「せめて、お嬢様呼びはやめてほしい。まだるっこしいんだ」
まだるっこしい……思わずつぶやいてしまった。
そんな私を見やって、リーゼロッテお嬢様はハッとして立ち上がる。テーブルの上のティーカップが微かに音をたてた。
「い、いや誤解しないでほしい、これは決して悪口じゃないぞ! あと、すごくイヤだってわけではなく、なんというか!」
リーゼロッテお嬢様はあたふたと言葉を重ねてくる。珍しく取り乱しているように見えた。
私はといえば、驚いて、そしてちょっとぽかんとしてしまった。
「カトリン姉様のことはカトリン様と呼ぶじゃないか! だからそれと同じ感じで!」
「…………」
そうですか、と相槌も打てない。どう返事をしたらよいものか。
私がとまどってしまうくらいに、必死の様相なのだ。こんなリーゼロッテお嬢様を見るのは、初めてかもしれない。
普段大人びているリーゼロッテお嬢様だが、ふとした瞬間に「少女らしい」表情が垣間見える。
可愛らしい方だなと、微笑ましい気持ちになる。……のだが、今日はとまどいの方が大きかった。
「……では、リーゼロッテ様とお呼びすればよろしいのですか?」
少しばかり気が抜けてしまったというか。私が困惑気味に確認すると、リーゼロッテお嬢様……いや、リーゼロッテ様は大きく頷いた。
「そのくらいならいいだろう、レギナルト!」
なぜか、やたらに力んだようにリーゼロッテ様は言う。私は気おされたようにちょっと背を後ろに引いてしまった。
「は、はい。ではこれからは、リーゼロッテ様とお呼びします」
「うんっ」
頷いて、リーゼロッテ様は思いがけず……華がほころんだかのように明るく笑った。
「…………」
私はさらに驚いてしまう。
リーゼロッテ様の笑顔が、あまりに無防備で明るく、そう……今まで見ることのなかった朗らかな表情だった。
――こんな風に笑うのか。なんと明朗で、無邪気な。
なぜ自分がこんなに戸惑うのかもわからなかった。まぶしくて目を瞑りたくなるような。しかし、それをするのが惜しいような。ちょっと動悸も……速まってるような……?
「ありがとう、レギナルト!」
「い、いえ、お礼を言われるようなことでは……」
「これも大事な一歩だ。前進あるのみ!」
よくわからないが、リーゼロッテ様はやる気がみなぎっているようだ。
私はとまどいつつも、リーゼロッテ様のご機嫌がよいのなら、良いかな……と、ぼんやりした気分だった。
「レギナルト、魔法について少し確認したいことがあるんだ」
「あ、はい、なんでしょう、リーゼロッテ様?」
私が問い返すと、リーゼロッテ様は満足げに一息ついて、再び腰かけた。
「レギナルトの魔法を検知できる力についてなんだが」
話題の転換が急で唐突なのは、いつものリーゼロッテ様だ。私も少し落ち着いて、姿勢を正した。ほっとしたような、肩透かしのような、不思議な気分のままではあったが。
「レギナルトは細かな作業が得意だと言ったろう? それに通じることなんだろうか? そういえばレギナルトは刺繍も上手かったな……わたしよりはるかに。手先の器用さと、細かな魔力の使用方法は関係があるんだろうか」
ともあれ唐突に、「授業」が開始されることとなった。
思いのほか長居をしてしまって、エックホーフ家伯爵邸を辞する頃には、西日の眩しい時間帯になっていた。
エックホーフ家で過ごす時間は、いつも瞬く間に過ぎてしまう。
風に頬を撫でられ、それに促されるようにして空を仰いだ。
雲は多いが、雨の気配はない。ただ少しだけ空気は冷たかった。夜は気温が下がるかもしれない。
広々とした玄関ポーチで馬車を待っていると、隣に立っていたリーゼロッテ様が尋ねてきた。
「近いうちにレギナルトの家に行きたいのだが、かまわないだろうか」
もちろん、供は連れていくし、父上の許可ももらう、と意気込んで言う。
そこまで言われてしまえば、私に否やはない。
「些末な邸宅ですが、それでもよろしければ。父母も喜ぶでしょう」
「いや、その……そういう堅苦しいのは抜きにして……いやでも、堅苦しくというか正式な面談はいずれ……うーん……」
リーゼロッテ様は眉をしかめ、ひとりごちるように言う。珍しく歯切れの悪い口調だった。
うーんと唸って腕を組み、ややあってから、上目遣いに私を見る。
「ともかく、だ。まず、わたし個人として、レギナルトの家にいってみたいんだ。それでもかまわないだろう?」
「え、ええ、はい」
つまり私的の訪問、ということだろうか? 授業の延長というわけでもなさそうだが……?
