リーゼロッテと内緒の箱庭

 それから、三日の後のことだ。
 私は迂闊にも体調を崩して寝込んでしまった。寝不足によるものだ。
 つい熱中して夜更かししすぎてしまったせいだろう。気怠さをあえて無視して日を過ごしていたが、昨夜とうとう発熱してしまった。
 幸い高熱で意識が朦朧とするわけでもなく、生活に大きな支障が出るほどでもなかった。往診に来てくれた医師もそのように診断を下した。喉の痛みもないし、咳もない。流感の心配もないだろうと。父母も、「またか」と呆れたように嘆息し、いつものことだろうと一度顔を見せに来ただけだった。
 私自身も「またか」という思いだった。熱も二、三日休めば下がるだろうと、はじめは暢気に構えていた。ところが、そうも言っていられなくなったのだ。
 流感による発熱ではなさそうで本当によかった……、と思える状況下に私はいる。
 なぜならば。

「見舞いに来た」
 リーゼロッテ様が、私の寝室にいるのだ。

 平静な顔をなさっているが、心配してくださっているだろう。慌てふためく私を気にも留めず、速足になってベッドに近寄ってくる。
 リーゼロッテ様は楕円形をした大きな藤籠を大事そうに抱えていた。
「リ、リーゼロッテお……様、どう……」
「さっきも言った。見舞いに来たんだ」
 なぜ私が体調不良で寝込んでいるのを知っているのか。それには「昨夜、アスク男爵から聞いた」との返答があった。
「アスク男爵夫妻は、今日はどうしてもはずせぬ商談があるとのことだ」
「それは……父から聞いておりましたが、リーゼロッテ様がお越しになるとは聞いておりません」
「それはそうだ。今朝、急に思い立ったんだから」
「…………っ」
「先に知らせは送ったから、家令は知っているはずだぞ?」
 聞いておりません……という私の声はリーゼロッテ様の耳には届かなかったろう。家令を咎めるわけにはいかない。今は、正午だ。その時間までうつらうつらと、寝たり起きたりを繰り返し、小用以外ではほとんどベッドから降りなかったからだ。家令とは顔も合わせていない。
 しかしここ……私の私室まで案内したのは家令だったようだ。もしかしたら物慣れた家令も動揺していたかもしれない。
「と、ともかく、少しお待ちください。この部屋では」
「構わない」
「いえ、その、さすがにそれは……せめて着替えを……」
 私は今もってベッドの中だ。髪も櫛を通していないからくしゃくしゃになっているだろうし、顔は……幸い洗顔はすませて整えてはあるが、寝乱れた夜着のままだし、とてもじゃないが貴人をお迎えする格好ではない。
 リーゼロッテ様はお付きのメイドを一人従えている。いつものリーゼロッテ様付きのメイドだ。私に軽く会釈をした後、リーゼロッテ様のお手が自由になるようにと、抱えていた藤籠を受け取る。……いや、その前にリーゼロッテ様を止めてほしいのだが、と私は目で訴えたが、無視される。
 私が急いでベッドから降りようとすると、リーゼロッテ様は「そのままで」と片手を突き出して止める。いやしかし、さすがに寝室でご令嬢と対面するわけには……――
「発熱したと聞いた」
「は、はい。ですがいまはもう下がっておりますので」
「安静にしているのがいまのレギナルトには必要なことだ。違うか」
「しかし、さすがに寝室では」
 感染するような病ではないから良いというものでもない。
 仮にも独身の伯爵家の令嬢が、同じく独身の男の部屋にいるなど、あってはならぬことだ。礼儀に悖る。メイドが傍にいるとしても、この状況は……非常によくない。
 それに、みっともない姿をリーゼロッテ様にお見せするのは、正直なところ気恥ずかしい。
 せめてすぐ近くの客間へ場所を移したい。それに衣服も整えたい。
 ベッドから降りようと立ち上がりかけたが、焦るあまり、眩暈がし、ふらついてしまった。そこを、なんとリーゼロッテ様が支えてくれたのだ。ほとんど「体当たり」といっていい支え方ではあるが。
「わ……っ」
 リーゼロッテ様が私の体を支えきることは、当然できず。
 私はリーゼロッテ様に押し倒されるかたちで、再びベッドに戻されてしまった。
「すまないっ」
 と、謝罪したのはリーゼロッテ様だ。
「……いえ」
 しかし、謝罪するのは私の方では。
 …………なぜか、リーゼロッテ様にのしかかられている、この状況だ。
 リーゼロッテ様は上半身を起こしたものの、私の上から降りようとはなさらない。真顔で私の顔をまじまじと見つめ、「そうだ」と何かひらめいたかのように大きく瞬きをし、小さな手を私の額に当てる。リーゼロッテ様の掌は思いのほか冷たくて心地よかったが、もしかしたら私の頭に血がのぼっているせいかもしれない。
 手を冷やす魔法を使ってくれたのはわかった。魔力の放出が的確で早くなった……などと感心しているゆとりなどなかった。全身が熱い。冷や汗も出てくる。
「レギナルト、まだ熱があるのではないか」
「…………」
 なぜ私の方が赤面しなければならないのだ。いや、しかしこの状況ならば致し方なかろう……愛らしい少女にのしかかられて、照れくさがるなというのは無理な話で……
「お嬢様、そろそろお降りになってください。はしたのうございますよ?」
 幸い、リーゼロッテ様の有能なるメイドが声をかけてくれた。
「そのままではレギナルト様もお苦しいでしょう。伯爵令嬢として、適切な距離をお取りくださいまし」
 メイドはそう言いつつも、私からリーゼロッテ様を無理に引き離しはしない。それはもちろん当然で、仕える主人の御身に気軽に触れられない……のは分かるが、今はできればそれをしてほしい。私から押しのけるわけにもいかないのだから。
 ここには私とリーゼロッテ様、メイドの三人しかいない。誰かに見咎められて、あげくに醜聞を広められるといったような心配はせずともよかろうが、しかしこれは、私の心臓に悪すぎる。
 リーゼロッテ様は動ずる様子もない。だが、とりあえずといったように、私の上から降りてくれた。私が硬直しているのを見て、「苦しがっている」と察したのかもしれない。
 私はやっと一息つけたが、さすがに体を起こす気力がわいてこなかった。
 リーゼロッテ様はご自身の着衣の乱れをメイドに直してもらい、それから平然とした口ぶりで言ったのだ。
「レギナルトの容体を確認しただけだ。それに、適切な距離じゃないか? 私はレギナルトの婚約者になったのだから。これくらい密着したところで問題なかろう?」

「…………えっ」

 驚きのあまり、私は眩暈もそっちのけで、跳び起きた。

「こ、婚約……?」
 声が上擦ってしまう。
 いま、たしかにリーゼロッテ様は「婚約者」と言った。聞き違いとは思えない。
 リーゼロッテ様はかわらぬ表情で、……いや、少しだけ眉をひそめ、神妙そうに、「そうだ」と頷いた。
「わたしは、レギナルトの婚約者になったんだ」