カインドネス・リベンジ

 家族が寝静まったのを見計らい、雅人は静かに家を出た。

 辺りに注意を向けながら、空良の家へ向かう。
 灯油の入ったタンクを重そうに抱え、そのポケットにはライターを忍ばせている。

 ほんとうにやれるのか……。

 俊介に脅されてから、雅人はずっと苦悩していた。
 家族を人質に取られたからといって、空良を裏切れるのか。しかも放火なんて。

 とんでもないことをしようとしている。それはわかる――でも。

 雅人は俊介が心底恐かった。
 あいつは人を虫けらのようにしか思っていない。何をするかわからない。

 僕が家族を守らないと。

 空良の家に着くと、人目につかない場所を探した。

 家の奥の方に、道路から死角になっているちょうどいい場所があったので、そこに決める。
 周りに落ちている枯れ枝や枯草を一か所に集めた。

 雅人はタンクの灯油を全てばらまくと、ライターを手に取った。

「僕は悪くない、悪いのは俊介だ」

 自分に言い聞かせるように、何度もつぶやく。

 からからに乾いた喉、逸る鼓動、震える手。
 怖気づきそうな気持ちを振り払うかのように頭を振った。

 雅人は震える手で、灯油を撒いた場所に火を放った。

 あっという間に火は広がった。燃え盛る炎が、赤々と夜の暗闇を照らしていく。

 雅人は近くにあった石を掴むと、それを窓に投げようとする。
 ガラスの割れる音で、誰かが起きてくれることを願って。

 そのとき、誰かがその腕を掴んだ。
 振り返ると、そこには俊介が恐ろしい顔で雅人を睨みつけていた。

「おまえ、何やってんだ」

 雅人は俊介に引きずられていく。
 その間にも、どんどん火の勢いが増していく。

 早く知らせてあげないと、手遅れになる!

「本気で人を殺す気じゃないだろっ?」

 雅人が尋ねると、俊介は鼻で笑った。

「……死ぬかどうかなんてわからないだろ。それに、あいつにはこれぐらいしないとな」

 こんな時に俊介は笑っている。

 悪魔――。
 やっぱり、その言葉は間違っていなかった。

 本気だ、本気でこいつ……。

 雅人は、自分の体から血の気が引いていくのを感じた。

 俊介は念を押すため、雅人の耳元でささやく。

「このこと誰かに言ったら、おまえ終わりだから」

 そう言うと、俊介は声を上げて笑った。

 狂ってる、こいつ絶対狂ってる!

 雅人は恐ろしくて、ただその場から逃げることしか考えられなかった。
 俊介の手を必死に振りほどき、無我夢中で逃げた。

 とにかくここから離れたかった。ここから遠くへ行きたかった。

 走っている途中で、自宅に戻ろうとしていた空良に会ってしまう。

 空良は雅人の様子を見るなり、声をかけてきた。

「どうした? 血相変えて。大丈夫か?」

 雅人は空良に目も合わせられず、狼狽えた。
 体の震えが止まらない。

 空良は心配そうに雅人を見るが、どうやら今は急いでいるようだった。

「すまない、雅人、急いでるんだ。気をつけて帰れよ」

 空良はまた走り出す。
 彼の顔は今までに見たこともないほど焦っていた。

 空良の後ろ姿を見つめながら、雅人はその場に崩れ落ちた。

「ごめん、そらあ……ごめ、ん……っ」

 雅人は空良の後ろ姿に、何度も何度も謝るしかなかった。