あれから数日が経ち、相変わらず夏休みはバイトと図書館を往復している。ティー軍団に海水浴とかナイトプールに誘われたけど、「バイト入ってる」って言って断ってしまった。海のトラウマのこと話してないし、ナイトプールに行ったら、海も行かなきゃいけなくなりそうで……。
だから、飲み会だけたまに参加している。彼女がいるやつは彼女優先だから、俺の付き合いの悪さも、そこまで目立っていないと思う。
今日のシフトは5時からだから、昼は図書館にでも行こうと準備を始めた時に、スマートフォンが震える。画面を開くと店長からだったから、何かあったのかな、とすぐ確認する。
『夏田くん、すまん。店のエアコンが故障して、今日明日は臨時休業になりました。埋め合わせは、させてもらうから。』
やった。休みは普通に嬉しい。『了解です。気にしないでください。』と返信する。この二日間、何しようかな……とワクワクしていた時だった。
下宿の外でエンジン音が響いて、クラクションが聞こえる。何事だ? と二階の踊り場に出ると、真っ赤なシトロエンの運転席から、サングラスをかけた修先輩が顔を出した。急いで階段を降りると、先輩は口角を上げてニカッと笑う。
「京ちゃん、乗って」
「……嫌です」
とっさに出た言葉がこれで、自分でも思ったより先輩に対して怒りが溜まっていたみたいだ。
「え? あの夜のこと、まだ怒ってるん?」
「違います。先輩、俺のシフトを店長に頼んで動かしてたんですよね? 知ってるんですから……全部、先輩の思い通りにされて、操られてるみたいで、嫌なんですよ」
言ってしまってから、声が震えているのに気づく。先輩は、一瞬言葉に詰まり、軽い調子が消える。
「それかぁ……謝るわ、ごめん。裏で動いとったんは、ほんまに悪かった」
サングラスを外して、まっすぐ俺の目を見つめる。
「仲良くなりたくて……京ちゃんと、少しでも一緒におりたかってん……それだけなんや。思い通りに出来るなんて、思ってへんし……」
先輩の正直な気持ちが初めて伝わってきて、少しだけ心が揺れる。
「本当に、それだけなんですか……? 揶揄って遊ぶとかじゃなくて?」
「揶揄ってるつもりはないな~ 京ちゃんかわいいから、ちょっかいかけたくなるだけやねん。……海、連れてったるって約束したやろ? 京ちゃん、行きたいって言うてたし」
覚えててくれたんだ。社交辞令じゃなかった……凍った心が、少しずつ熱で溶かされていく。
「……今日だけ、ですからね」
「うん。楽しませるから……じゃあ、準備しといで、これ見て」
先輩に渡された持ち物リストを確認しながら、バッグに詰めていく。着替え×2って多いなと思ったけれど、日帰り温泉に寄るかもと書いてあったから、深く考えずに放り込んでいく。
下に降りると、先輩が助手席のドアを開けてくれる。女の子じゃないのに、とちょっと吹き出してしまう。運転席に座った先輩は、相変わらずイケ散らかしている。すぐにアクセルを踏み込み出発したが、その顔からは、いつもの余裕を全く感じない。俺がさっき怒ってたからかな……反省してくれたら嬉しいな。
ナビは淡路島にセットされていて、BGMは夏っぽいボサノヴァがかかっている。おしゃれな車の助手席が、俺には似合わなくて苦笑いが漏れそうになる。緊張でガチガチになっている俺の隣で、先輩が赤信号の停車中にふっと覗き込んできた。
「京ちゃん、固まりすぎ。緊張せんとき?」
シフトレバーの横に置いていた俺の手に、先輩の手が重なり、すっと指の隙間に滑り込まされ、恋人のように絡められる。
「へ……っ!?」と変な声を出す俺に、先輩は、「逃げんといてな」とニヤついた。
青信号になっても先輩は片手でハンドルを握り、もう片方の手で俺の手を握りしめたまま、車を走らせ続ける。俺は心配になり、「片手運転危なくないですか?」と聞いたら「この車、自動運転モードついてるねん」と普通に返された。手は次の休憩場所までこのままかもしれない……。
この空気が耐えられなくなった俺は、ふと疑問を口にした。
「……あの、なんで、俺のシフトまで動かせたんですか。店長と、そんなに仲がいいんですか?」
先輩が、ちらりとこっちを見ると、サングラスの奥の目が、悪戯っぽく細まる。
「……店長、俺の従兄弟やねん。昔からのツレやから」
