僕だけが知ってる君の歌

 「ねぇ、柚葵の歌、ちゃんと聞きたい」

 放課後、二人きりの教室で四倉がキラキラした顔を向けてくる。
 この日は四倉が日直だったため、俺はその仕事に付き合って、教室に残っていた。
 クラスメイトたちは既に帰宅したか部活に向かったらしく、今教室には俺たち以外誰もいない。

 「いやいや、無理だって。誰に聞かれるか分かんないし……」
 「聞かれてもいいじゃん。え、聞かれたら困るの?」
 「困るっていうか……は、恥ずかしいし」
 「上手いのに!!俺だけが柚葵の歌知ってるの、もったいなくない?」
 四倉の言葉に、つい嬉しくなってしまう自分がいた。
 けれど、「一週間学校に通う」というハードルをようやく越えたばかりの俺にとって、「学校で歌う」というのは、いきなり次のステージへ進みすぎている。
 ハードルどころか、急に棒高跳びを要求されているようなものだった。
 「もういいから、帰ろう」
 俺は四倉の猛追から逃げるように、カバンを背負う。
 しかし、カバンの口がしっかりとしまっていなかったようで、背負った時の勢いで数枚のプリントがパラパラと床に落ちてしまった。
 四倉がそれを拾い上げる。
 「あ、ごめん、ありが……」
 そこまで言いかけたところで、四倉が拾ってくれたプリントを見て俺は息が止まった。
 それは学校で配られたプリントではなく、数枚のルーズリーフだった。
 でも、授業の内容を写したものではない。今まで誰にも見せたことのない、極秘情報がそこには書かれていた。
 「うわぁぁ!」
 俺は奇声を上げながら、素早く四倉の手からルーズリーフをひったくる。
 そんな俺の奇行に、四倉は一瞬驚いた顔を見せつつも、すぐにいつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。
 「それさ、歌詞、だよね」
 「……えっとー……」
 「何の曲?ぱっと見、俺の知らない曲っぽいんだけど」
 「あー……」
 「え、何?柚葵の好きな曲なの?」
 ルーズリーフに書かれているのは、確かに曲の歌詞だ。
 でも、その曲名を答えることはできなかった。
 何故なら、その曲の名前は、まだ決まっていないからだ。
 「……もしかして、柚葵が作ったの?」
 ば、ばれてる……。
 俺は顔がカッと熱くなるのを感じた。
 「すげー!なになに?もしかして曲作ってるの!?」
 「あ、あんま大きい声で言わないで!」
 俺は思わず周りを見渡す。幸い、廊下にも他の生徒の姿はないようだった。
 「ごめん、つい。え、めっちゃ聞きたいんだけど!」
 「いや……メロディーとかは、なんとなくは考えてるんだけど。俺、楽譜書けないし、読めないし。楽器も出来ないし。だから、ほんとなんとなくしかできてなくて」
 「なんとなくでもいい。聞きたい!」
 四倉は期待に満ちた顔で俺を見つめる。
 ここで断って、四倉に悲しい顔をさせてしまうのが忍びなかった俺は、仕方なく曲の一節を口ずさんだ。
 「……こんな感じだけど……どう?」
 恐る恐る四倉の反応をうかがう。
 「……めっっっちゃいい」
 四倉はかみしめるようにそう言った。
 その嘘偽りのない反応が嬉しくて、俺は思わず「ほんと?」と身を乗り出した。
 「ほんとほんと!これ、楽器の音とか入れたらもっと良くなりそう!」
 「楽器……か。一応、DTMは手を出そうとしたことあるんだけど、俺には難しくて」
 DTMとは、「デスクトップミュージック」のこと。簡単に言えば、パソコンを使って作曲や編曲をする音楽制作のことだ。
 「俺、ギターできるよ」
 四倉があまりにも自然に言うので、俺は最初「そうなんだ」と流してしまった。
 しかしすぐその言葉の意味を理解し、慌てて四倉に向き直る。
 「え、待って、ギターできるの!?」
 「うん。できる」
 「どのくらいやってるの?」
 「あー……3年くらい?元々父親がギターやってて。ずっと父親のお古のギター使ってたんだけど、高校生になってバイトできるようになったし、自分のギター買おうと思ってて」
 俺は以前、四倉が「欲しいものがあるからバイトを始める」と言っていたことを思い出した。
 「へー……そっか、ギター……すごい……そうなんだ……」
 「なぁ、今柚葵が考えてること、当ててやろっか?」
 「え?」
 「俺の演奏で、その曲歌いたいって思ってるだろ」
 四倉がニヤニヤしながら、俺の手にあるルーズリーフを指さす。
 そして四倉に胸の内をまんまと見透かされた俺は、恥ずかしさをごまかすようにルーズリーフをカバンにしまった。
 「じゃあ、うち来なよ」
 「え?」
 「ん?いや、うちにギターあるからさ」
 「い、今から?」
 「うん。この時間ならまだ親帰ってこないし、気遣わなくて大丈夫だから」
 友達の家に遊びに行くなどという経験が、少なくとも中学生以降は皆無だったせいで、俺の中にはためらいが生まれていた。人の家にお邪魔するときは、何か手土産を用意するものなのだろうか。いや、流石にそれはやりすぎか?
 いきなり目の前に現れた「友達の家に遊びに行く」という高いハードルを前に、俺は心の中でちょっとしたパニックに陥る。
 「俺ん家来るの、嫌?」
 「えっ、い、嫌じゃないよ」
 寂しそうな表情で問いかけてくる四倉に、俺は思わずそう返していた。
 こうして俺は流されるがままに、四倉の家へとお邪魔することになったのだった。

