鏡に映っているのは、僕のようでもあり、僕ではない感じがした。
ワックスで整えてもらった前髪は、僕の視界を広げてくれている。
「和貴くん、イケメン。えーイマドキのイケてる高校生になったね!」
「うん、いいよ。和。副会長がイケメンだったらモテるだろ」
「男子校だよ!」
恵子さんにも、おじさんにも褒められて、僕はかなりフワフワしていた。
「写真撮ってもいい? 美容院のインスタにスタイリング例として載せたいんだけど。学校的にダメだったりするかな?」
「えー、どうなんだろう……」
僕はこのあたりの事情に詳しくない。
SNS自体は禁止ではないけど……
「大丈夫ですよ」
「え?」
隣の席に顔を向けると、昆野先輩がいた。
さっき、聞こえていた声は昆野先輩!?
「あー、そうだった。昆野くんも和と同じ高校だったよね。え、二人は知ってるの?」
「え……あ……」
「最近知り合いました。だよな、副会長」
「あ、はい……」
まさか、昆野先輩が隣にいたなんて!
ってことは、おじさんとの会話を全部聞かれてた?
自分の中で会話の内容を巻き戻してみる。
「なんだ、そうなの。和、なんで知らんぷりしてたんだよ! 先輩だろ?」
「いや、まさか昆野先輩がいるなんて思わなかったから……」
「昆野くん、どう? ニュー奥和貴は?」
「イケメンになったと思いますよ」
昆野先輩のまっすぐな視線に、思わず息を呑んだ。
え、そんなに見ないでください!
「こんなイケメンにイケメン認定されて、良かったなー和」
「い、イケメン、イケメンってあんまり言うと価値が薄くなるよ!」
「素直じゃないなー。じゃ、恵子さん写真お願い。ごめんね、昆野くん途中のままで。仕上げようか」
僕は席を立つと、恵子さんについて行き奥の部屋に入った。
ワイシャツ姿のまま、正面、横、後ろと撮られると、ポーズを取ってと言われた。
「ポーズって……どうすれば?」
「うん? そうだなー。ちょっと斜め向いて笑ってみようか。和貴くんの笑顔は可愛いから」
「笑う! む、ムズい」
こういう時、太刀山先輩は格好良くポーズを決められるんだろうな~
いや、ポーズつけなくたって、十分格好良い!
夕べの電話のやり取りを思い出して、自然と顔がほころんでいた。
「いい! その表情サイコー。和貴くん、映え方知ってるね」
「え? そ、そうですか?」
「うん。良い写真が撮れた。ホラ、見てみて」
恵子さんが見せてくれた画面には、嬉しそうに微笑む僕が映っていた。
🔸🔸🔸
美容院を出ると、19時を過ぎていた。
お母さんにLINEで今終わったと、書いていると「奥!」と声を掛けられた。
顔を上げると、目の前に昆野先輩が立っていた。
髪を切って学ランを羽織っている先輩はよりワイルドさが増して、やっぱり学園ドラマのニヒルなサブヒーローみたいに見えた。
「格好良いです、昆野先輩」
「奥も、誰かと思ったよ。いいな、前髪上げると全然変わるな」
「そうですか? 視界が広がって世の中がよく見えるようになりました」
「お前、面白いな。可愛い感じが男らしくなったかなー」
太刀山先輩も褒めてくれますか? と聞きそうになるのを堪えた。
なんでも、昆野先輩に言っていいわけじゃない。
でも、ついつい自分が思っていることを話したくなってしまう。
