僕だけが知ってる君の歌

 『第33回 青月祭開催についてのお知らせ』

 ある日のホームルーム。
 教室で配られたプリントに記されていたのは、年に一度の一大イベント――わが校の文化祭、「青月祭(せいげつさい)」についてだった。

 文化祭というと、秋に開催されるイメージがあるかもしれないが、俺の通う高校では毎年六月に文化祭が開催されている。
 そしてこのプリントが配られた瞬間から、教室のあちらこちらで生徒たちの色めき立つ声が聞こえてきていた。
 きっと皆、高校生になって初めての文化祭に、心が弾んでいるのだろう。

 「近々、クラスの出し物を決める時間をつくるので、各自やりたいことなどを考えておいてください」
 担任が生徒たちに呼びかける。

 「なぁ、やっぱ文化祭といえばメイドカフェだよな」
 前の席の遠藤が、くるりと振り返って俺に話しかけてきた。
 「え、お化け屋敷が定番じゃねえの」
 すかさず、遠藤の前の席に座る鵜ノ山が振り返りながら、話に加わる。
 「いやいや、ジェットコースター作ろうぜ」
 そう切り出したのは、遠藤の隣に座る佐藤だ。
 皆、それぞれやりたいことがあるらしい。三人は意見が見事に対立したことで、あーだこーだと議論を始める。
 「出し物かぁ」
 そんな三人を見つめながら、俺の隣に座る四倉が呟いた。
 「四倉は、やりたいことないの?」
 俺がそう問いかけると、四倉はしばらく悩むそぶりを見せた後、「わかんね」と答えた。
 「柚葵は?」
 「俺?うーん、俺も分かんないな」
 そう答えながら俺は思った。きっと、どんな出し物に決まったとしても、四倉たちと一緒に準備をするのは楽しいだろうな、と。
 「あ、そうそう。あともう一つ」
 そんなことを考えていると、担任が思い出したように話を切り出した。
 「クラスの出し物とは別に、体育館でのステージ発表もあるので、参加希望者は文化祭実行委員に申請してください」
 ステージ発表――。
 そういえば、前に動画サイトで、「文化祭で〇〇踊ってみた」のような動画を見たことがある。
 他にも、軽音部がライブをしたり、変わり種で言うと漫才を披露する生徒もいるらしい。
 高校の文化祭は、やっぱり中学の文化祭とは違い、色々と派手なんだなぁ……などと思っていると、隣の四倉がちょんちょんと肩を叩いてきた。
 「ん?何?」
 「柚葵、あのさ」
 四倉が俺に何かを話しかけてきたが、その言葉の続きはチャイムの音でかき消された。
 「ごめん、また後で」
 「あ、うん」
 ホームルームが終わり、教室がいっそう賑やかになる。
 そんな中、俺は四倉が浮かべていた、どこかニヤついた笑みが気になっていた。

 放課後。
 いつも通り、四倉と二人で帰っていると、四倉が「ちょっと寄り道していい?」と言い出した。
 また家に連れていかれるのではないか、と思い少しドキッとしたが、俺たちの足はそのまま分かれ道にあるあの公園へ辿り着いた。
 俺と四倉が初めて出会った、タコの滑り台がある公園だ。
 そして四倉は、公園の中に入っていく。
 四倉が滑り台の上にのぼったため、俺も後に続いた。
 「はい」
 四倉はさっきコンビニで買ったチューブ型のアイスを半分に割り、その片方を俺に差し出した。
 「ありがと」
 アイスに口をつけながら、俺は滑り台の上から見える景色を眺める。

 ――懐かしい。

 気付けば俺の頭の中には、初めて四倉と会った4月6日の光景がよみがえっていた。
 見渡す限りの青空。
 青春に憧れて高校に入ったものの、入学式に行けず、この場所で足を止めてしまった俺。
 ふと口ずさんだ『青信号』。
 俺を見つけてくれた、四倉の声。

 「柚葵」
 いつの間にか、四倉が俺の顔を覗き込んでいた。
 至近距離の整った顔に、俺は思わず「わっ」と声を上げのけぞる。
 「どしたの、ぼーっとして」
 「いや……入学式の時のこと思い出して」
 「あぁ。俺と柚葵の、出会いの場所だもんな」
 「出会いのって。なんかおおげさ」
 「おおげさなんかじゃないよ。俺、あの日遅刻してほんと良かったと思ってる」
 「何それ」
 「じゃなきゃ、柚葵に出会えなかった。柚葵が、柚葵だって、知らないままだった」
 「どういうこと?」
 「いや、何でもない。柚葵も俺に出会えてよかった?」
 「えっ」
 良かったに決まってる。四倉に出会えなければ、俺は学校に通えなかった。
 こんな楽しい学校生活を送ることもできなかったし、きっと路上ライブの夢も、夢のままで終わっていただろう。
 四倉がいるから今の俺がいるし、未来の自分を思い描くことが出来る。
 今の俺には、四倉なしの生活が考えられない。

