二階堂遥は入学したその日から生徒たちの噂の的だった。
柔らかな栗色の髪が、陽の光を受けてふわりと揺れる。穏やかな光を宿した薄茶色の瞳。スッと通った鼻筋や形のいい唇はきれいに整っているのに、不思議と近寄りがたさは感じない。むしろ、その柔和な眼差しと優しげな雰囲気に多くの人が自然と近寄っていく。気取ったところは少しもなく、人懐っこさも持ち合わせていた。
「はぁ、今日も推しがかっこいい」
そんな遥と同じクラスになれて本当に良かったと仁は毎時間幸せを噛み締めていた。他の生徒と楽しそうに話している遥のことを教室の反対から観察していると、後ろの席に座る平山海斗が呆れたように「またやってる」と呟く。
「そんなに毎日毎日、あいつのこと見てて飽きないの?」
「飽きる? 飽きるなんて概念俺にはない。第一、推しと同じ空気を吸って同じ空間にいて、その様子をこんなに近くで見守ることができるのに、どうして飽きる暇があると思ってるの?」
「え、普通に怖い。ていうか、これ、俺がおかしいの? 違うくない?」
仁から返ってきた言葉に海斗は不服そうに眉を顰める。
「ていうか、なんでそんなにあいつのこと好きなんだよ」
「違う! 好きとかそんなんじゃない! 第一、好きと推しを愛でる気持ちを同列で語らないで。俺は好きなんて俗物的な想いで推しを見てるわけじゃないんだから! もっと、こう、神様を讃えるような高尚な気持ちで……」
「でも、ツーショは消してないんだろ?」
「……うぐっ」
痛いところを的確に突かれてしまい仁は言葉に詰まる。海斗の言う通り、仁は先日撮ってしまった遥とのツーショット写真をそのまま残していた。最初は自分の姿だけ加工して消そうと考えていたが、なぜかもったいなく感じてしまい、推しの特大ファンサだからと言い訳して今でも二人の姿がばっちり一枚の画像に残っている。そして、密かにスマートフォンのホーム画面に設定して、毎日のように眺めては推しへの愛を募らせていた。
「第一、あの王子様が自分から写真撮ってくるんだから、これって脈ありじゃね、って喜ぶところだろ」
王子様、というのは学校での遥のあだ名のようなものだ。物腰柔らかく、容姿端麗な様子に憧れと好意を込めて『王子様』と呼ばれている。本人はそのあだ名が恥ずかしいようで否定するけれど、謙虚な人柄も相まって、彼を慕うものは後をたたない。
「だーかーら、俺は推しとどうこうなりたいわけじゃないの! 第一、推しはいつだってみんなに優しいから脈ありとかそういうんじゃないって。普通のことなの。たまたま俺がファンサを受けただけだって」
仁の熱弁に海斗は「あー、はいはい。そう思ってるのは多分お前だけだよ」と頬を引き攣らせる。そしておもむろに立ち上がると、「じゃ、あとは頑張って」と言ってそそくさとどこかへと行ってしまう。仁がなんのことだよ、と怪訝そうな表情で海斗の背中を見送った時、突然後ろから耳元に息を吹きかけられる。
「ひぇっ!」
変な声が出てしまうほど仁は驚き、思わず椅子の上で大きく跳ね上がってしまう。誰だ、こんな悪戯をしたのは。そう思って振り返って——石のように固まった。
「あはは、すごい声出たね。そんなにびっくりしたの?」
目の前には推しが——二階堂遥がいる。
なんで? さっきまであっちでクラスメイトと話してたはずなのに。
頭の中で疑問符をたくさん浮かべていると、遥は海斗の席に座った。腕を机の上で組んで、その上に自身の頭を少しだけ傾けながら乗せると優しく微笑む。ゴールデンレトリバーを彷彿とさせるその瞳に見つめられ、仁は思わず周囲を見渡した。万が一、その視線の先が自分ではない他の誰かに注がれているのであれば、ここは自分という邪魔者を消し去る必要があった。
だけど、仁たちの周囲には誰もいない。クラスメイトは各々の時間を過ごしている。正真正銘、遥は仁のところに来てくれたのだ。
「……これも、ファンサ。さすが、俺の推し」
「ファンサじゃないんだけど……って、やっぱり聞いてないか」
遥に向かって合掌し、ファンサをもらえた幸せを噛み締める。目の前でなぜか遥が不満そうに口を尖らせるが、それすらも愛嬌があって眼福だった。
「ねぇ、仁。今日の授業後、一緒に帰らない?」
「ひぇ……そ、そんな推しと一緒に帰るなんて。むしろ推しが歩く姿を後ろから拝見させていただくだけで俺としてはとても満足で」
「俺が、一緒に帰りたいんだ」
「はい! 帰ります! 一緒に帰らさせていただきます!」
手のひら返しとはこのことだ。遥の哀しげな表情を見て、断れる奴がいるのなら今すぐ出てきてほしい。少なくとも仁にはできなかった。
気がつけば、仁は遥と一緒に帰ることが決まっていた。本当になんでかわからない。
「良かった。なら、また後でね」
それでも、推しが嬉しそうに笑ってくれるのなら、そのそばに自分がいたとしても仕方がないか、と仁は考える。
——と、そんなことを考えていた過去の自分を今すぐに殴りに行きたかった。
