なにものでもなかった僕が選ぶ幸せになる条件について

 家に着いてからも、ぼーっとしていた。
 まだ、繋いでいた手にぬくもりが残っている。
 僕がその手を、ニギニギしていたら、お母さんから声を掛けられた。

「なに、手が痛いの?」
「へ? い、いやそんなことないよ。ちょっと手の運動―」

 誤魔化し方がヘタ過ぎる!

「和貴、ちょっと髪を切ったら? ただでさえ目が悪いのにその前髪でもっと悪くなっちゃうよ」
「うん。そうだね……」

『そのウザい前髪切ったらそこそこイケメンになりそうじゃん』

 徹から言われた言葉が浮かんだ。
 イケメンかどうかはわからないけど、これから人前に立つ機会が増えるし、そこは考えないとな。

「明日、おじさんのところに帰りに寄ってくる」
「そうね。一応電話しておこうか?」
「うん、お願い」

 お母さんの弟がやっている美容院。
 イケメンに見えるように切ってってリクエストしようかな……
 太刀山先輩の横にいる僕を見て、周りの人がガッカリしないように。
 成績を上げること以外の欲が出てきたことに自分でも驚く。
 でも……口元がほころぶ。

「なに、ニヤついてるの? 最近、ちょっとご機嫌よね。学校で何かあった?」
「うーん。そのうち話すよ。それよりお腹すいたー」
「はい、はい」

 副会長の件も、好きな人がいることも、お母さんが知ったらどんな反応をするかな?
 想像するだけで、ウキウキしていた。

🔸🔸🔸

『ごめん、寝るところだった?』
「いえ、ちょうどお風呂から出てきたところです」
『さっき、別れたばっかりなのに、声が聞きたくなっちゃった』
「……僕も」

 お風呂から出て、明日の数学の予習をしようと教科書を出した時に、太刀山先輩から電話が掛かってきた。
 僕は秒で画面をプッシュしていた。

「咳は大丈夫ですか?」
『うん。さっき薬飲んだらだいぶましになった。オックンにうつしていたら、ホントごめんだけど』
「僕は全然元気です!」
『はぁー。なんか自分でも驚くよ』
「何がですか?」
『好きな人ができると、こんなにも会いたい、声が聞きたいってずっと想っているんだなーって。わりと自分はクールなタイプだと思ってたのに』

 先輩の言葉に、胸がギュッと苦しくなった。

「ぼ、僕もです! だから電話してくれてすごく嬉しい……どうしたらいいですか?」
『え? なにが?』
「すごく苦しいです、今」
『だ、大丈夫か? え、救急車呼ぶ?』

 電話越しで焦っている先輩がちょっと可笑しい。

『え、待って。笑ってるだろ?』
「笑ってなんてないですよー」
『え、俺のことからかった?』
「からかってなんかないですよー」
『ちょ、ちょっと待てよ!』

 そう言うと、ビデオ通話に切り替えられた。
 いきなり、太刀山先輩の格好良い顔が画面全体に登場してきて、僕は思わずスマホを落としそうになった。

「ひ、ひゃー。ちょ、ちょっと待ってください、え、えーと」
『わかりやすいほど、動揺してるなーオックン。そういうパジャマ着てるんだ』
「う、うわー。見ないでください。髪の毛もボサボサだし。ダメ!」
『なんで、可愛いじゃん。やっぱり眼鏡いいねー。大好き』
「え! そ、そんなこと言われても。ダメです」

 僕はスマホを顔から遠ざけたり、片手で顔を隠したり、一人で右往左往していた。
 っていうか、僕が画面オフにすればいいのでは?
 
『カメラオフにはしないで! せっかく、顔見て話せて嬉しいのになー。そんな反応するんだ』
「え、だって……先輩はそのままカッコ良いけど、僕は……」
『それ、止めよう。人と比べて自分を下げるのは禁止。俺は、そのままのオックンが好きなんだから』

 人と比べて……
 その言葉がずしんと響いた。

「はい……」
『うん。素直でよろしい。生徒会選挙が終わったら、デートしよう。ちょうどGWに入るし。俺、色々プランを考えているんだ』
「デートですか! えー、行きたい! 先輩とならどこでも行きたいです!」

 デート。
 このパワーワードを僕が口にすることがあるとは!