 「お邪魔します!」
 四倉家に入った俺は、玄関で必要以上に大きな声を響かせた。緊張のあまり、声のボリューム調節機能がバグってしまった俺に、四倉が「さっきも言ったけど、親しばらく帰らないから大丈夫だよ」と声をかけてくる。
 四倉の部屋は二階にあった。
 「散らかってるけどごめん」
 そう言いながら四倉は俺を部屋に招き入れるが、部屋の中はそこまで散らかっておらず、むしろ綺麗な方だった。
 俺はふと、頭の中で散らかり放題な自分の部屋を思い出し、「絶対俺の部屋に四倉は呼べないな」と思った。
 「あ」
 その時、部屋の隅にあるものに目が吸い寄せられた。
 アコースティックギター。
 表面には細かな傷がいくつも見られ、木の色も少しくすんでいる。新品とは違い年季の入ったギターだが、それだけ長年大事にされていることがうかがえた。
 「そう、これ。父親のおさがりのギター」
 「へぇ……いいね、かっこいい。最近はあんまり弾いてないの?」
 「え?」
 四倉がきょとんとした顔を向ける。
 「ギターにちょっと、埃がついてるから」
 ギターの上部に、薄く埃がつもっているのが見えた。普段からよく弾いているのなら、こんなふうに埃がつもることはないだろう。だから、ずっとここに置きっぱなしだったのではないか、と思ったのだ。
 「あぁ、うん。中学の時はよく弾いてたけど。だんだん弾かなくなっちゃって」
 「そうなんだ」
 「でもコードは覚えてるし、多分今も弾けるよ。柚葵、さっきの曲、歌ってみて」
 俺はルーズリーフに書いていた自作の曲を口ずさむ。
 さっきは一小節のみだったが、今度はその先まで、いくつかのフレーズを続けて歌った。
 すると四倉はギターを手に取り、弦を一本ずつ軽くはじき始めた。
 「んー……」
 そして音を確かめながら、ギターの先端についているつまみを少しずつ回していく。
 弦を弾いてはつまみを回し、また弾いては音を確かめる。その作業を何度か繰り返していった。
 やがて四倉は満足そうに頷くと、こちらを見る。
 「ちょっと合わせてみよう。柚葵、さっきのフレーズもっかい」
 俺は息を吸う。
 そして歌い始めると同時に、心地の良いギターの音が俺の歌声に重なった。
 ギターの音に合わせ、俺は歌声を乗せていく。
 そして短いフレーズを歌い終えると同時に、俺と四倉は目を合わせた。
 「いい感じじゃない!?」
 「うん、すごい良かった!」
 自分の歌が形になったような感覚に、俺の胸の中には大きな感動が芽生えていた。
 「ギター上手いね、四倉」
 「そう?でも、今のはやっつけだから、もうちょいアレンジも加えたいな。曲はもう全部できてるの?」
 「いや、まだ途中。歌詞も全部は作れてないし」
 「そうなんだ。じゃあできてるところまででいいから、あとで歌を録音して送ってくれない?改めてちゃんと譜面に書き起こしてみる」
 「分かった。ありがとう!」
 「……良かった」
 「え?」
 「柚葵が楽しそうで」
 予想外の四倉の発言に、俺は戸惑う。
 「いや、高校生活不安っぽかったから。柚葵が今楽しいなら、良かったなって」
 「うん、楽しいよ」
 そう素直に答えた自分に、俺自身が一番驚いた。
 学校生活を楽しいと思える日が来るなんて、中学時代は思ってもいなかったからだ。
 でも、俺が楽しいのは、「学校生活」というよりも……

