そんなある日の放課後。
みんなが部活や下校で教室を出ていく中、綿巻が一人で大量のプリントの整理をしているのが目に入った。
いつも俺なんかに優しくしてくれて、一緒に昼飯まで食べてくれる綿巻。
みんなから怖がられている俺だけど……こんなことくらいなら、少しは役に立てるかもしれない。
そう思い、俺は意を決して綿巻の机へと歩み寄った。
「……それ、俺もやる」
「え? 狗神くん……いいの? 用事とかないの?」
「ない。……俺、これくらいしかできないし」
ぼそりと呟いてプリントの束を引き寄せると、綿巻が一瞬パチリと目を瞬かせた。
それから――目尻を下げて嬉しそうに微笑んだ。
「ううん、すごく助かる。ありがとう、狗神くん」
そんなに感謝されるようなことじゃないのに、綿巻は本当に嬉しそうに目元を和ませる。
二人で黙々とプリントを束ねていくと、すっかり外は薄暗くなっていた。
「ありがとう。狗神くんが手伝ってくれたから早く終わったよ」
「別に……ヒマだったし」
教卓の上にプリントの束をまとめ、ふうと息をつく。
教室にはもう、俺と綿巻の二人しかいない。
夕焼けのオレンジ色が、窓際で微笑む綿巻の顔を眩しく照らしていた。
「……なんかさ」
綿巻がカバンを持ち上げながら、ぽつりと漏らした。
「俺、狗神くんといるとすごく落ち着くんだよね」
……ん?
「……今、俺って言った?」
俺の問いかけに、綿巻は驚いたように目を見開く。
「え? 言った?」
「言った。お前、普段『ボク』って言ってるだろ」
学級委員としてみんなをまとめる時も、女子たちと話す時も、綿巻の一人称はいつだって爽やかな「ボク」だ。物腰柔らかで誰にでも愛想のいい綿巻らしいとは思ったが、大抵の男子が「俺」というから、珍しいなと俺の中ではかなり印象に残っていた。
一瞬、綿巻は「あ」という顔をしたが、すぐにどこか照れくさそうに片手で首の後ろをかきながら、ふっと柔らかく目を細める。
「……あー、出ちゃったか」
「出ちゃった、って」
「うーん……無理して作らなくていいかなって。……あ、ちがうや。狗神くんの前だと、ね」
「……ん?」
「狗神くんの前だと、うっかり素が出ちゃった。内緒にしてね?」
「……別に言わねぇけど」
「ふふ、ありがとう」
まっすぐ見つめられて、俺はなんだか直視できずに目を逸らしてしまった。
――俺の前だけ。
その言葉の響きが、心臓にじんわりと熱を持って広がる。
周囲の誰にも見せない素を、俺だけに見せてくれたのだと思うと、胸の奥がくすぐったい。
……変なやつ。
そう思いながらも、自分が綿巻にとって特別な枠になれたような気がして、顔が熱くなるのを抑えられなかった。
◇
別の日の昼休み、綿巻と一緒に昼飯を食べ終えた後のことだ。
「委員会の資料、今日までに出さないといけないんだった」と綿巻が教室を出て行ったあと、腹いっぱいになった俺は猛烈な眠気に襲われ、そのまま腕を枕にしてウトウトとしていた。
……ん。
どれくらい経っただろう。
ふと、肌に刺さるような熱い視線を感じて目が覚めた。流石に気のせいかと思ったが、目が完全に冴えてしまった。
ゆっくりと顔を上げると――目の前に、綿巻の顔があった。
頬杖をつき、至近距離でじっと俺の寝顔を見つめていた綿巻と、バチッと目が合う。
「うわっ!?」
椅子から転げ落ちそうになる俺を前に、綿巻は慌てる様子もなく、満足そうに微笑んだ。
「あ、おはよう」
「……は、よ」
心臓が跳ね上がったまま、俺は乱れた前髪を手で抑えた。至近距離で見つめられた時の綿巻の目が、見たこともないくらいに優しくて熱くて、息が詰まる。
「……いつから見てたんだ?」
「んー、ちょっと前かな」
「……なんで?」
「かわいかったから」
「は!?」
「起こそうか悩んだんだけど、ほんとにかわいかったからつい見ちゃった」
「意味わかんねぇ」
「えー、かわいいのに」
くすくす笑う綿巻。
かわいいなんて人生で初めて言われて戸惑ってしまう。俺の人生とは一生無縁の言葉だと思っていた。
そんな言葉を短時間で何回も浴びて、耳がじわじわと熱を持っていく。俺は赤くなった耳を隠すように、乱れた髪を直すフリをしながら窓の外へ視線を逃がすことしかできなかった。
綿巻乃亜は、やっぱり優しい学級委員だ。
一人でいる俺を気にかけて、わざわざ話しかけてくれて、普通に接してくれる。
――学級委員だから、俺がぼっちなのを心配してくれてるんだな。
そう自分に言い聞かせることで、暴れる心臓をどうにか落ち着かせようとした。
……そうじゃなかったら、この胸の騒がしさに、名前がついてしまいそうだったから。
みんなが部活や下校で教室を出ていく中、綿巻が一人で大量のプリントの整理をしているのが目に入った。
いつも俺なんかに優しくしてくれて、一緒に昼飯まで食べてくれる綿巻。
みんなから怖がられている俺だけど……こんなことくらいなら、少しは役に立てるかもしれない。
そう思い、俺は意を決して綿巻の机へと歩み寄った。
「……それ、俺もやる」
「え? 狗神くん……いいの? 用事とかないの?」
「ない。……俺、これくらいしかできないし」
ぼそりと呟いてプリントの束を引き寄せると、綿巻が一瞬パチリと目を瞬かせた。
それから――目尻を下げて嬉しそうに微笑んだ。
「ううん、すごく助かる。ありがとう、狗神くん」
そんなに感謝されるようなことじゃないのに、綿巻は本当に嬉しそうに目元を和ませる。
二人で黙々とプリントを束ねていくと、すっかり外は薄暗くなっていた。
「ありがとう。狗神くんが手伝ってくれたから早く終わったよ」
「別に……ヒマだったし」
教卓の上にプリントの束をまとめ、ふうと息をつく。
教室にはもう、俺と綿巻の二人しかいない。
夕焼けのオレンジ色が、窓際で微笑む綿巻の顔を眩しく照らしていた。
「……なんかさ」
綿巻がカバンを持ち上げながら、ぽつりと漏らした。
「俺、狗神くんといるとすごく落ち着くんだよね」
……ん?