 ……と、そこまで考えて、俺は自分が四倉に対してあまりにも大きな感情を抱いていることに気付いた。
 その途端、急に恥ずかしくなり、思わず顔を背ける。
 「え!ちょっと!なんで無視!?」
 「べ、別に」
 「なんだ、俺の片思いか」
 分かりやすくすねる四倉の姿に、俺は若干の罪悪感を覚える。
 「……良かったよ。出会えて」
 俺がこぼした言葉に、四倉は目を丸くした。そしてその表情がゆっくりとほころんでいく。
 四倉の嬉しそうな笑顔に、俺はみるみる顔が熱くなるのを感じた。
 「そ、そろそろ帰ろっか」
 俺は自分の中に生まれた得体の知れない感情をごまかすように、腰を上げた。
 「待って、話がある」
 しかしそんな俺の腕を、四倉の手がつかみ制止する。
 「話?」
 「そう。今日、文化祭の話あっただろ」
 「うん」
 「ステージ発表の話、覚えてる?」
 「あぁ。体育館でやるやつだよね。ダンスとか、バンドのライブとか、参加したい人が申し込むんだっけ」
 「そう。柚葵、申し込んでみない?」
 「え!?」
 四倉が放ったまさかの言葉に、俺は絶句する。
 申し込む?それは、俺がステージに立つということ?
 思考が追いつかず固まる俺に、四倉がさらに言葉を続けた。
 「ステージで歌ってみない?路上ライブの前に、人前で歌ういい練習になるんじゃないかって」
 「……む、無理!」
 四倉の提案に、俺は反射的に首を横に振った。
 「やっぱ緊張する?」
 「当たり前だよ。この前のカラオケとはわけが違うんだよ?何十人…下手したら何百人の前で歌うことになる」
 「うん。でもそれは路上ライブも同じ。文化祭で歌えないなら、路上ライブもできないと思う」
 「うっ……」
 「ごめん、厳しい言葉かけて。でも、俺、柚葵の夢応援するって決めたから。だからこそ、文化祭のステージ発表の話聞いた瞬間、これだ!って思ったんだ」
 四倉はきっと、俺のことを真剣に考えてくれた上で、この提案を持ち掛けてきた。それは痛いほど伝わる。

 ――けれど。

 「失敗する未来しか見えない」
 気付けば、弱音が口からこぼれていた。
 「なら、俺も一緒に出るよ」
 「え?」
 「俺も出る。俺がギターを弾くから、柚葵は歌って。俺が横にいるなら、多少は心強いだろ」

 四倉と一緒に、ステージに――。

 俺の頭の中に、四倉の演奏にあわせて堂々と歌う自分の姿が浮かんだ。
 不思議だ。一人でステージに立って歌う姿は、どう頑張っても想像ができなかったのに、四倉と一緒だと考えた途端に、その姿が自然と頭に浮かんできた。
 「今すぐに決断しなくていいよ。無理なら無理でいいし。だから、もし気が向いたら言っ……」
 「やるよ」
 俺は四倉の言葉を遮り、そう言った。
 四倉は俺の返事が予想外だったのか、驚いた表情を浮かべる。
 俺だって、不安が完全に拭い去れたわけではない。むしろ、まだ頭の中は不安でいっぱいだ。でも、四倉の思いを無駄にしたくないという気持ちが、俺を突き動かした。
 ここでやると言わなければ、俺は前に進めない。夢に近付けない。そう思ったのだ。
 「ほんとに?無理してない?」
 「無理……は、正直してる。でも、四倉が一緒なら、歌える気がする」
 「……柚葵」
 「ん?」
 「ちょっとごめん」
 なんのごめんだ?と思ったその瞬間、四倉が俺の体に腕を回してきた。
 抱きしめられていると気付いたのは、少し遅れてのことだった。
 「……えっと、これは、何のハグ?」
 「柚葵に、パワーを注入してる」
 俺の頭の中に、以前四倉の家でハグされた時のことが思い浮かぶ。
 でも、あの時のハグとは、少し様子が違っていた。
 四倉の心臓の鼓動が、服越しでも分かるくらいに伝わってくる。
 その普通よりも明らかに速い鼓動を感じていると、俺はこのハグが、励ましとは別の意味を持っているように思えてしまった。
 そしてきっと、四倉に負けず劣らず激しくなっている俺の心臓の鼓動も、四倉には伝わっていることだろう。
 しばらくの間、無言で抱き合っていた俺たちは、公園の外から聞こえた子供の声で我に返り、お互いの体を離した。
 どうやら、近所の小学生が公園に遊びに来たらしい。
 幸い、俺たちのことには気付いていないようだった。

 「か、帰るか」
 「帰ろう!」
 俺たちはそう声を掛け合うと、ギクシャクとした動きで立ち上がり、滑り台を降りた。

 「じゃあまた明日」
 「うん、また」
 お互いが感じた鼓動の正体にはあえて言及しないまま、俺たちは別れた。
 数歩歩いたところで、俺は後ろを振り返る。
 ほぼ同じタイミングで、数メートル先の四倉も振り返った。
 照れ臭そうに笑う四倉につられて、俺も思わず笑ってしまう。

