恋をするなら腐れ縁

「仕事のことは? オールジャンルの売れっ子さんなんだろ?」

「それなのよ!」

 ドン!

 カップを強く置いて、割れてないかと慌てて確認して、ふぅと息を吐いて改めて、それなんだよね、と梢。
 いつになく真剣な顔だ。

「今悩んでるの、悪口言われたことよりそっちなんだよね。ライトミステリーでデビューしてさ、ホラー、ファンタジー、青春、学園、SF、群像劇って色々書いて来たんだけど、唯一『恋愛』だけは書いてないの。ううん、書けないんだよね」

「何で?」

「超素朴な恋愛が好きで、経験値もない上、これといった理想とかも無いから」

 梢は続ける。

「そういうのって、本にしたところで話題にもならないし、実際売れないんだよね。面白くないし。兼業じゃなくて専業作家だから、言い方は悪いけど売り上げないとご飯も食べられないし。自費じゃないから、好きなもん書いて売れても売れなくてもいいや、っていうことも出来ないし」

「まあ、たしかに?」

 仕事が作家というからには、稼ぎ、それが直結する生活は、書籍の売れ行き次第。
 確かに言い方はアレだけれど、現実的な問題として、売れる作品を書かなければ意味がないことは間違いない。

「作風とかは結構自由にさせてもらってるし、それがファンの人たちにもウケてるんだけど、だからこそ、編集ちゃんが『ぜひ書いて欲しい』って言い続けてくれてる恋愛も、ホントは書きたいんだよね」

「でも経験値不足で素朴な恋が好きだから書けない、ってジレンマなわけだ」

「そゆこと。お、やった。この子のレア欲しかったんだよね」

 頷き、また手元のカードに視線を落とす。
 ひひっ、と子どものように笑うのは梢の癖だが、今この場に於いてそれは、一種の逃避か、自分を保つ為の行動のように見えて仕方がない。
 それくらい、今のこいつは見ていて不安定だ。
 その答えを示すみたいに、手に持つそれらを見つめていたかと思えば、深く重い溜め息を吐いて、また机に突っ伏す。

「書きたいけど書けないこの感じ、何とかならないかなぁ……」

「作家って仕事のことは分からんけど、なら超素朴な恋愛ものでも、編集を唸らせるに足るものが書ければワンチャンってことはないのか?」

「ある。けど、それならそれで経験ってやつもものを言うの。その上で、文章力、語彙力、表現力、よくよく考えれば薄味だろそれって物語を濃い味に錯覚させるだけの構成力――ハードルは超高い」

「ふーん。いっそノンフィクションってのは?」

「考えたけど、あたしの実体験で劇的なのって、あんたも知ってる粗大ゴミと付き合ってた3年の汚点だけだよ? あんなの聞いて面白い?」

「んや、全然」

「でしょ?」

「ん。人に聞かせるもんじゃないわな」

 梢は、何かにつけて俺に報告や相談をする。
 話していないことだってあるかも分からないけれど、全体の内、大半は知っている筈だ。親より先にこっちに相談に来た、ってことばかりなのが良い理由だ。
 その中で、梢が『面白い恋愛』や『劇的な経験』をしたって話は、無い。

「なるほどな。そこで、じゃあやっぱ書けないじゃんって話に戻るわけだ」

「そゆこと。ぐーるぐーる、おんなじことばっか考える坩堝にはまっちゃったってわけ」

 指先で机の上をかき混ぜながら、梢はまた、新しいパックを無表情に開ける。
 一枚二枚と捲って、お、へぇ、と小さく零すも、先までの顔をする気力もない様子だ。

「素朴な恋愛ねぇ」

 俺も、どちらかといえばそういう恋愛の方が好みだ。
 劇的なものは創作物で十分。物語は、自分に置き換えて考えた時、理想から程遠い方が良い。そういうものは、自分でするには荷が重いと常々思っている。
 恋をするなら、相手は日常の延長が一番気楽で良い。
 そう。言うなれば、当たり前ってやつが良いのだ。

「恋愛ってさ、一番身近で、よく知る相手が、正直なところ一番いいよね。いい大人だし、将来のこととか考えると余計にさ」

「俺も今丁度思ってた。オタ活やってると下手に憧れってやつもあったけど、自分でするには無理だなって。気の合うやつが一番良いよな」

「そうそう。劇的な恋ってのも実際あるにはあるんだろうけど、そういうのって偶然に生まれるものだろうし狙ってやれることじゃないもんね」

「だな」

 芸能人や、一般人でも海外の人とか、テレビで取り上げられるようなものを見ていると、へぇこんなこともあるんだなとは思うけれど、だからと言って、それを自分でやってみたいとまでは思わないし、思えない。
 当たり前で、素朴で、普通の、そこにある当然の付き合い。
 日常の延長ってやつの方が、やっぱり好ましい。

「でもさ、腐れ縁相手に恋は無理じゃない?」

「どうだろうな。意識するもんなんかもサッパリだし」

「だよねぇ。そういう目で見たことない相手だもんねぇ」

 笑いながら呟くように言うのと同時、最後の一枚と思しきそれが机上に置かれる。

 カチ、コチ、カチ、コチ……。

 手持無沙汰になった梢は身体を起こし、ようやく一本、手に取るのだった。

「全部くれるんじゃなかったのか?」

「一本だけ」

「ん、仕方ないから譲ってやる」

「あたしが勝って来たんだけどー」

 呆れたように言いながら、手に取ったものの蓋を開ける。
 そうして一口――長い長い一口を楽しんで、休日前の夜を迎えたおっさんくらい潔く「ぷはぁ!」と息を吐くのだった。

 恋をするなら腐れ縁――。

 わざわざ話す意味もなく、話しても来なかったそれだったけれど、ふと出てしまったのなら、互いに同じ価値観を持っているのなら、ふと何かを意識してしまうのも無理はなくて。
 沈黙が悪さをして、互いに黙ったまま、互いに何となく、顔を見れなくなってしまった。
 それを誤魔化すようにもう一口飲み進める梢を見ながら、俺も一本、飲みなれたチューハイの缶を手に取り、蓋を開け、思い切りグッと一口含んだ。