なにものでもなかった僕が選ぶ幸せになる条件について

 僕が落としたカバンを、太刀山先輩は静かに拾うと机の上に置いた。
 僕は、視線が彷徨ってどこを見ていいのかわからず、腰が抜けたように椅子に座った。

「ごめん。なんか色々と畳み掛けてしまって」
「……どうして巧のこと知っているんですか?」
「……」

 僕はまだ声が震えていた。でも、さっきのように興奮して震えたわけじゃない。
 太刀山先輩の無言が怖かった。

「どうして……ですか」
「巧は俺の従弟なんだよ」
「え! 嘘! だって、名前が……」
「巧は母親の妹の息子。俺と一歳違いの従弟」

 僕は声だけではなく、身体全体がわなわなと震えて、思わず自分で自分の身体に手を回して止めようとした。
 目の周りはじんわりと熱を持ち、パチパチとまばたきをして堪えた。

「大丈夫か、オックン」

 太刀山先輩は僕の横に座り直すと、僕の肩を抱いて引き寄せた。
 僕は抵抗することなく、太刀山先輩の胸に頭を預けた。それでも震えは止まらない。
 だって、太刀山先輩の口から巧の名前が出るなんて思いもしなかったから。
 
「オックンは巧を守ってくれたんだよな。ずっと巧の側にいてくれただろ。いつも巧から聞いていた」

 太刀山先輩の優しい声に、巧の姿が浮かんできて、堪えていた涙が一気に溢れた。
 人前で泣きたくなかった。でも、恥ずかしいぐらい声を出していた。

「で、でも、僕だけじゃ何の力にもなれなかった……結局……ひっ、ひっく」
「そんなことないよ。十分力になってくれたよ。俺なんて、一番身近にいたのに、何もしてやれなかった。ずっと後悔してる」
「……ごめんなさい。ごめんなさい」

 涙が止まらない僕を、太刀山先輩が真正面から抱きしめた。
 
「謝らないで。オックンは何も悪くないんだから。巧は今でも、オックンに感謝してるんだから」
「……巧に会いたいです」

 僕のただ一人の親友。
 
🔸🔸🔸

 大城巧は高校受験で入ってきて、同じクラスになった。
 中学からの内進者と高校からの外進者とでは、自然とグループが分かれる。
 どこにも属さない僕のようなタイプが珍しかったのか、巧からよく声を掛けられた。
 明るくて、誰とでも仲良くなれる社交性があるのに、存在感皆無の僕の何が気に入ったのかわからなかった。
 でも、音楽やゲームの趣味が合って、自然と二人で過ごす時間が多くなった。
 弁当を一緒に食べたり、行き帰りも一緒で、僕が行こうとしていた塾の夏期講習にも興味を示すと一緒に通った。
 中学から僕を知っている子たちには

「オックンが笑っているよ」
「……意外すぎてこっちが笑える」

 と言われた。
 自分でも驚いた。
 巧には何でも話せて、何でも共有できた。巧は常にポジティブで、正義感に溢れて、クラスや学年の行事にも積極的に手を挙げて参加していた。
 
「生徒会長に立候補しろよー。僕がバックアップするから」
「ぶっちゃけ、興味はある! でも、オックンのバックアップじゃ、何の役にも立たないな」
「お前! 言ったな! じゃあ絶対協力してやんない! この間の塾の宿題も答え合わせしてやんない!」
「あー、ゴメン! 冗談だってわかるじゃんー。機嫌直せよー。アイス奢るから!」
「そんな食べ物で釣ろうと思うなんて……いいよ、ハーゲンダッツの高いやつね」
「おまっ! はい、はい。食べ物につられているのはどいつだよ」

 巧とはボケたりツッコんだり、お互いの立場がくるくると変わって面白かった。
 大学までずっとこの友情は続くと思っていた。
 でも、巧の正義感が仇となった。
 夏休み明け、巧が家族で入ったレストランで撮った写真に、同じクラスの一人が写ってしまった。その姿は、ビールを飲んでいるように見えた。
 偶然写ってしまっただけなのに、巧はクラスのLINEにその写真を投稿した。

――未成年飲酒じゃないのか?

 その写真に写った人物は、幼稚舎からこの学校に入っていた有名な子だった。
 たまたまが重なった結果、巧の学校生活は滅茶苦茶になった。
 あからさまなイジメはされない。でも、LINEでは無視され続け、ホームルームで盛んに発言していた巧の口が、封じられた。

「俺、メンタル最強だから全然問題ないよ。ただ、オックンが俺といることで嫌な思いするかもしれないから、一緒にいるのはやめよう」
「なんで、大丈夫だよ。もともと、僕はずっと一人でいたんだから、巧と一緒にいるよ!」

 巧は強がっていたけど、僕の言葉に少し瞳が揺れたように見えた。
 メンタルが最強とかいう問題じゃない。無視ほど、苦痛なことはないと思っていた。だから、できるだけ一緒に行動した。
 そもそも僕は、最初から相手にされてないのだから、怖いものはなかった。
 先生にも訴えた。でも、飲酒問題も結局なかったことにされ、巧への嫌がらせも明確な証拠がないで終わらせられた。
 悔しくて、スマホでスクショしても、録音しても、何も変わらなかった。
 そのうち、巧が学校を休むようになった。中学の時は皆勤賞だと自慢されたのに……
 理由はひとつしか考えられなかった。

 11月の日曜日、夏休み中にチケットを取ったコンサートがあった。もちろん、巧も行くと言っていた。だから駅で待っていた。
 その時、問題の人物と取り巻きが駅から出てきた。僕を見つけると、取り囲んだ。
 こんなところで、殴られるのか? 僕は身を固くすると、いきなり中心人物に肩を抱かれて、親しげに話しかけられた。

「なんだよ、お前早いなー。あ、お前の分のグッズ事前に買っておいたから。ほら、これ」
「え? どうして」

 差し出されたのは、ずっと欲しかったグッズ。

「だって、俺たちダチじゃん。オックンのためなら買ってやるよなー」

 そう言うと、取り巻き連中も笑いだした。
 僕は何をされているのかわからないまま、オドオドしていると、視界の中に僕を見ている巧の姿が映った。
 僕は一瞬、声を出すのを躊躇った。この状況を何と説明すればいいのかわからなくて。
 巧の表情は、今にも泣き出しそうにゆがんでいた。
 違うんだ、巧。僕は……
 巧は無言のまま、駅の中に消えた。
 僕が巧の姿を見たのは、それが最後だった。