 「四倉と一緒にいるの、楽しい」

 気付けば、素直な気持ちが口からこぼれ出ていた。
 四倉も同じだったら嬉しい、そう思っていた。
 しかし、それに対する四倉の返事はない。かわりに、四倉が俺の体を引き寄せる。
 「え……」
 気付けば、俺の体は、四倉の体に包み込まれていた。
 部屋の中で、二人きり。男子高校生が抱き合うという状況。これは、どういうことだ?どういうコミュニケーション?
 友達ができた経験のない俺は、この行動の意味するところが分からなかった。
 同時に、心臓の鼓動が先程よりも速くなっていることに気付く。
 「し、四倉?」
 混乱しながらも、俺は四倉の耳元に呼びかける。
 すると四倉はバッと体を離した。
 「ごめん……」
 「いや、ぜ、全然……」
 初めて見る四倉の焦った顔に、俺もつい慌ててしまう。
 「えっと、これからもよろしくな、の、ハグ」
 「あ、あぁ、なるほど」
 そうか、これからもよろしくな、のハグか。
 「本当か?」と疑う自分の脳を一旦無視して、俺は四倉の話に乗っかることにした。
 「曲、完成したらさ、どっかで披露とかするの?動画サイトにアップするとか」
 あまりにも露骨に話をそらす四倉に、俺は苦笑いをしつつ答える。
 「動画サイト……もまぁ、もし気が向いたら。でも、俺したいことがあって」
 「したいこと?」
 「うん。……笑わない?」
 「笑わないよ」
 俺は、配信のリスナーさんにも話したことがない自分の夢を、四倉に打ち明けることにした。
 「俺、路上ライブがしたいんだ」
 「え!そうなの!?」
 四倉が一段と大きな声を上げる。
 それは単に驚いているというよりは、テンションが上がっているように見えた。
 「人前で歌うのが苦手なのに、無謀だよね……」
 「そんなことない!え、じゃあさっきの曲って、そのために作ってる曲なんだ」
 「うん、まぁ」
 「めっちゃいいと思う!じゃあ余計、気合い入れて作らないとな」
 「でも……作ったところで、今のままじゃ路上ライブなんてできるかどうか。大勢の人の前で歌うの、やっぱ怖いし」
 俺は四倉に本音を打ち明ける。
 路上で歌う自分の姿を想像したことは今まで何度もある。
 でも、人前で堂々と歌う想像上の自分が、現実の自分とあまりにかけ離れすぎていて、俺はそのたびに「無謀な夢なのでは」と心が折れかけていた。
 「じゃあ克服しよう!」
 「克服?」
 「そう。まずは少人数から……よし、遠藤たち誘ってカラオケ行こう」
 「え!?いや無理無理無理!」
 「なんで?たった三人増えるだけだよ。そもそも、俺の前では普通に歌えてるじゃん」
 「それは四倉だからだよ」
 俺の言葉に、四倉は「そっか」と小さく返すが、その顔はどことなく嬉しそうだった。
 「でも、夢叶えたいなら、今のうちに克服しといた方がいいんじゃないかな。もちろん、無理強いはしないけど。もし気が向いたら連絡して。俺からあいつらに召集かける」
 「うん……分かった」

 *

 家に帰った後、俺は配信サイトを開き、「配信開始」ボタンを押す。
 いつものメンバーが配信に集まってきたところで、俺は相談を持ち掛けた。
 それは勿論、友人たちとカラオケに行くべきかどうかの相談だ。

