夕方ごろから空には厚ぼったい雲がかかってきた。
「天気もつかな」と俺はタコヤキをつつきながら言う。
「わかんない。ぶっちゃけ、天気予報雷雨マークついてたし。花火大会終わってから降ってくれるならいいんだけど」と月はイカ焼きにかぶりつく。
ソースと醤油が混ざった香ばしい匂いのなか、俺たちみたいな私服の男や浴衣姿の女子、家族連れが行きかう。子供向けアニメのキャラクターがプリントされたわたあめを持っている男の子を見て、俺は何歳まで母親と来てたっけ、とノスタルジックな気分になった。
「祭りに来たからにはなにか収穫ほしいな」
「収穫? なに、射的の景品とか?」
「俺、あれやりたい。スーパーボールすくい」
「さっきなかったっけ」
「あれはヨーヨー釣り」
と月が言いだすので、俺たちはスーパーボールすくいの屋台を探した。
こういうのって意外と探すと見つからないんだよな、とふたりで言いあっているとようやく目当ての屋台が見えてきた。
「陽太、何色ほしい」とモナカでできたポイを手に月がプールの前にしゃがみこむ。腕まくりをして随分やる気だ。
「俺がえらんでいいの? なら……」
プールに浮いている色とりどりのスーパーボールを俺は見渡し、「あれがいい。青色で目がついてやるやつ」とぷかぷか浮いているうちのひとつを指さした。
「よし、任せろ」
狙いを定めると月はポイを斜めにして水に沈める。ふちの部分をうまく使い、まずはひとつひょいっとボウルに入れてみせた。
「おぉ」と俺は拍手する。まだまだ、と月は素早くポイを動かした。
結果――
「23、24……25個? 取りすぎ、月」
「また新たな才能に目覚めてしまった」
あまりにも次々スーパーボールを取っていくものだからギャラリーが集まってきたところで月はわざと失敗してゲームを終わらせた。
ビニール袋に入れてもらった『収穫』を俺が数えると、ぜんぶで25個。これはたしかに才能だ。
「いらないから陽太にぜんぶやるよ」
「いらないならこんなに取るなよ……もらうけど」
小さい頃はよく家で遊んで親に怒られたものだ。懐かしい。
「いまって金魚のかたちしたのとかあるんだなー」
「あ、それ俺ほしい」
「はいはい」と俺は袋からおもちゃの金魚を取りだして月の肩に載せてみる。ちょっとかわいい。
「どう?」
「いいね、お祭りで浮かれてる感じが」
月は「名前つけてやるか」と言いながら金魚を胸ポケットに入れた。「金魚、おまえは今日から月二号な」
「…………」
「なんか言えよ」
「ださい」
頭をこづかれた。理不尽だ。
「どこで見ようか」と俺たちは橋のほうへぶらぶら歩いた。河川敷は予約席なので最初から座れないし、駅前の公園とか遊歩道とか駅から近くていい場所はもう埋まっている。
それでも橋を渡ると人でぎゅうぎゅうということはなくなってくる。屋台も橋の近くに数軒出ているだけだ。
すこしさびしい景色のなか、この辺にしようか、と俺たちは歩道に腰を下ろそうとした。そのときだった。
ぽつ、と雨がアスファルトに染みを作って。
一分も経たないうちにそれはスコールへと変わった。
『本日の花火大会は翌日に延期となりました。くりかえします。本日の花火大会は……』
「あーあ」と軒下から空を見上げて月がぼやく。「ほんと空気読めないよな、空」
「……だな」
近くにいたひとたちは大急ぎで駆けていった。駅のほうへ、もしくは屋根がある場所を探して。
俺たちも雨宿りできる場所を探して走りだし、シャッターが閉まっている個人商店の前に避難した。
それまであんなに蒸し暑かったのに、雨が降ったとたんに気温が下がった。俺も月もずぶ濡れだ。髪からぽたぽた滴が落ちてくる。
くしゅん、と俺はくしゃみをした。
「寒い? 陽太」
「いや平気。……あ、そだ、俺折りたたみ傘持ってる」
行くときに母親に強制的に持たされたやつだ。