「河野さんは親戚なのか?」
「はい。お母さんの弟です。ずっとおじさんに髪の毛切ってもらってましたけど、先輩と遭遇したことなかったですね」
「……でも、今年の2月ぐらいかな、見かけたことはあったよ」
「え! 僕をですか?」
「そう」
2月。僕が一番落ち込んでいて、おじさんにも心配されていた頃だ。
あの時、おじさんとの会話の中で、目安箱のことを聞いた。
『おじさんが若い頃はさ、学校に目安箱っていうのがあってさ。なんか、文句とか改善して欲しいことをそこに投函してたんだよ。その頃はパソコンもスマホもない時代だろ? だから手書きで抗議していたわけ。お前の高校にもあるって聞いたよ』
それを聞いて、僕は目安箱の存在に気が付いた。
でも、それが現在も機能しているのかはわからなかった。それでも投函した。。
「ちょうど、俺が終わって帰る頃に奥が鏡の前に座っていた」
「どうして僕だってわかったんですか?」
「ん? タチから耳が痛くなるほど聞いてたから」
「あ……そっか」
その時期、太刀山先輩は僕のことを嫌な奴だと思っていたはず。
それを昆野先輩も聞いていたのか……
「その頃の僕は、太刀山先輩にすごく嫌われていた時期ですね」
自虐的に言う自分が少し嫌になった。
「まあ、そうだな……」
「でも、太刀山先輩は目安箱に僕が投函しているのを見て、考えを変えてくれたみたいです」
「ああ、目安箱ね。そうそう、お前も知ってたんだな、あの存在。なかなか気づく奴いないけど」
「え? 昆野先輩も知ってましたか?」
「うん。そうだ、河野さんともその話したなー。河野さんの時代はそれしか思いを伝えるものがなかったって。で、ウチの学校にもありますよって話で盛り上がった」
嘘……
『お前の高校にもあるって聞いたよ』
それって、おじさんが昆野先輩から聞いたってこと?
それを僕に話してくれて、僕が行動したってこと?
僕は横を歩く昆野先輩の顔を見上げた。
「何? どうした?」
「……昆野先輩との縁を感じました」
「はぁ? なんだそれ!」
左頬を上げながら、ぶっきらぼうに言われた。
でも、僕はじんわりと心が温かくなるのを感じていた。
🔸🔸🔸
翌朝、バス停で降りると太刀山先輩が待っていた。
「え……うっそ」
先輩は僕を見るなり、口を手で押さえた。
僕はその表情に、必要以上にオドオドしてしまった。
「おはようございます……」
「嘘……オックン……」
「……はい」
「抱きしめたい」
「へ?」
驚いている僕を置いて、笑いながら太刀山先輩が歩き出した。
僕は置いて行かれないように、足を速める。
「だ、抱きしめたいって言いました?」
「うん。ここに誰もいなかったらギュッって抱きしめてた」
抱きしめたいって……僕を?
抱きしめたい、抱きしめたい……その言葉を頭の中で繰り返す自分が、気持ち悪いと思いながらも止められない。
横を歩く太刀山先輩はいつもよりも、跳ねるように歩いていた。
「……会合が終わったら……ね!」
「ね! って……は、はい」
すっかり太刀山先輩のペースに巻き込まれた僕は、幸せだった。
教室に入ると、そこにいた生徒の目が僕に向けられたような気がした。
僕はいつものように、自分の席に座るけど、内心落ち着かない。
みんなに見られてるって思うのは、自意識過剰かな?