 離れたくないな。

 ふと、そんな感情が、胸の中に浮かんだ。
 そして同時に、俺は自分の中に、四倉に対する特別な感情が芽生えていることに気付いた。

 *

 「ちょっとさ、相談があるんだけど……」

 配信を開いて早々、俺はリスナーさんたちにそう切り出した。

 『ルル:聞いてやる』
 『そら:どうした?』
 『食パン王子:お、今日は相談枠ですか』
 『まめまめま:言ってごらんなさい(´∀`)』

 「あのさ、友達とハグ……とかするじゃん?なんか、流れで?したとするじゃん?そういう時に緊張するのって、変かな」

 『食パン王子:柚さんは友人関係に乏しかったようなので、人との接触に緊張してしまっているのではないでしょうか』
 『ルル:ワイもボディタッチ嫌い』

 「いや、嫌いとか苦手とか、そういうことじゃなくて……なんか、ドキドキしちゃうというか」

 『まめまめま:おっと、話が変わってきたな』

 「あと、友達と別れ際に、なんか離れるのが惜しくなってしまうというか……別れたそばから、また会いたいなって思っちゃって。これって、普通?」

 『食パン王子:ええと』
 『食パン王子:なんというか、柚さんはそのお友達のことを、とても気に入っているんですね』
 『ルル:>>食パンニキ お前言いたいことあるならはっきり言え』
 『食パン王子:>>ルルさん いや、デリケートな話のようなので』

 「ん?どういう意味?」

 『まめまめま:柚は、そのお友達に恋しちゃったんじゃない?』

 まめまめまさんのコメントに、俺は息を飲む。

 「……やっぱり?」

 正直、自分でも分かっていた。
 でも生まれてこのかた、人を好きになったことなどなかったから、どうしてもこの感情の正体が恋なのかどうか、確信が持てなかった。
 それをリスナーさんたちからはっきり指摘してもらったことで、俺は改めて、四倉が好きなのだと実感する。

 『ルル:(っ’ヮ’c)ウゥッヒョオアアァアアァ』

 「ルルさん落ち着いて」

 『まめまめま:それって、もしかして例の陽キャくん?』

 「え、なんで分かったの!?」

 『まめまめま:だって柚、その子の話しかしないじゃん』

 「え……そ、そうだっけ」

 リスナーさんたちに囃し立てられ、俺は恥ずかしさのあまり顔が熱くなるのを感じた。
 あれ?そういえば、そらさんのコメントが止まっている。最初はいたはずだけど……途中で抜けてしまったのだろうか?

 『食パン王子:なんだか青春ですね。今日は恋バナ枠ですか?』

 「いやいや!もうこの話は終わり!さ、今日も普通に歌枠しよう!」

 俺はこれ以上追及されないよう話を切り上げ、いつものように歌配信をスタートした。

 *

 「あっ」
 翌朝。いつも通り登校すると、ちょうど下駄箱のところで四倉と鉢合わせた。
 「おはよう」
 「お、おはよう」
 明らかに四倉の態度がよそよそしい。やっぱり、昨日のことがあるからだろうか。
 そしてそれは俺も同じで、四倉の目をまともに見ることができなかった。
 「あ、四倉と青梅じゃん、おはよ。てかどした?二人して突っ立って」
 ちょうどそこへ鵜ノ山がやってきて、怪訝そうな顔を向ける。
 「いや、別に……行こう」
 四倉はそう言うと、一足先に教室へと向かっていった。
 「何?喧嘩?」
 「いや、そういうわけじゃ」
 「ふーん」
 鵜ノ山の追及から逃げるように、俺も足早に教室へと向かう。
 それにしても、四倉の態度は何か少し妙だと思った。昨日、ハグをしただけで、あそこまでギクシャクするものだろうか。
 よく考えたら、以前四倉の家でもハグは経験済みだ。その時は、こんなにあからさまに態度が変わることはなかったはずだが……。

 教室に入った俺は、席に着くと、隣の四倉をちらっと見る。
 いつもだったら、俺の視線に気づいて四倉が目を合わせてくるはずだが、今日はどんなにこちらが見つめていてもその視線が交わることはなかった。
 俺の中に、モヤモヤとした感情が広がっていく。なんだか、寂しい。

 結局その日、四時間目が終わるまで、俺と四倉が会話をすることはなかった。
 昼休みが始まり、俺はトイレに立つ。
 その後、教室に戻ろうと廊下を歩いていると、遠藤が教室の前に立っていた。
 「おう」
 どうやら俺のことを待っていたらしい。
 「どしたの?」
 「ちょっと教室戻る前にさ、聞きたいんだけど。四倉と何かあった?」
 俺は思わずドキッとする。今朝の鵜ノ山もそうだが、誰もかれも、勘が良い……。
 「別にたいしたことは……ただ、ちょっと気まずい、というか」
 「なんか、お前らがそんな雰囲気だと、こっちまで気まずくなるんだけど。四倉に聞いても『なんでもない』しか言わないし」
 「それは、ごめん……」
 「というわけだからさ、今日の昼休みは二人で過ごしなよ」
 「うん……え!?」
 つい流れで相槌を打ってしまったが、一拍遅れて遠藤の言葉の意味を理解する。
 まさかの提案に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 「もう先に、鵜ノ山と佐藤が四倉連れてってるから」
 「んん?連れてってるって、どこへ……」
 「いいからいいから」
 俺は遠藤に促されるまま、弁当を片手に廊下を進む。
 「どこ行くんだよ」
 俺の問いには答えず、遠藤は階段を昇っていった。
 そうして辿り着いたのは、屋上へ続く階段の踊り場。そこに四倉の姿があった。
 「じゃあ、あとは二人で」
 そう言うと、遠藤はその場を去っていく。
 遠藤の背中を見送った俺は、ゆっくりと四倉に目を向けた。
 四倉は一瞬俺と目があうと、すぐに視線を逸らす。
 「……えっと」
 「あいつ、余計なお世話だよな」
 四倉が苦笑いを浮かべながら言う。
 「こんなとこ、初めて来た」
 なんと切り出せばいいか分からず、俺はどうでもいい話題を口にした。
 「あぁ。ここ、滅多に人来ないらしい。うちの学校、屋上行くの禁止だから」
 「そっか」
 二人でゆっくり話ができるようにと、遠藤たちが人気(ひとけ)のない場所を探してくれたのかもしれない。

