日曜日、僕は昆野先輩とおじさんの美容院の前で待ち合わせした。
LINEで場所を書いた時に、「なんで?」という反応をされた。
まあ、その通りだけど。
でも、ここなら静かだし、何時間いても、誰にも何も言われない。
それに、昆野先輩と僕しか知らない場所でもある。
「ごめん、遅くなった!」
今日の昆野先輩は黒いTシャツを着ている。
普通の黒いTシャツなのに。格好良く見えるのはどうしてなんだろう?
僕は、太刀山先輩に選んでもらったチェックの薄手のパーカーを着ていた。
「ここで待ち合わせてどうするんだ?」
「まあ、ついてきてください」
僕は美容院の横にあるガラス張りのドアを開けると、エレベーターのボタンを押した。
「え、この上に行くのか?」
「はい。おじさんが、たまに泊まっている部屋があるんです」
「へ? 河野さんの家?」
二階で降りると、突き当りの部屋の鍵を開けて中に入った。
昆野先輩も僕に続く。
「わ、ホントに普通の部屋だ」
「はい。かなり生活感に溢れています」
散らかってはいないけど、おじさんの洋服や、雑誌がそこかしこに置いてある。
事前におじさんには使わせて欲しいと伝えてあったので、冷蔵庫を開けるとジュースやさくらんぼ。キッチンにはお菓子が用意されていた。
僕は早速、ジュースを出すと、コップを持ってテーブルに置いた。
「なんか、いいのか」
「はい。全然大丈夫です。僕も中学受験でこの部屋に寝泊まりしてたので」
「妙に落ち着く」
「ですよね」
ジュースで乾杯した。
「あ、これ食べよう」
昆野先輩が大きなリュックから、包みを取り出した。
「え、パウンドケーキ?」
「この見た目だけでわかるんだ。さすが甘いもの好き」
「手作りですか? 嬉しい」
「母親がお菓子を作るのが趣味でさ、持って行けって」
アルミホイルに包まれたパウンドケーキは、一切れずつ切ってあった。
僕は一切れつまむと、中身を見る。
レーズンやオレンジなどのドライフルーツがたくさん入っていた。
そのまま、スマホで写真を撮った。
口に入れると、生地は柔らかく、優しい甘さで、何切れでも食べられそうだった。
「美味しい! すっごく美味しいです!」
「良かったー。こういうの初めてだからさ、内心ドキドキしてた」
昆野先輩の、照れたような笑顔を初めて見た。
僕はその笑顔から、目が離せなくなっていた。
「な、なんだよ。そんなに見るなよ。恥ずかしいだろ」
「え、あ、すみません。昆野先輩のそういう笑顔初めて見たから」
「あー、なんか奥といると、調子が狂うな……」
ぶっきらぼうな言い方をしながらも、ちょっと楽しそうに見えた。
「僕には何でも見せて大丈夫ですよ。誰にも言いませんから。それに……」
「……それに、何だよ?」
「もう僕は自分の恥ずかしい面はすべて昆野先輩に見られているので、お互い様です」
僕の言葉に、昆野先輩が目を少し見開くと、口角を上げた。
「俺もお前になら、どんな姿を見せても良いと思ってるよ」
「え……」
「ん、上手いな。やっぱり母親の手作りが一番だな」
そう言いながら、昆野先輩は大きな口を開けてパウンドケーキを頬張った。
ケーキを食べ終わると、作業に入った。
ひたすら、スマホの音声を聞いて文字起こしをしていく。
周りの笑いにかき消されて、聞き取りにくい部分もある。
二人して思わず、スマホに顔を近づけて、頬が当たってしまった。
「あ! すみません……」
「俺の方こそ、わりぃ」
別に頬が当たっただけなのに。僕は動悸が激しくなるのが自分でも嫌だった。
昆野先輩を意識する理由なんてないのに!
「ここ、俺が書いたメモと少しずれるな……俺が反対の意味で捉えたかな?」
「どこですか? ああ、うーん。でも下から出る意見としては開示して欲しくないにはならない気もする……」
「そうか……?」
意見が割れて、二人して考え込む。
「……僕は巧がLINEで無視されているスクショを先生に見せた時に、証拠として開示して欲しいですって訴えました。だから開示して欲しくないなら、そもそも言わないと思うんですよ」
ヒントになるかもと、僕の経験談として話した。
「奥も辛かったよな……」
「え?」
「……目安箱にお前が投函しているのを見てさ、すぐにタチに教えた。あいつは悪い奴じゃないかもって」
「え! え、待ってそれって……」
『バレンタインの頃かな? 下駄箱の側にある目安箱にオックンが投函しているのを見たんだ』
僕を最初に見つけたのは、太刀山先輩じゃなくて、昆野先輩?
