好きな人の笑顔が見られるなら、毎日弁当作るのも苦ではありません

 それからは毎日、僕は弥生の家で夕食を作ることが日課になった。食費は「これ使えよ」と弥生の両親からの生活費を渡され、なんとかやりくりしている。

 少し多めに作ってタッパーに入れ「これ、明日の朝食べて。電子レンジで温めるだけだから」と弥生の朝食の分まで作ることも増えた。

 弥生は食べること自体は嫌いではないのか、僕が家で振る舞う料理はいつも美味しく(たい)らげてくれた。初めの数日は弥生が食べるのを見て満足していたが「一緒に食えよ」と言われ2人分を作ることになり、向かい合わせになって一緒に食べる。

 弥生は怖いヤンキーかと思っていたが、案外見た目が恐ろしいだけで食事しながら他愛(たわい)もない話をしていれば普通の男子高校生だった。
 最近は声をかけても猛禽類(もうきんるい)のような鋭い目で睨まれることはなく「ん?」と穏やかな顔で振り返られることが増えた。

「……弥生クン。いつも不機嫌そうだったのに。最近は話しかけやすいな」
「そう? なんか……小さなことにイライラしなくなったというか。確かに前はお前に話しかけられるだけで腹立ってたな」
「野生動物が、人間に懐いたような感覚……」
「俺を動物に例えるなよ」
「あ、口元にご飯ついてる」

 今日は(さば)西京焼(さいきょうや)き。それからほうれん草の胡麻和(ごまあ)えと白米、舞茸(まいたけ)と大根の味噌汁。魚でも弥生は喜んで食べてくれる。

 弥生の口元に白米が付いていたから、手を伸ばして取り「ほら」と見せれば。弥生はそのまま僕の指ごと咥えて米粒を食べた。

「……ぁ」
「なんだよ」
「随分、警戒心なくなったね……びっくりしちゃった」
「だってお前の……作る料理は、美味しいから」

 黙々と魚を食べる弥生を、僕は少し置いていかれたような気分で呆然と見つめる。

 僕の料理は美味しいと、求めてくれている。とても嬉しいことだった。僕も弥生が健康的になることが嬉しくて毎日家にきて料理を振る舞っているけれど。

 僕自身に別の理由があると垣間見てしまった。弥生に咥えられた指先から、じわじわと熱を持ち心臓がトクトクと高鳴り顔も熱くなっていく。

(この、気持ち……でも、どうして?)

 僕の料理を弥生が食べてくれるから?
「美味い、うまい」といつも嬉しそうに言ってくれるから?
 ……弥生は、美味しい料理を作ってくれる人なら誰でもいいのだろうか。

 そう考えると、高鳴っていた気持ちが……一気に沈んでいく。

(こんなことで一喜一憂(いっきいちゆう)して、馬鹿みたいだ)

 今芽生(めば)えた気持ちは、気付かなかったことにしよう。そうすれば、僕はただ弥生を喜ばせるために手料理を振る舞うことができるから。

 ……ほんの少し、胸は痛いけど。





 *





 翌日から、弥生と少し距離を取ることにした。「なんで作ってくれないんだよ」と唇を尖らす弥生に随分懐かれてしまったなあと苦笑しながら「最近、卯乃と夕食を食べてないし」と誤魔化せば「まあ、確かに……」と引き下がってくれた。

「やっぱり弥生クン、今までは栄養不足で体も細かったし、イライラしやすかったのかも。最近は僕にも優しくなってくれて嬉しい。これからもガン飛ばすんじゃなくて、優しく笑ってくれたらみんなからモテると思う」
「それは……お前の料理が美味いからで」

