冬の魔女――それは、一年を通して雪が降り続ける土地に生まれた魔女のことを指している。その魔女は生まれた時から雪で閉ざされた世界しか知らず、痩せほそった土地で、人々のために豊穣の祈りを捧げ続けたと言われている。
その冬の魔女の名前は春野ユズキといった。
調査資料を読みながら、ヒマリとイオは転移魔法の準備が整うのを待っていた。
転移魔法というのは文字通り、長距離を移動するための手段の一つで、数人の魔女の力を使い目的の場所まで物質を転送する魔法のことだ。準備や必要な力の膨大さから、特別な時——魔女が眠り、世界に厄災が降りかかる時を除き転移魔法は使用されないのが常だった。
ヒマリは手の中にある資料を順番に流し読みをする。ヒマリは第二課に所属しているが、いつも事務仕事ばかりで実際に魔女の厄災を対応したことはない。それがイオと第二課の人たちの気遣いであることはわかっていたが、ヒマリとしては他の人と同じように扱ってもらえないことが不満だった。
だから、今回、ハルキがこの仕事を持ってきた時、ヒマリは少しでも役に立とうと心に決めたのだ。
「大丈夫? 緊張してない?」
隣に立っているイオが心配そうにヒマリのことを覗き込んでくる。この世界では珍しい、漆黒の短い髪に、薄褐色の温かい瞳。その瞳に見つめられると、心がざわつくような気がしてヒマリは苦手だった。
ヒマリはわざと視線を逸らして、こくりと小さく頷く。
「ヒマリは弔い人の仕事は今回が初めてだったね。俺がなるべくサポートするから、ヒマリは見て、感じたままのことを伝えて欲しい」
イオの言葉にヒマリは少しだけ口角を下げる。
(私だって、立派に仕事できる。なのにイオはいつも私を小さい子供のように扱う……)
心の中で不満を漏らすが、それを表に見せることはない。鈍感なイオは不思議そうに首を傾けているだけだ。
弔い人とは、魔女が眠った後の厄災に対応する人たちのことを言う。名前の通り、魔女の魂を弔い、その未練を解消し、厄災から土地を守るのが役目だった。
「魔女が遺す未練が強いほど、異変は深刻になって、巨大な力を持っていた魔女ほどその影響は広範囲に及ぶ。そして、魔女の未練は同じ魔女にしか解き明かすことができない」
「その通りだ。だからこそ、俺らが行く必要がある」
ヒマリがこれまでに学んできた知識をスラスラと並べると、イオが満足そうに微笑む。その笑顔が、まるで子供を誉めているように見えて少しだけ面白くない。これくらいのこと、この《レクイリス》にいれば誰だって知っていることなのに。
ヒマリが述べたように、魔女の未練は誰にでも解決できる問題ではない。魔女の未練を取り払えるのは同じ魔女だけ。だから、弔い人は魔女と人間のペアで組むのが通例だ。
そして、今回、冬の魔女の未練は人の生活に直接的に影響があるという報告のもと、早急な解決が望ましいと判断され、イオたちに話が回ってきたのだ。
「私なんかで、冬の魔女の未練を見つけることができるのかな」
知識はある。だけど実務経験はない。
本当に自分にできるのか、考えれば考えるほど、胸の奥に小さな不安が積もっていった。
「できるよ。ヒマリは優しくて、人の気持ちに寄り添うことができる子だから」
イオは迷いなく言い切った。その言葉を聞くと、胸に積もっていた不安が少しだけ軽くなる。彼がヒマリのことを信じるのなら、ヒマリも自分のことを信じることができた。
「さぁ、行こうか。準備が整ったみたいだ」
イオの視線の先では数人の魔女が魔法陣を取り囲むように立っている。ヒマリたちは魔女たちに見守られながら魔法陣の中心に立つ。
「冬の魔女はとても優しいお方でした」
一人の魔女が小さく呟きながら頭を下げる。どうやら彼女は冬の魔女と知り合いのようだった。
「どうか、優しい彼女が安らかに眠れるように。よろしくお願いします」
「もちろんだよ、フィーニー。それが俺たちの仕事だからね」
フィーニーと呼ばれた魔女はイオの言葉にさらに深くお辞儀をする。フードを深く被っているからちゃんと顔が見えたわけではなかったが、フィーニーは少しだけ安心したような様子だった。
「それでは、これから転移魔法の展開を始めます」