でも、そもそも僕が目安箱の存在を知ったのは、昆野先輩がおじさんに話したからで……
僕は横にいる昆野先輩に視線を合わせた。
「どうした?」
「……僕が、今ここにこうしていることのすべての始まりは、昆野先輩だったみたいです」
昆野先輩は視線を逸らさずに、何かに気づいたような表情を一瞬浮かべると、黙って頷いた。
作業に集中し過ぎて、気が付くと午後2時を回っていた。
僕たちは、パウンドケーキと、さくらんぼとポテトチップスは食べたけど、お昼は食べてない。
近くのファミレスに向かった。
まだ5月の下旬なのに、既に夏の様に日が照って暑い。
Tシャツ姿の昆野先輩は正解だ。
「暑いーー」
「そのパーカー脱げば? 下にTシャツ着てるんだろ?」
僕は少し躊躇した。
Tシャツは着てるけど……
「何、どうした?」
「黒いTシャツなんです」
「うん。だから?」
「昆野先輩とペアルックになっちゃいます!」
昆野先輩は声を出して笑ってる。
え、だって……
「別にいいだろ、ペアルックだって。だいたい黒いTシャツを着ている奴なんてこの世の中にどんだけいると思ってるんだよ」
「で、でも」
「それに、男二人だぞ。何とも思われないだろう? それとも奥は何か意識するのか?」
確信に触れられて、僕は即答できない。
「……俺はペアルックでも構わないよ、お前とならな」
そう言うと、僕のパーカーの肩を軽くつまんだ。
やっぱり動悸が激しくなった。
ただ、服をつままれただけなのに。
僕は自分の中で芽生えた気持ちを見ないように、重い石で蓋をした。
🔸🔸🔸
「腹減ったーって言ってたわりには、食わないのか? どうした? 暑さにやられたか?」
ファミレスに入っても、僕はなんだか落ち着かなくて、さっきまでの食欲が消えてしまった。
メニューを見ると、目は欲しがるのに、食べられない気がして、ミネストローネだけを注文した。
結局、パーカーは着たままだ。
「そんなに気に入ってるんだな」
「何がですか?」
「そのパーカー。タチが選んだんだろ」
「え! あ、ああ。はい。僕一人では絶対に選ばないと思うので」
「似合ってるよ。タチの服のセンスは良いからな」
別れた恋人に選んでもらった服を着ているのはおかしいのかな……
「やっぱり着ない方がいいですか?」
「どうして?」
「だって、もう別れたわけだし……未練がましいかなって」
未だに、ロック画面もそのままだ。
「……奥は、未練があるのか?」
人から未練があるのかと言われたのは初めてだ。
「……ないです。たぶん、恐らく、きっと……」
「なんだよ、それ」
昆野先輩が呆れたように笑う。
「生徒会で普通に会話はできてます。でも、助走もないまま、好きになって、急降下するように嫌いになった……なんて、単純なことではなくて。僕は心の奥底に沈めて見ないふりをしているだけかもしれません」
「……人の気持ちはジャンプ競技とは違うからな」
昆野先輩の例えに、僕は頷く。
「僕にとっては初恋だったし、結局一ヶ月しか続かなかったわけで……本当に恋愛をしていたのかなって思う時もあります。夢でも見てたんじゃないかなって」
「……あの日、お前が俺にLINEをしてきただろ『今、太刀山先輩は昆野先輩を必要としています』って」
昆野先輩は、テーブルについたコップの水滴を、ひとさし指でこすっている。
その指に着けているシルバーのリングが指を動かすたびに、キラキラと光った。
「俺はあいつのところには行かなかった」
「どうして……」
「電話したら、お前は来るなって、来ても何の役にも立たないって言われたよ」
あの時の、太刀山先輩のうなだれた姿が頭に浮かんだ。
昆野先輩が伸ばした手にも、すがらなかった太刀山先輩……
「役職を嫌がる昆野先輩が、書記を引き受けたのはどうしてですか?」
一番、不思議で、一番、知りたかったこと。
「……バランサーがいないと場が乱れるんだろ?」
「え! そ、それは……」
「俺は、タチが本気で取り組んできたのを近くで見てきたから、あいつを悪者にはしたくなかった。それに……」
「それに?」
「お前にも失望して欲しくなかった。それだけ」
僕が『太刀山先輩に失望したくない』と、泣きながら昆野先輩に言った言葉がきっかけだったのかもしれない。
でも、親友である太刀山先輩を昆野先輩は放っておけなかったんだ。