 そう、料理。
 弥生が求めてるのは、僕じゃない。
 美味しい料理を作ってくれる人はたくさんいるから。心配しないで。

「俺は明日から何を食えばいいんだ」

 離れようとしたのに。
 捨てられた子犬のような顔をされたら。無視できなくなるじゃないか。僕の意思は簡単に砕け散る。
 
「……3日間だけ。卯乃と食べる。その後は……また弥生クンの家に来るから」
「卯乃が羨ましい……」

 卯乃とはどんな関係なのだろう。卯乃は弥生を殴ろうとしていたし、弥生は卯乃に苦手意識があるようだ。犬猿の仲のようにも見える。

 帰ろうとすれば「もう少しだけ……時間いい?」と手を取られ、冷凍庫に入っていたミルクのカップアイスを渡される。

「いいの?」
「いつも、作ってくれる礼」

 2人でソファーに座って、ちびちび食べていく。何もない時間。いつも料理してたり食器洗っていたりでバタバタしていたから、静かな時間が新鮮だった。

「このアイスは、どうしたの?」
「コンビニで買った。毎日作ってくれるうづ……お前に、渡したくなって」

 多分、今名前を言いかけてた。
 でも恥ずかしくて「お前」呼びに戻った。
 名前を呼んでくれるのはいつかな、と思いながら「気が利くね」とだけ言っておく。
 駄目だ。弥生の優しいけど、不器用なところが見えてしまって。
 どんどん好きになっていく。好きにならないために距離を取るから。少し離れたら落ち着くはずだから。

 アイスが溶けていくにも関わらず、ゆっくり食べていく。
 溶けたアイスがスプーンから顎を伝っていくのを「あーもう」とティッシュで拭いてくれる弥生に……ドキドキして、胸が苦しい。


  
 玄関先まで見送りにきてくれた弥生を振り返り「またね」と手を振れば、控えめに弥生も手を振り返してくれた。家族同士のやり取りを知らない弥生が、どんどん人間味を増していく。





 *





 久々に卯乃と夕食。弥生との関係を尋ねれば「ああ。縄張り争いでわたしが勝ったのよ」ととんでもないことをしれっと言う。僕が作った鮭のムニエルを頬張りながら。

「え⁉︎ 縄張り争いとか……女番長(スケバン)かよ⁉︎」
「まあ、そんな感じ。体育館裏にいつもいた弥生をコテンパンにして、屋上に追いやった感じ?」

 ……。知らない。
 お兄ちゃんはそんなヤンキー事情知らない。卯乃が女番長だったなんて……。

「そんな……」
「で、背負い投げして気付いたのよ。弥生、男子にしては体重軽すぎだし、殴る力も弱かったし。お兄ちゃんが作ってくれた弁当を目の前で広げて食べたら大きくお腹を鳴らしてたし。……いつも不機嫌なのは、お腹空いてるんだって」
「……だから、僕に弁当を作ってほしいって言ったの?」
「……回りくどかったよね。素直に初めから包み隠さず言えばよかった。せっかく作ってくれたのに、弥生の過去を知らなかったからおかずを捨てられるとも思わなかったし……ごめんなさい」

 卯乃が女番長だったこと。
 弥生が卯乃に負けていたこと。
 卯乃も弥生のことを気にしていたこと。
 全ての辻褄(つじつま)が合っていく。

「そっか……卯乃は弥生クンを好きなわけじゃなかったんだ……安心した」
「安心した?」
「あ……なんでもない!」

 卯乃と夕食をとる1日目だったけれど。
 無性に弥生に会いたくなってしまった。





 *





 翌日。
 3日間は会わない約束だったのに、結局僕から会いに行ってしまった。
 スーパーに寄り道して食材を調達してから弥生のマンションに向かい、インターホンを押すと……モニターを見たであろう弥生の『は? なんでいんの』なんて声が返っくる。1日会わないだけでこんなに不機嫌になるものか……と苦笑し「入れて」と声をかけようとすれば。

『ねぇ、誰〜?』

 若い女性の声が聞こえた。『うわ、ちょ……聞こえるだろ、離れろ!』と言う弥生の焦っている声に……浮き足立っていた淡い気持ちがサーッと崩れ落ちていく。

 誰? 女の人?
 ……連れ込んでいたの?

 初めて家にきた時、突然キスされたことを思い出した。……そうだった。弥生は、家にきた人とは関係を持つ人だった。

「や、やっぱり……帰ろうかな」
『待て。……片付けるから。……おい、帰れよ』
『何それ、ひどーい』

 また、女性の声。
 胸がざわざわと落ち着かない。

(約束通り3日後にすれば何も知らずにいられたかな……僕が勝手に来ちゃったから……)

 後悔の念が渦巻いていると、目の前のドアが開錠される音がした。弥生がいつもエレベーターでボタンを押す階を今日は僕が押し、部屋の番号まで向かえば……「何よ、これからだったのに! アタシより大事な用事って何⁉︎ サイテーなんだけど!」と廊下に追い出される女性……というか、同じ学生服の女子生徒だった。彼女と目が合う。気まずい。

