話しかけてきた。
「別に、してねえよ」
「でも、最近お前ら全然話さないじゃん」
「そうかな」
「そうだよ。……あのさ、最近の青梅、すごい寂しそうだぞ」
「え?」
「気付いてない?青梅、お前の方チラチラ見てるのに、お前全然青梅のこと見てやらないじゃん。何があったか知らないけど、あんまあいつのこと悲しませるなよ」
「……分かってる。俺だって、悲しませたいわけじゃ……」
自分で、自分が何をしたいのか分からなくなる。
柚葵の幸せを願っていたはずなのに、これじゃ全く真逆のことをしているじゃないか。
でも、柚葵にちゃんと向き合ったところで待ち受けているのは、柚葵を失望させてしまう未来だ。
「はぁ……もう分かんねえよ……」
項垂れる俺に、遠藤は何も言わず、ただ肩をぽんと叩いた。
柚葵と話さなくなってからも、日々はせわしなく過ぎていき、気付けば期末テストの時期になっていた。
テスト期間中は学校が午前で終わり、昼前には下校することになる。
この頃には、柚葵と二人きりで帰ることもすっかりなくなっていた。
*
帰宅後、俺はテスト勉強をする気にはなれず、ぼーっとスマホを眺める。
そして、ついいつもの癖で配信サイトを開いた。
すると「登録済みチャンネル」の一覧に、「配信中」の文字が表示されていることに気付く。
柚葵の配信だった。
「こんな時間に……?」
柚葵の配信は決まって夜に行われる。
昼間は学校があるため、当然と言えば当然だ。
ただ、この日は学校が午前で終わっているため、別に配信をしていても不思議ではない。
それでもこの時間に柚葵が配信をするのはあまりにも珍しい。
俺は困惑しながらも、思い切って「視聴する」ボタンを押した。
コメント欄に、『そらさんが入室しました』という文字が表示される。
「あ、そらさん。こんにちは」
俺はいつも通り、挨拶コメントを入力した。
柚葵は当然、俺がそらだということを知らない。
「そら」という名前で自分の素顔を隠したまま、俺は久しぶりに柚葵と言葉を交わした。
『そら:こんな時間に珍しいね』
「テスト期間で、学校が早く終わったんだ。この時間だから人来ないと思ってた」
『そら:俺も、学校早く終わった』
「あぁ。もしかして、そらさんも高校生?」
『そら:どうかな』
我ながら、何をやってるんだと思う。
正体を隠したまま柚葵と話して、これじゃまるで柚葵をだましているみたいじゃないか。
柚葵が憧れている「Rain」。
そして、今俺が名乗っている「そら」。
俺はそのどちらの正体も明かせないまま、何も知らない柚葵と、都合よく話している。
もし柚葵がこのことを知ったら、俺を軽蔑するだろうか。
「二人きりだね」
柚葵の言葉に、思わずドキッとする。
今、他のリスナーは配信にいない。俺と柚葵、二人きりの空間だ。
「初めてそらさんが配信に来てくれた時のこと思い出した。あの頃は、そらさんしか聴いてくれる人いなかったから」
柚葵の言葉に、俺はあの頃のことを振り返る。確かにその当時、柚葵の配信には全く人がいなかった。
こんなに魅力的な歌声なのに。
俺だけがこの歌声を知っているのはあまりにもったいない、そう思ったのを覚えている。
「ごめん、今日は歌は歌わないんだ。ちょっと話に付き合ってもらってもいい?」
そう話す柚葵の声には、どこか寂しげな響きがあった。
『そら:いいよ』
「ありがとう。ちょっと、友達のことで……悩んでて」
俺のことだ。
そう気づいた途端、罪悪感が俺の胸を突き刺す。ズキンと鋭い痛みが胸の奥を走った。
