重く分厚い雲から、激しい雨が降り始めた。
「うわっ、雨?」
「ええ最悪! 傘持ってきてないんだけど」
高校の教室の窓から外を眺めていた黒瀬唯奈が驚いたようにつぶやくと、彼女の隣でチェック柄のタオルを畳んでいた凛堂瑠々花が声をあげた。
「そういえば、朝の天気予報で少し降るかもって言ってた」
「ええ、そなの? 帰りめっちゃ憂鬱なんだけど」
「よりにもよってなんでこんな日に補修なんだって言うね」
「ほんとそれ。しかも合同補修だから葵や真奈美に会えないし」
「二人とも頭いいもんね」
強くなっていく雨足を眺めながら、唯奈たちは会話を弾ませる。
今日は2年生を対象に、成績が芳しくない生徒や自主的に参加する生徒だけが集められた、他クラスとの合同補修の日だ。受験生である高校3年生になる前に、成績不振の生徒が持つ不安要素を少しでも消しておきたいという学校側の思惑で、今年度から新しく作られた補修日だった。当然、強制参加となった生徒からは不評だったが、嫌なら成績を上げろという担任教師の正論に封殺された。無断欠席をすれば内申にも響くと脅されたこともあり、続々と対象になった生徒が登校してきていた。
「あれ? もしかして未蘭も強制参加?」
「うん、ちょっと成績落ちちゃって。てか歩実もなんだ。珍しい」
「そうなの。期末しくじっちゃって」
「おお~秀真! 久しぶり!」
「おう。去年ぶりだな、優弥。てかめっちゃ濡れてっけど、大丈夫か?」
「明梨、おっはよー!」
「はよー」
「ちょっと華奈? ららには何もないわけ?」
「アハハ冗談だって。って、二人とも何見てるの?」
「チクトク~。このアイメイク良さげじゃない?」
「わっ、めっちゃいい! さっすが明梨!」
顔見知りのいる生徒を中心に、方々で和気藹々とした声が上がっていた。とは言え、そうした生徒はごく一部だけで、ほとんどは適当な席に座って自習をするなりスマホをいじるなりしている。今日は部活をしているところも少ないのか、年季の入った校舎内はひっそりとしていた。
やがて、そんな静けさを強調するように、甲高いチャイムが響き渡った。すっかり耳に馴染んだ音に急かされ、教室で立ち話をしていた生徒たちは慌ただしく空いた席に着く。教室を見渡せば、およそ20人程度の生徒が疎らに腰かけていた。
「今日って谷センかな?」
「古文からだったらそうかもね」
唯奈は隣の瑠々花にこそっと耳打ちする。谷センこと谷水先生は、古文担当の学年主任を務めている男性教師だ。非常に声がでかく、また短気であることも相まって生徒たちからの人気はかなり低かった。
合同補修授業では、古文、数学、英語の三教科を重点的に扱うと事前説明があった。となれば、当然谷センはどこかで担当教師として教壇に立つことだろう。
「休みに学校来てまで会いたくないんだけど」
「言えてる」
クスクスと小さく笑いながら、唯奈と瑠々花は授業開始のチャイムが鳴ってからも私語を交わしていた。無論、それは唯奈たちだけではない。授業が始まってから、間もなく10分が過ぎようとしていた。
「なあ、さすがに遅過ぎだよな?」
教室の中央付近に陣取った小立野優弥が後ろを振り返る。彼の視線の先には、不機嫌そうに眉を潜めた氷室木秀真が背もたれに寄りかかっていた。
「まあ、いいだろ、べつに。補修とかだるいし」
「ええ? せっかく学校来たんだし、やるならやったほうがいいと思うけど。俺、ちょっと職員室行ってくるわ」
「あ、おい」
秀真の制止を聞かずに、優弥は足早に出入口へと向かった。
しかし、彼がドアを開けるよりも先に上方からプツンというノイズが鳴った。教室にいたほぼ全員が、咄嗟に教室の前方中央の上部の壁に取り付けられたスピーカーに目をやる。
『合同補修クラスの皆さん、おはようございます』
一気に、教室内の雰囲気が変わった。
スピーカーから聞こえてきたのは、変声機を通したような異様に高い機械みたいな声だった。同時に、黒板上部に設置されたスクリーンが降りてくる。遠隔で操作されているのか、天井から吊るされているプロジェクターも起動し、スクリーンに人型の黒い靄のようなものが現れた。
「え、誰?」
「キモっ」
「なに? いきなり」
困惑の声が広がっていく。
そんな教室の様子をせせら笑うように、スピーカーからフッと息を吐く音がした。
