――文化祭のステージ発表。
どうしよう、声が出ない。
四倉のギターの音だけがステージ上に響き渡り、観客たちは困惑の目をこちらに向けている。
だめだ。やっぱり、俺には無理だったんだ――。
その時、耳に飛び込んできた歌声。
隣を見ると、四倉がギターを弾きながら、俺が歌うはずだった曲を歌っていた。
――どうして。
どうして、四倉の口から、Rainさんの歌声が……?
俺は、呆然とすることしかできなかった。
俺が知っているRainさんの声とは違い、低い大人の男性の声。
それでも、歌い方の癖や、ビブラートのかけ方など、その特徴はRainさんを彷彿とさせた。
なんとかステージ発表を終えた俺は、四倉と共に空き教室へ向かった。
頭の中はパニック状態だった。
四倉が、Rainさん?そんな、まさか。
でも、どう考えても四倉の歌い方は、俺の記憶の中のRainさんそのものだった。
過去の四倉の発言が頭に蘇ってくる。
カラオケでの、遠藤たちとの会話。
――てか、今日マジで一回も歌わなかったじゃん、四倉
――だーかーら、俺、歌わないの
文化祭の準備の時、四倉と交わした会話。
――あ、それか、四倉がもし歌えるなら、フルでもいいかなって思うけど、どう?
――いや、俺歌えないからなぁ
四倉の部屋に初めて行った時に見た、埃が積もったギター。
そして、先程聞いた四倉の歌声。
四倉が――Rainさんが歌うことを辞めた理由が、朧気ながら見えてきた気がした。
――もしかして四倉がRainさんなの?
空き教室で二人きりになった時。そう、四倉に聞きたかった。
でも、どう切り出せばいいか分からず、結局その言葉が口から出ることはなかった。
あの時は、それが正解だったのかもしれない。
俺は今まで、何度もRainさんの話を四倉の前でしてきた。
だから、四倉の方から正体を明かすタイミングはいくらでもあったはずだ。だけど、四倉はそれをしなかった。
四倉は、自分がRainさんであることを、知られたくないのかもしれない。そう思ったのだ。
でも、四倉がRainさんかもしれないという事実は、俺の心臓をこれでもかというほど高鳴らせた。
「俺さ、今作ってる曲、歌詞を全部変えようと思って」
あの時そう言ったのは、突発的な思いつきだった。
四倉にとって、歌うことは辛いことになっているんじゃないか。
それでも、四倉はステージの上で、俺を救うために歌ってくれた。
俺はRainさんに、そして四倉に助けられた。
もし、四倉が歌うことに自信をなくしているなら……
もし、まだ歌いたいと心の奥底で思っているなら、今度は俺が四倉の背中を押してあげたい。
一歩を踏み出すきっかけになるような、そんな曲を作りたい。そう思ったのだ。
そして、Rainさんがライブをする予定だった聖地で、Rainさん――四倉と一緒に歌いたい。
四倉には、昔のように、“音を楽しんで”歌を歌ってほしい。
俺が知っているRainさんは、本当に楽しそうに歌っていた。
歌が大好きだという気持ちが、動画から溢れんばかりに伝わってきた。
声変わりをして、彼の中で色々な葛藤があったのかもしれない。
でも、四倉が心から楽しんで歌えば、今の声だって、きっとすごく魅力的になる。
そんな四倉の本当の歌声を、俺だけが知っているなんてもったいない。
もっとたくさんの人に、聞いてほしい。
それから俺は、四倉と歌うことを想定し、曲のキーを全体的に下げ、改めて歌詞作りに取り掛かった。
しかし、そんな最中。四倉から避けられていることに気付いた。
理由はなんとなくわかっていた。四倉は、自分がRainであることを、俺が気付いていないと思っている。
四倉の中には、後ろめたい気持ちがあるのではないか。
「もう、あの時の声は出せない」だなんて、勝手に自己嫌悪に陥っているんじゃないか。
そんなこと、思う必要なんてないのに。
でも、四倉の抱えていた悩みや苦しみを、俺は想像することしかできない。
だから、そんな軽々しい言葉で励ますのが正解だとも思えなかった。
そうして俺は何もできないまま、四倉との距離はどんどんと離れていってしまった。
それでも、曲作りは地道に進めていった。