「友達と最近、上手く話せなくて。どうすればいいか分かんないんだ。別に喧嘩してるわけじゃないんだけど」
違う。違うよ、柚葵。
上手く話せないって、自分のせいみたいに言うけど、全部俺が悪いんだ。
そう書き込もうとしたが、送信ボタンを押す手前で、手を止める。
「そら」として、それを言ってどうするんだ。こんなの、柚葵を混乱させるだけじゃないか。
「どう、関わっていけばいいのか、正直わかんなくて。このままずっとこんな感じなのは嫌なのに……俺、あいつにまだ、好きってちゃんと伝えてないのに」
柚葵……。
伝わってるよ。お前が俺を好きだってこと、前から知ってる。
そう言って、柚葵を安心させてやりたい。
今すぐ柚葵を抱きしめたい。
なのに――。
俺の手は、どうしても送信ボタンを押せなかった。
打ち込んでいた言葉を、すべて削除する。
無言の時間が続く中、俺はしばらく画面を見つめた後、ゆっくりと代わりの言葉を打ち込んだ。
『そら:元気出して、柚。みんな、柚の味方だよ』
“みんな”、か。
我ながら、ずるいコメントだ。俺は自分に嫌気がさした。
それから柚葵は、そらに対し礼を言うと、配信を閉じた。
俺の中でも、そして柚葵の中でも、何も解決していない。
このまま俺たちの距離は、離れていってしまうのだろうか。
俺は部屋の隅に置かれたギターを一瞥し、深いため息をついた。
*
「話がある」
期末テストが終わった日の放課後。遠藤が俺に声をかけてきた。
その後ろには鵜ノ山、佐藤の姿もあり、三人とも俺に対し険しい顔を向けている。
「え、っと……何?」
「この後時間ある?いや、なくてもいい。時間作れ」
「いや、マジで何?ていうかテスト終わったし、お前ら部活じゃ……」
「部活はサボる」
「えっ、三人とも?」
「そう」
遠藤の言葉に、鵜ノ山と佐藤が頷く。
結局俺は、何もわからないまま、学校近くのファミレスに連れていかれた。
ドリンクバーを注文した後で、遠藤が話を切り出す。
「何の話をしたいか、分かるよな」
「……まぁ」
なんとなく見当はついていた。柚葵の話だ。
「ここ最近、青梅はずっと落ち込んでるし、四倉は青梅を避けてる感じだし。正直お前らのこと心配なんだよ」
鵜ノ山が遠藤の話を引き継ぐ。
「そうだよ。何があったんだよ」
続けて、佐藤が前のめりに尋ねてきた。
「別に……」
「また、『別に』か。お前、青梅と今のままでいいの?」
「それは……」
いいわけない。柚葵とこのまま気まずい関係を続けるなんて。
せっかく仲良くなったのに。せっかく、思いを伝えたのに。
「お前らには、分からないよ」
するとその途端、遠藤が席を立ち、俺の胸ぐらをつかんだ。
「分かるとか分からないとか、そういう問題じゃねえんだよ!分からなくたって、俺は分かりたいと思ってる。だからこうやって話を聞く場を作ったんだろ。青梅から前に話を聞いたよ。あいつ、中学時代、学校通えてなかったんだろ。もしお前のせいで、また学校通えなくなったらどうする?俺たちはこれからも青梅の居場所でい続けるつもりだよ。でも、お前にその気がなかったら、また中学時代の二の舞になるかもしれないんだぞ」
遠藤の言葉に、俺はハッとさせられた。
――高校生活不安っぽかったから。柚葵が今楽しいなら、良かったなって
――うん、楽しいよ。四倉と一緒にいるの、楽しい
俺が、柚葵の居場所になっていたはずだった。
でも、今はどうだ?柚葵は安心して学校に通えているか?
