僕はモブだった。
入学以来、ほとんど名前を呼ばれたことがない。
その朝までは。
「奥和貴くん、生徒会一緒にやらない?」
新学期が始まって二日目の朝、校門に入るといきなり声を掛けられた。
今日に限って、寝坊してコンタクトをつけていない。
ド近眼だとわかる、分厚いレンズの黒縁眼鏡を掛けている冴えない僕に声を掛けたのは誰だ?
「え? 太刀山先輩……」
「おはよう。そう、俺。どう? 今期の生徒会に参加しないか?」
今まで一度も話したことがないのに、いきなり生徒会?
目の前に立っている三年生の太刀山先輩は、全校生徒の中でのヒエラルキー上位の一人だ。
間近で見ると、学ランを着ているだけなのに、スポットライトを浴びているかのように眩しくて、キラキラしている。
校舎に向かう生徒たちも、立ち止まって話している僕たち二人を珍しそうに見ている。
っていうか、どういうこと?
「お、おはようございます」
僕は必要以上にオドオドしてしまう。
だって、声を掛けられる理由が浮かばないから。
しかも、生徒会って!
「どう? 生徒会に参加しないか?」
壊れたスピーカーのように同じ言葉を繰り返す先輩に、返す言葉が見つからない。
でも、腰を曲げてずっと僕の視線に合わせてくれている先輩を呆れさせてはいけない。
「すみません。どういうことでしょうか……」
さっきよりも、もっと登校してくる生徒たちに見られている!
クラスの中でさえ、僕に注目してくる人なんていないのに。
これって公開処刑になってない?
「だから、生徒会に参加しようよ」
「え……なんで、僕が?」
我ながら、人をイライラさせる返しをしていることはわかっている。
でも、今の僕にはこれが精一杯なんだけど……
「タチ、いい加減にしろよ。こんなに人が多い中で。いじめてるように見えるぞ」
また一人、参加者が増えた。
昆野先輩だ。
いつも太刀山先輩とツルんでいる、ワイルドな雰囲気の人。
太刀山先輩の肩に手を回して、同じように僕の顔を覗き込んでいる。
詰襟のボタンを、全部外して着ている人を初めて見た。
二人とも、背が高い。
確かに、僕は先輩に詰められている後輩に見えるだろう。
「い、いじめられてなんかいません! 僕が答えられてないので……先輩は悪くないです」
とりあえず、弁解しないと太刀山先輩に申し訳ない。
「ほら、また後輩に気を遣わせているだろ?」
いきなり、僕の頭に手を乗せるとポンと叩いて、昆野先輩はその場から離れて校舎に向かって歩き出した。
鞄を肩の上で、逆手に持って。
学園ドラマに出てくるクールな生徒役みたいで格好良い。
いや、それよりもまずは目の前にいる太刀山先輩に集中しないと。
「ごめん。いきなりで驚いたよな」
「いえ、だ、大丈夫です」
「放課後さ、話せる?」
「え? え、ええ……」
「視聴覚室に来てよ、よろしく」
「は、はい……」
太刀山先輩は、にっこりと僕に笑顔を向けると華麗に向きを変えて、歩き出した。
な、なんですか、その笑顔は!
笑顔を向けられただけで、胸の奥がギュッと締め付けられた。
思わず、心臓に手を当てる。
よく、漫画やアニメで見たことはあったけど、本当になるんだ……
🔸🔸🔸
僕はホームルームが終わらなければいいと思っていた。
だって、終わったら視聴覚室に行かなければいけないから。
無視して帰るという選択肢は……無かった。
そんなことしたら、明日から学校へ来るのが怖い。
決して、太刀山先輩はイジメをするような人ではないと思うけど、でも後輩にブッチされたらプライドが傷つくだろう。
「朝、先輩に詰められてただろ?」
数少ない友達の徹に聞かれた。
やっぱり見られていたか。
「詰められてなんてないよ……ただ」
「ただ、何だよ?」
徹になら言ってもいいかな……と思ったが、まだ詳細がわかっていない段階では、軽々しく口にするべきではない。
「ちょっと、聞かれただけ」
「ふーん。お前に聞くことなんてあるんだな」
「ごめん。これからちょっと呼ばれてるんだ」
「へ? なに、呼び出しくらったのか?」
「せ、先生にだよ。じゃあ、また明日なー」
先生に呼び出しくらう方がマズくないか?