何か、妙な含みがあるように感じられるのだが……気のせいだろうか?
リーゼロッテ様の頬がわずかに紅潮してみえるのは、西日があたって、熱をもっているからか?
若葉色の瞳がきらきらと光っている。
屈託なく私を見つめるリーゼロッテ様の瞳の輝きは、春のきらめきそのもののようだ。命が芽吹いていく、せわしなくも美しい、萌芽の色。
――ああ、そうだ。
ふと、「案」が浮かぶ。
浮かんだ「案」は明確だ。形にしたい、そういう欲がもたげてくる。
この「景色」をとどめたい。若々しい春の芽生えを。
頭に浮かんだそれを形にして、リーゼロッテ様に贈るのもいいかもしれない。誕生日の祝いを贈りそびれていたことを思い出し、そうしようと、ひとり心の中で頷いてみる。
「レギナルト、どうした?」
「ああ、いえ」
つい、思索にふけってしまった。リーゼロッテ様が私の顔を覗き込んでくる。大きく見開かれた若葉色の瞳は、やや深みを帯びた緑色に見えた。
「少し考え事を」
「そう?」
リーゼロッテ様はちょっと首を傾げ、私の顔を覗き込んでくる。
きっと次に会うとき、リーゼロッテ様の瞳の緑はまた別の深みをみせてくれるのだろう。少女期の変化は目まぐるしい。
「次にお会いできるのを、楽しみにしております、リーゼロッテ様」
「う、うん。わたしもだ!」
リーゼロッテ様はやや戸惑ったように瞬きをし、けれど嬉しげに声を弾ませて頷いた。
「その時に、レギナルトに話したいことがある」
「はい」
私は笑顔で応じた。
――きっと、新たな魔法をみせてくれるのだろう。
私のその予想は、外れることとなる。
そう、思いもよらぬ方向に、外れていった。
まだるっこしい……思わずつぶやいてしまった。
そんな私を見やって、リーゼロッテお嬢様はハッとして立ち上がる。テーブルの上のティーカップが微かに音をたてた。
「い、いや誤解しないでほしい、これは決して悪口じゃないぞ! あと、すごくイヤだってわけではなく、なんというか!」
リーゼロッテお嬢様はあたふたと言葉を重ねてくる。珍しく取り乱しているように見えた。
私はといえば、驚いて、そしてちょっとぽかんとしてしまった。
「カトリン姉様のことはカトリン様と呼ぶじゃないか! だからそれと同じ感じで!」
「…………」
そうですか、と相槌も打てない。どう返事をしたらよいものか。
私がとまどってしまうくらいに、必死の様相なのだ。こんなリーゼロッテお嬢様を見るのは、初めてかもしれない。
普段大人びているリーゼロッテお嬢様だが、ふとした瞬間に「少女らしい」表情が垣間見える。
可愛らしい方だなと、微笑ましい気持ちになる。……のだが、今日はとまどいの方が大きかった。
「……では、リーゼロッテ様とお呼びすればよろしいのですか?」
少しばかり気が抜けてしまったというか。私が困惑気味に確認すると、リーゼロッテお嬢様……いや、リーゼロッテ様は大きく頷いた。
「そのくらいならいいだろう、レギナルト!」
なぜか、やたらに力んだようにリーゼロッテ様は言う。私は気おされたようにちょっと背を後ろに引いてしまった。
「は、はい。ではこれからは、リーゼロッテ様とお呼びします」
「うんっ」
頷いて、リーゼロッテ様は思いがけず……華がほころんだかのように明るく笑った。
「…………」
私はさらに驚いてしまう。
リーゼロッテ様の笑顔が、あまりに無防備で明るく、そう……今まで見ることのなかった朗らかな表情だった。
――こんな風に笑うのか。なんと明朗で、無邪気な。
なぜ自分がこんなに戸惑うのかもわからなかった。まぶしくて目を瞑りたくなるような。しかし、それをするのが惜しいような。ちょっと動悸も……速まってるような……?