僕は昆野先輩にあの日話したことを思い出しながら、運ばれてきたミネストローネをスプーンですくう。
「熱っ!」
「舌、火傷するぞ。スープだけで足りるのか?」
「部屋に戻れば、先輩のお母さんのパウンドケーキがあります」
「そんなに気に入ったか?」
「はい。すっごく」
昆野先輩は満足そうに微笑み、じゅうじゅうと音を立てているステーキを自分の口に入れると、もう一切れをフォークに刺して僕の前に突き出した。
「ほら、これ食ってみろ」
「へ?」
「ほら、アーン」
「んぐっ……」
昆野先輩が切ったステーキを僕の口に入れた。
熱いけど、柔らかくて美味しい。
「……俺はタチとは親友以上の感情が持てない。だから、一緒にいない方がいいと距離を置いたこともある」
僕はステーキが喉に詰まりそうになった。
残酷な言葉を昆野先輩は吐いている。
でも、僕も同じだ。
同じように太刀山先輩に、投げつけた。
「それでも、自分の一番の理解者として一緒にいてほしいと言われた。俺は酷い奴かな?」
初めて、昆野先輩から僕に投げかけられた。
いつも、僕の答えを導いてくれる側なのに。
僕は首を左右に大きく振った。
「昆野先輩は酷い奴なんかじゃないです。僕は、太刀山先輩の気持ちがわかります。昆野先輩といると、素直になれるから。僕の答えを導いてくれるから。だからそばにいて欲しいです。あ、い、いて欲しいんだと思います」
僕は自分の願望を無意識に口にしていた。
「……俺もお前といると、出したくない素が出てきて、驚くことがある。でも、それがなんだか楽しくもある」
「じゃんじゃん、出したくない素を出してください。僕がツッコミます」
昆野先輩はナイフを投げるふりをして、笑っている。
僕も避けるふりをして、一緒になって笑った。
🔸🔸🔸
結局、夜の8時までおじさんの部屋で作業をしていた。
でも、昆野先輩と一緒にやったおかげで、上手くまとめることができた。
真剣に話しながらも、くだらない話に発展して脱線することも多かったけど、僕は正直、昆野先輩がこんなに良く喋って、笑う人だとは思わなかった。
常に、正論しか言わないニヒルな人というイメージは完全に崩れ去った。
「大変だったけど、楽しかったです。先輩がこんなにお喋りだとは思いませんでした」
「だから、言っただろ。素が出るって。お前とだと、一生喋ってそうで、怖くなったわ」
「それはこっちのセリフです!」
「……俺の指輪気に入ったか?」
「へ?」
昆野先輩は右手のひとさし指に着けている、リングを親指でぐりぐりと回した。
「話しながら、お前ずっとリング見てただろ」
「あー、キラキラ光ってキレイだったから。シルバーなのにどうして光るのかな?って」
先輩は指からリングを抜くと、僕に手渡した。
意外と、ガッシリしていて重い。
自分の指に着けてみると、どの指にも大きすぎてクルクルと回ってしまう。
「この表面のカッティングが光を集めるみたいだな」
「すごくキレイでカッコいいです。でも、僕には大きすぎる」
リングを昆野先輩に返すと、片方の頬をあげて微笑んだ。
おじさんの部屋を出て、駅に向かう。
昼間はあんなに暑かったのに、日が落ちるとひんやりとした。
あの日、ブランコを漕ぎながら日が落ちるのを見ていたことを思い出した。
「昆野先輩から、お前は大丈夫なのかってLINEがきた時、僕はあの公園でブランコを漕いでました」
「僕は大丈夫ですって返ってきたな」
「……僕がもし、大丈夫じゃないですって返したら、先輩はどうしましたか?」
先輩はリュックを肩に掛けていないほうの手で、僕の肩に手を置いた。
「駆けつけた……だろうな。で、こうやって肩を抱いてたと思う」
そう言うと、僕を引き寄せた。
僕は自然と、自分の手を先輩の腰に回していた。
駅に着くまで、僕たちは言葉を交わさなかった。
ただ、ただ、並んで歩いていた。
この沈黙が、僕を安心させてくれた。
LINEで場所を書いた時に、「なんで?」という反応をされた。
まあ、その通りだけど。
でも、ここなら静かだし、何時間いても、誰にも何も言われない。
それに、昆野先輩と僕しか知らない場所でもある。
「ごめん、遅くなった!」
今日の昆野先輩は黒いTシャツを着ている。
普通の黒いTシャツなのに。格好良く見えるのはどうしてなんだろう?