柔らかな栗色の髪が、陽の光を受けてふわりと揺れる。穏やかな光を宿した薄茶色の瞳。スッと通った鼻筋や形のいい唇はきれいに整っているのに、不思議と近寄りがたさは感じない。むしろ、その柔和な眼差しと優しげな雰囲気に多くの人が自然と近寄っていく。気取ったところは少しもなく、人懐っこさも持ち合わせていた。
「はぁ、今日も推しがかっこいい」
そんな遥と同じクラスになれて本当に良かったと仁は毎時間幸せを噛み締めていた。他の生徒と楽しそうに話している遥のことを教室の反対から観察していると、後ろの席に座る平山海斗が呆れたように「またやってる」と呟く。
「そんなに毎日毎日、あいつのこと見てて飽きないの?」
「飽きる? 飽きるなんて概念俺にはない。第一、推しと同じ空気を吸って同じ空間にいて、その様子をこんなに近くで見守ることができるのに、どうして飽きる暇があると思ってるの?」
「え、普通に怖い。ていうか、これ、俺がおかしいの? 違うくない?」
仁から返ってきた言葉に海斗は不服そうに眉を顰める。
「ていうか、なんでそんなにあいつのこと好きなんだよ」
「違う! 好きとかそんなんじゃない! 第一、好きと推しを愛でる気持ちを同列で語らないで。俺は好きなんて俗物的な想いで推しを見てるわけじゃないんだから! もっと、こう、神様を讃えるような高尚な気持ちで……」
「でも、ツーショは消してないんだろ?」
「……うぐっ」
痛いところを的確に突かれてしまい仁は言葉に詰まる。海斗の言う通り、仁は先日撮ってしまった遥とのツーショット写真をそのまま残していた。最初は自分の姿だけ加工して消そうと考えていたが、なぜかもったいなく感じてしまい、推しの特大ファンサだからと言い訳して今でも二人の姿がばっちり一枚の画像に残っている。そして、密かにスマートフォンのホーム画面に設定して、毎日のように眺めては推しへの愛を募らせていた。
「第一、あの王子様が自分から写真撮ってくるんだから、これって脈ありじゃね、って喜ぶところだろ」
王子様、というのは学校での遥のあだ名のようなものだ。物腰柔らかく、容姿端麗な様子に憧れと好意を込めて『王子様』と呼ばれている。本人はそのあだ名が恥ずかしいようで否定するけれど、謙虚な人柄も相まって、彼を慕うものは後をたたない。
「だーかーら、俺は推しとどうこうなりたいわけじゃないの! 第一、推しはいつだってみんなに優しいから脈ありとかそういうんじゃないって。普通のことなの。たまたま俺がファンサを受けただけだって」
仁の熱弁に海斗は「あー、はいはい。そう思ってるのは多分お前だけだよ」と頬を引き攣らせる。そしておもむろに立ち上がると、「じゃ、あとは頑張って」と言ってそそくさとどこかへと行ってしまう。仁がなんのことだよ、と怪訝そうな表情で海斗の背中を見送った時、突然後ろから耳元に息を吹きかけられる。
「ひぇっ!」
変な声が出てしまうほど仁は驚き、思わず椅子の上で大きく跳ね上がってしまう。誰だ、こんな悪戯をしたのは。そう思って振り返って——石のように固まった。
「あはは、すごい声出たね。そんなにびっくりしたの?」
目の前には推しが——二階堂遥がいる。
なんで? さっきまであっちでクラスメイトと話してたはずなのに。
頭の中で疑問符をたくさん浮かべていると、遥は海斗の席に座った。腕を机の上で組んで、その上に自身の頭を少しだけ傾けながら乗せると優しく微笑む。ゴールデンレトリバーを彷彿とさせるその瞳に見つめられ、仁は思わず周囲を見渡した。万が一、その視線の先が自分ではない他の誰かに注がれているのであれば、ここは自分という邪魔者を消し去る必要があった。
だけど、仁たちの周囲には誰もいない。クラスメイトは各々の時間を過ごしている。正真正銘、遥は仁のところに来てくれたのだ。
「……これも、ファンサ。さすが、俺の推し」
「ファンサじゃないんだけど……って、やっぱり聞いてないか」
遥に向かって合掌し、ファンサをもらえた幸せを噛み締める。目の前でなぜか遥が不満そうに口を尖らせるが、それすらも愛嬌があって眼福だった。
「ねぇ、仁。今日の授業後、一緒に帰らない?」
「ひぇ……そ、そんな推しと一緒に帰るなんて。むしろ推しが歩く姿を後ろから拝見させていただくだけで俺としてはとても満足で」
「俺が、一緒に帰りたいんだ」
「はい! 帰ります! 一緒に帰らさせていただきます!」
手のひら返しとはこのことだ。遥の哀しげな表情を見て、断れる奴がいるのなら今すぐ出てきてほしい。少なくとも仁にはできなかった。
気がつけば、仁は遥と一緒に帰ることが決まっていた。本当になんでかわからない。
「良かった。なら、また後でね」
それでも、推しが嬉しそうに笑ってくれるのなら、そのそばに自分がいたとしても仕方がないか、と仁は考える。
——と、そんなことを考えていた過去の自分を今すぐに殴りに行きたかった。