 玄関のドアから弥生が上半身裸で現れる。
 あまりの衝撃に、ドクンと心臓が脈立ち目を逸らす。
 ……そういうことをした、最中だったということを証明している。

「飯。作って」

 弥生はそれだけを言って、僕の腕を掴んで部屋に連れ込んだ。女子生徒の「はぁっ⁉︎」と叫んでドアをガンガン蹴る音が聞こえる。

「飯ならアタシが作るんだけど!」

 鍵を閉め、スタスタと弥生はリビングに戻っていく。追いかけると、ソファーには弥生の制服を脱いだ後があり、そして嗅ぎ慣れない香水の香りがした。顔を顰め、窓を開けにいくと「香水苦手なの」と尋ねられる。

「……僕の知らない香りを嗅ぎたくはないかな」
「ふぅん? 今日きてくれるの意外だった。作りにきてくれたの?」

 そのつもりだったけど。
 ……僕は、今何に落胆しているのだろう。弥生が、元気ない方が嬉しかった? そんなの、最低な考えだ。

 僕の料理がないと生きていけないようになればいい、なんて。
 呪いみたいだ。

「……昨日の夜は何食べたの?」
「適当に、焼きそばパン」
「少しは自炊(じすい)しなよ……」

 ゴミ箱を覗くと、確かにパンの袋が数個捨てられていた。僕がいなくなったら弥生は元の生活に戻ってしまうのだろうか。あんなに美味しいと言ってくれていたのに。

「今日、は……作りたくない、かも」
「……そう? 食材も買ってきたのに?」
「うん……明日、使うから……」

 冷蔵庫に野菜を入れる作業をしながら、考える。

 どうしてモヤモヤするのだろう。
 どうして弥生が女子高生と会っているというだけで、胸が苦しくなるのだろう。
 弁当のおかずを目の前で捨てられた時のような衝撃だった。

 弥生と一緒にいると、苦しいことが多い。

「……どうしたんだよ」

 動かない僕を不審に思って弥生が近づいてくる。「なんでもない」と顔を背けようとした僕の顎を掴んで……弥生はそっとキスをした。

 一瞬トキめきかけたけど、すぐに気持ちは沈む。

 それ、さっきの彼女にも同じことしてたんでしょ。

「やめてよ」
「なんで。寂しそうな顔してるのに」
「そんなのじゃない」
「じゃあ、なんだよ。言えよ」

 僕ばかり気持ちが募っていって、馬鹿みたいだ。弥生は僕のこと……なんとも思っていないのに。

「ぼ、僕は……無償で料理をしにきているわけじゃないよ……っ」
「……。何を求めてるんだ?」

 凛々しい眉が(ひそ)められる。困らせている。でも怒らずに、話を聞こうとしてくれている。少し前なら、こんな僕はきっと殴られていただろう。

「やっぱり、あれか。お前も、俺と関係持ちたくなった感じ?」

 へら、と弥生は薄く笑って。顔を近づけてくる。

 僕は関係を持ちたいのだろうか。
 興味はあったけど、少し違う。
 体よりも、もっと強い繋がりがほしい。

 弥生が『僕の料理を好き』だという、それ以外の、強い気持ち。

「……弥生といると、辛いよ……」

 キスされる寸前で呟く。情けなくも震えた声だった。無視してもよかったのに、弥生はぴたりと直前で止まった。数秒後、僕から離れて「帰れ」とソファーに座り込む。

「ぁ、の……弥生――」
「帰れ。……悪かった」

 弥生の背中。
 弥生が悪いわけじゃない。
 勝手に好きになった僕が悪い。
 勘違いさせていると慌てて弁解しようとしたけど「帰れって言ってんだよ!」と怒鳴られてしまえば肩が竦み、逃げるように玄関に向かう。震える足でなんとか靴を履き、ドアノブに手をかけ……「あ、明日のこと、なんだけど」と思い切って声かけると「来なくていい」とリビングから言われる。

「……でも」
「なんだよ。お前がいなくても、適当に飯は食う。今までまだって勝手に飯を作っていたのはそっちじゃん」
「……そ、うだね。……あ、あのっ」
「俺の家にはもう2度と来んな」

 ドン、と胸を強く押されて追い出される。目の前でドアを閉められて、拒絶されたのだと気付いた。

「や、弥生……クン……弥生……やよい……っ」

 どうして涙が溢れて止まらないの。
 僕はどこから間違えてしまったの。