 『まめまめま:絶対行くべきだよ!案外行ったら楽しいかもよ』
 『食パン王子:柚さんの歌声聞いたらみんなびっくりするかもですね』
 『ルル:カラオケから配信してクレメンス』

 リスナーさんたちには、「路上ライブをやりたい」という夢についてはまだ打ち明けていない。
 そのため、皆純粋に「友達とのカラオケを楽しんで」という気持ちで応援してくれているようだった。

 『そら:大丈夫、歌えるよ』

 人前で歌うことに苦手意識を感じる俺の、胸の内を見透かしたようなそらさんのコメントに、俺は少し背中を押してもらえた気がした。

 俺はすぐに、四倉にメッセージを送った。伝えたいことは、ひとつ。
 『みんなでカラオケに行きたい』
 その一言だった。

 それから俺はリスナーさんたちに「大人数でのカラオケで盛り上がる曲は何か」「一曲目に何を歌うのが良いか」などの相談をする。
 そうして皆で意見を出し合いながら、カラオケで歌う曲のレパートリーを決めていった。

 *

 日曜日。
 カラオケ店に到着すると、既に遠藤、鵜ノ山、佐藤が店の前で待っていた。
 以前、そらさんになりすましたおっさんとのオフ会で使ったのとは、別の店だ。
 どうやら四倉が気を利かせて、別の店を選んでくれたらしい。
 こういうところも優しいんだよなぁ……とぼんやり考えるが、当の本人はまだ到着していないようだった。

 集合時間より20分ほど遅れて、四倉が現れる。
 「ごめん!寝坊したー!」
 「お、四倉きた」
 「来ないかと思ったわ」
 「ちゃんとアラームかけとけよ」
 俺は入学式の日のことを思い出した。あの時も、四倉は寝坊して入学式に遅れたんだっけ。部屋は綺麗だが、案外だらしないところがあるんだな。
 そんな四倉を微笑ましく思っていると、不意に四倉と目が合う。
 「おはよ、柚葵」
 「あ、おはよう」
 「緊張してる?」
 「うん……まぁ」
 「大丈夫だよ。歌いたくなかったら無理に歌わなくてもいいし。こいつら勝手に盛り上がってくれるだろうしな」
 四倉の言葉に少しだけ緊張がほぐれた俺は、大盛り上がりの遠藤たちに続いて、店の中へと足を踏み入れた。

 「やばいカラオケ久しぶり!」
 「何歌う?てか誰から行く?」
 「ポテト頼もうぜポテト」
 遠藤たちが好き勝手に話し始めるので、俺は耳を聖徳太子ばりに集中させつつ、一旦落ち着くためにメロンソーダに口をつけた。
 「よーし、じゃあ青梅一発目いっとくか!」
 思わずメロンソーダを吹き出しそうになる俺に、佐藤が端末を渡してくる。
 「え、お、俺?」
 「盛り上げ役は任せろ」
 無駄に決め顔をかます佐藤に、俺は何も返せず、端末を受けとる。
 一発目に歌う曲については、先日リスナーさんたちと考えてきた。
 バラードは盛り下がってしまう可能性があるからNG。一発目は盛り上がれる明るい曲がいい。かつ、みんなが知っている曲を入れるべき……と、まめまめまさんが言っていた気がする。
 あの時、リスナーさんが「この曲はどうか」といくつも案を出してくれたはずなのに、俺は緊張のあまりその候補曲全部が頭から吹っ飛んでしまった。
 「てか、一曲目はみんなで歌おうぜ」
 その時、四倉が皆に向かってそう切り出した。
 「あー確かに。何がいい?」
 「ランキング見てみよう」
 「これ歌いたい!」
 四倉の一言をきっかけに、三人がもう一台の端末で曲を探し始める。
 俺はほっと胸をなでおろした。
 「ありがとう、四倉」
 「ん?別に?」
 四倉は「感謝されるようなことしてないけど」とでも言いたげな顔をわざとらしく作って見せる。
 けれど、その表情の奥には「俺、ナイスアシストだっただろ?」的な得意げな雰囲気がにじみ出ており、俺は思わず笑ってしまった。

