「月のバカ……っ!」
「ごめんごめん、でも壁に傷ついてなかったしいいじゃん。スマホも割れてなかったし」
「……そうだけどさ」
カラオケをでて、俺はさっきも言った文句を月にぶつける。
吹っ飛んでいったスマホ(と、店の壁)の無事を確認したらなんだか力が抜けてしまった。
俺たちは顔を見合わせて笑い、そのあとは緊張していたのがうそみたいにスムーズに『アカネ』をうたうことができて、八時近くまで練習したあとで俺たちは外にでた。
空はもう真っ暗で駅前はがらんとしている。
スーツを着た社会人も制服姿の学生も足早にここから立ちさろうとしているみたいだ。俺たちみたいにぶらぶらしているのはすくない。
「さすがに夜は冷えるな」とポケットに両手をつっこんで月が言う。
「風邪引かないようにしろよ、陽太」
「ありがと。月もな」
「俺はいざとなったら実行委員会に頼むつもりだから大丈夫。必要なのは音源だけだし」
「……そうだとしても」
駐輪場に向けて歩きながら俺は言う。やっと見れるようになってきた月の顔を、あえて見ないで。
「俺は……月にそばにいてほしいよ」
がつんと音がしてあわてて振りかえると月が右足のすねを押さえていた。「いってぇ!」と悶えている。
「は? どしたの?」
「こいつが俺にぶつかって来やがった!」
どうやらベンチにすねをぶつけたらしい。「なにやってんだよ……」と俺は月のそばまでもどり、しゃがみこんで彼が押さえていた場所を自分の手のひらで押さえる。
「痛くない痛くない。ほら、もう大丈夫」
「……陽太って年の離れた弟とかいんの?」
「いないの知ってるだろ」
とりあえず気はまぎれたらしい。俺が立ちあがると月がぽつりとつぶやく。
「なんかいま、陽太ってモテるんだなーって思った」
「は? それは月じゃん」
「そうだけど。そういうことじゃないっていうか」
よくわからない。歩みを再開しながら、「それよりさ」と俺は話を変える。
「今日、ドリンクチームとずっと作業してたじゃん? 仲よくなれそうなやついた?」
「陽太以外に興味ない」
「またそういうことを……。近寄りがたいって思われてるのもったいない——」
俺が言いおわらないうちに月が「陽太のせいだから」と言ってきた。え、と尋ねかえす。
「陽太の音、すごくきれいだからほかのやつらなんてどうでもよくなる」
「音?……」
「優しくて、規則正しくて、ずっと聞いていたい感じ。人混みでも陽太がいれば平気なのってそのせいなのかも。透明な音だから俺以外には聞こえてないだろうけど」
音、と言われても俺にはピンとこない。
今日の月はなにかと不思議なことを言う。でも彼が楽しそうなので、「そっか」と俺は笑った。
「よくわからないけど、月に褒められたなら嬉しい」
「……ん」
月は子供みたいにこくっとうなずく。
そのとき電車が発車することを知らせるベルがホームのほうから聞こえてきて、次の駅へと走りさっていく電車を俺たちはなんとなく目で追いかけた。
それからの二週間はあっという間だった。
昼間はレモン喫茶の準備。夕方はバイト――オーナーに文化祭があることを話したら、その週は休みにしてもらえた――か月とカラオケで練習。
みんなと、そして月となにかを作りあげていくのは充足感があった。
文化祭前日の金曜日。いつもは勉強に使っている机を四つ合体させて、その上に白いテーブルクロスを広げる。
そして百均で仕入れてきた造花で作ったレモンのフラワーアレンジメントを真ん中に置くと「おぉー」と周囲から歓声が上がった。
「すご、なんかおしゃれじゃね?」と上田が言う。「やっぱ大事なのはほかとの差別化なわけですよ」と発案者の沢木さんも満足げだ。
「クロス、白で正解だったな」と俺も一歩離れたところで見る。
白いテーブルクロスとフラワーアレンジメントのコントラストがきれいだ。ぜんぶレモン柄でそろえようという意見もあったけど、クロスは無地でよかったみたいだ。
「じゃあこの調子でほかのテーブルと調理スペースも作っていこう。上田は背高いからガーランドつけていって」
「了解!」