『それでさ……』

 数学の予習なんて、どうでも良くなった。
 僕たちの会話が途切れることはなかった。
 
🔸🔸🔸

 放課後、おじさんの美容院に向かう。
 明日からは選挙まで毎日、放課後に対策会議が行われる。

「その前に、少しは映えさせないとな……さぶっ!」

 自分で口にして、自分でツッコんだ。
 そんなキャラじゃなかったのにな……と思いながら、学校がある駅の隣駅に降りた。
 おじさんの美容院は、人気があるらしく常に満席だ。
 いつも、陽気なチャラいおじさんと話す時間は楽しい。

「いらっしゃいませー」
「こんにちは」
「和貴くん、久しぶりだね。背が高くなった?」
「い、いや、どうなんだろう」

 いつも話しかけてくれる美容師の恵子さんと話しているうちに、おじさんが登場した。

「よー、和。なんか大人になってないか? え、恋でもしてるか!」
「は? いや、いや」

 直球を投げられて、僕は上手く受け取れなかった。
 しかも、おじさんの声が大きい。
 周りにいた、スタッフの人たちに笑われた。
 僕は、シャンプーをされて、鏡の前に座ってタブレットを見ていた。

「こちらでお待ちくださいー。タブレット見ます?」

 鏡の端に、大きな人影が映ると、隣の席に座った。

「いえ、スマホあるので大丈夫です」

 お? 隣の席から聞いたような声がする。
 でも、じろじろと隣の人を見るのも悪い気がして、僕はタブレットから視線を外さなかった。

「お待たせ! 伸びたなー。どうしよっか?」

 おじさんが、僕の濡れた髪を手ですいている。
 おじさんになら言ってもいいかもと思い、徹から言われた言葉をそのまま伝えた。

「前髪を切ったらイケメンに見えるんじゃね? って友達に言われた。どう思う? からかわれただけだよね?」
「おー、そんなこと言う友達いるんだ。和、少しは自信を持て。おじさんの甥だぞ、おじさんの血が入ってるんだから、イケメンに決まってるだろ」
「ウザっ!」

 おじさんになら躊躇なく突っ込める。

「おい! まあ実際、和はこの大きなクリクリした目が可愛いからなー。そこを強調しない手はないな。短くしてみようか」
「うん。おじさんに任せる」
「OK」

 おじさんが指で〇をした。
 信頼できるおじさんに、僕のイケメンへの変身を託した。

「二年になったのか。相変わらず、帰宅部なんだっけ?」
「うん……それがさ」
「おお」

 お母さんやお父さんにもまだ話せてないことを、おじさんに言うべきかちょっと迷っていた。
 でも、誰かに聞いて欲しかった。

「僕さ、生徒会の副会長をやるんだ」
「え! 和が! うっそ、どうしたんだよ。えーすげえな」
「まだ、お母さんたちにも話してないんだ。昨日、決まったばっかりだし」
「いいと思うよ。和がそうやって誰かと関わろうとすることは」
「……うん」

 おじさんの口調は軽いけど、でもその軽さが僕の口を素直に開かせてくれる。

「冬ごろだっけ? 落ち込んでただろ。姉さんも心配してたけど。でも今は楽しそうに見える」
「ホント? 楽しそうに見える?」
「うん。だいたい、和の口からイケメンなんて単語初めて聞いたわ」
「そ、それは僕が言ったわけでは……」

 会話をしながらも、ハサミが軽快に僕の髪の毛を軽くしていく。

「いいんじゃないの。高校生活ほど楽しい時間はなかったよなー。青春、アオハルだろ。楽しんだもん勝ちだよ」
「おじさんの口から、アオハルなんて単語初めて聞いたよ」

 僕もやり返してみた。
 おじさんの苦笑いが、鏡越しに映る

「そういうところがさ、楽しそうだよ」
「うん。楽しいよ毎日」
「そりゃ良かった」

『楽しい』と誰かに言葉で伝えたのは初めてだった。
 
「一旦、洗い流すから。ちょっと待ってて」
「はい」

 鏡に映る僕の髪は、美容院に入ってきた時よりもかなり短くなっていた。
 目の上にかかっていたウザい前髪は、どこかに消えた。

「シャンプー台へどうぞー」

 僕が席を立つと、隣に座っていた人とおじさんが会話をしていた。

「背が高いから長いの似合うよね。あまり切らないようにしようか?」
「そうですね、襟足を短くしてもらって、前髪は今でもバランスいいです」

 え、やっぱり聞いたことがある声だ。
 でも、僕はその人を見る勇気が無くてそのまま奥のシャンプー台に座った。