 その後は、遠藤たち三人が入れ替わり立ち替わり歌いながら、時間が過ぎていった。
 友達とカラオケに来たのは初めてだったので、最初は戸惑ったものの、徐々にその空気感に慣れてきて、気付けば俺もリラックスしてその場を楽しんでいた。

 「じゃ、そろそろ青梅いっとく?」
 「えっ……あー、えっと。四倉、先歌いなよ。まだ歌ってないでしょ」
 まだ心の準備ができていなかった俺は、四倉にパスを回した。
 「あーだめだめ、こいつ歌わないんよ」
 遠藤が呆れたように言う。
 「四倉がカラオケで歌ってるの見たことねえもん」
 「俺は聞き専なのー」
 「というわけだから、青梅、はい」
 遠藤が俺にマイクを渡す。
 「無理しないでもいいよ」
 隣で四倉が俺に耳打ちをした。
 正直、上手く歌える自信はなかった。心臓がバクバク言っている。喉も心なしか閉まっているような気がした。
 こんな状態で歌い出したら、大事故になるに決まっている。
 「……ちょっと、トイレ行ってから」
 俺はそう言うと、足早に席を立った。
 部屋から出た瞬間に、大きくため息をつく。こんなんじゃ、路上ライブなんて夢のまた夢だ……。

 「柚葵」
 気付くと、後ろに四倉が立っていた。
 「あっ……」
 「大丈夫?ちょっと疲れちゃった?」
 「ううん、大丈夫。カラオケは楽しいし、疲れてはないよ。でも……」
 「歌う勇気がない?」
 「そう、だね……勇気もないし、みんなの前で上手く歌える自信もない。それに……」
 「うん?」
 「それに、ここで上手く歌えなかったら、路上ライブでも絶対上手く歌えるわけない。夢を叶えるどころか、その夢からどんどん遠ざかっちゃう気がして……歌うのが怖くなっちゃった」
 「……柚葵、ちょっと」
 四倉が俺の手を引く。
 そして部屋から離れた、廊下の隅の誰もいないスペースまで連れてこられた。
 四倉が俺の正面に立ち、両肩に手を置く。
 「深呼吸しよう」
 「え、う、うん」
 言われるがままに、深く息を吸った。そして、大きく吐き出す。それを何回か繰り返した。
 「どう?少しは落ち着いた?」
 「うん、ありがとう」
 「柚葵、上手く歌わないといけないって思ってない?」
 「え?」
 「一番は、楽しんで歌うことだよ。リスナーさんたちの前で歌う時、上手く歌わなきゃって思ってる?今みたいに緊張してる?」
 「……いや、配信で歌ってるときは楽しいし、聞いてる人にも楽しんでもらいたいって思ってる」
 「うん。今もさ、それでいいんだよ。楽しく歌えるのが一番。音楽って、『音を楽しむ』って書くんだからさ」
 「……なんか、それっぽい」
 「何?馬鹿にしてる?俺だって賢いこと言えるんだからな」
 「いや、そんな賢そうには見えなかったけど」
 「おい!」
 気付けば俺の心臓はすっかり落ち着きを取り戻していた。四倉のおかげだ。
 「俺は、楽しそうに歌う柚葵が好きだよ」
 その言葉に、ついさっき落ち着きを取り戻したはずの心臓が、大きく飛び上がる。
 「好き」なんて言葉を、人から向けられる経験が今までなかったからだ。
 「も、戻ろう!」
 「ん?もう大丈夫なの?」
 「うん!」
 俺はドクドクと鳴り始める心臓の音を誤魔化すよう、わざと大きな声で言った。

 「お!青梅おかえり~。四倉も」
 遠藤たちが俺と四倉に声をかける。
 ちょうど、鵜ノ山と佐藤が歌い終わったタイミングだったらしく、二人も続けて「おかえり」と声をかけてきた。
 「次誰歌う?」
 「俺はちょっと休むわ」
 「俺もー。三連続で歌ってるし」
 「……俺、歌ってもいい?」
 俺は勇気を出して切り出した。三人の目線がこちらを向く。
 「おお!!ついに歌うのか青梅!」
 「待ってました」
 「はい、マイク」
 俺は鵜ノ山からマイクを受け取った。
 端末で曲を選ぶ俺を、皆が期待を込めたまなざしで見つめる。

 ――もう、どうにでもなれ!