と自分の下手な嘘に汗が出る。
僕は、校舎の四階にある視聴覚室に向かった。
階段を上りながらも、やっぱり帰ろうかなと何度も足が止まった。
一方で、朝に感じた、心臓がギュッとなった感覚を思い出して少し頬が緩んだりもした。
そんな自分がちょっと気持ち悪い。
視聴覚室のドアを開けると、既に太刀山先輩は椅子に座って僕を待っていた。
少し離れたところに、昆野先輩も机に腰かけて長い脚を伸ばしている。
僕は、太刀山先輩と二人っきりではないことに、残念なような、安心したような、よくわからない感情に混乱した。
「す、すみません。遅れちゃって」
「いいの、いいの。二年の教室の方が遠いからな。まあ、座って」
「失礼します」
僕は机を挟んで、太刀山先輩と向かい合った。
先生とお母さんと僕との三者面談を思い出す。
横に、昆野先輩は座らないのかな?
「これ、飲んでよ」
売店で買ってきてくれたのか、乳酸飲料が差し出された。
僕が一番好きな飲み物。
偶然かな?
「ありがとうございます。僕これ売店で売っている中で一番好きなんです」
「知ってた」
「え?」
吐息のような笑い声が遠くから聞こえた。
振り向くと、昆野先輩の苦笑いが見えた。
ちょっと恥ずかしい……
「で、早速だけどさ。朝、聞いたことどう思うかな?」
「……生徒会ですか?」
「うん。正直、会長選挙まであと三週間しかないけど、オックンならできると思って」
「え! オックンって……」
「うん? そう呼ばれてるだろ?」
クラスで呼ばれているあだ名。
奥くんがいつの間にか、小さなツが入ってオックンになっていた。
嫌いじゃないけど、初めて話した人に呼ばれるとムズムズする。
「で、でも、僕は先輩みたいに人気者ではありません。二年の中でもモブです」
「でも、成績だと学年TOP5にいるだろ?」
「そ、それは……」
「ああ、ごめん。正直に言うと、やっぱり頭の良い人材は必要なんだよな。人気があってもバカじゃ役に立たない。全校生徒の為にもね。そういう意味では、オックンはベストチョイスなんだけど」
頭の良い人材が必要だから僕?
太刀山先輩は微笑みながらも、ちょっと突き放したような言い方をした。
少し心がゾワっとした。
でも、僕自身は褒められているのかな?
「学年1位の嵐山は人気ありますよ。バスケ上手いし、全国大会にも選抜されていたし。こういう人材がベストなのでは?」
自分で言っていて、なんだか惨めになってきた。
僕は成績では5位以内にいるけど、スポーツでも部活でも、クラスの人気度でも、まったくもって圏外にいるのに。
「……すべてがパーフェクトだと、それはそれでちょっと難しいんだよなー。やっぱり皆に支持される要素としては、バランスが必要だからさ。あんまり生徒会がデきる奴ばかりの集まりだと、逆に嫉妬されて揚げ足とられるし」
「そういうものなんですか?」
「世の中はすべて、バランスだよ」
太刀山先輩は両手を頭の後ろで組むと、伸びをするような姿勢をした。
一歳しか年が違わないのに、すごく大人に見えた。
真正面にいる太刀山先輩の顔は小さくて、切れ長の目に、リップを塗ったみたいに真っ赤な唇が、動画でよく見るK-POPのアイドルみたいで、僕はまともに見ることができずに、視線を逸らしてしまう。
「……無理なら無理って言えよ」
「え?」
「凪―。横やり入れるなよー。もう少しで落ちてくれそうなんだから」
後方から聞こえてきた、昆野先輩のぶっきらぼうな言い方に、少し心が動いた。
「あいつのことは無視して。俺は、オックンと一緒に生徒会を盛り上げたいし、個人的にオックンに興味があってナンパした」
その言葉に思わず顔を上げたら、太刀山先輩の視線とがっちゃんこしてしまった。
『ナンパした』この一言で、僕のモブ人生は終わりを告げた。
入学以来、ほとんど名前を呼ばれたことがない。
その朝までは。
「奥和貴くん、生徒会一緒にやらない?」
新学期が始まって二日目の朝、校門に入るといきなり声を掛けられた。
今日に限って、寝坊してコンタクトをつけていない。
ド近眼だとわかる、分厚いレンズの黒縁眼鏡を掛けている冴えない僕に声を掛けたのは誰だ?