『それでは、補修授業を始めます。本日の授業テーマは、「より良い未来をみんなで作ろう」です』
「は?」
誰かの間抜けな声が聞こえた。続けて、秀真の「小学生かよ」というツッコみが入る。
スクリーンに映った声の主は、満足げに肯定した。
『まさにです、氷室木秀真くん。小学校の道徳の時間で考えるような基本中の基本のテーマについて、皆さんで話し合って決めていってもらいたいのです』
「こっちの声聞こえてんのかよ。つーか誰だよ、お前」
『私は、皆さんに正しい在り方を教える先生です。そうですね、ミライ先生、とでも呼んでください。本日限定なので、今日のためにいろいろ準備してきたんですよ。ということでまずは、皆さんにやる気を出してもらうためのサプライズをひとつ。左側を見てください』
ミライ先生と名乗った人型の黒い靄は、ゆっくりと右の掌を見せてくる。教室にいた全員が、ほとんど無意識に促されるがまま左側を向いた。
そちらには窓。曇り空からは土砂降りの雨が降り注いでいる。
突如、雨の雫を吹き飛ばす勢いで、何かが上方から降ってきた。
「え」
「今のって……谷セン?」
唯奈は咄嗟に立ち上がって窓を開け放ち、下を覗き込んだ。直後、驚愕に目を見開き、短い悲鳴とともにその場に尻餅をつく。
「え、なになに?」
「マジで谷センなの?」
彼女の反応で興味を持ったらしい羽山華奈や宇川ららを始め、ほとんどの生徒が席を立って窓際に集まる。
下方、校舎の裏門に続く小道のコンクリート上に、蛙の如く四肢を投げ出し倒れ伏している谷水先生の姿があった。頭からはおびただしい血が流れ、雨に濡れて黒くなった地面に赤黒い染みを作っている。唯奈同様、惨劇の発生を見とめた生徒の何人かが甲高い悲鳴をあげた。
『はい。以上でサプライズは終了です。皆さん、席に戻ってください』
「いやいやいや、ちょっと待ってよ! 何なのこれ? 谷水先生がどうして落ちてきたの?」
震えた声で、夏森未蘭が問い返した。数秒の間を置いて、スピーカーから淡々とした機械声が発せられる。
『まあ、いいでしょう。ではこのまま説明しますね。
まず、夏森未蘭さんの質問にお答えしましょうか。谷水清之先生が落ちてきた理由ですが、先ほども言った通りサプライズです。本学生徒からの不人気票を最も多く集めたのが彼でしたので、屋上から突き落としたんです。嬉しいでしょう? ああちなみに、既に谷水清之先生は死んでいます』
「死んで、って……冗談、だよね?」
『いいえ。冗談ではなく本気です。これはサプライズであると同時に、補修授業に真剣に取り組んでもらうためのデモンストレーション、言わば見せしめでもあるんですから。
皆さんには今から、多数決で死ぬべき人を決めてもらいます』
続けて告げられた予想外の言葉に、その場にいた全員が声を失った。
死ぬべき人を多数決で決める。倫理観が欠如した内容に、誰もが表情を歪めていた。
そんな硬直から一足先に解けたのは、後方に座っていた黒縁眼鏡が特徴的な長身の男子生徒だ。
「そ、そんなの、やるわけがない。どうして僕たちが、そんなことを……」
『いい視点ですね、荒科理人さん。どうして君たちが選ばれたのか、どうして多数決で死ぬべき人を選ばないといけないのか。ルール説明も兼ねて、順を追ってお話しますね。
まず、どうして君たちが選ばれたのかについてですが、これは簡単です。基本的に、君たちも谷水清之先生同様、本学生徒や教師からの不人気票を集めたからです』
うずくまっていた唯奈が弾かれたように顔を上げた。その視線は、真っ直ぐにスクリーンへと向けられていた。
『数か月前に、当校から支給しているタブレットや皆さんのスマホ宛てにアンケートメールを送りました。そのメールにはちょっとした仕掛けがありまして。メール内のアンケート用リンクに飛ぶと自動で録音や録画等を可能にする、アイコン非表示タイプの特殊なアプリがダウンロードされるようになっていました。そのアプリを通した調査で、皆さんに対する本学生徒や教師の不満が高いことを割り出し、今回の合同補修の対象者として選出されたわけです。まあ言わば、皆さんもまた多数決で選ばれたわけですよ』
「そんな勝手に……」
「アンケートメールって、もしかして不審メールの注意喚起があった?」
「嘘、だよね……?」
「誰だよ、僕のことを選んだやつ!」