俺のせいで、せっかくできた居場所に、いづらくなっているんじゃないのか。
俺の胸ぐらをつかんだままの遠藤を、鵜ノ山が冷静になだめる。
「二人の間に何があったのか、もし話したくないなら話さなくてもいい。二人の問題だからね。でも、もし力になれることがあったら頼ってほしい。俺らにとって、二人は大事な友達だから」
「そうそう。まだ高校生活始まったばっかじゃん。これから夏休みもあって、楽しいこといっぱいあるんだからさ。そのためにも、早く前みたいな関係に戻ろうぜ」
鵜ノ山と佐藤の言葉に、俺は心を満たしていた暗い霧が、さっと晴れた気がした。
「じゃあ……一個、お願いしていい?」
「もちろん」
三人が俺の言葉に耳を傾ける。
「何も聞かず、ただ、応援してほしい。お前ならできるって。頑張れって、応援してほしい。自信が……欲しい」
俺の言葉に、三人は各々顔を見合わせた後、再び俺に向き直った。
「お安い御用すぎ。じゃ、一旦店出るか」
「え?」
三人が伝票を持って早々にレジに向かったため、俺は急いで後を追いかける。
店を出た後、三人が向かったのは、帰り道にある公園だった。
人気のない場所を選んだようだが、奇しくもそこは俺と柚葵が初めて出会った、あのタコの滑り台のある公園だった。
「よし、ここならいいか」
遠藤が周囲をうかがう。
「おい、一体何を……」
そこまで言いかけたところで、俺の言葉の続きを遠藤の大きな声がかき消した。
「四倉、ファイトーー!!」
「お前ならできる!」
「そう、できる!自信のない四倉なんて、四倉じゃないだろ!」
遠藤に続き、鵜ノ山と佐藤が声量のバグった大声でそう言いながら、俺の背中を思い切り叩いた。
「いった!え、ちょ、な、何」
「お前が応援してくれって言ったんだろ」
「いや、言ったけど……」
「なぁ、俺、中学の時応援団長してたことある」
「お、佐藤!やったれ」
「フレー!フレー!し・く・ら!!」
「声でかいって!!」
もうわけがわからない。カオスな状況に俺は自然と笑いがこみあげてきた。
遠藤、そして鵜ノ山と佐藤もつられて笑い始める。
「どう?自信わいたか?」
「おかげさまで」
「まぁ、何があったかは深く聞かないけどさ。これ以上、青梅のこと悲しませんなよ」
「うん、心配かけてごめん。ありがとう、みんな」
三人が先程よりも優しく、俺の背中を叩く。
俺の中には、覚悟が芽生えていた。
やっぱり俺は、柚葵の夢を叶えてやりたい。
そして、柚葵の夢を叶えられるのは、俺しかいない。
声がどうとか、もう関係ない。
柚葵と歌おう。
文化祭の時とは違う。今度は「Rain」として活動していた頃のように、自信をもって歌いたい。
そして、柚葵と真正面から向き合うためには、柚葵に俺がRainであることを打ち明けなければならない。
俺はスマホを開く。
その時、ちょうど柚葵からのメッセージが届いた。
あまりのタイミングの良さに、俺は運命的なものを感じる。
――が。
画面に表示されたメッセージを目にした瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
『助けて』
柚葵の連絡を受けて、俺はすぐに走り出した。
柚葵が何かしらのトラブルに遭っていることは間違いない。
でも、その後いくら俺の方からメッセージを送っても、返信どころか既読すらつかなかった。
――柚葵が危ない。
そう直感した俺は、パニックになった頭を必死に動かし、柚葵が行きそうな場所を考える。
今日学校が終わって、柚葵は俺たちよりも先に教室を出ていったはず。
もしまだ外にいるのだとしたら、学校帰りにどこかに寄り道していたことになる。
もしくは、一度帰宅した後に、どこかに出かけたのか。
どちらにせよ、行動範囲は学校からさほど離れていないはず。