ほんとは調理スペースを最初に作ったほうがテーブルの位置も決めやすいんだけど、接客チーム(調理チームは作り置きできるものを調理室で作っている)のモチベをあげるために見栄えのいいものをひとつ作ってみせるのが必要だった。
……これはまあ、俺じゃなくて月の作戦なんだけど。
みんなが楽しそうに机やパネルを移動させたり飾りつけをしたりしているのを見ていると、さすが月、と思わざるを得ない。
「陽太くん、せっかくだから黒板になにか書いてよ」
「え、俺?」
沢木さんたち女子グループに言われたけど急にそんなこと言われても困る。
とりあえず黒板の前に立って、黄色いチョークで『レモン』白で『喫茶へようこそ』と書いてみた。
「なんかふつうなんだけど」と俺は沢木さんたちを振りかえる。
「いいのいいの。大事なのはアレンジだよ」
「絵とか描く?」
「うんうん!」
もう一度黒板に向きなおろうとしたとき、「陽太」と調理室にいたはずの月が教室にやってきた。
「どした?」と聞くと「疲れた」と俺の肩に肘を乗せて言う。
「はっきりわかった。俺、肉体労働向いてない。いますぐ帰って寝たい」
「はいはい、あともうちょっとがんばろうな」
「もうすこし気持ち込めろって――てかなにやってんの?」
そうだ、と俺は思いつく。「月、絵上手いんだからなんか描いてよ」
「そういうリクエストが一番困るんだよな」
「じゃあレモンに関係するもので。はい」
俺からチョークを受けとった月はしばらく『レモン喫茶へようこそ』と書かれた黒板をにらみつけ、よし、と言ったかと思うと――
五分もかからずにきれいなレモンと白い花の縁取りが黒板に出現した。
「おぉ……」
いつの間にかみんな手を止めて月の絵に見入っていた。なんの変哲もないチョークを使いわけてリアルなレモンと花を描いていくのは魔法みたいだった。
「ま、こんなもん」と手を払いながら月が言う。
「やっぱすごいなー、月。画家になれそう」
「うん。俺さ、神さまがいるならきっと女神さまだと思うんだよね」
「なんで?」
「俺に二物も三物もくれたから」
「……嫌味通りこしてただの事実にしか聞こえないんだよ」
「森本くんって絵上手いんだ」と沢木さんたちがはしゃいでいる。そして「写真撮っていい?」と近づいてきたので、「どうぞ」と月は黒板から離れた。さりげなく俺の手首をつかんで。
「どした?」
「明日の打ち合わせしたいからちょっと抜けよ。――陽太借りたいんだけど、いい?」
「どうぞどうぞー」
俺たちは廊下にでた。窓の外はもう暗いのにどこもかしこも明かりがついていてにぎやかなのが不思議だ。
A組だけじゃなくてどこのクラスも飾りつけの真っ最中で、見慣れた校舎がどんどん非日常になっていく。
「隣、激辛メニューだすんだって。行ってみる?」と聞くと「それよりさ」とさえぎられた。
「もう話した? 戸成さんたちに」
「……今日しようと思ってた」
ステージは実行委員の手で撮影され、学校のSNSの公式アカウントで生中継されることになっている。
三人にはそのURLを送るつもりだった。文化祭二日目のステージで大切なことを伝えるから、とつけくわえたうえで。
なにかの企画なのか、ウサギの着ぐるみをかぶっただれかが階段を登ってきて「おふたりさん、楽しんでる~?」と俺たちに陽気に話しかけて廊下を走っていく。月は完全スルーした。
「忘れずに言っておけよ。……俺のこと、気にする必要ないから。どんな答えでも、それが陽太がえらんだ答えならちゃんと受けとめる」
「……うん」
「まえに言ったじゃん? 幸せっていうのは、なにを持ってるかじゃなくてなにをほしがるかだって。
俺、すごく幸せだよ。陽太に好きって伝えられて。陽太のことほしがることができて。この気持ちは――きっと一生忘れない」
あの、春の日。初めてこの教室にやってきた日。
あの日から俺たちの運命は動きだしたんだ。『親友』っていう変わることのない関係を、変えるために。
俺のほんとうの気持ちを見つけるために。
「文化祭、絶対成功させよう」
俺のまえに月の拳が差しだされる。
当然、と俺は彼の拳に自分の拳をぶつけた。