 「……あのさ」「あの」
 そうお互いが発したのは、ほぼ同じタイミングだった。
 「あ、先いいよ、柚葵から」
 「……なんか、俺のこと、避けてる?」
 俺は朝からずっと思っていたことを、四倉にぶつける。
 すると四倉は困ったような顔で、目線を彷徨わせた。
 「いや、避けてはないんだけど……ていうか、そう思わせてたならごめん」
 「なら、なんで?朝から明らかに態度がおかしいような気がしてたから」
 「それは……」
 やっぱり、四倉と目が合わない。
 四倉の、四倉らしくない曖昧な態度に、俺の中にはもどかしさが募り始める。
 「目見てよ」
 俺は四倉の顔をのぞきこんだ。
 ようやく、四倉としっかり目が合う。

 「……うわぁあぁぁ無理!!」

 そんな情けない叫び声をあげると、四倉は顔を覆いながら、その場にしゃがみこんでしまった。
 あまりにも予想外の行動に、俺は思わずポカンと口を開けてしまう。

 「ちょ、ちょっと、何?どしたの四倉!?」
 俺は慌てて、しゃがみこむ四倉に声をかけた。
 「柚葵」
 「ん?」
 四倉が俺を上目遣いで見上げる。

 「俺、柚葵が好き」
 「……えっ」

 心臓の音がうるさいくらいに鳴り響く。
 俺たちはしばし見つめ合った。
 その瞳から伝わる熱で、俺はこのまま溶けてしまうのではないかと思った。

 「柚葵」

 四倉がしゃがんだまま、俺の手を引く。
 俺はその場にしゃがみ、四倉と同じ体勢になった。先程まで見下ろしていた四倉の顔が、同じ目線にある。
 四倉の手が、俺の頬にふれる。
 「目、つむって」
 俺は言われるがまま、目を閉じた。
 自分の心臓の音が、より一層大きく聞こえる気がした。

 唇に、柔らかい感触が伝わる。

 その感触が離れていくのを感じながら、俺はゆっくりと目を開けた。

 ――キス、してしまった。

 そう実感した途端、ただでさえ大暴れしていた心臓が、さらに激しく脈打つ。

 「あっ」

 心臓の鼓動に体がついていかず、俺はしゃがんだ姿勢のまま、よろけてしまった。
 「柚葵!」
 四倉が慌てて俺の体を支える。
 四倉の体は、ものすごく熱かった。

 「大丈夫?」
 「だ、大丈夫」
 「…‥座ろっか」
 俺たちは階段に腰掛ける。
 四倉が持参したパンの袋を開けるのを見て、俺も弁当の包みを開けるが、とてもじゃないが昼飯どころではなかった。

 「……あのさ」
 四倉に話しかけられ、心臓が跳ねる。
 「文化祭のステージ発表、申し込んじゃって大丈夫?」
 予想外の話題に、俺は「へ?」と間抜けな声を出してしまった。
 「もしまだ心の準備ができてなかったら、もうちょい待つけど」
 「あ、いや、申し込んで大丈夫。ありがとう」
 「おっけ」

 さっきのあれは、夢?いや、そんな都合のいい夢あるわけ……
 そんなことを考えながら、弁当を胃に流し込んでいると、しばらくして昼休み終了のチャイムが鳴った。

 「教室戻ろっか」

 四倉の後に続き、俺は階段を降りる。
 するとその途中で、四倉がふと足を止め、俺を振り返った。
 「柚葵、さっきの、あいつらに内緒な」
 「さっきの……」
 「これ」
 四倉が自分の唇をつんつんと指さす。
 それにより、キスのことを言っているのだと俺は気付いた。
 やっぱり、夢じゃなかった。
 「あ、あぁ、うん、りょーかい……」
 了解ってなんだ。俺はつくづく、てんぱっていると変な返答をしてしまう癖があるようだ。

 教室に戻ると、すぐに遠藤たちが話しかけてきた。
 「お前ら、仲直りできたん?」
 「仲直りも何も、別に俺ら喧嘩してねえし」
 四倉がそう答える。
 「でもなんかお前ら変だったぞ。ギクシャクしてたし」
 「してねえよ。俺ら仲良しだもん。なー柚葵?」
 そう言って、四倉がこれみよがしに俺の手を握ってくる。
 「ほーん。なら良かったわ」
 「はいはい仲良し仲良し」
 「アピールすんな」
 三人は呆れたような反応を返しながら、次の授業の準備を始めた。
 「……四倉、手」
 四倉がずっと手を握り続けているので、俺は手をはなすよう促す。
 しかし、四倉はなかなか手をはなしてくれない。その顔には俺の反応を楽しんでいるような、いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
 「お前らイチャイチャしてんなよ。次移動教室だぞ」
 鵜ノ山に言われ、四倉はようやく手をはなした。
 俺は四倉をにらむが、四倉は何食わぬ顔で、「移動教室だって。行こう」と言ってきた。
 急いで教科書とノートを取り出しながら、俺は改めて昼休みの出来事を振り返る。

