山登りのあとだけど、ここから海岸までは自転車で二十分くらいだ。
行こう、と俺は先に自転車を走らせる。月はなにも言わずについてきた。
すこしずつ太陽が傾いていくなかを俺は無心で自転車を走らせる。
小さい頃はよく家族ぐるみで優香と海に遊びにいった。行かなくなったのは――小学校高学年辺り。優香のほうから『今年はやめとく』と言ってきた。その年も、来年も。
俺にはその意味がわからなかった。わかったのは中学に上がって、彼女のことを異性として意識するようになってから。
いつもだ。いつも、俺は気づくのが遅い。
月のことだって――。
もっとはやく気づくべきだったのに。
やがて波音と潮風の匂いが近づいてくる。
松林を抜けた俺たちは堤防のそばに自転車を止める。さすがにちょっと足ががくがくしてきた。
「陽太、大丈夫?」と平気そうな月が聞いてくる。なんとか、と俺は息を整えながら答えた。
「堤防登れそ?」
「……なんとか。これくらいなら」
ふたりでコンクリートの堤防の上に登る。
まだ日が沈むにははやい。でも、青空に浮かぶ太陽はもう夕焼けの準備をしているみたいだった。
――日が沈む 心残して
――夜のかけらを 私 口にふくむ
月が作った曲の歌詞を思いだす。不思議な歌詞。でも、聞くひとが聞けば片想いを書いたってわかる歌詞。
俺がわからなかったのは。きっと、ちゃんと向きあってこなかったからだ。
月にも。俺のそばにいた、三人のヒロインたちにも。
ラブコメの主人公とか言って、けっきょく俺はだれかを選ぶのが怖かっただけだ。……優香にも似たようなことを言われていたのに。
俺たちは並んで堤防の上に座る。
波打ち際では柴犬と飼い主の女のひとが戯れていて、「柴ってなんであんなかわいいんだろうな」と月がつぶやいた。
俺はその様子を見るともなしに見ながら言う。
「ここ、中学のときに来たんだ。二回。優香と」
「ああ、そう。泳ぎに?」
「どっちもシーズン外。一度目は海岸で貝殻とかシーグラス拾って、二度目は堤防の上を歩いた」
二度目は中三のときだった。優香は言った。
『自分が幸せになることでだれかが不幸になるとしたら、やっぱりあきらめなくちゃダメなのかな?』と。
俺からその話を聞いた月は興味を引かれたようにこっちを見る。
「え、なに。戸成さんってば深いな」
「『どういうこと?』って俺は聞いたよ。『たとえばー……』って優香は言った」
店を何件もまわって、ほしい限定のコスメをようやく見つけた。なんとラス1。
でも私がそれを買ったらほかのひとが買えなくなっちゃうんだよね、と。
「そんなの気にせず買えばいいじゃん、って俺は言ったよ。そしたら『わかってるよ』って優香は言った。
『でも、もしそのひとが自分よりそのコスメが好きだったら? 自分より似合ったら?』
そう思ったら買えない。でもあきらめられないの、って」
「……ふうん」
月はすこし返事に迷ったあとでうなずく。「で?」と彼は海岸線に目をもどして尋ねてきた。
「陽太はなんて言ったの、それに」
「たとえそうでも譲ることないよ、って言った。先に見つけたのは優香なんだから。もし自分以上に好きなひとがいてそのひとのほうが似合ったとしても気にするなよって。自分の幸せだけ考えればいいだろって」
「……で、戸成さんは?」
「『優しいね、陽太は』――そのあとで俺に聞いてきた。『じゃあ陽太もそうするの?』って」
「…………」
「俺は答えられなかった。……だって。最後の一個とか、俺、譲っちゃうタイプだし」
「たしかに」
「俺が黙ってたら優香は言った。『陽太は優しいけど、ぜんぜん優しくないよね』って」
月もさっき似たようなことを言った。俺の優しさは優しさじゃないって。
「ずっとその意味考えてたけど――」
やっとわかった。俺の優しさは逃げてるだけ。
だれかを傷つけることから逃げて、そのせいでもっと周りを傷つけることになっているって。
「……だから。これからは、もう逃げない」
俺は月を見る。彼はすこし驚いたように俺を見返してきた。
「三人のうち、だれが好きなのか文化祭までにちゃんと結論をだす。もしそれが月とぶつかっても譲らない。全力で勝負する」
「陽太……」
「月も手抜くなよ。絶対」
