明治あやかし遊郭

「どうか兄さん、私のお話を聞いてくださいな」

 刻は明治、舞台は横濱。
 薄紅の行灯がゆらぐ遊郭の閨で、遊女の(てん)は艶かしく布団に身を横たえていた。
 男の香の煙が静かにのぼり、障子の向こうには雨の音がかすかに響いている。

「それは――昔、昔のお話」

 天は、赤い布団の上で艶めかしく体をくねらせる。
 客が思わず手を出すが、ぱちんと軽くはたいてくすくす笑った。
 続きを聞かねば、続きはない。そう言わんばかりに。

「私には子がおりまして」

 遊女の思わぬ告白に客は息を呑む。
 だが意地悪な遊女に喋ることを許されていないので、じっとその続きを待っていた。

「つまらぬ話です。没落士族の一人娘。何も知らぬ莫迦な子供。親に売られ、極道者に身請けされたのです」

 「極道は士族を好むと言います。愛人として囲うには良い看板だったのでしょうね」、そう笑いながら天は煙草をふかす。
 遠くて近い過去を思い出しながら―― 
 
「私を買った男は明るく優しい人でした。幸せだったと思います。ですが所詮は愛人の身。奥様より先に孕んでしまえば途端に仇敵に様変わり。何が何でも産ませてはならんと命を狙われ、命からがら逃げおおせたのがこの華屋(はなや)でございます」

 天は無防備に体を天井へ向けて、腕を開けて俎板(まないた)の上の鯉を演じる。 
 だが客は「待て」をされたまま。
 ごくりと大きな音で生唾を飲み込むことしか許されていない。
 
「なんと悲惨なことでしょう。栄華を極めた退魔師の一門、その末裔は堕ちに堕ちて遊郭の檻の中。どうか笑ってくださいな」
「堕ちに、堕ちて、ねえ」

 客が低く笑った。
 天の上に覆いかぶさると、天の視点からはすべてが暗闇になる。
 不安を隠すために数えていた天井のシミも、もう見えない。

「子供はちゃあんと産めたんだろう、よかったじゃないか」
「…………」

 客の話が子供に及ぶと、天は露骨に嫌な顔をする。
 遊女の仮面を取り繕えないその仕草は、天がまだこの仕事について浅いことを証明していた。

「大旦那の温情が無けりゃ、とても売り物にならぬ華がよ」

 天の顔面に血管が浮かぶ。
 今にも千切れてしまいそうな血管を顔に浮かべたまま、天はぎこちなく笑った。

「その徒花(あだばな)目当てに、ようこそいらっしゃいました」
 
 天はイラつきを隠すこともなく、がしりと客の手を取る。
 そのまま布団の中へ誘うように身を寄せると、客の頬が上気しているのが見えた。
 してやったり――そう言わんばかりの顔で天は客の大きな胸板に頬をこすりつけうっとりと呟いた。

「遊郭・華屋へようこそ」

 囁く声とともに、天は客の衣に指をかけするりと胸元を開く。
 客の体は大きく、荒く息をするたびに筋肉で覆われた胸が上下する。
 
「私が華屋唯一の遊女、天にございます」

 客の巨躯の上を天の白い小さな手が這いまわる。
 客は辛抱たまらんとその白い手を握り、ぐいと持ち上げて目線を合わせる。

「許せ」
 
 先ほどの無礼な会話のことだろうか。
 客は天の襦袢をはらりと脱がせると、白い小さな体をしげしげと眺める。
 不躾な目線に恥じらいながらも、天はこくりと頷いた。

「では――」

 客は大きな口を開け――

 ごくん

 と、()()()()()天を飲み込んだ。

「ぎゃ、ぎゃあああああーーーーー!!!!」

 天はたまらず悲鳴を上げ、客の口内を暴れまわる。
 ぺっと、客が天を吐き出すと、涎まみれの天が隠していた退魔の刃を振りかぶる。
 これはまずいと客は巨大な体をどたどたと動かしながら、その刃から逃れようと走り回る。

「”だいだらぼっち”! アンタふざけとるんか!」
「性技のことなど知らんのだから。仕方ないだろう!」
「だからって丸呑みにする奴があるかい! しばきたおしたる!」
 
 だいだらぼっちと呼ばれた客はおおよそ一丈(3メートル)の超巨体の男だった。
 姿かたちは人に似せており、豊かな白髪をなびかせる美丈夫。
 しかし、天の刃から逃げ回る姿に威厳は感じられない。

 妖のための遊郭の内部は特殊な結界が張られており、だいだらぼっちが暴れてもびくともしない。
 座敷牢を模した部屋の中でドタバタと追いかけっこをしていると、ぴしゃりと大きな音を立てて閨の扉が開いた。

「やかましい!!!」

 遊郭の大旦那・(いさめ)
 烏の濡れ羽色の黒髪をかき分けて額から生えた角は鬼の証。
 紅色の瞳でぎろりと睨みつければ、大騒ぎをしていた天とだいだらぼっちはぴたりと動きを止める。

山王丸(さんおうまる)! 何を暴れている!?」
「どう見ても暴れているのはこのお嬢だろうが!」
 
 禁の一喝も、刃を構える天も、慌てふためく妖も、この遊郭ではもう見慣れた光景だ。
 
「早く性を手ほどきしてもらえ!」
「しかし禁よ。われらだいだらぼっちは性交では繁殖せぬ……」
「ならば、成れ。妖が忘れられた世界で我らに未来はない。人の世に混じるため、種を残すため、人との交わりは急務だ」

「そうでございます」

 ちゃきん、と刃を鞘に収めた天は、再び遊女の顔でにこりと微笑んだ。
 怒り狂っていた時の訛りはどこかへ消え、取り繕った遊女の笑顔は天女のように美しい。
 
「ここは元退魔師の遊女が妖に性の手ほどきを教える場にございます」
「そう。ここは――」

 天の言葉を禁が続ける。

「妖専門遊郭だ」