なにものでもなかった僕が選ぶ幸せになる条件について

 その部屋には十五人ぐらいの生徒が集まっていた。
 太刀山先輩の生徒会長立候補を支持する母体。
 主に三年生が中心だが、二年生もいる。
 パッと見、イケてる人たちが揃っているように見えた。
 なんだか僕だけ浮いているように思えて、妙に身体に力が入る。
 既に、全員が顔馴染みの中、新参者の僕は太刀山先輩に腕を掴まれて皆の前に立たされた。

「本日から参加してもらう、二年三組の奥和貴くん。通称オックン。俺の強烈なプッシュに応えてもらったんだ。皆、よろしく頼むね。オックン、挨拶して」
「は、はい」

 人前で話すなんて、小学校の作文大会で1位をもらった時以来だ!
 昨日、寝る前に何を言おうか練習したけど、これだけの人を前にしてすべて抜け落ちてしまった。

「はじめまして。奥和貴です。ええと……尊敬する太刀山先輩に声を掛けていただきました。す、少しでも力になれればと思います。よろしくお願いします!」
「みんな、拍手―」

 わーっという声と共に大きな拍手をされた。
 練習したこととは違うこと喋ったけど、これはウケたのかな?

「オックン、よろしくねー」
「がんばろうぜ!」

 あっちこっちから声を掛けてもらえて、さっきまで力んでいた身体がふっと軽くなった。こんなの生まれて初めてだ。
 部屋の中を見回すと、一番後ろのロッカーに寄りかかっている昆野先輩の姿が目に入った。やっぱり、片側の頬だけを上げて微笑んでいた。
 知っている人がいるだけで、安心する。
 まだ、大して話を交わしたわけでもないけど、僕の中では既に馴染みの人だ。
 太刀山先輩が僕の肩の上に手を乗せた。
 思わず顔を見上げると、満面の笑みを返された。
 僕は顔が赤くなるのを感じながらも、その笑顔をもらって、ふつふつと胸の中に自信が湧いていた。

「タチの公約、Photoshopでチラシっぽく作ってみたけど、どうかな?」
「おーさすが、デザイン学科志望は違うな。スゲーじゃん」

 三年生の大木戸(おおきど)先輩が、幾何学模様の上に太刀山先輩の顔と、掲げる公約を凝った文字フォントにして印刷していた。
 正直、高校の生徒会でこんなに手の込んだものを用意するとは知らなかった。
 そのチラシを前にして、全員の声が大きくなる。
 僕も自然と気持ちが高揚していた。
 まだ、何をやるべきなのかもわからないのに。

「オックンはどう思う?」
「スゴイです。センスの塊ですね!」
「よ! オックンから褒め言葉いただきましたー」
「イェー」

 リアクションされる度に、少しきょどってしまう。
 大したこと言ってないのに、なんだか盛り上げてくれている?

「このフォントがすごくいい味出していると思います。堅苦しい言葉でも読む気になるというか……」
「堅苦しいって、言ったな―」

 どこからか、声が聞こえた。
 いや、待てよ! この言い方マズいのかも!
 堅苦しいって、ダメ、ダメ言い直さなきゃ!

「あ、堅苦しいっていうか……あの、えーと」

 自分で口にしたことをフォローしなきゃいけないのに、頭の中が真っ白になった。
 無意識に、左手の親指を強く引っ張っていた。
 落ち着け、落ち着け。
 自分を受け入れてもらう場で、マイナスから始めてどうする……

「いいんだよ。その通りだから」

 太刀山先輩が口を開いた。
 僕は気まずくなって、俯いてしまう。

「公約っていうのは堅苦しいもんだからさ。それ、本音じゃん。だからこそ、このポップさってことだよね、オックン」
「は、はい! そう言いたかったんです」

 ドッと周りが沸いた。
 太刀山先輩のアシストに、唇を軽く噛んだ。
 先輩に恥をかかせてしまうところだったから。
 本音じゃんと言いながら、太刀山先輩は僕ではないどこかを見ていた。

「でも、ちょっと字が多いかな……凪はどう思う?」

 相変わらず、輪には入らず後方で静かに見守るようにロッカーに寄りかかっていた昆野先輩が、輪の中に入ってきた。
 やっぱり詰襟のボタンを全部外して着ている。
 全員の視線が、昆野先輩に注がれる。

「うーん……全公約を載せなくてもよくないか? タチが一番訴えたいことをフィーチャーしたほうがインパクト強くなるだろうし、読む気も出るだろ」

 全員がうんうんと頷いたり、そうだよなと声に出している。
 言葉数は少ないのに、周りを納得させてしまう引力がある昆野先輩が不思議だった。

「さすが、俺の相棒。よしっ! それでいこう。大木戸、悪いけど修正してもらえる?」
「了解」
「一年から三年までの縦割りでのコミュニケーションを活発化させよう だけ残して」
「オッケー。次回までに修正して持ってくるよ」
「わりいな」