でも、こんなに視線を感じることはなかったから。
「オックン! やっぱり俺が言った通りだったろ。前髪無くなったらイケメンになってる!」
早速、徹が近づいてくると、僕の机にお尻を乗せて、ニヤニヤしている。
「徹、声がデカいよ」
「だって周りを見てみろよ、お前がこんなに人に見られることあったか? いいよ、いいよ。俺の言った通りにしてれば、この先の人生も安泰だよ」
エラそうに話すと、僕の肩をバンバン叩いた。
「一生言ってろ!」
悪態をつきながらも、密かに徹には感謝していた。
徹のあの言葉がなかったら、おじさんに対してさえ『イケメン』だなんて絶対口にできなかったから。
それにしても、まださっきの太刀山先輩の声がリフレインしている。
誰かから『抱きしめたい』なんて、言われるものなのかな……
無意識に、制服の上から胸に手を当てていた。
「オックン」
「え?」
徹が僕から離れると、後ろから声を掛けられた。
「おはよう遠野。何?」
遠野は、中学からの内進組ではあるけど、同じクラスになったのは初めてだ。
「オックンも生徒会に参加するのか?」
「え?……うん」
「太刀山先輩の方だよね」
「そう。どうして?」
「俺は柿谷を支援してるから、ライバルだなって」
遠野は腕組をしながら、少し挑発するような表情をした。
僕は、ほぼ初めて話したと言ってもいい相手に、いきなりそんな態度を取られて、戸惑う。
「あ、そうなんだ」
今回の生徒会会長選挙に立候補しているのは、三年生の太刀山先輩と二年生の柿谷洋二だ。
選挙に勝つと5月1日から新体制で始まる。
三年生は12月までの活動と決まっているため、任期が短く、選挙戦では不利だという話だ。
そのため、柿谷が優位だとも言われている。
でも、全校での人気を考えれば、太刀山先輩の方が有利だと、僕は思っていた。
「こう言ったらあれだけど、二年生の9割は柿谷に入れると思うよ。一年へのアプローチも順調だし。太刀山先輩は大丈夫?」
既に戦闘モードなのか?
こういう会話に慣れてない僕は、ちょっとうろたえた。
「だったら三年は全員先輩に入れるよ。柿谷よりも先輩の方がよっぽど知名度も人気も高いと思うけど」
「人気はあっても、信頼されているかが重要だろ。そこ大丈夫そ?」
「な、なにを根拠に……」
言いかけた時に、始業ベルが鳴った。
僕はうろたえてしまい、遠野に対して言い返せなかった自分にイライラした。
あの時と同じ感情……
巧の件で、何一つ解決できずに不満が溜まった時を思い出した。
絶対、あの時のような後悔はしない。
絶対、太刀山先輩を生徒会長にしたい。
握る力が強すぎて、シャーペンの芯がボキッと音を立てて折れた。
🔸🔸🔸
放課後、対策委員会の会合に参加する。
選挙まで、あと一週間しかない。
僕は、遠野との朝のやりとりで急に不安になっていた。
三年生が本当に不利なのか?
「今朝、柿谷の支援側の子と話したんですが、既に一年への投票協力をしているみたいです。もっとアピールしたほうが良くないですか?」
僕は思ったことをそのまま伝えた。
まだ新参者ではあるけれど、でも遅れを取りたくはない。
「うん。アピールはしてるよ。ね、神崎?」
「タチの公約と、あの学校新聞で取り上げたインタビューで掲載されなかった部分をA4の用紙にコピーして配布済み。オックンは見てないの? 二年の教室にも配ったよ」
「え……」
知らない。
言い訳をするつもりはないけど、僕は本当に興味が無かったから。
でも、ここに参加してから今までの経緯はすべて太刀山先輩からも聞いたけど、この件については教えてもらってない。
「オックンは、ここに参加するまでは生徒会には興味がなかったから仕方ないよ。そういう生徒がほとんどだと思うから、やっぱりそこには注力したいよなー。ね、凪?」
「……なんで奥は見なかったんだ? そのコピー」
「え……直接手渡されてないからです」
「だよな。そういうとこだよ。結局、どこかに置いておくとか、配っておいてって人頼みにした時点で、漏れる生徒は出てくる。だから面倒でも直接手渡した方が確実だろうな」
太刀山先輩と昆野先輩の阿吽の呼吸に、僕は少し気後れしてしまった。
副会長なのに……
質問だけして、解決策を出さないなんて最低だ。