「え? 太刀山先輩……」
「おはよう。そう、俺。どう? 今期の生徒会に参加しないか?」
今まで一度も話したことがないのに、いきなり生徒会?
目の前に立っている三年生の太刀山先輩は、全校生徒の中でのヒエラルキー上位の一人だ。
間近で見ると、学ランを着ているだけなのに、スポットライトを浴びているかのように眩しくて、キラキラしている。
校舎に向かう生徒たちも、立ち止まって話している僕たち二人を珍しそうに見ている。
っていうか、どういうこと?
「お、おはようございます」
僕は必要以上にオドオドしてしまう。
だって、声を掛けられる理由が浮かばないから。
しかも、生徒会って!
「どう? 生徒会に参加しないか?」
壊れたスピーカーのように同じ言葉を繰り返す先輩に、返す言葉が見つからない。
でも、腰を曲げてずっと僕の視線に合わせてくれている先輩を呆れさせてはいけない。
「すみません。どういうことでしょうか……」
さっきよりも、もっと登校してくる生徒たちに見られている!
クラスの中でさえ、僕に注目してくる人なんていないのに。
これって公開処刑になってない?
「だから、生徒会に参加しようよ」
「え……なんで、僕が?」
我ながら、人をイライラさせる返しをしていることはわかっている。
でも、今の僕にはこれが精一杯なんだけど……
「タチ、いい加減にしろよ。こんなに人が多い中で。いじめてるように見えるぞ」
また一人、参加者が増えた。
昆野先輩だ。
いつも太刀山先輩とツルんでいる、ワイルドな雰囲気の人。
太刀山先輩の肩に手を回して、同じように僕の顔を覗き込んでいる。
詰襟のボタンを、全部外して着ている人を初めて見た。
二人とも、背が高い。
確かに、僕は先輩に詰められている後輩に見えるだろう。
「い、いじめられてなんかいません! 僕が答えられてないので……先輩は悪くないです」
とりあえず、弁解しないと太刀山先輩に申し訳ない。
「ほら、また後輩に気を遣わせているだろ?」
いきなり、僕の頭に手を乗せるとポンと叩いて、昆野先輩はその場から離れて校舎に向かって歩き出した。
鞄を肩の上で、逆手に持って。
学園ドラマに出てくるクールな生徒役みたいで格好良い。
いや、それよりもまずは目の前にいる太刀山先輩に集中しないと。
「ごめん。いきなりで驚いたよな」
「いえ、だ、大丈夫です」
「放課後さ、話せる?」
「え? え、ええ……」
「視聴覚室に来てよ、よろしく」
「は、はい……」
太刀山先輩は、にっこりと僕に笑顔を向けると華麗に向きを変えて、歩き出した。
な、なんですか、その笑顔は!
笑顔を向けられただけで、胸の奥がギュッと締め付けられた。
思わず、心臓に手を当てる。
よく、漫画やアニメで見たことはあったけど、本当になるんだ……
🔸🔸🔸
僕はホームルームが終わらなければいいと思っていた。
だって、終わったら視聴覚室に行かなければいけないから。
無視して帰るという選択肢は……無かった。
そんなことしたら、明日から学校へ来るのが怖い。
決して、太刀山先輩はイジメをするような人ではないと思うけど、でも後輩にブッチされたらプライドが傷つくだろう。
「朝、先輩に詰められてただろ?」
数少ない友達の徹に聞かれた。
やっぱり見られていたか。
「詰められてなんてないよ……ただ」
「ただ、何だよ?」
徹になら言ってもいいかな……と思ったが、まだ詳細がわかっていない段階では、軽々しく口にするべきではない。
「ちょっと、聞かれただけ」
「ふーん。お前に聞くことなんてあるんだな」
「ごめん。これからちょっと呼ばれてるんだ」
「へ? なに、呼び出しくらったのか?」
「せ、先生にだよ。じゃあ、また明日なー」
先生に呼び出しくらう方がマズくないか?