しかし、柚葵が行きそうな場所が思い浮かばない。俺は柚葵のことを、まだ何も知らない。
柚葵ともっとたくさん話をしておけばよかった。後悔が一気に押し寄せてくる。
それでも俺は頭を振り、ひとまず先程別れたばかりの遠藤たちにも連絡を入れた。
すると遠藤たちも、柚葵を探してくれるという。
俺たちは手分けして、柚葵の行方を追うことになった。
柚葵が助けを求める状況――。
そう考えた時、俺の中にとある日の記憶がよみがえってきた。
柚葵と出会って間もない頃。
柚葵が、カラオケ店で、そらになりすました中年男に迫られた時のことだ。
俺はまさかと思い、あの時のカラオケ店へと向かった。
店に入った俺は店員に「高校生と、中年の男が来なかったか」と尋ねる。
しかし、店員の答えは「そんな組み合わせの客は来ていない」というものだった。
柚葵の行方探しは、振り出しに戻ってしまった。
店を出た俺は、他に何の手掛かりも思い浮かばず、途方に暮れた。
その時、頬に冷たい水滴が落ちてきた。
――雨だ。
だが、見上げると、そこには一面の青空が広がっている。
――お天気雨、か。
青空に降る雨。まさに「Rain Falls on Blue」。
俺が路上ライブで歌う予定だった曲のタイトルのようだ。
こんな緊迫した状況なのに、俺の頭は冷静にそんなことを考えていた。
――その時。
「……路上ライブ」
脳内に、ある場所が思い浮かんだ。このタイミングで、柚葵が行きそうな場所。
俺の足は、自然と走り出していた。
息を切らしながら到着したのは、とある駅前の広場。
俺が路上ライブをやる予定だった場所だ。
そして同時に、ここは柚葵が路上ライブをしようとしている場所でもある。
だから、柚葵が下見をかねて、この場所を訪れていても不思議ではない。
「あの、すいません。この付近に男子高校生と、中年の男が二人でいませんでしたか?」
俺は駅前にいる人に、片っぱしから声をかけた。
しかし、柚葵の目撃証言はなかなか得られなかった。
焦りがどんどん募っていく。こんなことをしている間に、柚葵の身に何かあったら――。
その時。
「さっきの、大丈夫かな」
「流石に親子とかじゃない?」
そんな会話が耳に入る。
声がした方を見ると、若い女性二人が歩いていた。
「え、いや明らか男の子の方嫌がってなかった?」
「マジ?どういう関係?」
俺はすかさず女性たちに声をかける。
「あの、もしかして男子高校生と、中年の男を見ましたか?」
「えっ。はい。さっき二人で向こうの方に歩いてったんですけど」
女性の返答を聞いた途端、俺は礼を言うと、女性の指さす方向へと走り出した。
間違いない、柚葵だ。
女性が指さした方角には、駅の駐輪場があったが、柚葵の姿はない。
俺は駐輪場を通り過ぎてさらに奥へ進む。
シャッターの閉まった店が並び、人気のない路地が続いていた。
「柚葵!」
俺は柚葵の名前を何度も呼ぶ。
――その時だった。
「四倉!助けて!」
柚葵の声だ。
俺は声のした方へと急いで向かう。
そして、路地裏を覗き込むと、そこには柚葵と、そんな柚葵に至近距離で迫るあの中年男の姿があった。
「何やってんだよ!」
俺はすぐに男を押しのけ、柚葵を引き寄せる。
男は一瞬ひるんだ様子を見せたものの、俺のことに気付くと、すぐに反論を始めた。
「またお前かよ、俺と柚の邪魔しに来やがって」
「嫌がってるだろ!これ以上、柚葵に近付くな」
「あのな、俺は柚とは長い付き合いなんだ。ずっと前から柚を知ってるんだよ、ずーーっと柚のこと見てたんだ。なぁ、柚?」
男が柚葵に気色の悪い笑顔を向ける。
柚葵の目には、恐怖の色が浮かんでいた。
「いい加減なこと言うな!なりすまし野郎のくせに」
「は?俺はそらって名前で、柚のことずっと見守ってんだよ」
