ちょっと休憩、と弁当箱をからにしたあとで月が伸びをした。
俺も腹いっぱいですぐには動けそうにない。月に口を拭くよう持参したウェットティッシュを渡したあとでテーブルに腕を乗せて、その上に顔を伏せて目を閉じていると「あ、そうだ」と月が言ってきた。
なに、と俺は目を閉じたまま聞く。
「中学のときさ、姉崎さんがおまえに中庭のベンチで膝枕してたの見たってやつがいたんだけどほんと?」
「……ほんとだけど」と俺は顔をあげた。月はにやにやしながら俺を見ている。
「でも一回だけだから。ちょっと俺が寝不足でふらふらしてたのを姉崎さん気にしてやってくれただけだから。変なこととかなかったから」
「へえ」
「だからべつに気にすることない——」
「なら俺にもできる?」
ん? と俺は聞きかえした。なんて言った、いま。
「気にすることないなら俺にも膝枕できるよね?」
「……は?」
「できないなら高校での陽太のあだ名『青春太郎』にしちゃお」
「絶対やめろよ!」
ならやって、と月は言う。
テーブルに頬杖をついて。ためすように俺を見ながら。
「……マジで?」
「うん、マジで」
「外なんだけど……」
「べつに知り合いなんていないしいいじゃん。見られたとしてもあいつら仲いいなとしか思われないよ」
ほんとに……?
天才故なのか月はたまにとんでもないことをさらっと言う。
……もう『あーん』とかしちゃったし。膝枕も似たようなものか、と俺は覚悟を決めた。
「わかったって……」
俺は自分の膝の上を手で払い、ほら、と月を呼ぶ。月はおやつに呼ばれた猫みたいに目を輝かせるとテーブルを回ってこっちのベンチにきた。
「お邪魔しまーす」
「はいはい、どうぞ」
ベンチは月が寝転がるには足りない。なので彼は靴を脱ぐと膝を曲げてあおむけになった。
どさ、と彼の頭が俺の太股の上に置かれる。
——まさか月を膝枕するときがくるとは……。
見た目より、というと変かもしれないけど月の頭は重い。中身がしっかり詰まっていそうだ。
「おー、ちょうどいい高さ」と月は俺を見上げて楽しそうに笑う。
「はいはい、どうも」
「明石陽太。貴殿を吾輩の膝枕係に任命する」
「どこの王さまだよ」
「なんか眠くなってきた……」
「ちょっ、ここで寝るなって」
月が本気で寝そうだったので俺は彼の肩を揺さぶる。
「やだ」と手を振り払われた。やだじゃない。
「わがまま言うなよ」
「いいじゃん。俺と陽太の仲なんだから」
ジャージ越しに月の体温を感じる。
こんなのいつものおふざけだ。なんてことない
、のはわかってるんだけど。
「月ってば……」
月は目を閉じると寝息を立てはじめる。
フリだろうけど、そうされると無理に起こしにくくなってしまって俺はあきらめた。まったく、とぼやく。
しばらくなにもせず月の寝顔を見ていた。
もう見慣れたと思ったけど、やっぱり月は顔がいい。鼻筋が通ってて……まつげが長くて……顔が小さくって……骨格からイケメンって感じ。
なんだか生身の人間には思えなくて、俺は月の頬を指でつついた。寝てしまったのか月はノーリアクションだ。
「……な、月。こんなことしてくれるの俺だけだからな。わかってる?」
「姉崎さんがいるじゃん」
「うわ、」
急にぱちっと目を開けた月にびっくりする。
「なんだ、起きてたのかよ」「あともうちょいで寝れそうだったのに頬つつかれた」月は頭の位置を直し、俺を見上げてくる。
「俺だけってなに? 姉崎さんにしてもらったんだろ」
「そうだけど。男友達にこんなことするの俺くらいって意味だよ」
「……ああ」
納得したらしい。月はうなずくと、「じゃあ」と探るような声で言ってくる。
「陽太にとって、女の子より男友達のほうが特別ってこと?」
「え? いや……膝枕するならって話で……」
「ふうん」
月は明るい茶色の目をすっと細める。「陽太の特別、ゲット」
……ん、あれ?
月って、姉崎さんのことが好きなんじゃないのか……?
いくら月とはいえ余裕すぎる。
戸惑った俺は「月って姉崎さんのこと好きなんじゃないの」と思ったことをそのまま聞いていた。
は、と月はきょとんとする。
「俺が? なんで」
「いや、なんとなく……」
「親友といい雰囲気になってる子を好きになんてならないよ」
そうかもしれない。でも、だからじゃあやめますとならないのが好きって気持ちじゃないんだろうか。
「……いいよ?」と呆れた顔で笑っている月に俺は言う。
「月ならさ。俺、その子のこと好きにならないようにするから」
「…………」
「なんだったら月のことおすすめしておくし——」
「それ」
月は俺の言葉をさえぎる。やわらかく、だけど刺すように。
「ぜんぜん優しさじゃないから」
「——え、」
「よし、休憩終わり。これ以上いると帰るのいやになっちゃうから降りようぜ」
月は体を起こすと靴を履いて立ちあがる。そしてさっさと空のペットボトルやゴミをまとめはじめた。
——月が言った言葉に胸がずきずき痛んでいた。それは、俺が一度やった失敗だったから。
片付けを終えて俺たちは来た道をもどる。
帰りはついスピードを上げそうになるけど、「山って帰りのほうが事故多いんだってよ」と月に言われてペースに気をつけた。
やがて急な階段が終わり、道の幅も広くなって、俺たちは隣にならぶ。
ごめん、と謝るのはちがう気がした。だって俺はどうして月があんな顔をしたのかわかってない。
あんな——言葉が通じない国にきてしまったみたいな、途方に暮れた顔を。
だからほかの言葉を探していると、なあ、と月のほうから話しかけてきた。
まだ日は高い。山の上の方が太陽に高いのに、下に降りていくほど暑くなっていくのを不思議に感じながら「うん?」と俺は彼を見る。
「さっきのこと気にしなくていいから」
「でも、」
「陽太にはわからないよ。俺がだれのこと好きか。たぶん、近すぎて盲点になってる」
——近すぎて……?
俺ははっとする。月が好きなのって、まさか。
「だから——」
「わかった。月、海に行こう!」
「……あ?」
「これから行こう!」
月は変なものを見る目で俺を見る。
「なあ陽太、ひょっとしてだけど」
「大丈夫。なにも言わなくていい。月は黙って俺についてきてくれればいいから!」
「…………」
月は溜め息をつく。
それから、「わかったわかった」と苦笑交じりにつぶやいた。
——間違いない。
月が好きなの、俺の幼なじみの優香だ……!