「……今、俺って言った?」
俺の問いかけに、綿巻は驚いたように目を見開く。
「え? 言った?」
「言った。お前、普段『ボク』って言ってるだろ」
学級委員としてみんなをまとめる時も、女子たちと話す時も、綿巻の一人称はいつだって爽やかな「ボク」だ。物腰柔らかで誰にでも愛想のいい綿巻らしいとは思ったが、大抵の男子が「俺」というから、珍しいなと俺の中ではかなり印象に残っていた。
一瞬、綿巻は「あ」という顔をしたが、すぐにどこか照れくさそうに片手で首の後ろをかきながら、ふっと柔らかく目を細める。
「……あー、出ちゃったか」
「出ちゃった、って」
「うーん……無理して作らなくていいかなって。……あ、ちがうや。狗神くんの前だと、ね」
「……ん?」
「狗神くんの前だと、うっかり素が出ちゃった。内緒にしてね?」
「……別に言わねぇけど」
「ふふ、ありがとう」
まっすぐ見つめられて、俺はなんだか直視できずに目を逸らしてしまった。
――俺の前だけ。
その言葉の響きが、心臓にじんわりと熱を持って広がる。
周囲の誰にも見せない素を、俺だけに見せてくれたのだと思うと、胸の奥がくすぐったい。
……変なやつ。
そう思いながらも、自分が綿巻にとって特別な枠になれたような気がして、顔が熱くなるのを抑えられなかった。
◇
別の日の昼休み、綿巻と一緒に昼飯を食べ終えた後のことだ。
「委員会の資料、今日までに出さないといけないんだった」と綿巻が教室を出て行ったあと、腹いっぱいになった俺は猛烈な眠気に襲われ、そのまま腕を枕にしてウトウトとしていた。
……ん。
どれくらい経っただろう。
ふと、肌に刺さるような熱い視線を感じて目が覚めた。流石に気のせいかと思ったが、目が完全に冴えてしまった。
ゆっくりと顔を上げると――目の前に、綿巻の顔があった。
頬杖をつき、至近距離でじっと俺の寝顔を見つめていた綿巻と、バチッと目が合う。
「うわっ!?」
椅子から転げ落ちそうになる俺を前に、綿巻は慌てる様子もなく、満足そうに微笑んだ。
「あ、おはよう」
「……は、よ」
心臓が跳ね上がったまま、俺は乱れた前髪を手で抑えた。至近距離で見つめられた時の綿巻の目が、見たこともないくらいに優しくて熱くて、息が詰まる。
「……いつから見てたんだ?」
「んー、ちょっと前かな」
「……なんで?」
「かわいかったから」
「は!?」
「起こそうか悩んだんだけど、ほんとにかわいかったからつい見ちゃった」
「意味わかんねぇ」
「えー、かわいいのに」
くすくす笑う綿巻。
かわいいなんて人生で初めて言われて戸惑ってしまう。俺の人生とは一生無縁の言葉だと思っていた。
そんな言葉を短時間で何回も浴びて、耳がじわじわと熱を持っていく。俺は赤くなった耳を隠すように、乱れた髪を直すフリをしながら窓の外へ視線を逃がすことしかできなかった。
綿巻乃亜は、やっぱり優しい学級委員だ。
一人でいる俺を気にかけて、わざわざ話しかけてくれて、普通に接してくれる。
――学級委員だから、俺がぼっちなのを心配してくれてるんだな。
そう自分に言い聞かせることで、暴れる心臓をどうにか落ち着かせようとした。
……そうじゃなかったら、この胸の騒がしさに、名前がついてしまいそうだったから。



