推しが恋人になるなんてお断りです!

 遥は気がつけば仁のそばにいた。

 授業後の休憩時間、トイレに行く時、教室を移動する時。

 いつも一緒に行動する海斗が疲れた表情で「あいつが来るなら俺は一人で行くわ」と言って、勝手にどこかへと行ってしまうほど遥は仁のそばから離れなかった。周囲の生徒たちも、学校で一、二を争うほど人気な遥が名前も知らないただのモブである仁に付き纏っているのを見て目を見開いていた。

 仁は周囲の生徒の反応や視線に居心地の悪さを覚えながら、内心は推しと一緒の時間を過ごすことへの緊張でどうにかなりそうだった。

 どうしてこうなったんだ、と振り返れば、当然あの日の校舎裏での出来事が思い浮かぶ。この際、ファーストキスが奪われたことは横に置いておくとして、なんで自分なんかと遥は付き合いたいなんて言ったんだろうか。普段から接点があるのならまだしも、仁たちの間に関係性を変えるような関わりはなかったはずだ。

「難しいこと考えてるの? 眉間に皺、寄ってるよ」

 唸りながら考え込んでいると、遥が眉間の皺を伸ばすように指で押してくる。仁がハッとして目を開けば、いつものように目の前には推しのご尊顔が……。


「……っ!?」

「あ、やっとこっち見た」


 一人で廊下を歩いていたはずなのに、いつの間にか遥がそばにいた。しかも頬をうっすらと赤くして、嬉しそうに微笑んでいるサービス付き。扇情的な表情に、仁の方がどうにかなりそうだった。仁は心の中で合掌をしながら、「な、何?」と一応礼儀として尋ねる。遥と話す時、いつも言葉に詰まってしまうのはご愛嬌ってことにして見逃してほしい。推しと冷静に話せる人がいるのなら、是非とも目の前に連れてきてくれ。そんな人がいるのなら、ご教授願いたいから。

「また考え事。僕がそばにいるのに、仁は余裕だね」
「は……?」

 身を屈め、視線を合わせるように顔を覗き込んでくる。美しい顔が優しく仁のことを見守っていた。

 仁は、光に当たると薄茶色の瞳は飴色のように透き通るのだな、と場違いな感想を抱く。

「何を考えてるの? 僕のことだと嬉しいんだけどなぁ」

「……あ……うっ、お、お前の、ことだよ…………」

 いつだって仁の頭の中は推しである遥のことでいっぱいだ。家に帰っても遥のことを考えているから、お陰様で勉強はほとんどできない。

 仁が素直に伝えれば遥は一瞬目を丸くして、すぐに柔らかく相好を崩す。ただそれだけで、その笑顔は容赦なく仁の心臓を撃ち抜いた。

「嬉しいなぁ。ね、どんなことを考えてたの?」
「な、なんで教えないといけないんだよ」
「だって、知りたいじゃん。好きな人が僕のことどう思ってるのか、って」


 好きな人——。好きな人って誰だ?


 そう考えて視線を遥に戻せば、あえて言葉にしてもらわなくても、その瞳が何よりも雄弁に遥の気持ちを語っていた。


 ——仁が大好きでしょうがない、って。


 そのことに気がついた瞬間、仁は顔を真っ赤にさせる。何かを言わなければ不自然に思われてしまうとわかっていても、わなわなと震える唇の隙間から漏れるのは吐息だけだった。

「……っな、なんで…………」

 なんとか絞り出した声は情けなく震えている。推しからの供給が多すぎて、脳のキャパシティはとっくに限界を迎えていた。

「なんでって……そうだね。仁の瞳がいつもキラキラと光っているからかな」
「……な、んだよ、それ。意味わかんない」
「あはは、またいつか教えてあげるよ」

 推しとしての遥はかっこよくて、キラキラしてて、好みや思考の癖など大体のことはわかる。なのに、二階堂遥のことになると途端に何もわからなくなった。ただの遥がどうして仁に構うのか。どうしてそんなに幸せそうに笑いかけてくれるのか。


 ——だって、推しとしての遥は絶対にそんな表情見せなかったじゃん。


 仁の知らない遥がいるのが悔しかった。高校に入学してから、ほとんどずっと彼のことを追いかけてきたのに、気がつけば遠い存在なんかじゃなくて、いつでも触れ合える距離にいるのがずるい。なんだその距離の詰め方。どうせいろんな人たちに同じことをやってるんだ。

 なぜか無性にイライラしてきて仁は上機嫌な遥を置いてさっさと先へ進む。後ろから名前を呼ばれたが知ったことじゃない。いつもなら名前を呼ばれただけで天にも昇るような気持ちになれるのに、この時の仁はとてもじゃないがそんな気分ではなかった。

 遥のことを置いてさっさと進んでいく仁の背中を、遥は手のかかる子供を見るかのように慈愛に満ちた瞳で見つめる。


「そうやって自分の感情に真っ直ぐなところが、いいんだけどなぁ」


 遥が吐露した感情を、受け取ってほしい彼はすでに廊下の向こうへと姿を消していた。