 四倉に告白された。
 キスまでしてしまった。
 俺たちは、両思いだった――。

 ……いや、ちょっと待て。
 よく考えたら俺、四倉に好きだって言ってないぞ。
 もしかして俺の気持ちって、四倉に伝わってないんじゃ?
 いや、でも……それなら、なんで四倉はキスを……?
 相手が自分のことを好きかどうかも分からないのに、キスなんてしてくるだろうか。
 いやいや、もしかしたら俺の態度から、好きな気持ちがバレバレだったのか?だとしたら恥ずかしすぎる……。

 「柚葵、早く行くよー」
 四倉に呼びかけられ、俺は我に返った。
 だめだ、こんなことを意識していたら、何も手につかなくなる。一旦、忘れよう。

 そう考えるものの、四倉の後を追いかける俺の口角は自然と上がってしまっていた。


 放課後になり、部活動へと向かう遠藤たち三人を見送った俺は、四倉に目線を向ける。
 四倉はちょうど、他のクラスメイトと何か話をしているようだった。
 しばらくすると、用事を終えた四倉が席に戻ってくる。

 「ステージ発表の申し込み用紙もらってきた」

 どうやら四倉が今話していたクラスメイトは、文化祭実行委員の生徒のようだ。

 「発表内容と、発表者の名前、必要な機材、発表時間……書くこといっぱいあるな」
 「俺、家で書いてくるよ」
 「いや、今一緒に書こう。打ち合わせも必要だし。柚葵、時間ある?」
 「うん」
 俺は、四倉と一緒に席に着く。
 教室からは次第に人が消えていき、気付けば俺と四倉の二人きりになっていた。
 「あの、四倉」
 「ん?」
 四倉が俺を見る。
 この時、俺の頭の中には昼休みの時のことが浮かんでいた。
 何故、目の前の四倉はこんなに普通の態度なんだ……俺はこんなにもドキドキしているのに。
 「何、またキスする?」
 「なっ……!!」
 四倉の言葉に、俺は出したことないような声が喉の奥から出た。
 「す、ステージ発表の打ち合わせするんだろ!変な事言うな!」
 俺は四倉から目をそらし、申し込み用紙を奪い取った。
 本当は、四倉に「俺も好きだ」と気持ちを伝えようと思ったのに。完全に伝えるタイミングを逃してしまった。いや、これは流石に四倉が悪い。
 「柚葵かわいい」
 「もー!いいから!!」
 四倉がけらけらと笑う横で、俺はシャーペンを取り出し、用紙に向かう。
 「えっと、発表内容は……歌、でいいのかな」
 「俺もギターで出るし、ギター演奏&歌、とかでいいんじゃない?」
 「発表者の名前……青梅柚葵、四倉嵐……」
 「もっかい言って」
 「え?だから、発表者の名前……」
 「じゃなくて、俺の名前」
 「えっ……四倉」
 「下の名前」
 「あ、嵐……」
 俺はようやく四倉の意図を理解する。こいつ、下の名前で呼ばれたかっただけか。
 その証拠に、俺に「嵐」と呼ばれた四倉はニヤニヤした表情を浮かべていた。
 「もう!!からかうなよ」
 「別にからかってないけど。好きな子から名前で呼ばれるのもいいなって」
 「すっ……」
 好きな子、という響きがあまりにも恥ずかしくて、俺は顔が一気に熱くなるのを感じた。
 「はい次、次の項目は」
 俺は気を逸らすために、申し込み用紙の内容に集中する。
 「あ、そうそう。さっき文化祭実行委員が言ってたんだけど、発表内容のとこ。歌をやる場合は曲名も書くらしい」
 「え?そうなの?」
 「どうする?曲」
 そういえば、何を歌うかは全く決めていなかった。
 「今柚葵が作ってる曲……は、難しいか。文化祭までに間に合わないよな」
 「そうだね。既存の曲のカバーかな」
 「歌いたい曲ある?」
 四倉の問いを受け、俺の頭には真っ先にある曲が浮かんだ。
 「Rain Falls on Blue、とかどうかな?」

 「Rain Falls on Blue」は、雨宮沙行(あまみやさゆき)というアーティストが三年前に出した曲だ。
 俺が一番好きな曲であり、僕にとって特別な曲でもある。