四倉が楽しんで歌えるよう、歌いながら前向きな気持ちになれるよう、明るい歌詞を曲に当てはめていく。
そして歌詞を書いているうちに、俺の中でくすぶっていた気持ちに、一つの答えが生まれた。
四倉とどう向き合うか、の答えだ。
俺はやっぱり、四倉と一緒に歌いたい。その気持ちは、以前よりもいっそう強くなっていた。
気づけば俺の中にあった「Rainさんと一緒に歌いたい」という願いは、「四倉と一緒に、楽しんで歌いたい」という気持ちへと変わっていた。
*
「あの時から?気付いてたの?」
四倉はよほど驚いたのか、口をぽかんと開けながら、俺の話を聞いていた。
きっとあまりに予想外だったのだろう。四倉の頭の上に「?」が一つ、また一つと浮かんでは、際限なく増殖していくように見えた。
「あらためてお礼言わせて。俺、Rainさんのおかげで歌を好きになれて、優しいリスナーさんたちに恵まれて、高校に行く勇気をもらえた。全部、Rainさんのおかげなんだ」
「その名前で呼ばれると恥ずいな……。いや、頑張ったのは柚葵だよ。俺は結局、逃げちゃったし」
「でも、こうして戻ってきてくれた」
「それは、柚葵のおかげ。俺、久しぶりに、歌うの楽しいって思えた」
今、一番聞きたかった言葉。
それを、四倉が照れくさそうな笑顔で言うのを聞き、俺は安堵に包まれる。
「……全部、四倉だったんだなぁ」
俺がボソッと言った言葉に、四倉が「ん?」と聞き返す。
「いや、Rainさんもそらさんも、四倉だった。なんかそれが嬉しくて。俺の今までの人生、違う名前で、何度も支えてくれてたんだね」
「……これからもずっと支えるよ。今度は、四倉嵐として」
「ずっと?」
「ずっと。何年後、いや、何十年後も」
「何それ、プロポーズ?」
「そう、プロポーズ」
「ははっ」
その時、頬に冷たい感触が当たる。
「あっ、雨……」
ぽつり、ぽつりと静かに降り出した雨は、次第に強さを増していく。やがて雨音も大きくなり、気付けば本降りになっていた。
「天気予報、雨って言ってたっけ?」
「いや、分からん!とりあえず雨宿りできる場所いこう、走れ柚葵!」
四倉が川沿いの道を走り出し、俺はその後を追いかけた。
雨水が目に入り痛い。髪はびしょ濡れだし、せっかく履いてきた新品の靴も、この調子じゃ泥だらけになること確定だろう。
でも――。
「なんか、青春って感じ!」
俺は、前を走る四倉にそう叫ぶ。
四倉はそんな俺の声に「だな!」と満面の笑顔で返した。
雨がさらに強まり、風も強くなってきた。
そんな中でも、俺たちはこの状況を楽しんでいる。
暗く狭い部屋の中から出た先に、こんな世界が待っていたなんて。
降りしきる雨の中、俺たちの周りだけは鮮やかな青が広がっていた。
どうしよう、声が出ない。
四倉のギターの音だけがステージ上に響き渡り、観客たちは困惑の目をこちらに向けている。
だめだ。やっぱり、俺には無理だったんだ――。
その時、耳に飛び込んできた歌声。
隣を見ると、四倉がギターを弾きながら、俺が歌うはずだった曲を歌っていた。
――どうして。
どうして、四倉の口から、Rainさんの歌声が……?
俺は、呆然とすることしかできなかった。
俺が知っているRainさんの声とは違い、低い大人の男性の声。
それでも、歌い方の癖や、ビブラートのかけ方など、その特徴はRainさんを彷彿とさせた。
なんとかステージ発表を終えた俺は、四倉と共に空き教室へ向かった。
頭の中はパニック状態だった。
四倉が、Rainさん?そんな、まさか。
でも、どう考えても四倉の歌い方は、俺の記憶の中のRainさんそのものだった。
過去の四倉の発言が頭に蘇ってくる。
カラオケでの、遠藤たちとの会話。
――てか、今日マジで一回も歌わなかったじゃん、四倉
――だーかーら、俺、歌わないの
文化祭の準備の時、四倉と交わした会話。
――あ、それか、四倉がもし歌えるなら、フルでもいいかなって思うけど、どう?
――いや、俺歌えないからなぁ
四倉の部屋に初めて行った時に見た、埃が積もったギター。
そして、先程聞いた四倉の歌声。
四倉が――Rainさんが歌うことを辞めた理由が、朧気ながら見えてきた気がした。
――もしかして四倉がRainさんなの?