 そんな気持ちで、曲を送信した。
 「おおー!!」
 「いいねぇ」
 「きたああああ」
 画面に表示されたのは、ユースラインという男女グループの「青と僕ら」という曲。
 数年前に若者たちの間で流行った、アップテンポな曲だ。

 それから俺は、無我夢中でこの曲を歌った。
 我ながら、この選曲は失敗だったと思う。
 ユースラインの曲はキーが高く、ただでさえ歌うのが難しい。俺は音域がわりと広い方ではあるが、それでもサビの高音はかなりギリギリだった。

 歌っている最中、不意に四倉と目が合う。
 皆が画面を注視している中、四倉だけが俺の方を見ていた。

 ――俺は、楽しそうに歌う柚葵が好きだよ

 先程の四倉の台詞を思い出した俺は、動揺し歌詞を間違えてしまったが、気にせず歌い続けた。

 「すげーー!!青梅歌うっま!」
 曲が終わると、真っ先に声を上げたのは遠藤だった。
 「それな。歌手みたい」
 「え、もっと聞きたいんだけど!」
 続けて、鵜ノ山と佐藤も思い思いの言葉を俺に投げかけてくる。

 正直、俺の中では、今の「青と僕ら」の歌唱はボロボロだった。
 途中何度か声がひっくり返ったし、高音も上手く出なかったからだ。
 それでも、彼らは大げさなまでに俺の歌を褒めてくれている。
 それが嬉しくて、同時に照れくさくもあり、俺は上手く言葉が返せなかった。

 すると、カラオケルームに備え付けられた電話が鳴る。どうやら退室の時間のようだ。

 「残念。青梅の歌もっと聞きたかったのにな」
 「わかる。また来ようぜ」
 「次はバラード聞きたい」
 俺が三人の言葉に相槌を打っていると、四倉が俺の肩に手を置いた。
 「よかったな」
 四倉が俺の耳元でささやく。
 吐息が耳にあたり、俺はついビクッとしながらも、なんとか「うん」とだけ返した。
 「てか、今日マジで一回も歌わなかったじゃん、四倉」
 「だーかーら、俺歌わないの」
 「鵜ノ山だって音痴なのに今日頑張って歌ってたんだぞ」
 「おい、今なんつった」
 佐藤と鵜ノ山のやり取りに大笑いする四倉を横目に、俺は、四倉の歌もちょっと聞いてみたかったなと思った。

 「じゃあな、四倉、青梅、また学校でー」
 店の前で三人と別れ、俺は学校がある日と同様、四倉と一緒に家まで帰ることになった。
 「柚葵、めっちゃ良かったよ。『青と僕ら』」
 「いや……」
 「もっと上手く歌えたな~って、思ってる?」
 「うん。やっぱ緊張すると、思い通りには歌えないね」
 「声裏返ってたしね」
 からかうように言う四倉の脇腹を、俺は「うるさい」と小突く。
 「でも、ちょっと自信ついたかも。路上ライブに向けて、人前で歌うのにも徐々に慣れていこうと思う」
 「そうだな。ところでさ、なんで路上ライブなの?」
 四倉の問いを受けて、俺は頭の中から古い記憶を引っ張り出す。

 「一緒に歌いたい人がいるんだ」

 ――俺がその人に出会ったのは、中学二年の頃。
 動画サイトを見ていたところ、たまたまオススメでその人の動画が流れてきたのが始まりだった。
 通常、動画サイトでは視聴者の目を引くために、サムネイル画像に本人の顔写真を表示したり、はたまたアニメのようなイラストを使ったりすることがある。
 でも、その人は違った。
 青い背景に、雨が降っている写真。
 他の派手なサムネイルたちの中で、その人――Rainさんのサムネイルは、逆に目を引いていた。

 そんな画像一枚に引き付けられた俺だが、Rainさんの歌声を聞いて、さらに心をぐっと掴まれることとなった。

 透明感があり、耳に心地よく染み入ってくる声。
 あまりに透き通った綺麗な高い声なので、最初女性なのかと思ったが、動画の概要欄に書かれた文章の雰囲気から、彼が男性であることを知った。
 顔出しはしていない。素性もほとんど明かしていない。
 動画のコメント欄には、固定ファンらしき視聴者のコメントが数件。
 俺は気付けば、彼の動画が上がるのを、楽しみに待つようになった。