ヒマリの後ろに立っていた魔女が高らかに宣言した。その声に合わせて他の魔女も腕を伸ばし杖を構える。
「軌道照合――座標ロック完了。転移因子、展開。ゲート解放」
後ろの魔女の詠唱に合わせるように魔法陣が淡い金色の光を放ち、部屋を包み込む。光を帯びた魔法陣は浮かび上がり、ヒマリたちの体をスキャンするように通過すると、二人の頭上でぴたりと止まった。
大きな魔法陣に付随して小さな魔法陣が展開される。おそらくそれが細かい座標を決めているのだろう。
「星の導きを受けし者よ、彼の地へ至れ――《ゲート・アーク》」
続いて聞こえた詠唱に呼応するように魔法陣の光が一層強くなり、二人の姿を覆う。
視界が光りで真っ白に塗りつぶされた瞬間、ヒマリは体がぐんっと引っ張られるような気持ち悪い感覚を味わう。これが、転移魔法の独特な感覚か、と思い目を強く瞑って耐えていると「もう目を開けてもいいよ」とイオの優しい声が聞こえてきた。
ヒマリが恐る恐る目を開けると、そこは教会の中だった。
ふわりと宙に浮いていた足が地面についた時、ヒマリは微かな花の香りを感じた気がした。どこから、と思い顔を上げて、ヒマリは大きく息を呑む。振り返った先には大きなステンドグラスがあった。ステンドグラスには祈りを捧げる女性の姿が形取られており、ガラスを通過した光が静寂の広がる聖堂を染め上げている。赤や青、金のカケラが生み出す光が床に降り注ぐ様子は、まるで天の祝福のようにさえ見えた。
初めてみる幻想的な景色に、ヒマリは目を奪われる。
「ここが、冬の魔女が眠った場所――二ヴェルハイムだよ」
イオがヒマリの手を取って教会の外へ向かう。
触れたところが妙に気になったけれど、ヒマリは何も言わずについていく。
外の世界は、あたり一面、雪の花弁が舞い落ち、無垢な光の絨毯を作っていた。
頬を突き刺すような冬の寒さに混じるように春の花の香りが、教会の中にいた時よりも強くなる。同時に、黒い花びらが雪に混じってヒマリの足元に落ちてくる。その色は、この白銀の世界には似つかわしくなかった。
ヒマリは冷たく閉ざされた場所を見て、ほうっと吐息を漏らす。
この美しい世界で、冬の魔女は何を想って眠ったのかと、考えながら。
その冬の魔女の名前は春野ユズキといった。
調査資料を読みながら、ヒマリとイオは転移魔法の準備が整うのを待っていた。
転移魔法というのは文字通り、長距離を移動するための手段の一つで、数人の魔女の力を使い目的の場所まで物質を転送する魔法のことだ。準備や必要な力の膨大さから、特別な時——魔女が眠り、世界に厄災が降りかかる時を除き転移魔法は使用されないのが常だった。
ヒマリは手の中にある資料を順番に流し読みをする。ヒマリは第二課に所属しているが、いつも事務仕事ばかりで実際に魔女の厄災を対応したことはない。それがイオと第二課の人たちの気遣いであることはわかっていたが、ヒマリとしては他の人と同じように扱ってもらえないことが不満だった。
だから、今回、ハルキがこの仕事を持ってきた時、ヒマリは少しでも役に立とうと心に決めたのだ。
「大丈夫? 緊張してない?」
隣に立っているイオが心配そうにヒマリのことを覗き込んでくる。この世界では珍しい、漆黒の短い髪に、薄褐色の温かい瞳。その瞳に見つめられると、心がざわつくような気がしてヒマリは苦手だった。
ヒマリはわざと視線を逸らして、こくりと小さく頷く。
「ヒマリは弔い人の仕事は今回が初めてだったね。俺がなるべくサポートするから、ヒマリは見て、感じたままのことを伝えて欲しい」
イオの言葉にヒマリは少しだけ口角を下げる。
(私だって、立派に仕事できる。なのにイオはいつも私を小さい子供のように扱う……)
心の中で不満を漏らすが、それを表に見せることはない。鈍感なイオは不思議そうに首を傾けているだけだ。
弔い人とは、魔女が眠った後の厄災に対応する人たちのことを言う。名前の通り、魔女の魂を弔い、その未練を解消し、厄災から土地を守るのが役目だった。
「魔女が遺す未練が強いほど、異変は深刻になって、巨大な力を持っていた魔女ほどその影響は広範囲に及ぶ。そして、魔女の未練は同じ魔女にしか解き明かすことができない」