僕は、太刀山先輩に選んでもらったチェックの薄手のパーカーを着ていた。
「ここで待ち合わせてどうするんだ?」
「まあ、ついてきてください」
僕は美容院の横にあるガラス張りのドアを開けると、エレベーターのボタンを押した。
「え、この上に行くのか?」
「はい。おじさんが、たまに泊まっている部屋があるんです」
「へ? 河野さんの家?」
二階で降りると、突き当りの部屋の鍵を開けて中に入った。
昆野先輩も僕に続く。
「わ、ホントに普通の部屋だ」
「はい。かなり生活感に溢れています」
散らかってはいないけど、おじさんの洋服や、雑誌がそこかしこに置いてある。
事前におじさんには使わせて欲しいと伝えてあったので、冷蔵庫を開けるとジュースやさくらんぼ。キッチンにはお菓子が用意されていた。
僕は早速、ジュースを出すと、コップを持ってテーブルに置いた。
「なんか、いいのか」
「はい。全然大丈夫です。僕も中学受験でこの部屋に寝泊まりしてたので」
「妙に落ち着く」
「ですよね」
ジュースで乾杯した。
「あ、これ食べよう」
昆野先輩が大きなリュックから、包みを取り出した。
「え、パウンドケーキ?」
「この見た目だけでわかるんだ。さすが甘いもの好き」
「手作りですか? 嬉しい」
「母親がお菓子を作るのが趣味でさ、持って行けって」
アルミホイルに包まれたパウンドケーキは、一切れずつ切ってあった。
僕は一切れつまむと、中身を見る。
レーズンやオレンジなどのドライフルーツがたくさん入っていた。
そのまま、スマホで写真を撮った。
口に入れると、生地は柔らかく、優しい甘さで、何切れでも食べられそうだった。
「美味しい! すっごく美味しいです!」
「良かったー。こういうの初めてだからさ、内心ドキドキしてた」
昆野先輩の、照れたような笑顔を初めて見た。
僕はその笑顔から、目が離せなくなっていた。
「な、なんだよ。そんなに見るなよ。恥ずかしいだろ」
「え、あ、すみません。昆野先輩のそういう笑顔初めて見たから」
「あー、なんか奥といると、調子が狂うな……」
ぶっきらぼうな言い方をしながらも、ちょっと楽しそうに見えた。
「僕には何でも見せて大丈夫ですよ。誰にも言いませんから。それに……」
「……それに、何だよ?」
「もう僕は自分の恥ずかしい面はすべて昆野先輩に見られているので、お互い様です」
僕の言葉に、昆野先輩が目を少し見開くと、口角を上げた。
「俺もお前になら、どんな姿を見せても良いと思ってるよ」
「え……」
「ん、上手いな。やっぱり母親の手作りが一番だな」
そう言いながら、昆野先輩は大きな口を開けてパウンドケーキを頬張った。
ケーキを食べ終わると、作業に入った。
ひたすら、スマホの音声を聞いて文字起こしをしていく。
周りの笑いにかき消されて、聞き取りにくい部分もある。
二人して思わず、スマホに顔を近づけて、頬が当たってしまった。
「あ! すみません……」
「俺の方こそ、わりぃ」
別に頬が当たっただけなのに。僕は動悸が激しくなるのが自分でも嫌だった。
昆野先輩を意識する理由なんてないのに!
「ここ、俺が書いたメモと少しずれるな……俺が反対の意味で捉えたかな?」
「どこですか? ああ、うーん。でも下から出る意見としては開示して欲しくないにはならない気もする……」
「そうか……?」
意見が割れて、二人して考え込む。
「……僕は巧がLINEで無視されているスクショを先生に見せた時に、証拠として開示して欲しいですって訴えました。だから開示して欲しくないなら、そもそも言わないと思うんですよ」
ヒントになるかもと、僕の経験談として話した。
「奥も辛かったよな……」
「え?」
「……目安箱にお前が投函しているのを見てさ、すぐにタチに教えた。あいつは悪い奴じゃないかもって」
「え! え、待ってそれって……」
『バレンタインの頃かな? 下駄箱の側にある目安箱にオックンが投函しているのを見たんだ』
僕を最初に見つけたのは、太刀山先輩じゃなくて、昆野先輩?