「ありがとう、レギナルト!」
「い、いえ、お礼を言われるようなことでは……」
「これも大事な一歩だ。前進あるのみ!」
よくわからないが、リーゼロッテ様はやる気がみなぎっているようだ。
私はとまどいつつも、リーゼロッテ様のご機嫌がよいのなら、良いかな……と、ぼんやりした気分だった。
「レギナルト、魔法について少し確認したいことがあるんだ」
「あ、はい、なんでしょう、リーゼロッテ様?」
私が問い返すと、リーゼロッテ様は満足げに一息ついて、再び腰かけた。
「レギナルトの魔法を検知できる力についてなんだが」
話題の転換が急で唐突なのは、いつものリーゼロッテ様だ。私も少し落ち着いて、姿勢を正した。ほっとしたような、肩透かしのような、不思議な気分のままではあったが。
「レギナルトは細かな作業が得意だと言ったろう? それに通じることなんだろうか? そういえばレギナルトは刺繍も上手かったな……わたしよりはるかに。手先の器用さと、細かな魔力の使用方法は関係があるんだろうか」
ともあれ唐突に、「授業」が開始されることとなった。
思いのほか長居をしてしまって、エックホーフ家伯爵邸を辞する頃には、西日の眩しい時間帯になっていた。
エックホーフ家で過ごす時間は、いつも瞬く間に過ぎてしまう。
風に頬を撫でられ、それに促されるようにして空を仰いだ。
雲は多いが、雨の気配はない。ただ少しだけ空気は冷たかった。夜は気温が下がるかもしれない。
広々とした玄関ポーチで馬車を待っていると、隣に立っていたリーゼロッテ様が尋ねてきた。
「近いうちにレギナルトの家に行きたいのだが、かまわないだろうか」
もちろん、供は連れていくし、父上の許可ももらう、と意気込んで言う。
そこまで言われてしまえば、私に否やはない。
「些末な邸宅ですが、それでもよろしければ。父母も喜ぶでしょう」
「いや、その……そういう堅苦しいのは抜きにして……いやでも、堅苦しくというか正式な面談はいずれ……うーん……」
リーゼロッテ様は眉をしかめ、ひとりごちるように言う。珍しく歯切れの悪い口調だった。
うーんと唸って腕を組み、ややあってから、上目遣いに私を見る。
「ともかく、だ。まず、わたし個人として、レギナルトの家にいってみたいんだ。それでもかまわないだろう?」
「え、ええ、はい」
つまり私的の訪問、ということだろうか? 授業の延長というわけでもなさそうだが……?
何か、妙な含みがあるように感じられるのだが……気のせいだろうか?
リーゼロッテ様の頬がわずかに紅潮してみえるのは、西日があたって、熱をもっているからか?
若葉色の瞳がきらきらと光っている。
屈託なく私を見つめるリーゼロッテ様の瞳の輝きは、春のきらめきそのもののようだ。命が芽吹いていく、せわしなくも美しい、萌芽の色。
――ああ、そうだ。
ふと、「案」が浮かぶ。
浮かんだ「案」は明確だ。形にしたい、そういう欲がもたげてくる。
この「景色」をとどめたい。若々しい春の芽生えを。
頭に浮かんだそれを形にして、リーゼロッテ様に贈るのもいいかもしれない。誕生日の祝いを贈りそびれていたことを思い出し、そうしようと、ひとり心の中で頷いてみる。
「レギナルト、どうした?」
「ああ、いえ」
つい、思索にふけってしまった。リーゼロッテ様が私の顔を覗き込んでくる。大きく見開かれた若葉色の瞳は、やや深みを帯びた緑色に見えた。
「少し考え事を」
「そう?」
リーゼロッテ様はちょっと首を傾げ、私の顔を覗き込んでくる。
きっと次に会うとき、リーゼロッテ様の瞳の緑はまた別の深みをみせてくれるのだろう。少女期の変化は目まぐるしい。
「次にお会いできるのを、楽しみにしております、リーゼロッテ様」
「う、うん。わたしもだ!」
リーゼロッテ様はやや戸惑ったように瞬きをし、けれど嬉しげに声を弾ませて頷いた。
「その時に、レギナルトに話したいことがある」
「はい」
私は笑顔で応じた。
――きっと、新たな魔法をみせてくれるのだろう。
私のその予想は、外れることとなる。
そう、思いもよらぬ方向に、外れていった。