 「……いいんじゃない?」
 「あ、ごめん。四倉が知らない曲だとギター弾くの難しいよね」
 「いや、知ってるよ。大丈夫」
 「なら良かった。この曲、俺がRainさんにリクエストした曲なんだ」
 Rainさんが行う予定だった、路上ライブ。
 俺は路上ライブで歌ってほしい曲として、この曲をコメントしていた。
 Rainさんの声で聞いてみたいという願いは結局叶わなかったが、もし今回、文化祭で歌うならこの曲がいい。
 「えっと、次は発表時間、か……」
 「一曲まるまる歌う?」
 「いや、流石に無理かも。でも一番だけだと短すぎるかな……」
 「じゃあ、一番歌った後に、ラスサビに飛ぶ形にアレンジしようか」
 「あぁ!いいね!あ、それか、四倉がもし一緒に歌えるなら、フルでもいいかなって思うけど、どう?」
 元々この曲は、雨宮沙行さんが別の女性アーティストに提供した曲だった。その後、自分でセルフカバーverを発表した他、自身のライブではその女性アーティストをゲストに呼び、二人verとして披露したこともある。
 俺はこの二人で歌う「Rain Falls on Blue」が特に好きであり、動画を何度も見返したほどだ。
 だからこそ、この曲を四倉と二人で歌うのもありだと思った。
 「いや、俺歌えないからなぁ」
 「そっか。じゃあ一番+ラスサビでいこう。発表時間は、とりあえず大体で書いとくね」
 その後も四倉と意見を出し合いながら、用紙の空欄をすべて埋めた俺たちは、明日用紙を提出することにして学校を後にした。

 「じゃあ、柚葵、また明日」
 結局この日、俺は四倉に自分の思いを伝えることができないまま、別れることとなった。
 あらたまって「好きだ」と伝えるのが、こんなに難しいなんて。

 ただ四倉はそんな俺に、「好きだ」という言葉を要求している様子はなく、告白の一件以降、以前の調子で……いや、それ以上に近い距離で俺に接してくる。
 俺はそんな四倉に振り回されるのに精一杯で、とてもじゃないが、自分の思いを告げる余裕がなかった。
 もし告げてしまえば、今以上に近い距離感でぐいぐいと攻められるのが目に見えている。
 ただでさえ、文化祭のことで頭がいっぱいなのに、これ以上はキャパオーバーだ。

 そのため、四倉へ思いを伝えるのは、一旦保留にすることにした。


 文化祭まで、日々は瞬く間に過ぎていった。

 結局俺のクラスの出し物は、クレープ屋さんに決まった。
 放課後はクラスの出し物の準備に追われる一方、俺と四倉はステージ発表の準備も並行して進めることになった。

 文化祭までの日数は限られている。
 俺は元々知っている曲で、歌詞も頭にほとんど入っているため、あとは歌の練習と、人前で歌う心の準備をするだけでいい。
 でも、四倉はギター演奏をするため、譜面を頭にたたきこみ、練習もしなければならない。
 そのため、俺は間に合うのだろうかと少し不安を抱えていたのだが、それは杞憂だった。

 「カラオケで練習しよう」

 四倉に誘われ、俺たちはカラオケ店へと向かった。
 四倉はギターケースを持ってきており、中から例のアコースティックギターを取り出す。
 「一回あわせてみよう」
 その言葉に、俺は思わず「え?」と返した。
 一緒に歌う曲を決めてから、まだ1週間ちょっとしか経っていない。
 それなのに四倉は、さも当然のようにギターをセットしていく。しかも、譜面すら手元に置いていない。

 「いくよ。1、2……」

 四倉がギターを鳴らす。大好きな曲のイントロが、原曲とはまた違った優しい音色で奏でられた。
 俺はその音に合わせて歌い始める。
 急に歌い始めたことで、歌詞がつっかえたり、テンポが速くなってしまったりもしたが、四倉はそんな俺に合わせるように演奏をしてくれた。

 そうして、一番のサビまでを歌い終える。

 「こんな感じ?」
 「えっ、すごい……ていうか、もう弾けるようになったの!?」
 「うん、まぁ」
 四倉は何でもないようにそう答える。
 どや顔のひとつでもかましてくれれば、こっちもいつものように突っ込むことができたのに、この時の四倉は本当に当たり前のことをしただけというような顔をしていた。
 「ギターにあわせて歌うのむずい?」
 「いや、慣れればいけると思う。それよりも、やっぱりステージで歌うの緊張するよ……」
 「それは練習しようがないもんな。そもそも、ステージ発表自体が、“路上ライブのための練習”なわけだし」
 ぶっつけ本番、ということか。
 それを実感した途端に、俺の中に不安が押し寄せる。
 「大丈夫、俺がいるから。不安になったら俺の方見て」
 そんな俺の心情を察したかのように、四倉が優しく言った。
 「ありがとう」
 「あ、そうそう。もうすぐバイト代が入るから、溜めてたお小遣いとあわせれば、やっと新しいギターが買えそうなんだ」
 「え!すごいじゃん」
 「文化祭までには多分買えると思う。だから本番は、新しいギターでステージに立てる!」
 「おお!」
 嬉しそうな四倉の様子に、俺の胸まで弾むような気持ちになった。
 「じゃあ、もうちょっと練習しようか」
 「そうだね」
 「隣いっていい?」
 「え?」
 四倉が俺のすぐ隣に座り、ぴったりと密着する。
 「そ、それじゃ弾きづらいだろ」
 「あはは」
 俺は四倉の肩をばしっと叩く。四倉はそんな俺の反応を面白がるように笑っていた。
 
 幸せだな、と思った。

 好きな人と一緒に、好きなことをして、心から笑い合うことが出来る。
 こんな日々を送れているのは、四倉のおかげだ。
 そして同時に、いつも俺を応援してくれるリスナーさんのおかげでもある。
 そのすべての始まりをたどれば、俺に歌うことの楽しさを教えてくれたRainさんに行き着く。そう思うと、Rainさんに感謝せずにはいられなかった。
 絶対に、文化祭のステージ発表を成功させよう。そこで自信をつけて、路上ライブに挑戦する。そしていつか、Rainさんと一緒に歌うんだ。