でも、そもそも僕が目安箱の存在を知ったのは、昆野先輩がおじさんに話したからで……
僕は横にいる昆野先輩に視線を合わせた。
「どうした?」
「……僕が、今ここにこうしていることのすべての始まりは、昆野先輩だったみたいです」
昆野先輩は視線を逸らさずに、何かに気づいたような表情を一瞬浮かべると、黙って頷いた。
作業に集中し過ぎて、気が付くと午後2時を回っていた。
僕たちは、パウンドケーキと、さくらんぼとポテトチップスは食べたけど、お昼は食べてない。
近くのファミレスに向かった。
まだ5月の下旬なのに、既に夏の様に日が照って暑い。
Tシャツ姿の昆野先輩は正解だ。
「暑いーー」
「そのパーカー脱げば? 下にTシャツ着てるんだろ?」
僕は少し躊躇した。
Tシャツは着てるけど……
「何、どうした?」
「黒いTシャツなんです」
「うん。だから?」
「昆野先輩とペアルックになっちゃいます!」
昆野先輩は声を出して笑ってる。
え、だって……
「別にいいだろ、ペアルックだって。だいたい黒いTシャツを着ている奴なんてこの世の中にどんだけいると思ってるんだよ」
「で、でも」
「それに、男二人だぞ。何とも思われないだろう? それとも奥は何か意識するのか?」
確信に触れられて、僕は即答できない。
「……俺はペアルックでも構わないよ、お前とならな」
そう言うと、僕のパーカーの肩を軽くつまんだ。
やっぱり動悸が激しくなった。
ただ、服をつままれただけなのに。
僕は自分の中で芽生えた気持ちを見ないように、重い石で蓋をした。
🔸🔸🔸
「腹減ったーって言ってたわりには、食わないのか? どうした? 暑さにやられたか?」
ファミレスに入っても、僕はなんだか落ち着かなくて、さっきまでの食欲が消えてしまった。
メニューを見ると、目は欲しがるのに、食べられない気がして、ミネストローネだけを注文した。
結局、パーカーは着たままだ。
「そんなに気に入ってるんだな」
「何がですか?」
「そのパーカー。タチが選んだんだろ」
「え! あ、ああ。はい。僕一人では絶対に選ばないと思うので」
「似合ってるよ。タチの服のセンスは良いからな」
別れた恋人に選んでもらった服を着ているのはおかしいのかな……
「やっぱり着ない方がいいですか?」
「どうして?」
「だって、もう別れたわけだし……未練がましいかなって」
未だに、ロック画面もそのままだ。
「……奥は、未練があるのか?」
人から未練があるのかと言われたのは初めてだ。
「……ないです。たぶん、恐らく、きっと……」
「なんだよ、それ」
昆野先輩が呆れたように笑う。
「生徒会で普通に会話はできてます。でも、助走もないまま、好きになって、急降下するように嫌いになった……なんて、単純なことではなくて。僕は心の奥底に沈めて見ないふりをしているだけかもしれません」
「……人の気持ちはジャンプ競技とは違うからな」
昆野先輩の例えに、僕は頷く。
「僕にとっては初恋だったし、結局一ヶ月しか続かなかったわけで……本当に恋愛をしていたのかなって思う時もあります。夢でも見てたんじゃないかなって」
「……あの日、お前が俺にLINEをしてきただろ『今、太刀山先輩は昆野先輩を必要としています』って」
昆野先輩は、テーブルについたコップの水滴を、ひとさし指でこすっている。
その指に着けているシルバーのリングが指を動かすたびに、キラキラと光った。
「俺はあいつのところには行かなかった」
「どうして……」
「電話したら、お前は来るなって、来ても何の役にも立たないって言われたよ」
あの時の、太刀山先輩のうなだれた姿が頭に浮かんだ。
昆野先輩が伸ばした手にも、すがらなかった太刀山先輩……
「役職を嫌がる昆野先輩が、書記を引き受けたのはどうしてですか?」
一番、不思議で、一番、知りたかったこと。
「……バランサーがいないと場が乱れるんだろ?」
「え! そ、それは……」
「俺は、タチが本気で取り組んできたのを近くで見てきたから、あいつを悪者にはしたくなかった。それに……」
「それに?」
「お前にも失望して欲しくなかった。それだけ」
