出張の夜は、路地裏食堂で


観光客向けの賑やかな通りに出ると、白えび丼の(のぼり)を掲げた店が何軒も並んでいた。どの店先にも、艶やかな白えびを盛った見本の写真が貼られ、道行く人の足を止めている。

一番行列の短い店に入り、待つこと十五分ほどで、ようやくカウンター席に案内された。

真ん中の「並」を選び、注文を告げると、店員は手元のタブレットに打ち込み、すぐに次の客の対応へ移っていった。

運ばれてきたそれは、確かに美しかった。透き通るような白えびが、丼の上でひとつひとつ重なり合うように盛られ、照明を受けてきらきらと光っている。

壁には芸能人のサイン色紙や雑誌の切り抜きが、この店の実績を物語っていた。

箸で一つまみ取り、口へ運ぶ。歯を立てると、ぷちりと弾けてから、とろりとした甘みが舌の上いっぱいに広がった。

──夏休み、祖母の台所。油がぱちぱちと弾ける音。『かなえちゃん、味見してみまっし』と、新聞紙に包んで渡された、揚げたての一つ。

ふいに浮かんだ記憶を、私は瞬きで振り払った。目の前にあるのは、あの時のかりっとした軽さとは違う、ねっとりと舌にまとわりつくような甘みだ。悪くない。むしろ、味だけで言えば十分に美味しい部類だと思う。

けれど、どこか物足りなかった。店員は流れ作業のように皿を置き、すぐ次の注文の対応に戻っていく。誰も悪くない。それでも、カウンターの隅にぽつんと座っているだけの自分を、意識せずにいられなかった。

隣の席では、旅行中らしい二人組が「これ写真撮ろうよ」と楽しそうにシャッターを切っている。私は箸を進める手を少し緩めた。

美味しい。けれど、どこか他人行儀だった。祖母が作ってくれたものには、こんなふうに整った美しさはなかった。新聞紙は油で透けていたし、盛り付けなんて考えたこともなかっただろう。なのに、あの味には、この一皿にはない何かがあった。

……じゃあ、何なんだろう。自分でも答えが出ないまま、残りのご飯を口に運んだ。



会計を済ませて店を出ると、通りにはまだ観光客の声が響いていた。イルミネーションに彩られた並木の下を、少し俯きがちに歩く。

このまま賑やかな通りにいると、余計に一人でいることを意識してしまいそうで、私は角を曲がって少し裏の通りへ足を向けた。

そこにあったコンビニの明かりに、ふらりと吸い寄せられる。レジ横の冷蔵ケースには『富山づくり』と書かれたポップが立ち、地元の酒蔵の小瓶や、ます寿司の小さなパック、白えびせんべいが並んでいた。

白えびせんべいのパッケージには、なぜか妙にリアルな白えびのイラストが大きくプリントされていて、思わず二度見してしまう。裏を返すと『富山県民のソウルフード』と、大げさな謳い文句まで添えられていた。

こういう本気なんだか適当なんだか分からないパッケージに、旅先だと少し弱い。

少し迷って、そのせんべいと、氷見(ひみ)産の紅ずわい蟹の風味がついたおつまみ、地元の酒蔵が造ったという小瓶の日本酒を一つ、かごに入れる。

レジに並ぶと、年配の店員さんが小瓶のラベルを見て、「これ、県外の人によう買われていくがよ。飲みやすいし」と、聞いてもいないのに教えてくれた。

「そうなんですね」と笑って答えると、「気ぃつけて帰ってくださいね」と、送り出される。ホテルに戻る前に、少しだけ一人で夜風に当たっていたい気分だった。

店を出ると、脇に小さなベンチがあった。街灯の明かりの下、缶をひとつ置けるくらいの縁石に瓶を置き、私はコートの襟を立てて腰を下ろした。

きゅっと蓋を開ける音が、思いのほか大きく響く。一口含むと、すっきりとした甘みの奥に、米の香りがふわりと立った。

──美味しい。誰かに気を遣うでもなく、自分のためだけに選んだ一杯が、こんなに体に染みるとは思わなかった。

おつまみの小袋を開け、蟹の風味の効いたそれを一つ齧る。塩気が、ちょうどよく舌に馴染んだ。これも、なかなかいける。

白えびせんべいも一枚かじってみると、パッケージのイラストほど濃い味ではなく、ふわりと軽い磯の香りがするだけの、拍子抜けするくらい素朴な味だった。それが少しおかしくて、一人で小さく笑ってしまう。素朴な分だけ、飾らない美味しさがあった。

ビルの隙間から見える空に、月が薄く滲んでいる。誰に見せるでもない、誰かに合わせるでもない時間。こういう時間を、自分はいつからこんなに久しく持っていなかっただろう。

篠原さんの声も、坂本さんの固い表情も、ふっと遠くに感じられた。半分ほど飲んだところで、私は瓶に蓋をし直し、鞄にしまった。続きは、部屋に戻ってからでもいい。

立ち上がると、お酒のせいか、それとも少し気持ちがほぐれたせいか、足取りが来た時より軽い。せっかくだから、もう少し歩いてみよう。

スマホを取り出し、母から送られてきた祖母の実家の住所を、なんとなく地図アプリに入力してみた。歩いて二十分ほど、と表示が出る。

特に当てがあるわけではない。ただ、あの賑やかな通りから、もう少し遠ざかってみたい気持ちの方が強かった。

地図の示す矢印に従って歩き出すと、次第に人通りが減り、街灯の間隔も広くなっていく。

観光地の華やかさが背中の方へ遠ざかっていくのを感じながら、私は一人、知らない街の路地へと足を踏み入れた。