なにものでもなかった僕が選ぶ幸せになる条件について

「……巧は北海道で元気にしてるよ。まだまだ不安定な時もあるけど。環境が変わったのは良かったって」

 冬休みが終わると、巧が転校したと担任に言われた。
 それっきり、LINEも電話も通じなくなった。
 僕の中から完全に巧が消えてしまった。
 クラスでは、何事もなかったように毎日が繰り返されていた。
 二年生に進級すると、問題の人物は父親の転勤に伴い、シンガポールに行ってしまった。
 結局、巧だけが人生を狂わされた。

「僕は今でも、この先もずっと後悔し続けると思います」
「……俺もだよ。俺と同じ高校に通いたいって受験して入って来たのに、俺は何もしてやらなかった。一年は一年の中で解決しろよなんて、突き放していた」

 初めて聞いた低く唸るような声に、思わず顔を上げて太刀山先輩を見つめた。
 視線を落とした悲しそうな表情を見ていると、気が付くと、太刀山先輩の手を両手で包んでいた。
 先輩は少し驚いたように目を見開くと、ゆっくりと笑顔になった。
 
「……ありがとう、オックン」

 🔸🔸🔸

 校舎を出て駅へ向かう。
 僕は、左を歩く太刀山先輩の顔に自然と視線を向けてしまう。その視線に先輩が気づくたびに、わかりやすいほど焦って視線を逸らすのを繰り返していた。

「オックン、挙動不審に見えるぞ」
「す、すみません……」
「じゃあ、こうしようか!」

 そう言うと、僕の左手と恋人繋ぎをした。

「え!」

 僕のリアクションに対して、先輩は声を出して笑うと、繋いだ手を大振りして歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ってください」
「どうして? 俺と手を繋ぐの嫌か?」
「嫌っていうか……人目もあるし」
「へー、オックンは人目とか気にしないと思っていたけど、意外だなー」

 太刀山先輩はそう言うけど、このシチュエーションで気にしないわけにはいかない!
 僕は手を繋がれながら、そわそわと周囲を見回していた。

「た、太刀山先輩……勘弁してください」
「嫌だ! さっき俺の手を包んでくれただろ、そのお返し!」
「そ、そんな~」

 僕は太刀山先輩に翻弄されながらも、胸のドキドキが止まらなかった。
 
「副会長やるって言えば、放してあげる」
「はぁ~? それって脅しですよー」
「好きな相手には、押すのも引くのも大事なんだよ」

 好き? 一瞬、その言葉が耳に反響した。

「え……? う、うわー上手いなー」

 僕はおちゃらけて流そうとした。

「そうやって人を落とそうとしてるんだ。ひどいー。後輩にそんなことするなんて」

 いきなり、先輩が立ち止まったため、僕はつんのめりそうになった。

「俺に落とされたら嫌か?」
「……な、何ですか?」

 今まであんなに楽しそうにしていた太刀山先輩が、真剣な表情を僕に向けた。
 僕は口を半開きのまま、立ちすくんでしまう。
 先輩は視線を逸らすと、軽く息を吐いた。

「ごめん。調子に乗りすぎた。バス停そこだろ? 気をつけて帰って」
「は、はい。先輩も気をつけてください」
「今日はありがとう。また、来週」

 軽く僕の肩を叩くと、先輩は駅に向かう信号を駆け足で渡って行った。
 一人残された僕は、さっきまで繋いでいた左手の温度を感じながら、視線だけはずっと太刀山先輩の後ろ姿を追っていた。
 
🔸🔸🔸

 土曜日、昨日の余韻を引きずったまま、登校した。
 泣きすぎたのか目が腫れて、コンタクトができずに眼鏡にした。
 自分の席に着くと、徹がニヤニヤしながら近づいてきた。

「おはよ」
「おー、なんか目が腫れてないか?」
「そうかな……っていうかなんでニヤついてるの?」

 徹はニヤけた口元を隠すように、唇を尖らせた。

「昨日、見ちゃったからさー」
「え! 何を!」
「いやー、まさかオックンがさ……」
「ちょ、ちょっと待って!」

 自分でも驚くほど大きな声を出していた。
 クラスの何人かの視線が僕に向く。
 マズいっ! こんなことで目立ってどうする。

「そんなビビんなよ。お前、生徒会の打ち合わせする部屋に入っていっただろ。それを見たの」

 は? 前のめりになっていた力が一気に抜けた。

「え、ああー、そういうことか」
「そういうことかって、これってかなり驚きなんだけど!」

 今度は徹の声が大きくなった。
 ちょっと待って、今の時点で他の人たちには知られたくない。

「いや、それは……あの」
「この前、太刀山先輩に詰められていたのはそのことか?」
「え、う、うん。まあ」
「え! ってことはモブ代表の奥和貴がついにモブ脱出ってこと?」
「だから、声が大きいよ!」

 こんなことでツッコまれるとは想像していなかった。
 僕は気の利いた返しをしなければと思いながら、今の状況が整理できない。

「スゲーじゃん。あの人気の先輩と一緒にやるって尊敬―」
「マジで言ってる?」
「おお。マジ。俺の陰キャのダチが生徒会とか自慢なんだけど、っていうか、オックンさ、そのウザい前髪切ったらそこそこイケメンになりそうじゃん」
「はぁ? 何言ってんの?」
「だから、太刀山先輩は声掛けたのかなー?」

 一人でモゴモゴ言っている徹の反応に、ちょっとほっこりした。

「やったほうがいいと思う?」
「うん。やれよ! お前頭良いし、合ってるんじゃね? 人づきあいの勉強にもなるよ」
「な、なにをエラそうに!」

 そう言いながらも、数少ない友達と言える徹からの言葉に後押しされた気になっていた。
『やれよ!』その言葉を噛み締めながら、自然と左手に視線を落としていた。