空き教室で二人きりになった時。そう、四倉に聞きたかった。
でも、どう切り出せばいいか分からず、結局その言葉が口から出ることはなかった。
あの時は、それが正解だったのかもしれない。
俺は今まで、何度もRainさんの話を四倉の前でしてきた。
だから、四倉の方から正体を明かすタイミングはいくらでもあったはずだ。だけど、四倉はそれをしなかった。
四倉は、自分がRainさんであることを、知られたくないのかもしれない。そう思ったのだ。
でも、四倉がRainさんかもしれないという事実は、俺の心臓をこれでもかというほど高鳴らせた。
「俺さ、今作ってる曲、歌詞を全部変えようと思って」
あの時そう言ったのは、突発的な思いつきだった。
四倉にとって、歌うことは辛いことになっているんじゃないか。
それでも、四倉はステージの上で、俺を救うために歌ってくれた。
俺はRainさんに、そして四倉に助けられた。
もし、四倉が歌うことに自信をなくしているなら……
もし、まだ歌いたいと心の奥底で思っているなら、今度は俺が四倉の背中を押してあげたい。
一歩を踏み出すきっかけになるような、そんな曲を作りたい。そう思ったのだ。
そして、Rainさんがライブをする予定だった聖地で、Rainさん――四倉と一緒に歌いたい。
四倉には、昔のように、“音を楽しんで”歌を歌ってほしい。
俺が知っているRainさんは、本当に楽しそうに歌っていた。
歌が大好きだという気持ちが、動画から溢れんばかりに伝わってきた。
声変わりをして、彼の中で色々な葛藤があったのかもしれない。
でも、四倉が心から楽しんで歌えば、今の声だって、きっとすごく魅力的になる。
そんな四倉の本当の歌声を、俺だけが知っているなんてもったいない。
もっとたくさんの人に、聞いてほしい。
それから俺は、四倉と歌うことを想定し、曲のキーを全体的に下げ、改めて歌詞作りに取り掛かった。
しかし、そんな最中。四倉から避けられていることに気付いた。
理由はなんとなくわかっていた。四倉は、自分がRainであることを、俺が気付いていないと思っている。
四倉の中には、後ろめたい気持ちがあるのではないか。
「もう、あの時の声は出せない」だなんて、勝手に自己嫌悪に陥っているんじゃないか。
そんなこと、思う必要なんてないのに。
でも、四倉の抱えていた悩みや苦しみを、俺は想像することしかできない。
だから、そんな軽々しい言葉で励ますのが正解だとも思えなかった。
そうして俺は何もできないまま、四倉との距離はどんどんと離れていってしまった。
それでも、曲作りは地道に進めていった。
四倉が楽しんで歌えるよう、歌いながら前向きな気持ちになれるよう、明るい歌詞を曲に当てはめていく。
そして歌詞を書いているうちに、俺の中でくすぶっていた気持ちに、一つの答えが生まれた。
四倉とどう向き合うか、の答えだ。
俺はやっぱり、四倉と一緒に歌いたい。その気持ちは、以前よりもいっそう強くなっていた。
気づけば俺の中にあった「Rainさんと一緒に歌いたい」という願いは、「四倉と一緒に、楽しんで歌いたい」という気持ちへと変わっていた。
*
「あの時から?気付いてたの?」
四倉はよほど驚いたのか、口をぽかんと開けながら、俺の話を聞いていた。
きっとあまりに予想外だったのだろう。四倉の頭の上に「?」が一つ、また一つと浮かんでは、際限なく増殖していくように見えた。
「あらためてお礼言わせて。俺、Rainさんのおかげで歌を好きになれて、優しいリスナーさんたちに恵まれて、高校に行く勇気をもらえた。全部、Rainさんのおかげなんだ」
「その名前で呼ばれると恥ずいな……。いや、頑張ったのは柚葵だよ。俺は結局、逃げちゃったし」
「でも、こうして戻ってきてくれた」
「それは、柚葵のおかげ。俺、久しぶりに、歌うの楽しいって思えた」
今、一番聞きたかった言葉。
それを、四倉が照れくさそうな笑顔で言うのを聞き、俺は安堵に包まれる。
「……全部、四倉だったんだなぁ」
俺がボソッと言った言葉に、四倉が「ん?」と聞き返す。
「いや、Rainさんもそらさんも、四倉だった。なんかそれが嬉しくて。俺の今までの人生、違う名前で、何度も支えてくれてたんだね」
「……これからもずっと支えるよ。今度は、四倉嵐として」
「ずっと?」
「ずっと。何年後、いや、何十年後も」
「何それ、プロポーズ?」
「そう、プロポーズ」
「ははっ」
その時、頬に冷たい感触が当たる。
「あっ、雨……」
ぽつり、ぽつりと静かに降り出した雨は、次第に強さを増していく。やがて雨音も大きくなり、気付けば本降りになっていた。
「天気予報、雨って言ってたっけ?」
「いや、分からん!とりあえず雨宿りできる場所いこう、走れ柚葵!」
四倉が川沿いの道を走り出し、俺はその後を追いかけた。
雨水が目に入り痛い。髪はびしょ濡れだし、せっかく履いてきた新品の靴も、この調子じゃ泥だらけになること確定だろう。
でも――。
「なんか、青春って感じ!」
俺は、前を走る四倉にそう叫ぶ。
四倉はそんな俺の声に「だな!」と満面の笑顔で返した。
雨がさらに強まり、風も強くなってきた。
そんな中でも、俺たちはこの状況を楽しんでいる。
暗く狭い部屋の中から出た先に、こんな世界が待っていたなんて。
降りしきる雨の中、俺たちの周りだけは鮮やかな青が広がっていた。

