なにものでもなかった僕が選ぶ幸せになる条件について

 対話セッションの意見をまとめて、縦割りコミュニケーションの案を確定させた。
 先生たちの承認を得られれば、7月1日から施行される。

1.学期始に、一年生から三年生までのクラスごとの縦割り(例:一年一組、二年一組、三年一組が一つのチーム)で、レクリエーションを開催する
2.レクリエーションは学年ごとのリーダー陣で進める
3.同じ縦割りで、LINEグループを作る(クラス担任も含む)
4.半年に一回、全リーダーと生徒会との会議を開催し、課題について取り組む

 全員でやり切った満足感で、僕は生徒会全員とハグして回りたいほど、興奮していた。

「オックン、なんか楽しそうだな。今までで一番笑ってないか?」
「オックン先輩の笑顔はいいですね。つられて僕も笑っちゃいます」
「やりきったもんなー。色々あったけど、まずは公約一つ達成! タチおつかれ!」

 みんなが高揚感に溢れていた。

「オックンも要もありがとう。大変な作業だったけど、二人の頑張りでまとめられたよ」

 太刀山先輩が僕と北沢の肩を抱いて、労いの言葉を掛けてくれた。
 僕は心から、生徒会に入って良かったと思っていた。
 だから、三ヶ月抜けてしまうのが、少し惜しい気持ちにもなっていた。

「オックン先輩は、二週間後には行ってしまうんですよね……副会長が僕一人だと不安です」

 北沢と二人になると、珍しく北沢が弱気なことを言った。

「僕に気を遣って言っているの? 北沢くんの方が僕よりよっぽどしっかりしてるし、太刀山先輩の信頼も厚いでしょ。本音ではお前は戻って来るなーとか思ってたりしない?」

 僕の言葉に、真剣な顔で手をバタバタさせる北沢がウケる。

「なわけないじゃないですかぁ! 絶対戻ってきてください! じゃないと太刀山先輩が寂し過ぎてウサギのようになっちゃいますから!」
「ウサギって何?」
「ウサギは寂しいと、死んじゃうんですよ……」
「はぁ?」

 北沢がどこまで本気で言っているのか、わからないけど、太刀山先輩は僕がいても、いなくても関係なく、自分の道を究めていくと思った。
 僕との一件の後、太刀山先輩は変わったような気がしている。
 自分の味方を囲い込むような、話の進め方をしなくなった。
 だから、矢代も委縮することなく、思ったことを口にできるようになっている。
 それは、僕もだ。
 真っ向から反対するようなことがなくても、違和感があると声を出すようにしていた。
 太刀山先輩は、一旦話を聞いたうえで、自分の意見を言うようになった。
 僕はそれが嬉しくて、ついつい口が軽くなり過ぎて、何故か昆野先輩からツッコミをもらうことも多くなった。
 すべてはバランスが大事……ってことなんだな。

 昆野先輩とは、おじさんの家で作業をして以来、二人きりで会ってはいない。
 留学の準備も、期末テストの勉強もしなくてはいけないのに、気が付くと昆野先輩のLINEを開いてしまう。
 何か相談したいことがあるわけでもないのに……
 声を聞いたところで、優しい言葉をかけてくれるわけでもないのに……
 
 そんなことを思っていたら、LINEに着信があった。

「昆野先輩!?」

――会えるか?

「ひょぇ! 会えるかって、今?」

――今ですか?
――そう

 日曜の夜8時を過ぎている、今ですか……

――大丈夫です
――あの公園に来られるか?
――バスに乗って、電車に乗り換えるので時間かかりそうです
――何時になってもいいよ。待ってる

 待ってる……僕はその文字を見た途端、スマホを握って部屋を出た。

🔸🔸🔸

 結局、四十分も掛かってしまった。
 もうすぐ夜の9時になる。
 さすがに、公園には人がいなくて、ちょっと不気味だ。
 僕がベンチに向かうと、先輩がスマホを見ながら座っていた。
 僕は息を整えて、ベンチに近づいた。

「すみません、遅くなりました!」
「良かった。何かあったかと思ったよ」

 顔を上げた昆野先輩は、安心したような表情をした。
 僕は少し、ぎこちない態度を取ってしまう。

「ば、バスが遅れていて……」
「そっか」

 僕は昆野先輩の横に浅く腰を掛けた。
 妙に緊張していて、昆野先輩の顔を見ることができない。

「なんか、よそよそしくないか? いつもの奥じゃないぞ。あ、呼び出し喰らって怒られると思ってるのか?」
「いや、まさかー。別に昆野先輩に怒られるようなことしてないですし……」

 そう言いながらも、やっぱり顔を向けられない。

「確かに……じゃあ、これ」
「え?」

 昆野先輩は小さなショッパーを差し出した。
 太刀山先輩と一緒に行ったお店のロゴが入っている。

「何ですか?」
「ん? 餞別」
「え! 餞別って……なんのですか?」
「留学だよ。もう少しだろ、行くの」

 餞別……っていうか昆野先輩からのプレゼント?
 僕は、ずっと蓋をしていた気持ちが溢れてきそうになり、全身が震えた。
 震える手で、中に入っていた黒い小さな巾着袋を開けた。

