なにものでもなかった僕が選ぶ幸せになる条件について

 部屋に入ると、いつも以上に人が溢れていた。
 そこかしこに、立っている人たちがいる。
 え? 誰?

「やっと来た」
「す、すみません。遅くなりました」
「オックン、前に来て」

 僕は太刀山先輩と目を合わせられずに、俯きながら先輩の横に立った。

「二年生の奥和貴くん。副会長だから、みんなよろしくね」
「よろしくお願いしますー」

 知らない顔の子達が一斉に挨拶をする。

「先輩、この人達って……」
「ああ、一年生。昨日、俺が直接チラシを渡した子達。生徒会に興味持ってくれたみたいで、参加してくれたんだ。心強いよね」
「やっぱ、タチの影響力ってスゲーなー」
「ホント、チラシ一つでこれだもん。絶対当選確実だよ!」

 三年生のメンバーが盛り上がると、つられて二年生も盛り上がる。
 それを見ていた、一年生も一緒になって手を叩いたり、はしゃいでいるように見えた。
 それを目にしている僕は未だ、混乱していた。

「せっかく一年からも参加してくれたなら、ポスト与えた方が良くね?」

 大木戸先輩の声に、あっちこっちから声が上がる。

「そうだね。今まで一年生の子は参加してなかったから。それは良い考えかも。凪はどう思う?」

 え? そこは副会長の僕に聞いてはくれないのかな……
 僕は柿谷の言葉が消化し切れずにいたから、必要以上に敏感になっていた。

「……副会長はどう思うんだよ?」
「俺は、凪に聞いてるんだよ」

 僕は昆野先輩に気を遣わせていることも、嫌だった。
 太刀山先輩と昆野先輩との関係を知っていたら、極普通の会話だから。
 みんなは何も不自然には感じてないはずだから。

「ありだろうな。まあ、やりたい奴がいればの話だけど」
「やりたいです! やらせていただきたいです!」

 いきなり、一番前に座っていた子が手を挙げた。
 中学の時に、英語の弁論大会で全国優勝した子だった。
 僕が選ばれなかった、弁論大会……

「奥先輩、おひさしぶりです。北沢です。僕、高校に上がったら生徒会に関わりたいと思っていたので、お役に立ちたいです!」

 キラキラしていた……
 太刀山先輩を初めて見た時みたいに。

「オックン、知り合い?」
「え……あ、中学から……」
「内進者はほとんど知り合いです。奥先輩とはある大会で競ったので」
「へー、君も成績上位者?」
「はい、一応……」
「北沢は1位です」

 北沢の隣に座っていた子が、自慢げに発した。

「ひょー! でた! 1位!」
「スゲーじゃん! タチ、やってもらえよー」
「わかった、わかった」

 盛り上がれば、上がるほど、僕の心は冷めていった。
『人と比べるな』太刀山先輩にはそう言われたけど、でも僕はどうしても比べてしまう。

「ちょっと考えさせて。まあ、当選しないとそもそも意味がないわけだし……。あっちの陣営は一年へのアプローチも盛んだって聞いたしね」
「大丈夫です! 僕たちが盛り上げるので」

 北沢は周りにいる、一年生と顔を合わせると、何かを確認したかのように頷きあっていた。

「一年の団結力はすごいね。二年も頑張らないと」

 太刀山先輩が僕の肩を強く叩いた。
 いつもなら、肩に手を回すのに……

「……はい、頑張ります」
 
 自分でも驚くほど声に力が入らなかった。
 祭りに参加しているのに、少しも楽しめずに、一人浮いている。
 この会合で、初めて孤立感を抱いた。

「太刀山先輩、今、僕たちができることがあったら言ってください。来週の選挙まで日が少ないので」

 会合が終わった後、北沢や他の一年生が太刀山先輩を囲んだ。

「うわー。ありがとう。嬉しいなそんなに積極的に言ってくれて」
「太刀山先輩に憧れていたので、少しでも役に立ちたいです」
「実はこういうのはどうかなって考えたんですけど……」

 僕は輪に入れず、資料の整理をしていた。
 このまま、帰ってしまっても良かったけど、でも、太刀山先輩とは離れたくなかった。
 柿谷に言われたことが気になっても、でも、僕は太刀山先輩が好きだった。
 その気持ちは、変わらない。

「えー! すごく良い案だね! 実行してくれるの?」
「はい! できるよな」
「できます! 簡単です」
「期待してるよ! これで一年は安泰かなー」
「二年生にも、できるかもしれません」
「マジ? オックン、二年にやっても問題ないかな?」
「え?」

 輪が開いて、全員の視線が僕に向けられた。

「え、何ですか?」
「聞いてなかった?」
「あ……はい」
「奥先輩、すみません。太刀山先輩を囲っちゃったから入れなかったですよね」

 薄い笑いを浮かべて、北沢が僕を見る。
 僕は掘り下げたくない感情が芽生えてきたが、気が付かないように振る舞う。

「うん、太刀山先輩に聞いて欲しいんだろうなって思ったから」
「オックン、そこは副会長としてガンガン入ってこないと。俺はそういうオックンを期待してるんだから」
「え……あ、はい」