教室のあちこちで抗議や不満の声が沸き起こる。信じられないのも無理はない。いきなり不人気票の多くを集めたからこの場にいるのだと説明されて、はいそうですかと納得できるはずもない。
しかし、スピーカーの向こう側にいる本日限定の自称教師――ミライ先生は、騒いでいるクラス内をなだめるかのように咳払いをした。
『はいはい皆さん、まだ話の途中ですよ。いけませんねえ、授業中の私語は慎んでもらわないと。先ほども言った通り、これは「より良い未来をみんなでつくる」ために必要な授業なんですから』
「ど、どこがだよ! 多数決で俺たちに殺し合いみたいなことをさせて、何がより良い未来だ!」
『おや? まだ察しがつきませんか、前里慶介さん。貴方ならとっくに気づいていても良さそうなものですが。
いいですか? 皆さんは、不人気票が集まった言わば学校社会の嫌われ者なんです。そんな人たちをみすみす成人させて世間様に出すわけにはいきません。憎まれっ子世に憚ると言いますが、より良い未来のためには憚ってもらっては困るんです。
だからこそ、今のこの場でより良い未来の害となる人を多数決で決めて殺してもらうんです』
どこまでも理不尽で一方的な物言いだった。反論を試みた生徒たちがよろよろと後退る。
誰も何も言わない教室の雰囲気に、どこか満足そうな機械声が続く。
『もっとも、私も鬼ではありません。もしかしたら単に周囲の勘違いや何らかの間違いでここにいる可能性も、まあ少ないですが一応は考えられます。
ですので、多数決で死ぬべき人を決める前に、皆さんに「より良い未来をみんなでつくる」ために必要な考え方を問う二択の選択式の質問をします。その二択で、世間一般の多数派と同じ意見を持つ方は、死ぬべき人を決める多数決の候補からは外すこととします。世間一般の多くと認識が同じなら、とりあえずは無害でしょうから。
つまり、世間一般の少数派に当たる生徒の中から、より良い未来のために死ぬべき人を多数決で決める、というわけです』
徐々に語調が強くなっていく気味の悪い声は、まるで自分こそが正しいのだと言わんばかりに言い切った。
二択の質問に答え、世間の少数派と同じ意見を持っている生徒の中から、死ぬべきだと思う人を多数決で決める。どうやら、この合同補修を考えた人は、まるで蟲毒のように教室内の生徒たちに多数決による人殺しをさせ、生き残った世間一般に最も近しい生徒を見極めたいらしい。
そんなことに、いったいどんな意味があるのか。
「に、二択の質問って……?」
弱々しい声が、廊下側に座っている男子生徒から発せられた。背中を丸め、恐怖に打ち震えているのか、その唇は青い。
「おお、斉藤獏さん。いいですね、やる気があるのは結構なことです。せっかくなのでひとつ例題を出しましょう。何事もまずは練習。やってみないことにはわからないですからね。
皆さん、教室後方の隅に置かれた段ボール箱を開け、中に入っているリストバンドを身に着けてください。それはプライベートクラウドにアクセスするための装置で、装着することで電源が起動し、皆さんのスマホや支給されたタブレットから質問に回答したり多数決で死ぬべき人に票を入れたりすることができるようになります。ああ、ちなみに拒否権はありませんので。教師に反抗するような集団行動のできない生徒はより良い未来には必要ありませんので、谷水清之先生と同じ運命を辿っていただきます』
確かに、教室後方の木棚の上には段ボール箱がひとつ置かれていた。しばらくは誰もそちらを見るだけで動こうとしなかったが、やがて秀真の近くにいた優弥がおもむろに歩き出した。
「お、おい優弥」
「いや、だって拒否権はないって言うし。死にたくないし。なら従うのがいいかなーって」
「かもしれないけど、だからってお前、素直に言うこと聞くとか」
「はあーダル」
語気を荒げる秀真の声に被せるように、久瀬明梨が呟いた。
「やってらんない。やってらんないけど、やらないと死ぬっつーか殺されるんでしょ? だったらもうさっさと終わらせよ」
茶色に染まった長い髪を揺らし、優弥に続いて段ボールから金属製の無骨なリストバンドを取り出した。すると、窓際に立ち尽くしていたららや華奈も弾かれたように明梨に追従した。これを契機に、教室にいた生徒は我先にと段ボールからリストバンドを持ち出した。
