「ただいま──」

 玄関のドアを開けた瞬間、違和感に襲われた。いつもの「おかえり」がない。
 リビングに入ると、その違和感は決定的なものになった。電気も点けず、(あおい)はソファーに横になっている。

「大丈夫? 具合悪い?」

 そっと近寄って頭を撫でると、碧の肩がピクリと跳ねた。心なしか、体が震えている。

「……大丈夫」

 その声に、覇気はなかった。いつもの、ツンケンとした勢いは皆無だった。

「碧?」
「……」

 気怠そうに、碧が顔をあげる。目が合った瞬間、かすかなニオイが鼻を掠めた。甘くて、どこか刺激的な──知らないアルファのニオイ。

「……碧、今日……」

 街中ですれ違った……ただ、それだけ。それしか考えられない。それでも、口は勝手に言葉を紡いでいた。

「誰かと、会った?」
「……──っ」

 碧の体が、ビクッと震えた。みるみるうちに、顔から血の気が引いていく。

「あ……いや、その……」

 碧の視線が揺らぐ。昔から、碧は嘘をつくのが下手だった。すぐに顔に出てしまう。だから分かる、分かってしまう。


──運命の番。


 聞いたことがある。普通の番契約を越える、魂が繋ぐ絆。すべてを塗り替えてしまう、本能で求め合う番。

「……出逢ったの?」

 碧は何も答えなかった。ただ黙って震えていた、ブランケットを握り締めて。

「……大丈夫、大丈夫だから」

 やんわりと抱き締めると、一層強いニオイが鼻をくすぐった。反射的に、眉間にシワが寄る。鳥肌が立った──それでも、腕を離せなかった。離してしまったら、すべてが終わってしまう気がしたから。

「ごめん、僕が満足させてあげられなくて」
「──ちがっ!」

 パッと碧が顔をあげる。罪悪感と後悔と──愛情が、ごちゃ混ぜになった表情。

(とう)()が悪いんじゃない……俺、が……」

 言葉に詰まり、碧の瞳が揺れる。視線は、僕から逸らされたまま。

「……碧は、僕の番だよね?」
「あ、当たり前だろ!」

 瞳の奥が揺れる。嘘はついていない。ただ、確かに存在した──もう一人の、番の気配。

「愛してるよ」

 これはきっと、呪いの言葉。こう囁けば、碧は逃げられない──ゆるやかな、優しい沼に沈めていく。