と自分の下手な嘘に汗が出る。
僕は、校舎の四階にある視聴覚室に向かった。
階段を上りながらも、やっぱり帰ろうかなと何度も足が止まった。
一方で、朝に感じた、心臓がギュッとなった感覚を思い出して少し頬が緩んだりもした。
そんな自分がちょっと気持ち悪い。
視聴覚室のドアを開けると、既に太刀山先輩は椅子に座って僕を待っていた。
少し離れたところに、昆野先輩も机に腰かけて長い脚を伸ばしている。
僕は、太刀山先輩と二人っきりではないことに、残念なような、安心したような、よくわからない感情に混乱した。
「す、すみません。遅れちゃって」
「いいの、いいの。二年の教室の方が遠いからな。まあ、座って」
「失礼します」
僕は机を挟んで、太刀山先輩と向かい合った。
先生とお母さんと僕との三者面談を思い出す。
横に、昆野先輩は座らないのかな?
「これ、飲んでよ」
売店で買ってきてくれたのか、乳酸飲料が差し出された。
僕が一番好きな飲み物。
偶然かな?
「ありがとうございます。僕これ売店で売っている中で一番好きなんです」
「知ってた」
「え?」
吐息のような笑い声が遠くから聞こえた。
振り向くと、昆野先輩の苦笑いが見えた。
ちょっと恥ずかしい……
「で、早速だけどさ。朝、聞いたことどう思うかな?」
「……生徒会ですか?」
「うん。正直、会長選挙まであと三週間しかないけど、オックンならできると思って」
「え! オックンって……」
「うん? そう呼ばれてるだろ?」
クラスで呼ばれているあだ名。
奥くんがいつの間にか、小さなツが入ってオックンになっていた。
嫌いじゃないけど、初めて話した人に呼ばれるとムズムズする。
「で、でも、僕は先輩みたいに人気者ではありません。二年の中でもモブです」
「でも、成績だと学年TOP5にいるだろ?」
「そ、それは……」
「ああ、ごめん。正直に言うと、やっぱり頭の良い人材は必要なんだよな。人気があってもバカじゃ役に立たない。全校生徒の為にもね。そういう意味では、オックンはベストチョイスなんだけど」
頭の良い人材が必要だから僕?
太刀山先輩は微笑みながらも、ちょっと突き放したような言い方をした。
少し心がゾワっとした。
でも、僕自身は褒められているのかな?
「学年1位の嵐山は人気ありますよ。バスケ上手いし、全国大会にも選抜されていたし。こういう人材がベストなのでは?」
自分で言っていて、なんだか惨めになってきた。
僕は成績では5位以内にいるけど、スポーツでも部活でも、クラスの人気度でも、まったくもって圏外にいるのに。
「……すべてがパーフェクトだと、それはそれでちょっと難しいんだよなー。やっぱり皆に支持される要素としては、バランスが必要だからさ。あんまり生徒会がデきる奴ばかりの集まりだと、逆に嫉妬されて揚げ足とられるし」
「そういうものなんですか?」
「世の中はすべて、バランスだよ」
太刀山先輩は両手を頭の後ろで組むと、伸びをするような姿勢をした。
一歳しか年が違わないのに、すごく大人に見えた。
真正面にいる太刀山先輩の顔は小さくて、切れ長の目に、リップを塗ったみたいに真っ赤な唇が、動画でよく見るK-POPのアイドルみたいで、僕はまともに見ることができずに、視線を逸らしてしまう。
「……無理なら無理って言えよ」
「え?」
「凪―。横やり入れるなよー。もう少しで落ちてくれそうなんだから」
後方から聞こえてきた、昆野先輩のぶっきらぼうな言い方に、少し心が動いた。
「あいつのことは無視して。俺は、オックンと一緒に生徒会を盛り上げたいし、個人的にオックンに興味があってナンパした」
その言葉に思わず顔を上げたら、太刀山先輩の視線とがっちゃんこしてしまった。
『ナンパした』この一言で、僕のモブ人生は終わりを告げた。