結局、最後までぶつくさと文句を垂れていた秀真もリストバンドを手首に着けたことで、教師に反抗してその命を散らす生徒は一人も出ることはなかった。
『そうですそうです、それでいいです。意外と聞き分けがいいですね、皆さん。いや、実に喜ばしい。
それでは、そのままの流れで早速、例題の出題に移ります。例題はあくまでも例題ですので、今回は死ぬべき人を決める必要はありません。肩の力を抜いて答えてくださいね』
ミライ先生はスクリーンの中でゆらゆらと揺れる。
かと思いきや、その黒い靄は広がって画面全体を覆った。
『嘘と隠し事。親友にされて許せないのはどちらか?』
黒い画面に白抜き文字で、質問が投影されていた。スピーカーからは変わらずミライ先生の機械声で、その内容を読み上げていた。
『はい。これが例題です。皆さん、手元のスマホ、あるいはタブレットを見てください。既に回答画面が表示されているはずです』
その言葉通り、いつの間にかスマホやタブレットの画面には赤色で「嘘」と「隠し事」という文字が映されていた。
「で? どっちか好きなほうを選べばいいわけ?」
『大まかにはその認識で相違ないですが、回答は慎重にしてくださいね、久瀬明梨さん。今回は例題なので表示しませんが、次からはこの後に私どもが独自に調査した世間一般の回答結果を発表します。その結果における少数派に属してしまった場合、多数決で殺されるかもしれないのですから』
「言われなくてもわかってるってば」
明梨は反抗的に吐き捨てると、まるでSNSのショート動画を再生するみたいな軽さで画面をタップした。
「え、明梨? どっちに」
『ああ、言い忘れましたが、他人の回答を盗み見たり聞いたり、談合して同じ回答になるよう操作したりといった不正行為は厳しく対処しますので。しっかり自分の頭で考えて答えを出してくださいね。もし主旨に反するような言動が発覚した場合、即失格とし殺しますので注意してください』
明梨の回答を聞こうとしていたららは顔を青ざめ、口をつぐんだ。教室内は静まり返り、各々が恐怖や不安を押し殺しながら手元のスマホを操作していく。
しばらくして、スクリーンに再び黒い靄が現れた。
『はい。どうやら皆さん回答し終えたようですね。ちなみに、スマホとタブレットを両方持っていても回答できるのは一度だけですからね。他人のスマホやタブレットから回答するとかも不正とみなしますので、悪いことはくれぐれも考えないように。
そして、先ほども言いましたが、この後には世間一般の回答結果を公開します。そこで少数派と同じ回答をした生徒は憎まれっ子予備軍として、死ぬべき人を決める多数決の投票先となります。
そうですね。例えば、袴木奏さん、白谷翔子さん、多谷伸吾さん』
いきなり名前を呼ばれた3人は、一斉にびくりと肩を震わせた。
『仮に今のお三方だけが先ほどの例題で「嘘が許せない」と回答し、それが世間一般では少数派だったとします。この場合、このお三方が多数決の投票先となり、クラス全員で三人の中から誰が死ぬべきかを話し合い、最終的に多数決で決めてもらいます。棄権や辞退はできません。生きている生徒は全員、例外なく多数決に参加してください。また原則として、多数決はスマホ、あるいはタブレットによって投票していただきます。
そして、多数決で最多得票となった人は、その場で殺されます』
「ひっ」
指名され、教室後方で縮こまっていた伸吾は小さく悲鳴を発する。他の二人も、気分が悪そうに俯くか、自らの身体を抱き締めていた。
そんな恐怖に身を強張らせていた翔子の隣に立つ女子生徒が、不意に手を挙げた。
「ちょっといい?」
『はい。なんですか、波田未帆乃さん?』
「その多数決で、一番多い票を獲得した人が2人以上いた場合はどうするの? 無効?」
張りのある声が凛と響く。しかし、ミライ先生はスクリーンの中で可笑しそうに左右に揺れた。
『良い質問ですが、さすがに無効なんて面白くないことはしませんよ。その場合は、一番多い票を獲得した人全員に死んでもらいます』
「っ……この、人でなし」
未帆乃は顔を歪めて吐き捨てると、隣の翔子を慰め始めた。どうやら、二人は友達であるらしい。
『フフ、人でなしで結構。皆さんに嫌われようとも、私はより良い未来のためにこの補修を完遂します。
大まかな流れはわかりましたか?
