学級委員は、最恐と噂の俺のことが好きらしい

~乃亜side~
 理科室でその日最後の授業が終わった後のことだった。

 「実験用具片付けなきゃだけど……っおい、狗神が今こっち見たぞ」
 「うわ、マジかよ。殺されたくねぇし、もう行こうぜ」

 コソコソと怯えたように囁き合い、クラスメイトたちが理科室を去っていく。
 俺は一瞬、実験用具を洗う手を止めた。胸の奥が不快感でざわつく。
 またみんな勝手に誤解して、逃げるようにいなくなる。

 あっという間に、広い理科室には俺と獅狼の二人だけになった。
 少し離れたところで一人ぽつんと残っている獅狼の姿。長身を少し丸めて、ガラスのビーカーや試験管をひとつひとつ、割らないように丁寧に洗っている。

 「……狗神くん」

 声をかけると、獅狼はビクッと肩を跳ねさせて振り返った。俺の姿を認識すると、ホッとしたように表情を緩める。
 ……ああ、だめだよ。そんなかわいい顔をしちゃ。
 どうしてみんな獅狼がこんなにかわいいことに気づかないんだろう、という思いはすぐに俺だけが知っていればいい、に打ち消されてしまう。

 「綿巻……? みんなもう帰ったぞ」
 「うん。狗神くん一人で全部洗うつもり?」
 「あ……うん。みんな急いでたみたいだし。放置したら先生も困るだろ。俺、別にヒマだし」

 嘘だ。みんなが自分を怖がって逃げたのを、獅狼だって分かっているはずなのに。
 それなのに獅狼は誰も責めず、嫌な顔ひとつせず、当たり前のようにクラスの片付けを一人で引き受けているんだ。

 「俺が残ってやっとけば、みんな早く帰れるだろ。一緒にやろうとすると余計に怖がらせちゃうし。……こういうことくらいしか、役に立てないから」

 ――胸の奥で、何かがブツンと音を立てて弾けた。
 胸の奥から、荒々しいほどの愛おしさがこみ上げて破裂しそうになる。

 みんなは知らない。俺がいつから獅狼のことを見つめ続けてきたのかを。

 始まりは、一年の春。雨の日の放課後だった。
 同じクラスだったけれど話したことは一度もなく、俺も周りの噂なんて興味がなかった。ただ背が高くて目立つ男だなと思っていただけだった。
 だから、その日もたまたま見かけただけで。
 道端にある小さなお地蔵さんの前で足を止め、濡れているお地蔵さんに自分の傘をそっと立てかけて、自分はびしょ濡れになりながら走って帰っていった獅狼。
 誰かに見せるためでもない。褒めてもらうためでもない。
 損しかしていないのに、当たり前みたいに自分の傘を差し出す姿が、目の奥に焼き付いて離れなくなった。

 それからだ。俺の視線が、無意識に獅狼を追うようになったのは。

 重い荷物を持つ先生をさりげなく手伝う姿。
 落とし物を持ち主がいない時にそっと机に置く優しさ。
 その反面、雷が鳴ると肩をすぼめて震えていたり、小さな犬に吠えられて「うわっ!?」と飛び上がって逃げていたりする、最高に可愛らしい素顔。

 誰も見ていないところで、小さな優しさを積み重ねる男。
 俺だって周りからは、優しいと言われる。
 けれどそれは、周囲と揉めないための作られた優しさだ。
 「ボク」なんて、一人称まで変えて作られた優しさで世渡りをしてきた俺にとって、獅狼の純粋な優しさは眩しすぎて、気づいた時にはもう手遅れなほど好きになっていた。

 だから、二年になって同じクラスだと分かった時は、本気で跳び上がるほど嬉しかった。
 もしクラスが離れていても毎日理由を作って会いに行こうと決めていたけれど、同じクラスなら話は早いと内心ガッツポーズをしたくらいだ。

 毎朝「おはよう」と言えること。
 初めは戸惑っていた獅狼が、少しずつ打ち解けてくれたこと。
 パンを不器用に割って大きい方を譲ってくれるところ。
 うっかり俺が素を出した時、聞き落としてもおかしくないのにちゃんと拾って、耳を真っ赤にしていたこと。

 話しかけるたび、新しい魅力を知るたびに、胸の奥が熱くてたまらなくなった。
 噂に怯えて誰も近寄らない獅狼の、世界で一番可愛い素顔を、俺だけが知っている。

 それでも、今の関係を壊したくなくて、親切な学級委員の振りをしていればずっと一番近くにいられると思っていたのに。

 ――自分の価値を低く見積もって黙々と片付けをする獅狼を見て、もう抑えがきかなくなった。

 誰にも渡したくない。
 この健気で愛おしい素顔を、俺以外の誰にも見せたくない。俺の手で抱きしめて、守って、ぐちゃぐちゃに甘やかしてやりたい。

 濡れた手でタオルを持つ獅狼の手首を、がしっと掴む。
 掴んだ手首から伝わる体温。驚いて一瞬で真っ赤になっていく獅狼の耳。

 もう、隠し通すなんて無理だ。
 こんな顔をされて、我慢できるわけがないだろう。

 「……好きだよ、獅狼」