「そう。効率悪くてもやっぱり自分たちでやるべきだよね。直接配布は別に禁止されてないし。柿谷陣営が何をどうアプローチしてるか知らないけど、ウチはウチで泥臭くやってこう。ってことで、この前大木戸が作ってくれたチラシができ上がったから」
大木戸先輩が作成したチラシがメンバーに配られた。
太刀山先輩の顔と、一番訴えたい公約がポップで可愛らしいフォントで主張している。
「やっぱりセンスいいですねー、大木戸先輩」
「売り物になりそう。フリマサイトで売れそう」
「じゃ、そこで得た資金で打ち上げやろうぜ!」
「それ、指導されるから」
チラシを手に、各々盛り上がっている。
僕はチラシに目を落としながら、頭の中では気の利かない自分を責めていた。
「どう、気に入った?」
太刀山先輩が僕の肩に手を回すと、顔を覗き込んだ。
やっぱり近い。でもドキドキよりも、申し訳ない気持ちになっていた。
「はい、すごく見やすくて、手渡されたらじっくり読んじゃいます」
「うん。良かった」
「あの……」
「そういえば、オックン、ヘアスタイル変えた? なんかイイ男になった気がする」
大木戸先輩が僕の髪型に触れた。
それを合図に、他のメンバーもその会話に加わり始めた。
僕が太刀山先輩に話したかったことが、外野から打ち消された。
「いや、俺もそう思った。前髪が変わると人って変わるんだなー」
「会長、副会長イケメンってところも推せる要素だよなー」
「これが男女共学だったら最強だったのにな、イケメン祭りで」
イケメン祭り……
「オックンさ、やっぱり眼鏡掛けようか」
「え? 眼鏡ですか……」
「うん。より知的に見えるし、俺は眼鏡を掛けてるオックンが好きなんだよなーやっぱり」
前にも、太刀山先輩が言っていた。眼鏡を掛けてる姿が好きって。
「よ! 会長から愛の告白出ましたー」
「聞いた! 聞いた! 『オックンが好き』そこもっとプッシュしようぜ!」
三年生が盛り上がっているのを見ている僕の表情は、少し引き攣っていたかもしれない。
「お前たち、好き勝手なこと言うなよ。オックンがビビるから。気にするな、オックン」
ヤジを飛ばされるのも、フォローされるのも、嫌ではなかった。
でも、表現しようのないモヤモヤが心の中に浮かんでいた。
「ごめんね、あいつら調子乗り過ぎだから」
太刀山先輩の優しい声でも、浮かんだモヤモヤは消えなかった。
ワックスで整えてもらった前髪は、僕の視界を広げてくれている。
「和貴くん、イケメン。えーイマドキのイケてる高校生になったね!」
「うん、いいよ。和。副会長がイケメンだったらモテるだろ」
「男子校だよ!」
恵子さんにも、おじさんにも褒められて、僕はかなりフワフワしていた。
「写真撮ってもいい? 美容院のインスタにスタイリング例として載せたいんだけど。学校的にダメだったりするかな?」
「えー、どうなんだろう……」
僕はこのあたりの事情に詳しくない。
SNS自体は禁止ではないけど……
「大丈夫ですよ」
「え?」
隣の席に顔を向けると、昆野先輩がいた。
さっき、聞こえていた声は昆野先輩!?
「あー、そうだった。昆野くんも和と同じ高校だったよね。え、二人は知ってるの?」
「え……あ……」
「最近知り合いました。だよな、副会長」
「あ、はい……」
まさか、昆野先輩が隣にいたなんて!
ってことは、おじさんとの会話を全部聞かれてた?
自分の中で会話の内容を巻き戻してみる。
「なんだ、そうなの。和、なんで知らんぷりしてたんだよ! 先輩だろ?」
「いや、まさか昆野先輩がいるなんて思わなかったから……」
「昆野くん、どう? ニュー奥和貴は?」
「イケメンになったと思いますよ」
昆野先輩のまっすぐな視線に、思わず息を呑んだ。
え、そんなに見ないでください!
「こんなイケメンにイケメン認定されて、良かったなー和」
「い、イケメン、イケメンってあんまり言うと価値が薄くなるよ!」
「素直じゃないなー。じゃ、恵子さん写真お願い。ごめんね、昆野くん途中のままで。仕上げようか」
僕は席を立つと、恵子さんについて行き奥の部屋に入った。
ワイシャツ姿のまま、正面、横、後ろと撮られると、ポーズを取ってと言われた。
「ポーズって……どうすれば?」
「うん? そうだなー。ちょっと斜め向いて笑ってみようか。和貴くんの笑顔は可愛いから」
「笑う! む、ムズい」
こういう時、太刀山先輩は格好良くポーズを決められるんだろうな~
いや、ポーズつけなくたって、十分格好良い!