ちなみに、投票先の候補となる生徒が4名以上出た場合は、話し合いの中で投票先を3名以内に絞ってください。あまりにも多いと少数票が散らばって大量死が出てしまいかねませんので。その関係で、投票先の候補となる生徒が4名以上出た場合の多数決は、例外的に挙手制で行ってください。
多数決の決議をとるのは、質問が表示されてから20分後とします。つまり、話し合いの時間は20分弱しかありませんので、円滑な議論を心がけてくださいね』
ミライ先生がそこまで言ったところで、唐突に校舎内に聞き慣れたチャイムが鳴り響いた。
『おおっと、もうこんな時間ですか。
最後になりますが、皆さんに回答してもらう二択の質問は、全部で6種類あります。どれも、「より良い未来をつくる」ために必要な考え方を問う質問になっていますので。全ての質問に多数派と同じ回答をするか、少数派と同じ回答をしても多数決で生き残り続ければ補修は終了となりますので、どうか頑張ってください。
皆さんの自主性を重んじ、ここからの進行は皆さんにお任せします。今お話ししたルールはスクリーンに映しておきますので、必要に応じて見返してください。
それでは、合同補修始め』
ブツッと、放送の途切れる音が鳴る。
教室にいた20人の生徒が、互いの顔を探るように見合わせた。
スクリーンには今しがたの説明の要約と、早くも最初の質問が映し出されていた。
「うわっ、雨?」
「ええ最悪! 傘持ってきてないんだけど」
高校の教室の窓から外を眺めていた黒瀬唯奈が驚いたようにつぶやくと、彼女の隣でチェック柄のタオルを畳んでいた凛堂瑠々花が声をあげた。
「そういえば、朝の天気予報で少し降るかもって言ってた」
「ええ、そなの? 帰りめっちゃ憂鬱なんだけど」
「よりにもよってなんでこんな日に補修なんだって言うね」
「ほんとそれ。しかも合同補修だから葵や真奈美に会えないし」
「二人とも頭いいもんね」
強くなっていく雨足を眺めながら、唯奈たちは会話を弾ませる。
今日は2年生を対象に、成績が芳しくない生徒や自主的に参加する生徒だけが集められた、他クラスとの合同補修の日だ。受験生である高校3年生になる前に、成績不振の生徒が持つ不安要素を少しでも消しておきたいという学校側の思惑で、今年度から新しく作られた補修日だった。当然、強制参加となった生徒からは不評だったが、嫌なら成績を上げろという担任教師の正論に封殺された。無断欠席をすれば内申にも響くと脅されたこともあり、続々と対象になった生徒が登校してきていた。
「あれ? もしかして未蘭も強制参加?」
「うん、ちょっと成績落ちちゃって。てか歩実もなんだ。珍しい」
「そうなの。期末しくじっちゃって」
「おお~秀真! 久しぶり!」
「おう。去年ぶりだな、優弥。てかめっちゃ濡れてっけど、大丈夫か?」
「明梨、おっはよー!」
「はよー」
「ちょっと華奈? ららには何もないわけ?」
「アハハ冗談だって。って、二人とも何見てるの?」
「チクトク~。このアイメイク良さげじゃない?」
「わっ、めっちゃいい! さっすが明梨!」
顔見知りのいる生徒を中心に、方々で和気藹々とした声が上がっていた。とは言え、そうした生徒はごく一部だけで、ほとんどは適当な席に座って自習をするなりスマホをいじるなりしている。今日は部活をしているところも少ないのか、年季の入った校舎内はひっそりとしていた。
やがて、そんな静けさを強調するように、甲高いチャイムが響き渡った。すっかり耳に馴染んだ音に急かされ、教室で立ち話をしていた生徒たちは慌ただしく空いた席に着く。教室を見渡せば、およそ20人程度の生徒が疎らに腰かけていた。
「今日って谷センかな?」
「古文からだったらそうかもね」
唯奈は隣の瑠々花にこそっと耳打ちする。谷センこと谷水先生は、古文担当の学年主任を務めている男性教師だ。非常に声がでかく、また短気であることも相まって生徒たちからの人気はかなり低かった。
合同補修授業では、古文、数学、英語の三教科を重点的に扱うと事前説明があった。となれば、当然谷センはどこかで担当教師として教壇に立つことだろう。
「休みに学校来てまで会いたくないんだけど」
「言えてる」
クスクスと小さく笑いながら、唯奈と瑠々花は授業開始のチャイムが鳴ってからも私語を交わしていた。無論、それは唯奈たちだけではない。授業が始まってから、間もなく10分が過ぎようとしていた。
「なあ、さすがに遅過ぎだよな?」
教室の中央付近に陣取った小立野優弥が後ろを振り返る。彼の視線の先には、不機嫌そうに眉を潜めた氷室木秀真が背もたれに寄りかかっていた。
「まあ、いいだろ、べつに。補修とかだるいし」
「ええ? せっかく学校来たんだし、やるならやったほうがいいと思うけど。俺、ちょっと職員室行ってくるわ」
「あ、おい」
秀真の制止を聞かずに、優弥は足早に出入口へと向かった。
しかし、彼がドアを開けるよりも先に上方からプツンというノイズが鳴った。教室にいたほぼ全員が、咄嗟に教室の前方中央の上部の壁に取り付けられたスピーカーに目をやる。