「……え、従兄弟なんですか……」
先輩の声が、少しだけ真剣になる。
「そう。裏で動いたりして、ゲスいことしたな……。勝手に京ちゃんの外堀埋めて、ほんまに、ごめんな」
「……いえ、もう、いいですよ」
「実家がこの店のオーナーやから、店長は断られへんのに、無理言うて……」
「……え、実家がオーナー?」
先輩の実家が想像以上に太くて驚く。
「非公開やけど、花鞠は西園寺グループの一店舗やねん。薫も店長の妹やから、昔から兄弟みたいに育ってん」
「西園寺……修先輩の苗字だから、修先輩がまさかオーナー?」
「オーナーはオカンやな。採用権限もオカンで、顔採用しよるから、みんな似た感じやろ?」
「一軍っぽい、イケメンとか美人が多いですよね」
「採用基準がおかしいねん、うちの店。でも、京ちゃん採用したんはセンスあるけど」
「どうしてバイトしてるんですか? 将来、経営者ですよね?」
「うちのオカン、現場を経験せな上に立たさへんねん。店長もずっと花鞠でバイトしとったし、俺も外でバイトしようとしたら、うちの店で下積みせぇって言われて」
「なるほど……お母様、厳しいんですね」
「せやろ? いつか会わせたるわ」
先輩が次期経営者だとは驚きだ。住む世界が違いすぎる。でも、シフト操作してまで俺といたい理由だけが、引っかかった。
話題が尽きた頃、今度は先輩から話を振ってくる。
「なあ、なんで最近避けてたん? シフトの件以外にもなんかあるんやろ?」
図星を突かれて窓の外に視線を移すが、言うべきか迷った挙句、覚悟を決めて口を開いた。
「……先輩が、大学で女子に囲まれて楽しそうにしてたからですよ」と、小さな声でぼそっと言うと、車内が一瞬静かになる。恐る恐る隣を見ると、先輩がぽかんとした顔をしていた。
「……え、それだけ?」
「それだけって、なんですか!」
「いや、てっきり俺、めっちゃ嫌われるようなことしたんやと思って、この一週間ずっと胃痛やったのに……」
先輩は一気に脱力して、安堵と呆れが混ざりあうような表情をしている。
「なんや、京ちゃん、妬いてくれとったんか」
「ち、違います!」
「はいはい」と、ニヤニヤと緩んだ横顔を見せられて、顔が熱くなる。
やがて、明石海峡大橋の向こうに海が見え始めて、渡りきった先の景色は、どこまでも青かった。
だから、飲み会だけたまに参加している。彼女がいるやつは彼女優先だから、俺の付き合いの悪さも、そこまで目立っていないと思う。
今日のシフトは5時からだから、昼は図書館にでも行こうと準備を始めた時に、スマートフォンが震える。画面を開くと店長からだったから、何かあったのかな、とすぐ確認する。
『夏田くん、すまん。店のエアコンが故障して、今日明日は臨時休業になりました。埋め合わせは、させてもらうから。』
やった。休みは普通に嬉しい。『了解です。気にしないでください。』と返信する。この二日間、何しようかな……とワクワクしていた時だった。
下宿の外でエンジン音が響いて、クラクションが聞こえる。何事だ? と二階の踊り場に出ると、真っ赤なシトロエンの運転席から、サングラスをかけた修先輩が顔を出した。急いで階段を降りると、先輩は口角を上げてニカッと笑う。
「京ちゃん、乗って」
「……嫌です」
とっさに出た言葉がこれで、自分でも思ったより先輩に対して怒りが溜まっていたみたいだ。
「え? あの夜のこと、まだ怒ってるん?」
「違います。先輩、俺のシフトを店長に頼んで動かしてたんですよね? 知ってるんですから……全部、先輩の思い通りにされて、操られてるみたいで、嫌なんですよ」
言ってしまってから、声が震えているのに気づく。先輩は、一瞬言葉に詰まり、軽い調子が消える。
「それかぁ……謝るわ、ごめん。裏で動いとったんは、ほんまに悪かった」
サングラスを外して、まっすぐ俺の目を見つめる。
「仲良くなりたくて……京ちゃんと、少しでも一緒におりたかってん……それだけなんや。思い通りに出来るなんて、思ってへんし……」
先輩の正直な気持ちが初めて伝わってきて、少しだけ心が揺れる。
「本当に、それだけなんですか……? 揶揄って遊ぶとかじゃなくて?」
「揶揄ってるつもりはないな~ 京ちゃんかわいいから、ちょっかいかけたくなるだけやねん。……海、連れてったるって約束したやろ? 京ちゃん、行きたいって言うてたし」