こいつ、この期に及んでまだそんなこと言ってるのか。
俺の中に、燃えるような怒りが募っていく。
その時、柚葵が口を開いた。
「違う……この人、そらさんじゃない」
「えぇ?なんでそんなこと言うの柚。そらじゃないかどうかなんて、柚には分からないだろ?何か証拠でもあるの?」
「え、だって……本物のそらさんは別にいて」
「その“本物のそらさん”が、偽物なんじゃないの?」
柚葵の目には、明らかに混乱の色が浮かんでいた。
「なぁ、柚。俺と柚の仲だろ。仲良くしようよ」
「い、いやだ……」
「俺がいつも応援してあげてるの忘れたの?それとも、そらがこんなおっさんとは思わなかった?でもさ、まさか、見た目や年齢で態度変えたりしないよね?柚は」
男が、柚葵に手をのばす。
俺は、その手が柚葵に触れるより先に、柚葵を自分の背後へ隠した。
「お前は、そらじゃない」
「はぁ?お前に何が分かるんだよ。俺はそらって名前で昔からコメントして……」
「だって、俺がそらだから」
「……は?」
困惑の表情を浮かべる男に向かって、俺はスマホの画面を突き出した。
画面に表示されているのは、配信サイトのプロフィールページ。
ユーザー名は、「そら」。
「いや、こんなの……て、適当にアカウント作っただけだろ!お前こそそらの偽物だ!」
「じゃあ、はい」
次に、SNSの画面を表示する。「そら」という名前のアカウント。
「今この場で投稿してやるよ。変なおっさんに絡まれてダルいって。はい、これ証拠」
俺はその場でSNSに投稿し、その画面を男に見せつけた。
男は、反論の余地を失ったのか、口をパクパクさせながら真っ赤な顔をしている。
その時、複数の足音が聞こえてきた。
「君たち、大丈夫?」
振り向くと、警察官と、先程駅前で会った若い女性二人組がこちらを心配そうに見ていた。どうやら、先程の俺の態度が尋常ではなかったため、女性二人が警察を呼んでくれたらしい。
「くそっ」
男は俺を押しのけると、すぐにその場から逃げ出そうとする。
警察官が慌てて男を止めるが、暴れる男を押さえつける際、その腕が警察官の顔に勢いよく当たった。
「至急、応援願います」
警察官が無線で仲間を呼んでいる。詳しいことは分からないが、警察官に手を出したのなら、これは公務執行妨害になるんじゃないだろうか。
「四倉」
その声に俺はハッとし、柚葵の方を振り向く。
柚葵は潤んだ目でこちらを見つめていた。
「ありがとう、来てくれて」
「柚葵、大丈夫?何かされてない?怪我は?」
「大丈夫」
そう言いながらも、柚葵の手はかすかに震えており、相当怖い思いをしていたのが目に見えて分かった。
その後、俺と柚葵は警察から事情聴取を受けることになった。
俺たちはそれぞれ、男と出会った経緯や、何があったのかを警察官に説明する。
幸い、俺たちに大きな怪我はなかったため、簡単な確認だけで済んだ。
事情聴取を終えると、先ほど助けてくれた女性二人組にも改めて礼を言った。
「本当にありがとうございました」
「ううん、無事でよかったよ」
そう言って笑う二人に頭を下げる。
その後、俺と柚葵は電車に乗り、地元の駅から二人で歩いて帰った。
「あの男、まだ柚葵のこと諦めてなかったんだな」
「うん。駅のあたりをうろうろしてたら急に声かけられてね……ずっと俺のこと探してたみたいで。逃げたんだけど、追いかけられて」
「怖かったよな。もっと早くかけつけてやれれば……」
「いや、俺ももっと具体的な場所を送れれば良かったんだけど、余裕がなくて。でもよく分かったね。あそこに俺がいるって」
「柚葵が行きそうな場所、手当たり次第に探してたんだけど、今だったらあの駅かなって」
「うん、路上ライブのために下見しておきたくて」
「やっぱりな」