『合同補修クラスの皆さん、おはようございます』
一気に、教室内の雰囲気が変わった。
スピーカーから聞こえてきたのは、変声機を通したような異様に高い機械みたいな声だった。同時に、黒板上部に設置されたスクリーンが降りてくる。遠隔で操作されているのか、天井から吊るされているプロジェクターも起動し、スクリーンに人型の黒い靄のようなものが現れた。
「え、誰?」
「キモっ」
「なに? いきなり」
困惑の声が広がっていく。
そんな教室の様子をせせら笑うように、スピーカーからフッと息を吐く音がした。
『それでは、補修授業を始めます。本日の授業テーマは、「より良い未来をみんなで作ろう」です』
「は?」
誰かの間抜けな声が聞こえた。続けて、秀真の「小学生かよ」というツッコみが入る。
スクリーンに映った声の主は、満足げに肯定した。
『まさにです、氷室木秀真くん。小学校の道徳の時間で考えるような基本中の基本のテーマについて、皆さんで話し合って決めていってもらいたいのです』
「こっちの声聞こえてんのかよ。つーか誰だよ、お前」
『私は、皆さんに正しい在り方を教える先生です。そうですね、ミライ先生、とでも呼んでください。本日限定なので、今日のためにいろいろ準備してきたんですよ。ということでまずは、皆さんにやる気を出してもらうためのサプライズをひとつ。左側を見てください』
ミライ先生と名乗った人型の黒い靄は、ゆっくりと右の掌を見せてくる。教室にいた全員が、ほとんど無意識に促されるがまま左側を向いた。
そちらには窓。曇り空からは土砂降りの雨が降り注いでいる。
突如、雨の雫を吹き飛ばす勢いで、何かが上方から降ってきた。
「え」
「今のって……谷セン?」
唯奈は咄嗟に立ち上がって窓を開け放ち、下を覗き込んだ。直後、驚愕に目を見開き、短い悲鳴とともにその場に尻餅をつく。
「え、なになに?」
「マジで谷センなの?」
彼女の反応で興味を持ったらしい羽山華奈や宇川ららを始め、ほとんどの生徒が席を立って窓際に集まる。
下方、校舎の裏門に続く小道のコンクリート上に、蛙の如く四肢を投げ出し倒れ伏している谷水先生の姿があった。頭からはおびただしい血が流れ、雨に濡れて黒くなった地面に赤黒い染みを作っている。唯奈同様、惨劇の発生を見とめた生徒の何人かが甲高い悲鳴をあげた。
『はい。以上でサプライズは終了です。皆さん、席に戻ってください』
「いやいやいや、ちょっと待ってよ! 何なのこれ? 谷水先生がどうして落ちてきたの?」
震えた声で、夏森未蘭が問い返した。数秒の間を置いて、スピーカーから淡々とした機械声が発せられる。
『まあ、いいでしょう。ではこのまま説明しますね。
まず、夏森未蘭さんの質問にお答えしましょうか。谷水清之先生が落ちてきた理由ですが、先ほども言った通りサプライズです。本学生徒からの不人気票を最も多く集めたのが彼でしたので、屋上から突き落としたんです。嬉しいでしょう? ああちなみに、既に谷水清之先生は死んでいます』
「死んで、って……冗談、だよね?」
『いいえ。冗談ではなく本気です。これはサプライズであると同時に、補修授業に真剣に取り組んでもらうためのデモンストレーション、言わば見せしめでもあるんですから。
皆さんには今から、多数決で死ぬべき人を決めてもらいます』
続けて告げられた予想外の言葉に、その場にいた全員が声を失った。
死ぬべき人を多数決で決める。倫理観が欠如した内容に、誰もが表情を歪めていた。
そんな硬直から一足先に解けたのは、後方に座っていた黒縁眼鏡が特徴的な長身の男子生徒だ。
「そ、そんなの、やるわけがない。どうして僕たちが、そんなことを……」
『いい視点ですね、荒科理人さん。どうして君たちが選ばれたのか、どうして多数決で死ぬべき人を選ばないといけないのか。ルール説明も兼ねて、順を追ってお話しますね。
まず、どうして君たちが選ばれたのかについてですが、これは簡単です。基本的に、君たちも谷水清之先生同様、本学生徒や教師からの不人気票を集めたからです』
うずくまっていた唯奈が弾かれたように顔を上げた。その視線は、真っ直ぐにスクリーンへと向けられていた。
『数か月前に、当校から支給しているタブレットや皆さんのスマホ宛てにアンケートメールを送りました。そのメールにはちょっとした仕掛けがありまして。メール内のアンケート用リンクに飛ぶと自動で録音や録画等を可能にする、アイコン非表示タイプの特殊なアプリがダウンロードされるようになっていました。そのアプリを通した調査で、皆さんに対する本学生徒や教師の不満が高いことを割り出し、今回の合同補修の対象者として選出されたわけです。まあ言わば、皆さんもまた多数決で選ばれたわけですよ』
「そんな勝手に……」
「アンケートメールって、もしかして不審メールの注意喚起があった?」
「嘘、だよね……?」
「誰だよ、僕のことを選んだやつ!」
