魔女の眠る場所 -レクイリスの弔い人-

 途端に胸の奥がざわつき始める。知らない土地。初めて向き合う魔女の未練、それなのに、頼れるイオはどこにもいない。

 忘れかけていた、心細さが一気に押し寄せてくる。《レクイリス》に来てからイオや他の第二課の人と一緒だったから、一人になることはなかった。ヒマリはどうしようもない感情が込み上げ、目尻に浮かぶ涙をこぼさないように必死に耐える。

(役に立つと、決めたんだ。イオの後ろを歩くだけじゃなくて、自分でちゃんと歩けるように)

 ぐいっとローブの端で涙を拭うと、ヒマリはこの異変から抜け出す方法を探し始めた。

 とりあえず、他に何か異変がないか街の中を進む。そこは静寂が支配しており、一見変わったことなどないように見えるが、その静けさこそ異変そのものなのではないかとヒマリは考えた。

(人の気配が、まるでしない。身を潜めているとかじゃなくて、そもそも存在していないみたい)

 辺りを見渡し、家の様子を確認するが、相変わらずカーテンが引かれており中の様子は見ることができない。だが、その向こうには先ほどは感じられた人の気配が少しも感じられなかった。


 不意に、視界にあの花びらが映る。

 黒い花びらが一枚、また一枚とヒマリを誘うようにそばを通り過ぎていく。ヒマリは街の違和感を頭に記憶しながら、その花びらが飛んでくる方へと足を進めた。


『今日もまた雪かぁ』


 少し歩いたところで、子供特有の高い声が脳内に直接響く。人の気配はしないのに、一体どこからこの声は聞こえてくるのか。突然のことにヒマリは足を止め、周囲を見渡す。すると、自分の歩いてきた方に、赤いマフラーと茶褐色のコートに身を包んだ少年が空を見上げて立っていた。

 あなたは、誰? ——そう、尋ねようとしたが、少年は黒い花びらの向こうで空気に溶けるように消えてしまった。一瞬のことに、ヒマリは幻覚を見ているのかと、自分の目を疑った。

(消えた……。あの子供は幻覚だったのかな?)

 けれど、少年が立っていた場所だけ、雪がわずかに沈んでいる。少年は確かにそこにいた。


『魔女様は、春って知ってる?』


 背後から同じ少年の声がして、驚き振り返る。視線の先には先ほどの少年が、見えない誰かのことを見上げていた。

『僕は知らないんだ。生まれてからずっと、この街にいるからね。でも、春ってすごく素敵な響きだと思わない?』

 静止した動画を見ているように、その少年の姿は少しも動かない。それなのに、声だけは雄弁に聞こえてくる。


『僕の夢は、魔女様に春を見せてあげること! それで一緒に、たくさんの花が咲いている場所で、横になって春の暖かさを楽しむんだ!』


 少年はヒマリに背を向けているため、表情まではわからない。だけど、嬉しそうな声色から、少年がその夢に心躍らせているのが伝わった。

 けれど、その願いが叶うことはきっとない。一年中冬に閉ざされたこの土地に、春が訪れることはないだろう。

 少年だけならこの街を出て春を探しにいくこともできた。だけど、冬の魔女にはそれができない。


 冬の魔女も、きっとそのことを理解していた。


 魔女の力は巨大な可能性を秘めている。それは同じ魔女であるヒマリが一番よくわかっている。

 同時に、巨大な力を使うことは、その身に呪いを受けることでもあった。


 街のために豊穣の祈りを捧げる彼女は、その祈りによって呪いという枷を嵌められていた——街から離れることのできない、枷が。


 だから彼女は、春を探しにいくことすらできなかった。


 少年がそれを理解していたのかはわからないし、希望に満ちた言葉を聞いた冬の魔女がどう感じたのかは今となっては知る術はない。

(だけど、この幻影は私に何かを伝えようとしている。この先に進めば、冬の魔女の未練を知ることができるのかな?)

 ヒマリが子供に近づくと、先ほどと同じように雪の中へ溶けるように姿が消えてしまう。それ以上の手がかりは結局見つけることができず、ヒマリは再び空を舞う黒い花弁に目を向ける。