リーゼロッテと内緒の箱庭


「説明、と言われても……とくにはないのだが。レギナルトは知らされていなかったのか?」
 リーゼロッテ様は真顔のまま、平静な声で私に尋ねてきた。私が頷くと、少しだけ困ったように眉をひそめた。
「男爵には話を通してあると父が言っていたのだが。たしか……ひと月前には打診していて……二日前に正式に返答をいただいている」
「私は何も……」
 ということは、私が不甲斐なくも寝込んでしまっている間に事が決定してしまった、ということか?
 ここ数日は父も母も所用で忙しく、まともに顔を合わせていない。それは兄も同様で、私はこの数日、「家族」とはろくに話をしていないのだ。
 しかし、昨日だったか……父が何かしら私に話があるようなことは言っていた気がする。私はといえば、朝は眠っていることが多かったし、そうでなくとも発熱のせいで朦朧としていることが多かった。父も、病床の私をちらりと見てすぐに立ち去ってしまった。ゆっくり話ができる状態ではなかったろう。
 だが……ふと、脳裏をかすめたのは、父の「でかした」の言葉だった。
 数日前、リーゼロッテ様のお呼び出しに応じたあの日の朝だ。
 あれは、まさか……?
 リーゼロッテ様は、少し考えるように首を傾げた。
「そういえば、アスク男爵からの返答は日数がかかったと父上に聞いていた」
「そうなのですか?」
「うん。だが、それも仕方ないことだろうとも考えていたんだ。わたしがまだ社交界デビューしたばかりの年齢だから、決断しにくかったのもあるだろう。年回りがいいとはいえないものな」
 私は二十一歳、リーゼロッテ様は十三歳。
 ああ、なるほど、先にカトリン様が言っておられたのはこのことだったのかと、今になって腑に落ちた。
「男爵も、話を持ち掛けられた時はあまり良い顔をなさらなかったらしい。社交界でわたしの噂は良いとはいえなかったし、難のある訳ありの娘を押し付けるのかと警戒したのかもしれないな」
「そのような……」
 父の無礼を詫びようとしたが、リーゼロッテ様に止められた。「気にしていない」と。事実、リーゼロッテ様は社交界の噂に対して私よりはるかに冷静に受け止めておられる。
「カトリン姉様との婚約なら、アスク男爵も即座に返答していたろう。カトリン姉様にも決まった人はいなかったし、歳もちょうどいい」
 リーゼロッテ様は淡々と、しかしやはり早口になって事情を語る。表情は変わらないが、口調には焦りや不安が感じられた。
 私はと言えば、おおよその事情が分かり納得できたが、……それでも「なぜ」という疑問はまだ残っている。
「レギナルトには、急な話になってしまったな。まさか男爵から話を聞かされていないとは思わなかった。男爵からの正式な返答があった時、てっきりレギナルトも了承してのことだと……」
「あいにく私が寝込んでしまったので……それで私に伝えるより先に、伯爵家への返答を優先したのだと思います」
「うん」
 リーゼロッテ様はこっくりと頷いた。納得しておられる様子で、私もほっと胸をなでおろした。
「返答が遅くなったことに関してですが…………父は、おそらくとても慎重になっていたのだと思います。まさか伯爵家から婚約の話を持ち掛けられるとは、思いもよらなかったのでしょうから」
 リーゼロッテお嬢様の憶測も、おそらくは当たっているのだろう。たしかに年回りで考えれば、カトリン様の方が妥当な線だ。私ですら、そう思うのだから。いや、カトリン様がどうのというのではない。あくまで「年回り」で考えれば、だ。
 社交界での噂に関しても、決定を渋った要因になっているのも、おそらく当たっている。だが、要因の一つ、しかも些少なことだ。懸念するほどではなかったはずだ。
 慎重になっていたというより、「懸念材料」は私だったはずだ。