月は完璧な『ラブコメの主人公の親友』だった。でも、それももうここで終わりだ。
これからはライバルとしてヒロインをかけて勝負、
「……盛りあがってるところ悪いけどさ、陽太」
しよう、と思っていたとき。月が気が抜けたように笑って言った。
「俺が好きな子……三人のうちにいないんだけど?」
+++
「……うぇっ?」
俺の隣で陽太はへんてこな声を上げた。かっこつけていた顔が一気に崩れる。
「いないって、え、うそだろ!?」と彼は俺の腕をつかんできた。
ほんとだよ、と俺は笑う。
「俺が好きなのはべつの子。世話焼きで、お人好しで、ちょっと優柔不断で、鈍感な子だよ」
「中学のときの同級生? だよな?」
「正確には中学のときから、だよ」
「あ、じゃあ一緒の高校なんだ。……え? だれ……?」
俺から手を離すと陽太は本気で悩みはじめる。
彼が思いうかべるなかに俺はいないだろう。当然だ。男なんだから。
――でも、
すこしだけ知ってほしくて。陽太の視界に俺も入れてほしくて。
俺は、左手の小指を陽太の手にあてる。
ふれるかふれないかくらいの距離で。そっと。
「鈴木さん……? いや、お人好しって感じじゃないか。中野さん? もべつに鈍感じゃないし……」
こんなの気づくわけない。
「あとほかに……あ、田村さんも中学一緒だったよな。あとは……」
気がつくわけない、のに。
「それと――」
と、悩みながら名前をあげていた陽太がふと違和感を持ったようにフリーズする。そして不思議そうに俺を見てきた。
「どした? 月」と。
「……え。なに、どしたって」
「いや、さっきから指あたってるから」
「ああごめん。なんでもない」
感情を殺そうとして奇妙に平坦になった声で俺は答え、陽太がいないどこかを見る。
――なんで気づくんだよ。こんなことばっかり。
「な、ヒント。もうちょっとヒント!」と陽太は俺の顔を覗きこんできた。
その顔は俺たちが出会った頃となにも変わらない。明るくて。ころころ表情が変わって。いつまでも俺の隣で笑っていてくれると信じてしまうような、無邪気な顔で、
――いてくれるって、信じてたんだ。
「ひかる……?」
限界だった。
俺は陽太の肩を押して自分から遠ざけた。彼が驚くくらい強い力で。
「え、どした? 気分でも、」
「……いい加減にしろよ」
「え――」
「なんで好きなやつにそんなことばっか聞かれなくちゃいけないんだよ! バカ陽太!」
彼はぽかんとする。「は……?」
俺は陽太から顔をそむけた。悔しい。こんなタイミングで言うつもりなんて――ちがう。一生打ちあけるつもりなんてなかったのに。
「月、いまなんて」
「……聞こえただろ。俺が好きなの、おまえだよ」
陽太は目をぱちぱちさせた。
冗談だと思っただろう。でも俺の様子からそうじゃないとわかったらしく、「なんで……?」と聞いてきた。
「月ってすごいモテるじゃん。なのになんで俺……?」
「は? 知るかよ。こっちが聞きたいよ。なんで男なのにおまえ好きにならなくちゃいけないんだよ。気のせいだって何度も思おうとして、やっぱりこんなの変だからって何度も女の子好きになろうとしたのに。陽太のことが頭から離れなくて」
「…………」
「なんでかなんて知るかよ。……俺にはずっと、陽太だけなんだよ」
いつの間にか太陽が赤く染まりはじめていた。世界の終わりを告げるような夕陽が海に溶けていく。
飼い主と柴犬も海岸線からいなくなっていて、波の音だけが俺の告白を聞いていた。
「ばかみてぇ……」
かわいい女の子たちと青春してる親友を好きになるとか。ほんと、ばかみてぇ。
「――月!」
「先帰る」
俺は立ちあがった。陽太が呼びとめてくるけど振りかえらずに階段を駆けおりる。
バカ陽太。なんで、あのなかのだれかとつきあってくれなかったの?
なんでさっさと俺の手の届かないところにいってくれなかったの?
むかつく。ちがう、悔しい。……ちがう。あてはまる感情が見つからない。
夕風のなかを自転車を漕いですすみながら、俺は陽太が戸成さんとしたという会話を思いだしていた。
――もし自分以上に好きなひとがいても気にするな
――自分の幸せだけ考えればいい
「……これってほんとなの?……なあ、陽太……」



