当て馬の矜持 ー嘘吐きな僕らの協奏曲《コンチェルト》ー

 なにをいえばいいかわからなくて、歩き出す。
 ふと、ピアノの音が聞こえてきた。

 ベートーヴェンのピアノソナタ、悲愴。第二楽章。

 こもれびのような、心もあたたかくなってくる優しい音色だ。

「ベートーヴェン、だれが弾いてるのかな……きれいなおと」

 あたしがつぶやくと、葉月さんは立ち止まって窓の外、音楽室の方を向く。
 
「これ、弾いてるの響司くんだ」

「どうして、わかるの?」

「わかるよ。いつもお父さんのレッスンで練習してるし。コンクールの課題曲なの」

「そうなんだ。キョウジらしい音」

「…………そうだね。優しくて、あたたかくて、おだやかで、繊細」

 葉月さんは窓の方を見たまま、聞いてくる。

「日曜は当馬くんって呼んでいたのに、ほんの数日でずいぶん仲良くなったんだね。ふたりでお弁当食べてるみたいだし」

「恋人に、なったから。おかずこうかんして、たまご焼きおいしいっていったら、今日あたし用にべつのうつわにいれて、持ってきてくれた。キョウジのmama(ママ)も、やさしいひとね」

 うその恋人になってから、あたしとキョウジは昼休みと放課後を一緒にすごしている。

 葉月さんとサワの仲を邪魔をしないように、本当の気持ちに、勘づかれてしまわないように。

 でも、恋人の演技ぬきに、キョウジはやさしい。
 あたしの言葉を笑わない。

 あたしが日本語でなんて言えばいいか考えるのに時間がかかっても、じっと答えを待ってくれる。
 ゆっくり、となりをあるいてくれる、あたたかい人だ。