「……何で来た」

 来ないと思った。期待なんかせずに送った《21時、この前のホテル前で》のメッセージ。
 時刻は21時半、もう帰ろうと思っていた時だった──アイツが、肩を震わせてやって来たのは。

「お前、自分が何してるか分かってる?」
「……分かってるよ」

 ギュッと拳を強く握り締めながら、ギッと俺を睨んだ。一歩近寄ると、奴の体がピクリと跳ねた。

(……マズイな)

 むせ返るような甘いニオイが、鼻腔をこえて脳髄を刺激する──このオメガを逃がすなと、本能が訴える。

「番じゃ満足できなくなったか?」
「……──違う!」
「じゃあ何で来た」
「……っ……それ、は……」

 聞かずとも分かる。コイツだって抗えないんだ、本能には。
 あの夜、俺に抱かれながら知らない名前──恐らくは番の名前──を呼ぶ姿が鮮明によみがえる。愛する男の名前を呼びながら、見知らぬ男に抱かれる──何て愚かで……愛おしいオメガ。

「……戻れなくなるぞ」
「……」 

 力なくコクンと頷いたのを見た瞬間、プツンと何かが弾けた。噛みつくように唇を重ねれば、ごく自然に舌を差し出してくる。まるでずっと昔から連れ添った番がする、当たり前であるかのような行為。

「……──とう、り……っ」

 涙を浮かべながら、恍惚とした表情で、その名前をこぼす。心は愛する番を求めるも、体は目の前の俺に反応している。体は正直とは、よく言ったものだ。一歩、また一歩と、深みにはまっていく。

 出逢う順番が違っていたら──そんな女々しい考えが一瞬頭を掠めるも、馬鹿馬鹿しいと投げ棄てる。
 2度目はないと思っていた──すでに番のいる、運命の番との交わり。

──もう、引き返せない。

 これは甘い沼だ。ズブズブと沈んで……一歩踏み出すごとに、体が絡め取られていく。本能がコイツを離さない。倫理も理性も飛び越えて──沈んでいく。