「ごめんごめん、でも壁に傷ついてなかったしいいじゃん。スマホも割れてなかったし」
「……そうだけどさ」
カラオケをでて、俺はさっきも言った文句を月にぶつける。
吹っ飛んでいったスマホ(と、店の壁)の無事を確認したらなんだか力が抜けてしまった。
俺たちは顔を見合わせて笑い、そのあとは緊張していたのがうそみたいにスムーズに『アカネ』をうたうことができて、八時近くまで練習したあとで俺たちは外にでた。
空はもう真っ暗で駅前はがらんとしている。
スーツを着た社会人も制服姿の学生も足早にここから立ちさろうとしているみたいだ。俺たちみたいにぶらぶらしているのはすくない。
「さすがに夜は冷えるな」とポケットに両手をつっこんで月が言う。
「風邪引かないようにしろよ、陽太」
「ありがと。月もな」
「俺はいざとなったら実行委員会に頼むつもりだから大丈夫。必要なのは音源だけだし」
「……そうだとしても」
駐輪場に向けて歩きながら俺は言う。やっと見れるようになってきた月の顔を、あえて見ないで。
「俺は……月にそばにいてほしいよ」
がつんと音がしてあわてて振りかえると月が右足のすねを押さえていた。「いってぇ!」と悶えている。
「は? どしたの?」
「こいつが俺にぶつかって来やがった!」
どうやらベンチにすねをぶつけたらしい。「なにやってんだよ……」と俺は月のそばまでもどり、しゃがみこんで彼が押さえていた場所を自分の手のひらで押さえる。
「痛くない痛くない。ほら、もう大丈夫」
「……陽太って年の離れた弟とかいんの?」
「いないの知ってるだろ」
とりあえず気はまぎれたらしい。俺が立ちあがると月がぽつりとつぶやく。
「なんかいま、陽太ってモテるんだなーって思った」
「は? それは月じゃん」
「そうだけど。そういうことじゃないっていうか」
よくわからない。歩みを再開しながら、「それよりさ」と俺は話を変える。
「今日、ドリンクチームとずっと作業してたじゃん? 仲よくなれそうなやついた?」
「陽太以外に興味ない」
「またそういうことを……。近寄りがたいって思われてるのもったいない——」
俺が言いおわらないうちに月が「陽太のせいだから」と言ってきた。え、と尋ねかえす。
「陽太の音、すごくきれいだからほかのやつらなんてどうでもよくなる」
「音?……」
「優しくて、規則正しくて、ずっと聞いていたい感じ。人混みでも陽太がいれば平気なのってそのせいなのかも。透明な音だから俺以外には聞こえてないだろうけど」
音、と言われても俺にはピンとこない。
今日の月はなにかと不思議なことを言う。でも彼が楽しそうなので、「そっか」と俺は笑った。
「よくわからないけど、月に褒められたなら嬉しい」
「……ん」
月は子供みたいにこくっとうなずく。
そのとき電車が発車することを知らせるベルがホームのほうから聞こえてきて、次の駅へと走りさっていく電車を俺たちはなんとなく目で追いかけた。
それからの二週間はあっという間だった。
昼間はレモン喫茶の準備。夕方はバイト――オーナーに文化祭があることを話したら、その週は休みにしてもらえた――か月とカラオケで練習。
みんなと、そして月となにかを作りあげていくのは充足感があった。
文化祭前日の金曜日。いつもは勉強に使っている机を四つ合体させて、その上に白いテーブルクロスを広げる。
そして百均で仕入れてきた造花で作ったレモンのフラワーアレンジメントを真ん中に置くと「おぉー」と周囲から歓声が上がった。
「すご、なんかおしゃれじゃね?」と上田が言う。「やっぱ大事なのはほかとの差別化なわけですよ」と発案者の沢木さんも満足げだ。
「クロス、白で正解だったな」と俺も一歩離れたところで見る。
白いテーブルクロスとフラワーアレンジメントのコントラストがきれいだ。ぜんぶレモン柄でそろえようという意見もあったけど、クロスは無地でよかったみたいだ。
「じゃあこの調子でほかのテーブルと調理スペースも作っていこう。上田は背高いからガーランドつけていって」
「了解!」