「あ……これって」

 シルバーのリング。
 昆野先輩が着けている物と似てるけど、もっと華奢な作りだった。

「どこかの指には入るだろ」

 僕は、ひとさし指から順番に着けてみる。
 ちょうど、中指にピッタリだった。
 着けた手を上に上げて見る。
 月明りでも、角度によってキラキラと光って見えた。

「キレイ……」
「ちゃんとはめられる指があって良かった」

 僕は手を下ろすと、改めて昆野先輩の顔を見た。
 さっきまでは、見ることができなかったけど。

「ありがとうございます。大事にします。オーストラリアにも着けていきます!」
「失くすなよ!」

 昆野先輩の大きな手が僕の頭をポンポンした。
 僕はその手を取って、自分の手と並べてみた。
 大きさも、太さも違うけど、同じリングのように見える。
 昆野先輩は、そのまま僕の手を優しく握った。
 僕も握り返した。
 
「ペアルックは嫌がってたけど……」
「……これはアリです」

 昆野先輩は、握った手を見ながら、照れたように笑った。
 僕も一緒に笑っていた。
 
🔸🔸🔸

 僕はこの三ヶ月で何回泣いたのだろう。
 こんなに感情が揺さぶられることは、この年になるまで一度もなかった。
 だいたい、成績で人に負けたとしても、それが泣く理由にはならなかった。
 ただ、自分よりも頭のいい人がいる。それだけだった。
 モブだった僕は、生きやすかったかもしれない。
 自分だけの世界で生きていられたから。
 人と関わると、こんなにも面倒なことになるんだと知った。
 でも、それが嫌ではない。
 僕はもう、誰とも関わらずに生きていくことは難しかった。
 だって、人を好きになる幸せも、人に嫌われる怖さも、人に理解されない苦しさも、思いが通じないもどかしさも、すべて誰かと出会うことで経験できたことだから。

 生徒会で僕の送別会を開いてくれた。
 たった三ヶ月で戻って来るからと遠慮したけど、全員がやりたいと言ってくれた。
 対策委員会の打ち上げで使ったファミレスで、静かに盛り上がった。

「あ、すみません」

 僕がトイレから出てくると、太刀山先輩とぶつかってしまった。
 ぶつかった反動で、僕の手からスマホが床に落ちた。
 拾おうとかがむと、太刀山先輩の手が一瞬早かった。

「はい」
「ありがとうございます」
「……ロック画面変えたんだ」
「え……」
「……そのケーキ美味いよな」

 スマホのロック画面は、昆野先輩のお母さんが作ってくれたパウンドケーキに変えた。
 僕は少し、照れくさくなる。

「僕が……」
「うん? 何?」
「い、いえ。何でもないです」
「……大切にできなくてごめん」

 太刀山先輩は視線を落としたまま、そう言った。
 突然投げかけられた言葉に、僕は何も答えられないまま、固まってしまった。
 沈黙が流れた後、太刀山先輩は視線を僕に向けると、にっこりと微笑んだ。

「向こうに行っても元気で」
「……はい」

 僕が副会長じゃなかったら、恋人同士でいられましたか?
 僕は太刀山先輩にそう聞きたかった。
 でも……
『大切にできなくてごめん』
 その言葉が答えのような気がした。
 なにものでもなかった僕が副会長にならなかったら、そもそも太刀山先輩との接点もなく、恋をする嬉しさも、苦しさも、経験することはなかった。
 僕は太刀山先輩と出会えて、本当に良かった。
 いつか、ちゃんとそう伝えたいと思った。

「おつかれー。オックン元気で地球の反対側でも頑張れ!」
「え、オーストラリアって反対側なの? 神崎?」
「オックン先輩、寂しくなったらいつでも会長、副会長のLINEに入ってください」
「オックン、身体に気をつけてね。教室で待ってるから」

 みんなに労いの言葉をもらえて、僕はウルウルしてきた。
 小さな花束までプレゼントされて。
 僕が目をパチパチしていると、横に立っている昆野先輩が僕の頭に手を置いた。

「今は、泣くな」
「うっぐ……はい」

 各々、帰って行く中、僕と昆野先輩だけが、店の前から動かずにいた。

「……空港には見送りにいかないから」
「……はい」
「……お前が行くメルボルンとの時差は一時間だから」
「……はい」
「……顔が見たくなったらLINEかZOOMを繋げろ」
「……はい」
「……俺はいつでも、お前のために時間は空けておくから」
「……は、はい……ひーん」

 僕は泣いた。
 もう「今」じゃないから。
 昆野先輩は乱暴に僕の頭を抱き寄せた。
 誰よりも、乱暴でも、誰よりも、暖かい人。
 僕が幸せになれる人に、僕は出会った。

                                終わり