この世界には魔女がいる。
魔女は数百年前に突如生まれ、超人的な力を持つ存在として、多くの人に恐れられてきた。しかし、近年では魔女と人々の和解が進み、魔女はその力を人のために使い、人は魔女に居場所を提供する関係になっていた。
全ての国で、友好的な関係が築けているわけではないため、問題は残り続けているが、仮初でも平穏は保たれていた――原初の魔女が死ぬまでは。
その魔女はこの世界で初めて魔女としての力を覚醒させ、激動の人生を送った。魔女が忌み嫌われる時代から、人と肩を並べて歩める今に至るまでを生き、その魔女は人間の愚かさも愛おしさも全て知っていた。
醜い人間の欲望に晒され、嫌に思う気持ちもきっとあっただろう。だが、その魔女は微笑をたたえ、多くの人々に送り出される形で最後を迎える――そして、その町は永遠の闇に呑まれてしまった。
町に残された人たちがどうなったのか、闇に呑まれて随分と経つが、いまだにわかっていない。わかっているのは、その不可解な現象は原初の魔女の未練から起きたということだけだった。
原初の魔女に微笑まれたその町は、魔女とともに闇に沈み、多くの人の心に魔女の恐怖を刻むことになる。
そこから、世界は魔女の未練による厄災を恐れ、魔女を管理する流れに移行し始めることになる。そうしてできたのが、魔女統括管理局――通称《レクイリス》だ。
*
その塔があるのはソルヴェリオ大陸の小さな孤島だ。
高く聳え立つその塔の先頭は雲海に隠れ、全貌は下からでは確認できず、また、中で働いている人たちも把握できていないほどだった。空にまで届くその塔は、外界から切り離された聖域のようでもあり、監獄のようでもあった。塔は魔女統括管理局、通称《レクイリス》と呼ばれ、ある時を境に世界中の魔女を管理するために作られたものだ。
魔女が生まれるとその自治体は《レクイリス》に報告する義務がある。そして、《レクイリス》は魔女が住む町に定期的に視察に訪れ、魔女の一生を管理するのだ。この制度ができた当初は、一部の魔女から反発も起きていたが、今ではそれもなりを顰め、随分と落ち着いていた。それは、人も魔女もお互いがいる生活に慣れた証拠でもあった。
そして、庵野イオは《レクイリス》に勤める人間の一人だ。
「イオ、久しぶりだな」
入り組んで作られた階段の上から渋い声が聞こえてきてイオは顔をあげる。そこにはイオの先輩に当たる東阪ハルキが片手をひらひらと揺らしながら立っていた。
「ハルキ先輩、お久しぶりです。先輩が階下に来るなんて珍しいですね」
ハルキはこの塔の中層部に位置する、魔女の戸籍を管理する仕事をしていたはずだ。基本的にこの塔で仕事する人たちは、自身の持ち場からあまり出てこない。他部署の仕事を蔑ろにする――というわけではなく、純粋に忙しくて外に出る余裕がないのだ。現に、ハルキを以前見たのは数ヶ月前のことだった。
「お前のところに急用ができてな。あの魔女っ子は元気にしてるか?」
「ヒマリは……まぁ、変わらずってところですね」
苦笑いを浮かべるとハルキは仕方なさそうに肩を竦める。
「まだ、あのお嬢さんは心を閉ざしたままなんだな」
ハルキの言葉に今度はイオが肩を竦める番だった。ハルキにはイオが面倒を見ている魔女のことを相談したことがあり、それからは、ハルキも気にかけてくれていて正直助かっていた。一人であの魔女を管理するのは骨が折れるのだ。
ハルキは軽い足取りでイオのいるところまで降りてくると、並んで歩き出した。
「それで、俺のところに用事ってなんですか?」
「お前のところに用事って言ったら、一つしかないだろ――また、魔女が眠ったんだよ」
その言葉にイオの足取りは途端に重たくなる。
魔女が眠る――つまり、魔女が死んだことを意味した。
イオは魔女統括管理局の第二課に勤めている。第二課はフロア五階分を使って展開される、大きな部署の一つで、主な仕事は魔女が眠った後の後始末を請け負っている。
魔女が眠ると、魔女がいた土地には何かしらの異変が起きる。
小さな異変から町や国を巻き込む厄災まで、その程度は魔女の未練の大きさで決まっていた。どれだけ大往生して眠った魔女でも、未練を残し、世界に影響を及すため、魔女が眠るとその後始末をする第二課は必然と忙しくなる。
第二課は魔女の未練を特定して、解消することができる唯一の部署だ。
「今度はどこの魔女が眠ったんですか?」
しばらく残業確定だな、と頭の片隅で思いながらイオは脳を仕事へと切り替える。イオの長所の一つは、気持ちの切り替えがすぐにできることだろう。
ハルキは無精髭を手でなぞりながら、少しだけ顔を顰める。
「……冬の魔女だよ」
その口から出た名前にイオは少しだけ目を見開く。それは、一年を冬で閉じ込められた土地で生涯を過ごした魔女の通り名だった。