「その通りだ。だからこそ、俺らが行く必要がある」
ヒマリがこれまでに学んできた知識をスラスラと並べると、イオが満足そうに微笑む。その笑顔が、まるで子供を誉めているように見えて少しだけ面白くない。これくらいのこと、この《レクイリス》にいれば誰だって知っていることなのに。
ヒマリが述べたように、魔女の未練は誰にでも解決できる問題ではない。魔女の未練を取り払えるのは同じ魔女だけ。だから、弔い人は魔女と人間のペアで組むのが通例だ。
そして、今回、冬の魔女の未練は人の生活に直接的に影響があるという報告のもと、早急な解決が望ましいと判断され、イオたちに話が回ってきたのだ。
「私なんかで、冬の魔女の未練を見つけることができるのかな」
知識はある。だけど実務経験はない。
本当に自分にできるのか、考えれば考えるほど、胸の奥に小さな不安が積もっていった。
「できるよ。ヒマリは優しくて、人の気持ちに寄り添うことができる子だから」
イオは迷いなく言い切った。その言葉を聞くと、胸に積もっていた不安が少しだけ軽くなる。彼がヒマリのことを信じるのなら、ヒマリも自分のことを信じることができた。
「さぁ、行こうか。準備が整ったみたいだ」
イオの視線の先では数人の魔女が魔法陣を取り囲むように立っている。ヒマリたちは魔女たちに見守られながら魔法陣の中心に立つ。
「冬の魔女はとても優しいお方でした」
一人の魔女が小さく呟きながら頭を下げる。どうやら彼女は冬の魔女と知り合いのようだった。
「どうか、優しい彼女が安らかに眠れるように。よろしくお願いします」
「もちろんだよ、フィーニー。それが俺たちの仕事だからね」
フィーニーと呼ばれた魔女はイオの言葉にさらに深くお辞儀をする。フードを深く被っているからちゃんと顔が見えたわけではなかったが、フィーニーは少しだけ安心したような様子だった。
「それでは、これから転移魔法の展開を始めます」
ヒマリの後ろに立っていた魔女が高らかに宣言した。その声に合わせて他の魔女も腕を伸ばし杖を構える。
「軌道照合――座標ロック完了。転移因子、展開。ゲート解放」
後ろの魔女の詠唱に合わせるように魔法陣が淡い金色の光を放ち、部屋を包み込む。光を帯びた魔法陣は浮かび上がり、ヒマリたちの体をスキャンするように通過すると、二人の頭上でぴたりと止まった。
大きな魔法陣に付随して小さな魔法陣が展開される。おそらくそれが細かい座標を決めているのだろう。
「星の導きを受けし者よ、彼の地へ至れ――《ゲート・アーク》」
続いて聞こえた詠唱に呼応するように魔法陣の光が一層強くなり、二人の姿を覆う。
視界が光りで真っ白に塗りつぶされた瞬間、ヒマリは体がぐんっと引っ張られるような気持ち悪い感覚を味わう。これが、転移魔法の独特な感覚か、と思い目を強く瞑って耐えていると「もう目を開けてもいいよ」とイオの優しい声が聞こえてきた。
ヒマリが恐る恐る目を開けると、そこは教会の中だった。
ふわりと宙に浮いていた足が地面についた時、ヒマリは微かな花の香りを感じた気がした。どこから、と思い顔を上げて、ヒマリは大きく息を呑む。振り返った先には大きなステンドグラスがあった。ステンドグラスには祈りを捧げる女性の姿が形取られており、ガラスを通過した光が静寂の広がる聖堂を染め上げている。赤や青、金のカケラが生み出す光が床に降り注ぐ様子は、まるで天の祝福のようにさえ見えた。
初めてみる幻想的な景色に、ヒマリは目を奪われる。
「ここが、冬の魔女が眠った場所――二ヴェルハイムだよ」
イオがヒマリの手を取って教会の外へ向かう。
触れたところが妙に気になったけれど、ヒマリは何も言わずについていく。
外の世界は、あたり一面、雪の花弁が舞い落ち、無垢な光の絨毯を作っていた。
頬を突き刺すような冬の寒さに混じるように春の花の香りが、教会の中にいた時よりも強くなる。同時に、黒い花びらが雪に混じってヒマリの足元に落ちてくる。その色は、この白銀の世界には似つかわしくなかった。
ヒマリは冷たく閉ざされた場所を見て、ほうっと吐息を漏らす。
この美しい世界で、冬の魔女は何を想って眠ったのかと、考えながら。