 背中に冷たい汗が流れた。

🔸🔸🔸

 結局、残っていた一年と一緒に校舎を出た。
 相変わらず、北沢を中心に太刀山先輩を囲っている。
 僕はその後ろをトボトボとついて行く。

「奥先輩は、バス通学ですよね?」
「うん、そうだけど」
「俺、同じ系統のバスに乗ってます」
「そうなんだ」
「はい、終点近くで降ります」

 一年の一人に声を掛けられた。
 同じバスで通っていると聞いて、親近感が湧いた。
 孤立感が少し解消された気がして、自分でも単純だなと呆れる。
 途中のバス停に何があるかという、内輪ネタで盛り上がり、声が大きくなっていたみたいだ。

「そこ、ウルさいなー」
「え?」

 後ろを振り向いた、太刀山先輩に指摘された。
 自然と、先輩の周りにいた子達も微妙な表情をしている。
 え、どうして……
 僕はどうリアクションをしていいのかわからず、言葉に詰まった。

「その元気の良さを、会合でも出して欲しいよ」

 太刀山先輩の言葉に、一年が声を出して笑った。
 僕はさっきよりも、もっと冷たい汗が流れるのを感じた。
 どうして……

「す、すみません」

 隣でバスの話で盛り上がっていた子が、いきなり腰を曲げて頭を下げた。

「え? 謝らなくていいよ!」

 僕は隣の子の頭を上げさせようと、身体に手を触れた。
 その瞬間、太刀山先輩の手が僕の手首を掴んだ。

「ヒッ……」

 誰かの息を呑む声が聞こえた。
 僕は腕を掴まれたまま、太刀山先輩の顔を見た。
 怒っているような、悲しんでいるような、今まで見たことがない表情に僕は怯えた。

「お、おつかれさまでしたー」
「失礼します」

 次々と、人が去っていく。
 僕は太刀山先輩と対峙したまま、動けずにいた。
 掴まれている、手首だけがドクドクと脈打っているのがわかる。

「ごめん……」

 太刀山先輩は乱暴に僕の腕を払った。
 僕は泣きたくはないのに、涙が溜まってくるのがわかった。
 それを見られたくなくて、歩き出した。
 学校前のバス停を通り過ぎ、ひたすら歩いた。
 手の甲で涙をぬぐっても、次から次へとこぼれ落ちた。
 ポタポタと胸に溜まっていた不安な気持ちが、涙となって流れている。
 三人目の副会長、北沢の存在、一年生のやる気、副会長としての僕の無能ぶり、太刀山先輩の視線……
 色々浮かぶけど、結局僕は何に対して泣いているのか、自分でもわからなかった。

 歩き疲れて、目に入った広場のベンチに座る。
 正直、ここがどこかもわからない。
 歩き疲れて、泣き疲れて、僕は目を閉じていた。
 隣に、人の体温を感じた。
 目を開けると、太刀山先輩が座っていた。

「どうして!」
「……ずっと後をついていた。気が付かなかった?」

 いつもの優しい問いかけ。
 僕は素直になれず、身を固くする。

「ごめん。泣かすつもりはなかった」
「……」
「オックンが、俺じゃない人に触れるのが嫌だった」
「え?」

 隣に座る太刀山先輩は、目を伏せて口元だけで笑っていた。

「俺の嫉妬心が、あんなに乱暴な形で出ちゃった。あーあ、せっかく一年の信頼を勝ち取ったと思ったけど、怖い先輩に成り下がっちゃったなー」

 珍しく、自虐的な言い方をする先輩の顔を見る。
 いつも明るくて、自信満々で、揺るがないものを持っている人なのに。
 そんな理由で……

「オックンが、一年に囲まれた俺を見て面白く思ってないこともわかっていた。でも、今は大事な時なんだよ。自分の意志に反しても、相手をその気にさせなきゃ、勝てない。俺はそう思っている」

 太刀山先輩の生徒会長への思いは、誰よりもわかっていたはずなのに。

「……僕が何の助けにもならなくてすみません」
「どうして? 俺はそんなこと一ミリも思ったことないよ。俺は戦略的過ぎるかもな。それによって、オックンを傷つけていたのなら、ごめん……」

 僕はもっとドライになるべきなのかもしれない。
 太刀山先輩の一挙手一投足に、いちいち自分の気持ちを乗せる必要はないのに。
 でも、恋愛初心者の僕は上手く立ち回ることができずに、墓穴を掘ってしまう。

「本音ではさ、もっとオックンとイチャイチャしたいんだよね。四六時中一緒にいたい。だから選挙が終わるのが、実は待ち遠しい」
「イチャイチャって……」
「嫌か?」

 先輩が僕の身体を両手で包むと、頬にキスをした。

「こんな風に!」
「……嫌じゃないです……」
「良かった。喧嘩はしたくないって言いながら、やっぱり喧嘩しちゃったな」
「け、喧嘩じゃないです。僕が勝手に拗ねただけです……先輩は悪くない」
「ホントに?」
「ホントです!」

 太刀山先輩の頬が僕の頬に触れる。
 わだかまりが解消されたわけじゃない。
 でも、僕に回された腕を、僕はがっしりと掴んでいた。