覚えててくれたんだ。社交辞令じゃなかった……凍った心が、少しずつ熱で溶かされていく。
「……今日だけ、ですからね」
「うん。楽しませるから……じゃあ、準備しといで、これ見て」
先輩に渡された持ち物リストを確認しながら、バッグに詰めていく。着替え×2って多いなと思ったけれど、日帰り温泉に寄るかもと書いてあったから、深く考えずに放り込んでいく。
下に降りると、先輩が助手席のドアを開けてくれる。女の子じゃないのに、とちょっと吹き出してしまう。運転席に座った先輩は、相変わらずイケ散らかしている。すぐにアクセルを踏み込み出発したが、その顔からは、いつもの余裕を全く感じない。俺がさっき怒ってたからかな……反省してくれたら嬉しいな。
ナビは淡路島にセットされていて、BGMは夏っぽいボサノヴァがかかっている。おしゃれな車の助手席が、俺には似合わなくて苦笑いが漏れそうになる。緊張でガチガチになっている俺の隣で、先輩が赤信号の停車中にふっと覗き込んできた。
「京ちゃん、固まりすぎ。緊張せんとき?」
シフトレバーの横に置いていた俺の手に、先輩の手が重なり、すっと指の隙間に滑り込まされ、恋人のように絡められる。
「へ……っ!?」と変な声を出す俺に、先輩は、「逃げんといてな」とニヤついた。
青信号になっても先輩は片手でハンドルを握り、もう片方の手で俺の手を握りしめたまま、車を走らせ続ける。俺は心配になり、「片手運転危なくないですか?」と聞いたら「この車、自動運転モードついてるねん」と普通に返された。手は次の休憩場所までこのままかもしれない……。
この空気が耐えられなくなった俺は、ふと疑問を口にした。
「……あの、なんで、俺のシフトまで動かせたんですか。店長と、そんなに仲がいいんですか?」
先輩が、ちらりとこっちを見ると、サングラスの奥の目が、悪戯っぽく細まる。
「……店長、俺の従兄弟やねん。昔からのツレやから」
「……え、従兄弟なんですか……」
先輩の声が、少しだけ真剣になる。
「そう。裏で動いたりして、ゲスいことしたな……。勝手に京ちゃんの外堀埋めて、ほんまに、ごめんな」
「……いえ、もう、いいですよ」
「実家がこの店のオーナーやから、店長は断られへんのに、無理言うて……」
「……え、実家がオーナー?」
先輩の実家が想像以上に太くて驚く。
「非公開やけど、花鞠は西園寺グループの一店舗やねん。薫も店長の妹やから、昔から兄弟みたいに育ってん」
「西園寺……修先輩の苗字だから、修先輩がまさかオーナー?」
「オーナーはオカンやな。採用権限もオカンで、顔採用しよるから、みんな似た感じやろ?」
「一軍っぽい、イケメンとか美人が多いですよね」
「採用基準がおかしいねん、うちの店。でも、京ちゃん採用したんはセンスあるけど」
「どうしてバイトしてるんですか? 将来、経営者ですよね?」
「うちのオカン、現場を経験せな上に立たさへんねん。店長もずっと花鞠でバイトしとったし、俺も外でバイトしようとしたら、うちの店で下積みせぇって言われて」
「なるほど……お母様、厳しいんですね」
「せやろ? いつか会わせたるわ」
先輩が次期経営者だとは驚きだ。住む世界が違いすぎる。でも、シフト操作してまで俺といたい理由だけが、引っかかった。
話題が尽きた頃、今度は先輩から話を振ってくる。
「なあ、なんで最近避けてたん? シフトの件以外にもなんかあるんやろ?」
図星を突かれて窓の外に視線を移すが、言うべきか迷った挙句、覚悟を決めて口を開いた。
「……先輩が、大学で女子に囲まれて楽しそうにしてたからですよ」と、小さな声でぼそっと言うと、車内が一瞬静かになる。恐る恐る隣を見ると、先輩がぽかんとした顔をしていた。
「……え、それだけ?」
「それだけって、なんですか!」
「いや、てっきり俺、めっちゃ嫌われるようなことしたんやと思って、この一週間ずっと胃痛やったのに……」
先輩は一気に脱力して、安堵と呆れが混ざりあうような表情をしている。
「なんや、京ちゃん、妬いてくれとったんか」
「ち、違います!」
「はいはい」と、ニヤニヤと緩んだ横顔を見せられて、顔が熱くなる。
やがて、明石海峡大橋の向こうに海が見え始めて、渡りきった先の景色は、どこまでも青かった。