荷物が増えるからいらないと言ったけれど、とりあえずバッグにつっこんでおいてよかった。
自転車は明日取りにもどればいいだろう。
俺はバッグの底から折りたたみ傘を取りだそうとして――
「あ、」
かしゃん、とそれも一緒にでてきてアスファルトに落ちた。
ラッピングされたイヤホンの箱が。
俺はあわてて拾おうとする。けれど月のほうがはやくて、雨に打たれて色が変わってまだらもようになったそれを拾って月は不思議そうにする。
「なに、これ」
「な、なんでもない!」
「……なんでもないものわざわざ花火大会に持ってくるわけなくない?」
月の顔を見ることができなかった。激しい雨で白く煙る街に視線を逃がし、「……ほんとになんでもない」と俺はつぶやく。
「だれに渡すつもりだったの」
「…………」
「陽太」
雨で濡れたシャツが肌にまとわりついてきて、それがやけにつめたい。
「女の子?」と聞かれて反射的に「ちがう」と俺は答えた。
「ひかる、に……」
月が箱を裏返す気配がした。そして「開けていい」と聞いてくる。
俺はなにも言えずに黙ってうなずく。
びっ、と包装紙を止めていたセロテープが剝がされる音がした。あっという間に中身があらわになって。
「……イヤホン?」
このまま渡さずにいようと思ったものが。月に、見つかってしまう。
俺は自分の左腕をにぎりしめた。
「……ごめん。見なかったことにして」
「は? なんで」
「だって……」
なんだか今日はうまくいかない。月が買ったばかりのイヤホンを贈ろうとしてしまったことも。雨で花火大会が中止になってしまったことも。
月の横にいるのが俺じゃなかったらうまくいったのかも――なんて、考えてしまう。
「……新しいの買ったばかりだろ。だからいいよ。それ、俺が持って帰るから」
「なんで」
「なんでって……いらないだろ?」
「いるよ。陽太が俺のためにえらんでくれたんだから」
月は箱からイヤホンを取りだすと首から下げているものと取りかえる。
耳にかけるタイプのシルバーのイヤホンは月によく似合った。
「どう?」と月は俺を見て聞いてくる。……どう、と聞かれたら似合うけれど。
「ってかこれなんのプレゼント?」
「……お礼。曲作ってもらうから」
「そんなのいいのに。ま、せっかくだからもらっとく。サンキュ」
「でも……月がえらんだやつのほうが、きっと音もいいし。高級だろうし。無理して使うこと――」
「無理なんかしてない」
ちょっとむっとしたように月は言う。
「俺が使いたいんだよ。陽太が、俺にくれたイヤホンを」
「けど、」
「さっきからなんで俺の気持ち勝手に決めんの? 好きなやつからプレゼントもらって嬉しくないわけないじゃん。しかも、俺のこと考えてえらんでくれたやつを」
「…………」
「――好きなんだよ。陽太が。わかってよ」
月の髪から雫が落ちた、そのとき。
なにかが、俺のなかで生まれる音がした。
なにかが、俺のなかで壊れる音がした。
きっとそれは、——
「——あ、」
月が俺の顔に手を伸ばす、それと同じタイミングで俺の手からスーパーボールが入った袋が落ちる。
落下した衝撃で袋の口が開いていくつかボールが飛びだしていく。雨のアスファルトを跳ねて、車道へと。
俺はそれらを追いかけようとして月に腕をつかまれた。
「陽太、」
「…………」
「俺、帰ったら曲作る。文化祭のための歌。陽太のための歌」
月の手はつめたかった。氷みたいに。
それでも、彼は俺を放さない。
「ほんとだったら一緒にいてほしいけど。いつもみたいに世話焼いてほしいけど。……でもそしたら、きっとそれは陽太じゃなくて俺のための曲になっちゃうから」
完成するまで会わないようにしよう。
俺の腕をきつくつかんだまま、月はそう言った。
俺の一番の親友で。
この日、親友じゃなくなった彼は。