 太刀山先輩は大木戸先輩に手を合わすと、僕の方に振り向いた。

「オックン、公約のことで相談したいんだけど」

 太刀山先輩に声を掛けられた。さっきの挽回をしなくちゃ!
 それにしても顔が近すぎる……。

「え? はい。大丈夫です」
「じゃあ、この会が解散になった後に残って」
「わかりました」

 太刀山先輩が僕だけに相談してくれるってこと?
 こんなに大勢な人たちがいる中で、僕だけに残ってと言った。
 昆野先輩でもなく、僕に。
 僕は口角が上がりそうになるのを、慌てて手で隠した。
 
🔸🔸🔸

 あれだけいた生徒は、僕と太刀山先輩を残して全員帰って行った。
 かなり狭く、空気が薄いと思っていた部屋も、二人だけになると少し寂しくなる。
 太刀山先輩は、チラシを手に取りながらタブレットに何かを打ち込んでいる。
 僕は何をするべきかわからず、所在なげにただ座っていた。
 沈黙が流れても、何故か先輩といると気まずい感じにはならないのが不思議だった。
 まだ、話すようになって一週間しか経っていないのに、先輩と二人だけでいても、緊張感はあまり感じない。
 
「オックン、何考えてる? この沈黙が好きだーとでも思ってる?」
「え? いえ、別に……」

 太刀山先輩にはすぐに見抜かれる。どうしてだ? 人の心が読めるのか?

「そっか。俺はこの二人でいる空間が心地良いけどな」
「先輩もですか!」

 僕の言葉に、先輩はタブレットから顔を上げると、前髪をかき上げて口元だけで微笑んだ。

「……会話をしなくても気まずくならない相手って、なかなかいないよな。俺はこう見えても極度の人見知りだからさ、余計にね」
「人見知りなんですか? 誰とでもすぐに仲良くなれる全方位型陽キャだと思ってました」
「全方位型! いいなーその表現。言葉のセンスがいいよね、オックンは」

 太刀山先輩の声が優しくて、見つめる瞳が優しくて、それを受け止める僕の胸の鼓動が速すぎて、全身が小刻みに震え出した。
 気持ちを落ち着かせるために、おもむろにスマホを取り出すとLINEの通知が鳴った。

「え! ……これって」
「……どうかな?」

――今日の会合で伝え忘れましたが。僕が生徒会長になった場合、副会長は奥和貴くんを考えています。もちろん独断で決めようとは思いません。賛同、異論、反論があればこのLINEで流すか、週明けの会合で話し合いましょう

「だ、ダメです! そもそも僕は生徒会のメンバーとして参加すると思っていました。副会長なんて無理です!」

 話があるってこのことだったのか?
 心地良いとか思っている場合じゃなかった! 想定外の強襲に遭った気分だった。
 対策委員会のグループLINEに流された文章に困惑している僕に対して、目の前にいる太刀山先輩は、変わらず柔らかく微笑んでいる。

「そ、それに、僕は何の知識もありませんし、実績なんて皆無です! 絶対他のメンバーの中で太刀山先輩と一緒にやりたい人がいるはずです! 昆野先輩とか」
「凪はなにものでもないんだ。一メンバーなだけ。あいつはそもそも役割とか嫌がるし、俺の右腕としていてくれるだけでいい。でも、オックンとは共鳴する部分がたくさんあると思った。二人で進むべき方向性を決められるって」
「無理です!」
「どうして?」
「先輩は僕を買い被り過ぎです!」

 声は震えているのに、段々声は大きくなる。

「僕のことなんて何も知らないくせに!」

 自分で口にした言葉に驚いていた。でも、語気が強くなるのを止められなかった。優しい先輩に対してこんな酷い言い方をすべきじゃないけど、僕はなんだかバカにされているような気持ちにもなっていた。
 ただ、成績の良い奴だから選ばれただけ。
 僕は、耐えられず席を立ち、カバンを持ってドアの方に歩き出すと、腕を引っ張られ止められた。

「ごめん。強引なところは申し訳ないと思っている。でも、俺はオックンのことはわかってるよ」
「何をわかるんですか! ついこの間、初めて話しただけじゃないですか!」
「……大城巧(おおしろたくみ)のこと知ってるよ」
「……え」

 (たくみ)の名前が聞こえた瞬間、カバンが手から滑り落ちた。