教室のあちこちで抗議や不満の声が沸き起こる。信じられないのも無理はない。いきなり不人気票の多くを集めたからこの場にいるのだと説明されて、はいそうですかと納得できるはずもない。
しかし、スピーカーの向こう側にいる本日限定の自称教師――ミライ先生は、騒いでいるクラス内をなだめるかのように咳払いをした。
『はいはい皆さん、まだ話の途中ですよ。いけませんねえ、授業中の私語は慎んでもらわないと。先ほども言った通り、これは「より良い未来をみんなでつくる」ために必要な授業なんですから』
「ど、どこがだよ! 多数決で俺たちに殺し合いみたいなことをさせて、何がより良い未来だ!」
『おや? まだ察しがつきませんか、前里慶介さん。貴方ならとっくに気づいていても良さそうなものですが。
いいですか? 皆さんは、不人気票が集まった言わば学校社会の嫌われ者なんです。そんな人たちをみすみす成人させて世間様に出すわけにはいきません。憎まれっ子世に憚ると言いますが、より良い未来のためには憚ってもらっては困るんです。
だからこそ、今のこの場でより良い未来の害となる人を多数決で決めて殺してもらうんです』
どこまでも理不尽で一方的な物言いだった。反論を試みた生徒たちがよろよろと後退る。
誰も何も言わない教室の雰囲気に、どこか満足そうな機械声が続く。
『もっとも、私も鬼ではありません。もしかしたら単に周囲の勘違いや何らかの間違いでここにいる可能性も、まあ少ないですが一応は考えられます。
ですので、多数決で死ぬべき人を決める前に、皆さんに「より良い未来をみんなでつくる」ために必要な考え方を問う二択の選択式の質問をします。その二択で、世間一般の多数派と同じ意見を持つ方は、死ぬべき人を決める多数決の候補からは外すこととします。世間一般の多くと認識が同じなら、とりあえずは無害でしょうから。
つまり、世間一般の少数派に当たる生徒の中から、より良い未来のために死ぬべき人を多数決で決める、というわけです』
徐々に語調が強くなっていく気味の悪い声は、まるで自分こそが正しいのだと言わんばかりに言い切った。
二択の質問に答え、世間の少数派と同じ意見を持っている生徒の中から、死ぬべきだと思う人を多数決で決める。どうやら、この合同補修を考えた人は、まるで蟲毒のように教室内の生徒たちに多数決による人殺しをさせ、生き残った世間一般に最も近しい生徒を見極めたいらしい。
そんなことに、いったいどんな意味があるのか。
「に、二択の質問って……?」
弱々しい声が、廊下側に座っている男子生徒から発せられた。背中を丸め、恐怖に打ち震えているのか、その唇は青い。
「おお、斉藤獏さん。いいですね、やる気があるのは結構なことです。せっかくなのでひとつ例題を出しましょう。何事もまずは練習。やってみないことにはわからないですからね。
皆さん、教室後方の隅に置かれた段ボール箱を開け、中に入っているリストバンドを身に着けてください。それはプライベートクラウドにアクセスするための装置で、装着することで電源が起動し、皆さんのスマホや支給されたタブレットから質問に回答したり多数決で死ぬべき人に票を入れたりすることができるようになります。ああ、ちなみに拒否権はありませんので。教師に反抗するような集団行動のできない生徒はより良い未来には必要ありませんので、谷水清之先生と同じ運命を辿っていただきます』
確かに、教室後方の木棚の上には段ボール箱がひとつ置かれていた。しばらくは誰もそちらを見るだけで動こうとしなかったが、やがて秀真の近くにいた優弥がおもむろに歩き出した。
「お、おい優弥」
「いや、だって拒否権はないって言うし。死にたくないし。なら従うのがいいかなーって」
「かもしれないけど、だからってお前、素直に言うこと聞くとか」
「はあーダル」
語気を荒げる秀真の声に被せるように、久瀬明梨が呟いた。
「やってらんない。やってらんないけど、やらないと死ぬっつーか殺されるんでしょ? だったらもうさっさと終わらせよ」
茶色に染まった長い髪を揺らし、優弥に続いて段ボールから金属製の無骨なリストバンドを取り出した。すると、窓際に立ち尽くしていたららや華奈も弾かれたように明梨に追従した。これを契機に、教室にいた生徒は我先にと段ボールからリストバンドを持ち出した。
結局、最後までぶつくさと文句を垂れていた秀真もリストバンドを手首に着けたことで、教師に反抗してその命を散らす生徒は一人も出ることはなかった。
『そうですそうです、それでいいです。意外と聞き分けがいいですね、皆さん。いや、実に喜ばしい。
それでは、そのままの流れで早速、例題の出題に移ります。例題はあくまでも例題ですので、今回は死ぬべき人を決める必要はありません。肩の力を抜いて答えてくださいね』
ミライ先生はスクリーンの中でゆらゆらと揺れる。
かと思いきや、その黒い靄は広がって画面全体を覆った。
『嘘と隠し事。親友にされて許せないのはどちらか?』