 俺は改めて、夢を叶えるための決意を胸に刻んだ。


 四倉との度重なる練習を経て、ついに文化祭本番を迎えた。
 今では四倉のギターにあわせ、問題なく歌えるようになったし、喉のコンディションも申し分ない。前日の夜には、配信でリスナーさんたちからも応援してもらった。

 それでも、ステージ発表の時間が近づくにつれ、俺の胸には吐きそうなくらいの緊張と不安が広がっていた。

 「頑張れよ青梅!」
 「青梅なら絶対できるから。俺らも見に行くし」
 「リラックスしろ、ほら、深呼吸」
 遠藤、鵜ノ山、佐藤が緊張している俺に優しく声をかけてくれる。
 「おい、俺への応援は?」
 「あぁ、四倉もがんばれー」
 「適当だな」
 緊張でおかしくなりそうな俺とは対照的に、四倉は落ち着いているようだった。
 まぁ、こんなに緊張している俺を見ていたら、逆に冷静になれるものなのかもしれない。

 体育館のステージ裏に移動した俺たちは、文化祭実行委員の生徒からここで待機しているようにと告げられる。
 四倉は持っていたギターケースを床に置くと、中から新品のギターを取り出した。

 「あ、それもしかして」
 「そう、新しく買ったギター!」
 四倉が嬉しそうに見せてきたのは、艶のある茶色のギターだった。
 木目がきれいで、シンプルだけどどこか温かみのあるデザインだ。

 「このギターで、柚葵の歌を支えるから」
 四倉はそう言って、俺に優しく笑いかける。

 まもなく、一組目の発表が始まった。
 一組目はバンド演奏。ギターやベース、ドラムの音と共に流行りのJ-POPが聞こえてくる。

 俺たちの出番は三番目だった。

 10分ほどして、一組目の発表が終わる。
 俺の心拍数はすでに異常なほど速くなっていた。

 二組目はギターの弾き語り。
 一人でステージに上がる生徒の姿を見て、その勇気に俺は感心した。

 この次だ。この生徒の発表が終われば、次にステージに上がるのは俺――。
 うるさいほどに心臓が鳴っている。弾き語りの音は、全く耳に入っていなかった。

 「柚葵」

 その時、耳元から声が聞こえ、俺は現実に引き戻される。
 隣を見ると、四倉が俺の顔をのぞきこんでいた。

 「俺がいるよ。だから大丈夫」

 四倉が、俺の手を握る。
 他の生徒に見られるかも、なんて考える余裕は、この時の俺にはなかった。
 それよりも、四倉の手から伝わる体温が、俺の心を少しだけ落ち着けてくれた。

 やがて、拍手の音と共に、二組目の生徒がステージ裏へと戻ってくる。

 ついに、俺の……俺たちの出番がやってきた。

 「いこう、柚葵」
 俺は、四倉の呼びかけに頷いた。やるしかない。もう、どうにでもなれ。

 「三組目は、一年二組の青梅柚葵さん、四倉嵐さん。ギターと歌のパフォーマンスです。曲は、『Rain Falls on Blue 』」

 司会の生徒の紹介を受け、俺は四倉と共にステージへ上がった。

 ステージの中央に立つ。
 目の前に広がる光景に、俺は足がすくんだ。
 数十人……いや、百人以上いるだろうか。
 観客席には、大勢の人がひしめいている。うちの生徒以外に、一般客らしき姿も見えた。

 「柚葵」

 横で、ギターを手に椅子に座った四倉が、小声で俺に呼びかける。

 「いける?」

 四倉の問いかけに、俺は頷く。
 しかしこの時、頭の中は真っ白だった。

 四倉がギターを奏で始める。
 練習の時に何度も聞いた、イントロの美しい音色。
 歌い出すタイミングだって、練習では完璧だった。それなのに――。

 本来なら、歌い始めるべきタイミングで、俺は声が出なかった。

 だめだ、歌えない。胸の鼓動ばかりがどんどん速くなり、四倉のギターの音がはるか遠くから聞こえるように感じた。
 俺は助けを求めるように、四倉に視線を向ける。
 四倉は演奏を続けながら、俺の目を見つめ返した。
 その目には、明らかに心配の色が浮かんでいた。

 一向に歌が始まらないことに、観客たちも違和感を覚えたのか、客席がざわつき始める。
 四倉は、ギターの演奏をストップした。

 やっぱり、俺には無理だったんだ。
 緊張と絶望から、喉の奥がぎゅっとなり、涙がこみあげてくる。

 その時だった。

 「――雨上がりの街を ひとり歩いていた 濡れたアスファルトに 夕焼けが揺れている――♪」
 ギターの音色に乗って、歌声が響いた。俺の声じゃない。
 驚いて横を見ると、そこには、先程弾き語りを披露した生徒が使用していた、低いマイクスタンドの前で、ギターを弾きながら歌う四倉の姿があった。

 ――どうして。

 俺は、呆然とすることしかできなかった。

 四倉はその後も、一番の歌詞をよどみなく歌い続ける。
 気付けば、先程までざわついていた観客たちも、四倉の歌声に真剣に耳を傾けているようだった。

 「青い空に雨が降るように 笑ったり 泣いたりしながら 僕らは今日を生きていく――♪」

 四倉が一番のサビを歌い終える。本来なら、この後にラスサビに飛ぶはずだった。
 でも、四倉はうまく演奏を繋げながら、俺の方に視線を向けた。

 ――歌える?