夕べの電話のやり取りを思い出して、自然と顔がほころんでいた。
「いい! その表情サイコー。和貴くん、映え方知ってるね」
「え? そ、そうですか?」
「うん。良い写真が撮れた。ホラ、見てみて」
恵子さんが見せてくれた画面には、嬉しそうに微笑む僕が映っていた。
🔸🔸🔸
美容院を出ると、19時を過ぎていた。
お母さんにLINEで今終わったと、書いていると「奥!」と声を掛けられた。
顔を上げると、目の前に昆野先輩が立っていた。
髪を切って学ランを羽織っている先輩はよりワイルドさが増して、やっぱり学園ドラマのニヒルなサブヒーローみたいに見えた。
「格好良いです、昆野先輩」
「奥も、誰かと思ったよ。いいな、前髪上げると全然変わるな」
「そうですか? 視界が広がって世の中がよく見えるようになりました」
「お前、面白いな。可愛い感じが男らしくなったかなー」
太刀山先輩も褒めてくれますか? と聞きそうになるのを堪えた。
なんでも、昆野先輩に言っていいわけじゃない。
でも、ついつい自分が思っていることを話したくなってしまう。
「河野さんは親戚なのか?」
「はい。お母さんの弟です。ずっとおじさんに髪の毛切ってもらってましたけど、先輩と遭遇したことなかったですね」
「……でも、今年の2月ぐらいかな、見かけたことはあったよ」
「え! 僕をですか?」
「そう」
2月。僕が一番落ち込んでいて、おじさんにも心配されていた頃だ。
あの時、おじさんとの会話の中で、目安箱のことを聞いた。
『おじさんが若い頃はさ、学校に目安箱っていうのがあってさ。なんか、文句とか改善して欲しいことをそこに投函してたんだよ。その頃はパソコンもスマホもない時代だろ? だから手書きで抗議していたわけ。お前の高校にもあるって聞いたよ』
それを聞いて、僕は目安箱の存在に気が付いた。
でも、それが現在も機能しているのかはわからなかった。それでも投函した。。
「ちょうど、俺が終わって帰る頃に奥が鏡の前に座っていた」
「どうして僕だってわかったんですか?」
「ん? タチから耳が痛くなるほど聞いてたから」
「あ……そっか」
その時期、太刀山先輩は僕のことを嫌な奴だと思っていたはず。
それを昆野先輩も聞いていたのか……
「その頃の僕は、太刀山先輩にすごく嫌われていた時期ですね」
自虐的に言う自分が少し嫌になった。
「まあ、そうだな……」
「でも、太刀山先輩は目安箱に僕が投函しているのを見て、考えを変えてくれたみたいです」
「ああ、目安箱ね。そうそう、お前も知ってたんだな、あの存在。なかなか気づく奴いないけど」
「え? 昆野先輩も知ってましたか?」
「うん。そうだ、河野さんともその話したなー。河野さんの時代はそれしか思いを伝えるものがなかったって。で、ウチの学校にもありますよって話で盛り上がった」
嘘……
『お前の高校にもあるって聞いたよ』
それって、おじさんが昆野先輩から聞いたってこと?
それを僕に話してくれて、僕が行動したってこと?
僕は横を歩く昆野先輩の顔を見上げた。
「何? どうした?」
「……昆野先輩との縁を感じました」
「はぁ? なんだそれ!」
左頬を上げながら、ぶっきらぼうに言われた。
でも、僕はじんわりと心が温かくなるのを感じていた。
🔸🔸🔸
翌朝、バス停で降りると太刀山先輩が待っていた。
「え……うっそ」
先輩は僕を見るなり、口を手で押さえた。
僕はその表情に、必要以上にオドオドしてしまった。
「おはようございます……」
「嘘……オックン……」
「……はい」
「抱きしめたい」
「へ?」
驚いている僕を置いて、笑いながら太刀山先輩が歩き出した。
僕は置いて行かれないように、足を速める。
「だ、抱きしめたいって言いました?」
「うん。ここに誰もいなかったらギュッって抱きしめてた」
抱きしめたいって……僕を?