僕が『太刀山先輩に失望したくない』と、泣きながら昆野先輩に言った言葉がきっかけだったのかもしれない。
でも、親友である太刀山先輩を昆野先輩は放っておけなかったんだ。
僕は昆野先輩にあの日話したことを思い出しながら、運ばれてきたミネストローネをスプーンですくう。
「熱っ!」
「舌、火傷するぞ。スープだけで足りるのか?」
「部屋に戻れば、先輩のお母さんのパウンドケーキがあります」
「そんなに気に入ったか?」
「はい。すっごく」
昆野先輩は満足そうに微笑み、じゅうじゅうと音を立てているステーキを自分の口に入れると、もう一切れをフォークに刺して僕の前に突き出した。
「ほら、これ食ってみろ」
「へ?」
「ほら、アーン」
「んぐっ……」
昆野先輩が切ったステーキを僕の口に入れた。
熱いけど、柔らかくて美味しい。
「……俺はタチとは親友以上の感情が持てない。だから、一緒にいない方がいいと距離を置いたこともある」
僕はステーキが喉に詰まりそうになった。
残酷な言葉を昆野先輩は吐いている。
でも、僕も同じだ。
同じように太刀山先輩に、投げつけた。
「それでも、自分の一番の理解者として一緒にいてほしいと言われた。俺は酷い奴かな?」
初めて、昆野先輩から僕に投げかけられた。
いつも、僕の答えを導いてくれる側なのに。
僕は首を左右に大きく振った。
「昆野先輩は酷い奴なんかじゃないです。僕は、太刀山先輩の気持ちがわかります。昆野先輩といると、素直になれるから。僕の答えを導いてくれるから。だからそばにいて欲しいです。あ、い、いて欲しいんだと思います」
僕は自分の願望を無意識に口にしていた。
「……俺もお前といると、出したくない素が出てきて、驚くことがある。でも、それがなんだか楽しくもある」
「じゃんじゃん、出したくない素を出してください。僕がツッコミます」
昆野先輩はナイフを投げるふりをして、笑っている。
僕も避けるふりをして、一緒になって笑った。
🔸🔸🔸
結局、夜の8時までおじさんの部屋で作業をしていた。
でも、昆野先輩と一緒にやったおかげで、上手くまとめることができた。
真剣に話しながらも、くだらない話に発展して脱線することも多かったけど、僕は正直、昆野先輩がこんなに良く喋って、笑う人だとは思わなかった。
常に、正論しか言わないニヒルな人というイメージは完全に崩れ去った。
「大変だったけど、楽しかったです。先輩がこんなにお喋りだとは思いませんでした」
「だから、言っただろ。素が出るって。お前とだと、一生喋ってそうで、怖くなったわ」
「それはこっちのセリフです!」
「……俺の指輪気に入ったか?」
「へ?」
昆野先輩は右手のひとさし指に着けている、リングを親指でぐりぐりと回した。
「話しながら、お前ずっとリング見てただろ」
「あー、キラキラ光ってキレイだったから。シルバーなのにどうして光るのかな?って」
先輩は指からリングを抜くと、僕に手渡した。
意外と、ガッシリしていて重い。
自分の指に着けてみると、どの指にも大きすぎてクルクルと回ってしまう。
「この表面のカッティングが光を集めるみたいだな」
「すごくキレイでカッコいいです。でも、僕には大きすぎる」
リングを昆野先輩に返すと、片方の頬をあげて微笑んだ。
おじさんの部屋を出て、駅に向かう。
昼間はあんなに暑かったのに、日が落ちるとひんやりとした。
あの日、ブランコを漕ぎながら日が落ちるのを見ていたことを思い出した。
「昆野先輩から、お前は大丈夫なのかってLINEがきた時、僕はあの公園でブランコを漕いでました」
「僕は大丈夫ですって返ってきたな」
「……僕がもし、大丈夫じゃないですって返したら、先輩はどうしましたか?」
先輩はリュックを肩に掛けていないほうの手で、僕の肩に手を置いた。
「駆けつけた……だろうな。で、こうやって肩を抱いてたと思う」
そう言うと、僕を引き寄せた。
僕は自然と、自分の手を先輩の腰に回していた。
駅に着くまで、僕たちは言葉を交わさなかった。
ただ、ただ、並んで歩いていた。
この沈黙が、僕を安心させてくれた。



