推しが恋人になるなんてお断りです!

 仁は二台設置された自販機の中から何を飲もうかと物色する。お茶や水だと味気ないしなぁ、と考えていると後ろから「仁!」と声をかけられた。その声は今ここにいるはずのない人物のもので、仁は驚き振り返った。

「は、遥……なんでここに」
「平山くんに聞いたんだ。仁がこっちにいるって」

 海斗のやつ、と心の中でイマージナリー海斗に向かって拳を振りかぶった。イマージナリー海斗はヘラヘラと笑いながら簡単に仁の攻撃を避けた。

「ねぇ、仁。僕のリレー見ててくれた?」
「……見てたよ」

 なんならカメラでめちゃくちゃ撮ったわ、とは本人には言えなかった。

 遥は嬉しそうに微笑むと、「写真撮ってたよね?」と仁の心を読んだように言う。なんでそのことを知ってるんだ、と驚きの視線を向ければ、「走りながらでも写真を撮ってた仁のことわかったよ」と返された。最前線に陣取っていたとはいえ、周囲には他の生徒もたくさんいたはずだ。それなのに、走りながらピンポイントで仁のことを見つけたのは素直にすごいと思った。

 遥は横にやってくると仁の顔を覗き込んで「これも愛の力かな?」と冗談ぽく笑う。愛、という単語の意味を理解するより前に、仁の顔は瞬間湯沸かしみたいに一気に赤くなった。

「照れてる仁もやっぱりかわいいね」
「お、お、男に! 可愛いなんて言うな!」

 羞恥心で耐えられなくなった仁は思いっきりのけぞりながら遥から離れる。だが、その分、遥が笑顔で近寄ってくるから、最終的に仁の体は校舎の壁にぶつかった。逃げ場がない、と悟った仁はそれでも近づいてくる遥の顔を直視できずぎゅっと目を瞑る。その様子に遥は小さく息を呑んだ。

「……ねぇ、仁。わかってやってるの?」
「……な、何が?」

 薄目を開けて遥の方を見れば、二人の吐息が混じり合うくらい近くに彼の顔があった。


 ——あ、これキスされるやつだ。


 そう考えて、思わず目を見開いたタイミングで、遥の柔らかい唇が仁の唇と重なる。ファーストキスだけでなく、セカンドキスも遥かに奪われてしまった。

 軽く触れてすぐに離れていった唇を、名残惜しそうに目で追いかければ、遥はもう一度噛み付くようにキスをしてくる。先ほどよりも荒らしいその行為に、仁の頭はすでに真っ白だった。


 ——なんで、俺、推しとキスしてるんだっけ?


 みんなが運動場で体育祭を楽しんでいるのに、どうして仁と遥は人目を盗むようにこそこそとこんなことをしているのだろうか。

 息が続かなくなってきた頃、ようやく満足したのか遥の顔が離れていく。熱い吐息に、獣のように飢えた瞳。全身から溢れるオーラが、仁を喰いたいと言っているようだった。

 混乱している頭では遥になんて声をかければいいのか分からず、しばらく二人の間に沈黙が落ちる。体育祭を楽しむ生徒の声が、やけに遠く感じた。


「仁、僕は本気だよ」
「——っ!」


 何が、なんて言えるわけない。遥が何を言いたいのか、流石の仁だってもうわかっていた。ただ、その気持ちを直視して、認めるのが怖いだけで。

 仁は答えに迷うように、視線を彷徨わせる。何かを言わなければいけないと思うのに、考えれば考えるほど言葉は声にならない。

「本気で、仁のことが好きだ。だから——写真コンテスト、僕を被写体にしてよ」
「……え?」

 どうして話がそっちに飛んだ? というか、なんで仁がコンテストがあることやそれに苦戦していること知っているんだ?

 次から次へと頭の中に疑問が浮かんでは消えていく。遥は真剣な表情から一変して、いつものように優しく微笑んでいる。一瞬、揶揄われた、と思ったがすぐにその考えを否定する。遥が意味もなくキスをしたり、こんなことを言うやつじゃないことは、推しとしてずっと見てきた仁にはわかっていた。

「そ、それと、き……キスすることになんの意味があるんだよ」

 分からないことは聞くしかない。眉間に皺を寄せながら尋ねれば、遥は仁の手を握った。さっきまで走っていたからか少し湿った手から伝わる体温の高さは、熱中症を疑うレベルだった。
 大丈夫か、と聞くよりも前に遥が口を開く。

「そのカメラで、『僕』を見て」
 真剣な眼差しで見つめられ、仁は小さく息を呑む。


「仁の推しとしての僕じゃない。ただの遥としての『僕』を見て」

 何を言ってるんだ。
 そう言いかけた言葉を寸前で飲み込む。そして、遥の提案に仁は小さく顎を引いたのだった。