抱きしめたい、抱きしめたい……その言葉を頭の中で繰り返す自分が、気持ち悪いと思いながらも止められない。
横を歩く太刀山先輩はいつもよりも、跳ねるように歩いていた。
「……会合が終わったら……ね!」
「ね! って……は、はい」
すっかり太刀山先輩のペースに巻き込まれた僕は、幸せだった。
教室に入ると、そこにいた生徒の目が僕に向けられたような気がした。
僕はいつものように、自分の席に座るけど、内心落ち着かない。
みんなに見られてるって思うのは、自意識過剰かな?
でも、こんなに視線を感じることはなかったから。
「オックン! やっぱり俺が言った通りだったろ。前髪無くなったらイケメンになってる!」
早速、徹が近づいてくると、僕の机にお尻を乗せて、ニヤニヤしている。
「徹、声がデカいよ」
「だって周りを見てみろよ、お前がこんなに人に見られることあったか? いいよ、いいよ。俺の言った通りにしてれば、この先の人生も安泰だよ」
エラそうに話すと、僕の肩をバンバン叩いた。
「一生言ってろ!」
悪態をつきながらも、密かに徹には感謝していた。
徹のあの言葉がなかったら、おじさんに対してさえ『イケメン』だなんて絶対口にできなかったから。
それにしても、まださっきの太刀山先輩の声がリフレインしている。
誰かから『抱きしめたい』なんて、言われるものなのかな……
無意識に、制服の上から胸に手を当てていた。
「オックン」
「え?」
徹が僕から離れると、後ろから声を掛けられた。
「おはよう遠野。何?」
遠野は、中学からの内進組ではあるけど、同じクラスになったのは初めてだ。
「オックンも生徒会に参加するのか?」
「え?……うん」
「太刀山先輩の方だよね」
「そう。どうして?」
「俺は柿谷を支援してるから、ライバルだなって」
遠野は腕組をしながら、少し挑発するような表情をした。
僕は、ほぼ初めて話したと言ってもいい相手に、いきなりそんな態度を取られて、戸惑う。
「あ、そうなんだ」
今回の生徒会会長選挙に立候補しているのは、三年生の太刀山先輩と二年生の柿谷洋二だ。
選挙に勝つと5月1日から新体制で始まる。
三年生は12月までの活動と決まっているため、任期が短く、選挙戦では不利だという話だ。
そのため、柿谷が優位だとも言われている。
でも、全校での人気を考えれば、太刀山先輩の方が有利だと、僕は思っていた。
「こう言ったらあれだけど、二年生の9割は柿谷に入れると思うよ。一年へのアプローチも順調だし。太刀山先輩は大丈夫?」
既に戦闘モードなのか?
こういう会話に慣れてない僕は、ちょっとうろたえた。
「だったら三年は全員先輩に入れるよ。柿谷よりも先輩の方がよっぽど知名度も人気も高いと思うけど」
「人気はあっても、信頼されているかが重要だろ。そこ大丈夫そ?」
「な、なにを根拠に……」
言いかけた時に、始業ベルが鳴った。
僕はうろたえてしまい、遠野に対して言い返せなかった自分にイライラした。
あの時と同じ感情……
巧の件で、何一つ解決できずに不満が溜まった時を思い出した。
絶対、あの時のような後悔はしない。
絶対、太刀山先輩を生徒会長にしたい。
握る力が強すぎて、シャーペンの芯がボキッと音を立てて折れた。
🔸🔸🔸
放課後、対策委員会の会合に参加する。
選挙まで、あと一週間しかない。
僕は、遠野との朝のやりとりで急に不安になっていた。
三年生が本当に不利なのか?