 そして、俺が歌うことに興味を持ち始めたのも、ちょうどその頃。もちろん、きっかけはRainさんだ。
 俺の曲の好みは、ほとんどRainさんの影響だと言っても過言ではない。

 そしていつしか、Rainさんと一緒に歌いたいと思うようになっていた。
 そのために俺は、歌のテクニックを学び、家で何度も歌い、やがて「動画投稿よりも手軽にできる」という理由から配信活動を開始した。

 そんなある日。
 Rainさんが、弾き語りの路上ライブを行うことを発表した。
 場所は、俺の家からさほど遠くない、とある駅前の広場。路上ライブの聖地とも呼ばれている場所だ。

 絶対に行きたい。Rainさんの歌を生で聞ける。Rainさんを、この目で拝むことができる。
 俺の気持ちは、今までにないほど高揚していた。

 そしてある時、Rainさんが自身のチャンネルのコミュニティ投稿で、視聴者から路上ライブで歌う曲のリクエストを募った。
 前々から、Rainさんに歌ってほしい曲があった俺は、コメント欄にその曲名を書き込む。
 しかし「送信」ボタンを押す一歩手前で、手が止まった。
 今まで、Rainさんの動画にコメントをしたことが一度もなかったからだ。
 けれど俺は勇気を出して、この時、初めて彼にコメントを送った。

 その日から俺は、暇さえあればカレンダーを眺め、路上ライブの日を今か今かと待ち望んだ。

 しかし当日、駅前で一日待っても、Rainさんは姿を現さなかった。
 それどころか、あとで動画サイトを見たところ、Rainさんのアカウントと過去の動画、その全てが消えていた。

 Rainさんは、俺たちの前から突然姿を消したのだ。

 「……結局、Rainさんが何で消えたのかは分からないんだ。でも、俺はその人のおかげで歌が好きになったし、配信を始めて、優しいリスナーさんたちにも恵まれた。今、こうして高校に通えているのも、元をたどればRainさんのおかげなんだ。だから、Rainさんに会って感謝を伝えたい。そして、一緒に歌いたい。その夢は今もずっと変わらない」
 俺は四倉に、Rainさんへの思いを打ち明ける。
 四倉はそんな俺の話を、静かに聞いてくれていた。
 「じゃあ、柚葵が路上ライブしたいのって……」
 「うん。Rainさんがライブをする予定だった場所で歌いたいんだ。そこで歌えば、Rainさんが俺を見つけてくれるんじゃないか、って。……そんな都合のいい話あるかって感じだけど」
 俺はそう言いながら、苦笑いする。Rainさんの生活圏内がその駅周辺かどうかも分からない。そもそも、偶然Rainさんが俺を見つけたところで、話しかけてくれる可能性も低い。我ながら、無謀な試みだと思う。
 それでも、ネットから完全に姿を消したRainさんにもう一度会うには、この方法しか思い浮かばなかった。
 「今作ってる曲も、Rainさんと歌うことを想定して作ってて。夢見すぎ……かな」
 「いや……ううん。そっか。じゃあ、頑張んなきゃな」
 「ありがとう。もし四倉がよかったらだけど、これからも曲作り、手伝ってほしい」
 「それは、もちろん」
 「あと、もし譜面ができたら、それ俺にもくれないかな?」
 「え?柚葵、ギター弾くの?」
 「いや。俺じゃなくて……Rainさんがさ、ギター弾く人だから。まぁ、まだ一緒に歌えるって決まったわけじゃないんだけどね。ほんとに夢見すぎだよね。あはは」
 俺は恥ずかしさを笑いでごまかす。
 でも、Rainさんがいなくなった日から今まで、何度も想像してきた。
 二人で一緒に、俺が作った曲を歌う姿を――。
 「分かった。譜面できたら、柚葵に渡す」
 「ありがとう。あとで絶対お礼はするよ」
 「はいよ」
 それからいつもの公園で、四倉と別れた。
 帰宅後、俺は歌詞を書いたルーズリーフを取り出す。

 ずっと悩んでいた、曲のタイトル。

 俺は、紙にペンを走らせた。

 ――『雨、時々青』