「……あのさ」
柚葵と俺の間に、沈黙が流れる。
柚葵が何を言おうとしているのか、なんとなく分かった。
「ごめん、隠してて」
俺は、柚葵が次の言葉を発するより先に、気付けば謝罪の言葉を口にしていた。
「俺、ずっと柚葵のこと知ってた。ずっと前から、配信聞いてたんだ。なのに、言い出せなくてごめん」
「じゃあ、ほんとに……四倉がそらさんなんだ」
「うん。……がっかりした?」
「え、なんで?」
「いや、だって……」
自分の中の不安をどう言葉にすればいいのか分からなかった。
俺はちらっと、柚葵の顔色を窺う。
けれど、俺の不安とは裏腹に、柚葵はきょとんとした顔を浮かべていた。
「むしろ、良かったよ。そらさんが四倉で」
「え?」
「そらさんは、俺が配信始めた頃からずっと聴いてくれてたリスナーさんで……凄く大好きなリスナーさんだからさ。あ、もちろん他のリスナーさんも好きだよ!それは前提としてね?だから、そんな大好きなリスナーさんの正体が、四倉だって知って、嬉しかった」
「ほんと?」
「うん。まぁ、俺が『柚』だって気付いてたなら、もっと早く言ってくれても良かったんじゃないか、とは思うけど」
「うっ……そうだよな。それはほんとごめん」
「いや、いいよ。四倉の中でも色々葛藤があったんだろうし」
柚葵はそう言って、優しい笑みを浮かべる。
打ち明けるなら、今だろうか。俺が、Rainだということを――。
「あのっ」
「あ、そうそう」
俺の言葉は、柚葵の声にかき消された。
「路上ライブの日程、決まったよ」
「え!?いつの間に?」
「来月末。道路使用許可の申請も出した。あとは曲の最終調整と、練習のみ」
「そっか……曲ってどのくらい出来てるの?」
「もうほとんどできてる。あのさ、四倉。一緒に歌わない?」
「え?」
柚葵の提案に、俺は思わず目を丸くした。
路上ライブは当初、柚葵一人で歌う予定だったはず。それなのに、何で急に?
「曲、二人で歌う用にパート割りも考えて、一から歌詞を練り直したんだ。だからせっかくなら、一人じゃなくて、二人で歌いたい」
「えっと……」
柚葵と一緒に歌う覚悟は決めたつもりだった。
けれど、まさか二人で歌う場が路上ライブになるだなんて思っていなかった。
せいぜい、カラオケでデュエットするくらいのものを想像していたのだ。
「俺は……」
「歌うの、怖い?」
柚葵がそう問いかける。
「俺も怖いよ。だから、四倉に隣にいてほしいんだ。四倉と一緒に歌いたいんだよ」
柚葵の思いがまっすぐ、俺の心に突き刺さるように伝わってきた。
今の柚葵は、心の支えを必要としている。そして、その支えとなれるのは、俺しかいない。
もしここで、俺がRainであると打ち明けたら、柚葵はきっと委縮してしまう。
心の支えになるはずの俺の存在が、逆に緊張の原因になってしまうかもしれない。
そうなれば、路上ライブで柚葵は思うように歌えなくなってしまうだろう。
柚葵にとって路上ライブは、Rainと会うための手段であると同時に、きっと「自分を変えたい」という覚悟の表れでもある。
だからこそ、その一歩を俺が邪魔するわけにはいかなかった。
「……分かった。俺も一緒に歌うよ」
「ほんと?ありがとう」
俺は、自分がRainであるということは、まだ打ち明けないことに決めた。
打ち明けるのは、路上ライブが成功した後だ。
「後で録音したデータ送る。あと、歌詞も」
「おっけー。ギターはまぁ大丈夫だと思うけど、歌も練習しなきゃな」
「大丈夫だよ。俺知ってるよ、四倉が歌えること」
きっと柚葵の頭の中には、文化祭のステージ発表の時の光景が浮かんでいるのだろう。
俺は、あの時のクオリティよりは、どうにかマシな歌を歌わなきゃなと思い、苦笑いした。
俺たちは気付けば、タコの滑り台がある公園までたどり着いていた。
