当て馬の矜持 ー嘘吐きな僕らの協奏曲《コンチェルト》ー

「キョウジ。お手!」

「犬かな」

 春先にみんなの前で、「キョウジは子犬ちゃんみたいに甘えてくるのよ!」と大嘘つかれたことを思い出す。

 あのあとしばらくアダ名が子犬ちゃんだったんだよなぁ。

 言われるままに右手を差し出すと、華音が自分の左手を重ねてきた。

「うん。キョウジの手、おっきいね」

 そう言って、ふわりと微笑む。

 触れ合う手のひらがあたたかくて、落ち着かない。

 顔が熱い。

 心臓の音が嫌に大きく聞こえる。

 華音って爪先も手入れしてるんだなとか、肌白くてきれいだなとか、よけいなことを考えてしまう。

die(ディ) oma(オマ)が言ってたよ。手が大きくてやわらかいと、ピアノ向きなんだって」

「……む、向いてるなら、嬉しいな」

 思わず声がうわずってしまう。

 僕がこんなにも気にしてしまっているのに、華音は無邪気に笑っている。

「ベートーヴェン、いいよね。キョウジが弾く悲愴、すごくよかった」

 華音が静かに言う。

「うん。僕もベートーヴェンの作る曲、好きだよ」
die(ディ) oma(オマ)がね、寝る前によく歌ってくれたよ。ベートーヴェンの“Ich(イッチ) liebe(リーベ) dich(ディッチ)”っていう曲。知ってる?」



 ベートーヴェンの書いた歌曲。

 日本語訳だと優しき愛。

 人を大切に思う気持ちがそのまま音になったような、あたたかくて優しい曲だ。

 華音は鼻歌でその旋律をなぞり、懐かしそうに目を細める。

「小一のとき大地先生に習ったよ。僕もこの曲好きだよ。すごくぜいたくだね、プロの歌手がうたってくれる子守唄」

「ふふふ。あたしも歌える。キョウジがお昼寝するときは、あたし頭ポンポンして歌ってあげるよ」

 華音なら、冗談でなく本気でやりかねない。

 次はどんなアダ名が増えるのか、想像しないほうがよさそうだ。