「今朝、柿谷の支援側の子と話したんですが、既に一年への投票協力をしているみたいです。もっとアピールしたほうが良くないですか?」
僕は思ったことをそのまま伝えた。
まだ新参者ではあるけれど、でも遅れを取りたくはない。
「うん。アピールはしてるよ。ね、神崎?」
「タチの公約と、あの学校新聞で取り上げたインタビューで掲載されなかった部分をA4の用紙にコピーして配布済み。オックンは見てないの? 二年の教室にも配ったよ」
「え……」
知らない。
言い訳をするつもりはないけど、僕は本当に興味が無かったから。
でも、ここに参加してから今までの経緯はすべて太刀山先輩からも聞いたけど、この件については教えてもらってない。
「オックンは、ここに参加するまでは生徒会には興味がなかったから仕方ないよ。そういう生徒がほとんどだと思うから、やっぱりそこには注力したいよなー。ね、凪?」
「……なんで奥は見なかったんだ? そのコピー」
「え……直接手渡されてないからです」
「だよな。そういうとこだよ。結局、どこかに置いておくとか、配っておいてって人頼みにした時点で、漏れる生徒は出てくる。だから面倒でも直接手渡した方が確実だろうな」
太刀山先輩と昆野先輩の阿吽の呼吸に、僕は少し気後れしてしまった。
副会長なのに……
質問だけして、解決策を出さないなんて最低だ。
「そう。効率悪くてもやっぱり自分たちでやるべきだよね。直接配布は別に禁止されてないし。柿谷陣営が何をどうアプローチしてるか知らないけど、ウチはウチで泥臭くやってこう。ってことで、この前大木戸が作ってくれたチラシができ上がったから」
大木戸先輩が作成したチラシがメンバーに配られた。
太刀山先輩の顔と、一番訴えたい公約がポップで可愛らしいフォントで主張している。
「やっぱりセンスいいですねー、大木戸先輩」
「売り物になりそう。フリマサイトで売れそう」
「じゃ、そこで得た資金で打ち上げやろうぜ!」
「それ、指導されるから」
チラシを手に、各々盛り上がっている。
僕はチラシに目を落としながら、頭の中では気の利かない自分を責めていた。
「どう、気に入った?」
太刀山先輩が僕の肩に手を回すと、顔を覗き込んだ。
やっぱり近い。でもドキドキよりも、申し訳ない気持ちになっていた。
「はい、すごく見やすくて、手渡されたらじっくり読んじゃいます」
「うん。良かった」
「あの……」
「そういえば、オックン、ヘアスタイル変えた? なんかイイ男になった気がする」
大木戸先輩が僕の髪型に触れた。
それを合図に、他のメンバーもその会話に加わり始めた。
僕が太刀山先輩に話したかったことが、外野から打ち消された。
「いや、俺もそう思った。前髪が変わると人って変わるんだなー」
「会長、副会長イケメンってところも推せる要素だよなー」
「これが男女共学だったら最強だったのにな、イケメン祭りで」
イケメン祭り……
「オックンさ、やっぱり眼鏡掛けようか」
「え? 眼鏡ですか……」
「うん。より知的に見えるし、俺は眼鏡を掛けてるオックンが好きなんだよなーやっぱり」
前にも、太刀山先輩が言っていた。眼鏡を掛けてる姿が好きって。
「よ! 会長から愛の告白出ましたー」
「聞いた! 聞いた! 『オックンが好き』そこもっとプッシュしようぜ!」
三年生が盛り上がっているのを見ている僕の表情は、少し引き攣っていたかもしれない。
「お前たち、好き勝手なこと言うなよ。オックンがビビるから。気にするな、オックン」
ヤジを飛ばされるのも、フォローされるのも、嫌ではなかった。
でも、表現しようのないモヤモヤが心の中に浮かんでいた。
「ごめんね、あいつら調子乗り過ぎだから」
太刀山先輩の優しい声でも、浮かんだモヤモヤは消えなかった。