黒い画面に白抜き文字で、質問が投影されていた。スピーカーからは変わらずミライ先生の機械声で、その内容を読み上げていた。
『はい。これが例題です。皆さん、手元のスマホ、あるいはタブレットを見てください。既に回答画面が表示されているはずです』
その言葉通り、いつの間にかスマホやタブレットの画面には赤色で「嘘」と「隠し事」という文字が映されていた。
「で? どっちか好きなほうを選べばいいわけ?」
『大まかにはその認識で相違ないですが、回答は慎重にしてくださいね、久瀬明梨さん。今回は例題なので表示しませんが、次からはこの後に私どもが独自に調査した世間一般の回答結果を発表します。その結果における少数派に属してしまった場合、多数決で殺されるかもしれないのですから』
「言われなくてもわかってるってば」
明梨は反抗的に吐き捨てると、まるでSNSのショート動画を再生するみたいな軽さで画面をタップした。
「え、明梨? どっちに」
『ああ、言い忘れましたが、他人の回答を盗み見たり聞いたり、談合して同じ回答になるよう操作したりといった不正行為は厳しく対処しますので。しっかり自分の頭で考えて答えを出してくださいね。もし主旨に反するような言動が発覚した場合、即失格とし殺しますので注意してください』
明梨の回答を聞こうとしていたららは顔を青ざめ、口をつぐんだ。教室内は静まり返り、各々が恐怖や不安を押し殺しながら手元のスマホを操作していく。
しばらくして、スクリーンに再び黒い靄が現れた。
『はい。どうやら皆さん回答し終えたようですね。ちなみに、スマホとタブレットを両方持っていても回答できるのは一度だけですからね。他人のスマホやタブレットから回答するとかも不正とみなしますので、悪いことはくれぐれも考えないように。
そして、先ほども言いましたが、この後には世間一般の回答結果を公開します。そこで少数派と同じ回答をした生徒は憎まれっ子予備軍として、死ぬべき人を決める多数決の投票先となります。
そうですね。例えば、袴木奏さん、白谷翔子さん、多谷伸吾さん』
いきなり名前を呼ばれた3人は、一斉にびくりと肩を震わせた。
『仮に今のお三方だけが先ほどの例題で「嘘が許せない」と回答し、それが世間一般では少数派だったとします。この場合、このお三方が多数決の投票先となり、クラス全員で三人の中から誰が死ぬべきかを話し合い、最終的に多数決で決めてもらいます。棄権や辞退はできません。生きている生徒は全員、例外なく多数決に参加してください。また原則として、多数決はスマホ、あるいはタブレットによって投票していただきます。
そして、多数決で最多得票となった人は、その場で殺されます』
「ひっ」
指名され、教室後方で縮こまっていた伸吾は小さく悲鳴を発する。他の二人も、気分が悪そうに俯くか、自らの身体を抱き締めていた。
そんな恐怖に身を強張らせていた翔子の隣に立つ女子生徒が、不意に手を挙げた。
「ちょっといい?」
『はい。なんですか、波田未帆乃さん?』
「その多数決で、一番多い票を獲得した人が2人以上いた場合はどうするの? 無効?」
張りのある声が凛と響く。しかし、ミライ先生はスクリーンの中で可笑しそうに左右に揺れた。
『良い質問ですが、さすがに無効なんて面白くないことはしませんよ。その場合は、一番多い票を獲得した人全員に死んでもらいます』
「っ……この、人でなし」
未帆乃は顔を歪めて吐き捨てると、隣の翔子を慰め始めた。どうやら、二人は友達であるらしい。
『フフ、人でなしで結構。皆さんに嫌われようとも、私はより良い未来のためにこの補修を完遂します。
大まかな流れはわかりましたか?
ちなみに、投票先の候補となる生徒が4名以上出た場合は、話し合いの中で投票先を3名以内に絞ってください。あまりにも多いと少数票が散らばって大量死が出てしまいかねませんので。その関係で、投票先の候補となる生徒が4名以上出た場合の多数決は、例外的に挙手制で行ってください。
多数決の決議をとるのは、質問が表示されてから20分後とします。つまり、話し合いの時間は20分弱しかありませんので、円滑な議論を心がけてくださいね』
ミライ先生がそこまで言ったところで、唐突に校舎内に聞き慣れたチャイムが鳴り響いた。
『おおっと、もうこんな時間ですか。
最後になりますが、皆さんに回答してもらう二択の質問は、全部で6種類あります。どれも、「より良い未来をつくる」ために必要な考え方を問う質問になっていますので。全ての質問に多数派と同じ回答をするか、少数派と同じ回答をしても多数決で生き残り続ければ補修は終了となりますので、どうか頑張ってください。
皆さんの自主性を重んじ、ここからの進行は皆さんにお任せします。今お話ししたルールはスクリーンに映しておきますので、必要に応じて見返してください。
それでは、合同補修始め』
ブツッと、放送の途切れる音が鳴る。
教室にいた20人の生徒が、互いの顔を探るように見合わせた。
スクリーンには今しがたの説明の要約と、早くも最初の質問が映し出されていた。