 どうして、アスク家の不出来の次男を選ばれたのだろう、と。
 しかも、虚弱でひきこもりがちな次男の縁談に、なんの益があるというのか。
 アスク家の長男にはすでに決まった婚約相手がいるから仕方なく、といったところだろうと判じたはずだ。それにしても、はたして不出来な次男を差し出して良いものかと、父は迷ったのかもしれない。
 だから返答が遅れたのだろう。
 そういった私の考えを交えて話し、改めて父の返答が遅くなったことを、どうかご容赦願いたいと、頭を下げた。
「い、いや待ってくれ、レギナルト。そのこと……返答が遅くなったことは、もういいんだ。父上も気にしていない。唐突に話を持ち掛けたのは父なんだ、驚いて当然だ。そもそもわたし自身もあまりに早く話を進めるので驚いていた口なんだ」
 それにだ、と力を込めてリーゼロッテ様は言う。
「レギナルトは、不出来なんかじゃない。そのように自分を言うのは良くないと思うぞ?」
「……はい」
「レギナルトにはたくさん良いところがあるじゃないか。さっき見せてもらった箱庭も、すごかった。それに、わたしの魔力を見出して、使い方の指導をしてくれたのもレギナルトじゃないか。レギナルトはもっと自分を誇ってもいいと思う」
 これでは、どちらが年上なのか分らないなと、内心苦笑してしまう。
 リーゼロッテ様は歳若いが、とてもしっかりとした意思を持っていられして、いつも毅然としていらっしゃる。そして時にこんな風に私を叱咤し、励ましてもくれるのだ。
「ありがとうございます、リーゼロッテ様」
 礼を言うと、リーゼロッテ様はひとつ息をついた。なんだかすこし、困ったような顔にも見える。
「また、脱線したけれども」
 そして、話を続けた。
「つまり、わたしの父もレギナルトのお父上も、この婚約には同意してくれて、王宮への届も提出してあるんだ。近く、認可の沙汰が来るはずだ」
「…………」
 なるほど、と思ったが、なぜなのだ、という疑問はまだ解消されていない。
 尋ねてもよいのだろうか、「なぜ私なのか」と。リーゼロッテ様の「婚約者」になぜ私が選ばれたのか。
 爵位、家格の釣り合いは微妙といえるだろう。私は男爵家の次男、リーゼロッテ様は伯爵家の三女。伯爵家から婚約の申し入れがあったというのなら、決して不都合な話ではないが……――
「レギナルト」
 考え込んでいると、リーゼロッテ様が声をかけてきた。まっすぐに私を見つめ、それから意を決したかのように告げた。
「レギナルトと婚約したい。わたしが父上にそうお願いしたんだ」
「えっ」
「なぜ自分なんだと思ったんだろう、レギナルト」
「は、はい、それは……」
「その答えはいたって簡単だ。今言ったように、わたしが望んだことなんだ。……つまり、…………」
「…………」
 間があいたが、私は黙って言葉の先を待った。
 珍しいといっていいだろう、リーゼロッテ様の頬が赤くなっている。
「わたしの初恋の相手なんだ、レギナルトが。ええっと、つまり、レギナルトのことが好きだから、婚約を望んだんだ」
「……え」
 まさか、と目をぱちくりさせてしまった。
 まさか、とは思ったが、自分でも意外なほど驚かなかった。そのことにも、自分で驚いた。
「年齢のことを言われると、正直困る」
 リーゼロッテ様が先手を打つように言う。こういうのに、年齢はないだろう、と。
「ただ、性急すぎたことだけは謝罪しておく。まさか話が通ってないとは思わなかったんだ」
「い、いえ、それはこちら側の不手際ですので、どうか謝罪などなさらないでください」
 なぜかしら緊張してしまい、声がぎこちなくなってしまう。リーゼロッテ様は沈着そうな面持ちだが、やはり多少落ち着かなげな様子だ。
 それも、そうだろう。
 いま、さらりと、リーゼロッテ様は私に恋の告白をしたのだ。
 数秒遅れて、私はそれに気が付いた。