ほんとは調理スペースを最初に作ったほうがテーブルの位置も決めやすいんだけど、接客チーム(調理チームは作り置きできるものを調理室で作っている)のモチベをあげるために見栄えのいいものをひとつ作ってみせるのが必要だった。
……これはまあ、俺じゃなくて月の作戦なんだけど。
みんなが楽しそうに机やパネルを移動させたり飾りつけをしたりしているのを見ていると、さすが月、と思わざるを得ない。
「陽太くん、せっかくだから黒板になにか書いてよ」
「え、俺?」
沢木さんたち女子グループに言われたけど急にそんなこと言われても困る。
とりあえず黒板の前に立って、黄色いチョークで『レモン』白で『喫茶へようこそ』と書いてみた。
「なんかふつうなんだけど」と俺は沢木さんたちを振りかえる。
「いいのいいの。大事なのはアレンジだよ」
「絵とか描く?」
「うんうん!」
もう一度黒板に向きなおろうとしたとき、「陽太」と調理室にいたはずの月が教室にやってきた。
「どした?」と聞くと「疲れた」と俺の肩に肘を乗せて言う。
「はっきりわかった。俺、肉体労働向いてない。いますぐ帰って寝たい」
「はいはい、あともうちょっとがんばろうな」
「もうすこし気持ち込めろって――てかなにやってんの?」
そうだ、と俺は思いつく。「月、絵上手いんだからなんか描いてよ」
「そういうリクエストが一番困るんだよな」
「じゃあレモンに関係するもので。はい」
俺からチョークを受けとった月はしばらく『レモン喫茶へようこそ』と書かれた黒板をにらみつけ、よし、と言ったかと思うと――
五分もかからずにきれいなレモンと白い花の縁取りが黒板に出現した。
「おぉ……」
いつの間にかみんな手を止めて月の絵に見入っていた。なんの変哲もないチョークを使いわけてリアルなレモンと花を描いていくのは魔法みたいだった。
「ま、こんなもん」と手を払いながら月が言う。
「やっぱすごいなー、月。画家になれそう」
「うん。俺さ、神さまがいるならきっと女神さまだと思うんだよね」
「なんで?」
「俺に二物も三物もくれたから」
「……嫌味通りこしてただの事実にしか聞こえないんだよ」
「森本くんって絵上手いんだ」と沢木さんたちがはしゃいでいる。そして「写真撮っていい?」と近づいてきたので、「どうぞ」と月は黒板から離れた。さりげなく俺の手首をつかんで。
「どした?」
「明日の打ち合わせしたいからちょっと抜けよ。――陽太借りたいんだけど、いい?」
「どうぞどうぞー」
俺たちは廊下にでた。窓の外はもう暗いのにどこもかしこも明かりがついていてにぎやかなのが不思議だ。
A組だけじゃなくてどこのクラスも飾りつけの真っ最中で、見慣れた校舎がどんどん非日常になっていく。
「隣、激辛メニューだすんだって。行ってみる?」と聞くと「それよりさ」とさえぎられた。
「もう話した? 戸成さんたちに」
「……今日しようと思ってた」
ステージは実行委員の手で撮影され、学校のSNSの公式アカウントで生中継されることになっている。
三人にはそのURLを送るつもりだった。文化祭二日目のステージで大切なことを伝えるから、とつけくわえたうえで。
なにかの企画なのか、ウサギの着ぐるみをかぶっただれかが階段を登ってきて「おふたりさん、楽しんでる~?」と俺たちに陽気に話しかけて廊下を走っていく。月は完全スルーした。
「忘れずに言っておけよ。……俺のこと、気にする必要ないから。どんな答えでも、それが陽太がえらんだ答えならちゃんと受けとめる」
「……うん」
「まえに言ったじゃん? 幸せっていうのは、なにを持ってるかじゃなくてなにをほしがるかだって。
俺、すごく幸せだよ。陽太に好きって伝えられて。陽太のことほしがることができて。この気持ちは――きっと一生忘れない」
あの、春の日。初めてこの教室にやってきた日。
あの日から俺たちの運命は動きだしたんだ。『親友』っていう変わることのない関係を、変えるために。
俺のほんとうの気持ちを見つけるために。
「文化祭、絶対成功させよう」
俺のまえに月の拳が差しだされる。
当然、と俺は彼の拳に自分の拳をぶつけた。