 口の動きが、そう言っていた。

 俺は四倉の目をまっすぐ見つめながら、頷いた。
 心臓が痛いほどに大きく高鳴っている。でもこれは、緊張によるものではない。

 四倉の演奏にあわせ、俺は“二番の歌詞”を歌い始めた。
 緊張のせいで喉がしまり、口が渇き、声は普段の半分くらいしか出ていない。
 それでも、なんとか歌うことができた。

 元の予定では、二番の歌詞は歌わないことになっていた。
 だから、四倉とは一度も合わせていない。
 四倉だって、二番までは練習していないはず。そう思っていた。

 けれど俺の歌も、四倉の演奏も、ぶれることはなかった。
 まるで、二番まで何度も練習をしていたかのように、俺たちの呼吸はぴったりと合っていた。

 二番が終わると、間奏をはさんでラスサビに入る。
 そのころには、俺の心臓はだいぶ落ち着きを取り戻していた。

 ラスサビを歌い始めると、俺の声に四倉の声があわさり、綺麗なハーモニーが生まれた。
 四倉が俺の歌に合わせて、ハモってくれている。

 ――楽しい。

 ふと、そんな感情が胸の奥に湧きおこった。

 そして、四倉のギターの音を最後に、曲が終わった。

 俺は四倉と目を合わせる。俺も四倉も、肩で大きく息をしていた。
 すると、そんな俺たちの耳に、盛大な拍手の音が聞こえてくる。
 客席に目線を移したところでようやく、俺はその拍手が自分たちに向けられているものなのだと気付いた。

 その後、震える足でステージ裏に戻った俺は、その場にへたりこんでしまった。
 四倉が慌てて俺に駆け寄る。
 「お疲れ、柚葵」
 「俺、歌えてた……?」
 ステージを降りたことで一気に気が緩み、それと同時に心配の気持ちが湧き上がってきた。
 「歌えてたよ。よく頑張ったね、柚葵。遠藤たちのとこに戻ろう。あいつらも見てくれてたみたいだし」
 「四倉、待って」
 「え?」
 遠藤たちの元へ向かおうとする四倉を、俺は引き止める。
 「まだ、もうちょっと一緒にいたい」
 無意識だった。
 疲れた脳で何かを考えるより先に、そんな言葉が気付けば口から漏れ出ていた。
 「……ここだと人が多いから、あっち行こう」

 それから四倉に手を引かれ、俺たちは技術室へやってきた。
 今日の文化祭で、この教室は使われていない。
 おまけに、校舎のすみっこにあたる位置にあるため、人の気配はほとんどなかった。

 教室内に入るや否や、四倉が俺を抱きしめる。
 四倉の体温に安心した瞬間、先程まで緊張でガチガチになっていた体から、一気に力が抜けていった。

 「ほんと、よく頑張ったな」
 「四倉のおかげだよ。……歌ってくれて、ありがとう」
 四倉が、ゆっくりと俺から体を離す。
 その顔には、気まずそうな表情が浮かんでいた。
 「歌うつもりなかったんだけどね……久しぶりに歌ったから、全然声出てなかったし」
 「ううん、そんなこと……あの時四倉が歌ってくれなかったら、俺、絶対歌えなかった。それに、俺も俺で、練習の時に比べて全然声出てなかったし」
 「ステージの上って緊張するもんな。仕方ないよ」
 四倉に伝えたいことがあった。
 でも、どう切り出せばいいか迷っていたところで、四倉の方から口を開く。
 「少しは、自信ついた?」
 四倉の問いに、俺はすぐに頷いた。
 「うん。よく考えれば、路上ライブは今日ほど人に注目されるわけじゃないし、そう考えるとむしろ路上ライブの方が気楽かもって思った」
 「確かに。路上ライブのハードルが下がったわけだ」
 「俺さ、今作ってる曲、歌詞を全部変えようと思って」
 「え?」
 四倉は俺の言葉に、驚いた表情を見せる。
 歌詞を変える――。
 その決断は、たった今、思いついたことだった。
 「元の歌詞は、俺の今までの人生とか、悩みとか、葛藤とか、そういうのを落とし込んでた。でも、さっき四倉と歌って、人と歌うのってこんなに楽しいんだって思ったんだ。Rainさんと一緒に歌う曲なら、もっと明るい曲がいい。俺がRainさんに救ってもらったように、誰かを救えるような歌詞を書きたいと思ったんだ」
 「……そっか」
 「それに、二人で歌うことも考えて、パート割りも分かりやすく構成し直そうかなって」
 「そんなに、その人と歌いたいんだ」
 「歌いたい」
 俺ははっきりと、そう答えた。

 それから俺たちは、遠藤たちの元へ戻るため、技術室を後にした。
 前を歩く四倉の背中を見ながら、俺の頭の中では新しい歌詞が、少しずつ形になり始めていた。