公園の前で、二人して足を止める。
俺も柚葵も、「またね」を切り出す気配は一向にない。
「四倉、俺……四倉と今まで通り、普通に仲良くしたい」
柚葵は真剣な面持ちでそう言う。柚葵のことをずっと苦しめていたことを改めて実感し、俺の胸に鈍い痛みが広がった。
柚葵はきっと、俺が急に自分を避け始めたと思っている。
その理由について、柚葵はどう考えているのだろう。
文化祭のステージ発表で、迷惑をかけてしまったから――。
もしかすると、そんな風に思っているのかもしれない。
「うん。俺も、同じこと言おうと思ってた。悲しませてごめん」
「四倉、あのさ」
「ん?」
「……四倉って、そらさんなんだよね?」
「うん。そうだけど」
「じゃあ……今までの配信での雑談とかも、全部聞いてたよね……」
「雑談?」
何の話だろう。俺は記憶を手繰り寄せる。
「あの、俺、四倉のこと配信で話題に出したことがあって……」
「あぁ、出してたね。ごめん、知らないふりして話題に乗ってた……あっ」
ここまで言って、俺はようやく柚葵の言いたいことに気付いた。
「えっとー、いつの配信だかは忘れたんだけど、リスナーさんたちに相談事をした日があってー……」
「恋バナ枠、ね」
俺がそう言った途端、柚葵は顔を覆った。
その反応が可愛すぎて、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。
「やっぱり……。あのとき、そらさんのコメントが急に途切れたから、どうしたんだろうって思ってたけど……最後まで聞いてたよね……?」
「聞いてた」
「そっか、だからか……」
柚葵が今、頭の中で具体的に何を考えているのかは分からなかったが、どうやら柚葵の中では、これまでの出来事が一本に繋がり始めているらしい。
「柚葵、顔見せてよ」
俺は柚葵の手をつかみ、顔を覆っていた手をゆっくり剥がさせた。
真っ赤になった柚葵の顔があらわれる。
「柚葵の思い、伝わってるけど、直接聞きたい」
柚葵は一瞬目を伏せるが、すぐに覚悟を決めたように、俺の目を見る。
「俺、四倉が好き」
その言葉が耳に入った瞬間、気付けば俺は柚葵を力強く抱きしめていた。
柚葵は、そんな俺の体を、遠慮がちに抱きしめ返す。
「俺も柚葵が好き。世界で一番好き」
「お、おおげさじゃない?」
「おおげさじゃないよ」
俺は体を離すと、たまらず柚葵の唇に、自分の唇を重ねた。
柚葵の肩がビクッと跳ねる。
その反応が可愛くて、俺は一度離しかけた唇を、再び柚葵の唇に押し当てた。
柚葵の余裕のなさそうな呼吸が、俺の理性を吹っ飛ばしそうになる。
「ちょ、ちょっとっ」
柚葵が俺の肩を掴み、体を引きはがした。
「そ、外!外だから!!」
柚葵の言葉に、俺はようやくここが公園であることを思い出す。幸い、人の姿はないが、誰かに見られていたら大変だ。
「少しは我慢しろよ!もう!!」
真っ赤になって怒る柚葵に、俺は「ごめん……」と弱弱しく謝った。
「じゃあ、俺、帰る」
柚葵が俺に背中を向ける。怒らせてしまっただろうか、と俺は不安に襲われる。
「柚葵……ごめん、もうしないから」
「……そ、外ではもうしないで」
「うん……ん?外ではってことは、室内でならしてもいいってこと?」
柚葵から返事はない。背中を向けているためその表情は見えないが、今柚葵がどんな顔をしているかは手に取るようにわかった。
「じゃあ、続きはまた今度、俺ん家でってことで」
「あーはいはい、じゃあまたね!」
恥ずかしさを誤魔化すよう、大きい声でそう言い、足早に去っていく柚葵の姿に、俺は思わず笑みがこぼれる。
「路上ライブ、頑張ろうな!」
去っていく柚葵の背中にそう声をかけると、柚葵はそれにこたえるように片手を上げた。

