【Web版】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~

 園遊会の会場に一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺す空気が一変したのが分かった。
 同じ外でも、ここは別の世界だ。息の仕方まで測られている気がする。

 広大な庭園にひしめく人の気配。
 色とりどりの着物と礼装が初夏の陽光を跳ね返し、万華鏡のようにきらきらと揺れている。
 笑い声も、扇子の影も、足元の砂利の音も、すべてが眩しいのに、どこか怖い。

 去年と同じ場所。
 同じ、華やかな園遊会。
 なのに胸の奥で早鐘を打つ鼓動の質は、あのときとは決定的に違っていた。
 ——私はもう、通りすがりではない。名前を与えられ、値踏みされる立場になってしまった。

「……あの方が、例の五条殿下の……」
「ええ、正式な婚約者だそうですわ」
「本当に……『無華』の娘を、あそこまで……?」

 抑えたはずのささやき声が、風に乗って容赦なく耳を打つ。
 好奇と疑念、隠しきれない棘が入り混じった無数の視線。
 去年の私は、ただ恐怖に震えることしかできなかった。
 けれど今の私は、その言葉の意味を正しく理解できてしまう。
 理解できるからこそ、別の重りになって胸の深い所へ沈んでいく。

 私は暁臣様の腕に、そっと指を添えた。
 縋りつくのではなく、ここにいると示すみたいに。

「すみれの前では、この庭園のどの花も霞むな」
「……っ。そんなことを仰るのは、暁臣様だけです……」

 その一言だけで、強張っていた背筋の力が、ほんのわずか抜けた。
 呼吸が一つ、深くなる。

 まずは、五条家の本家の方々への挨拶。
 暁臣様のお父上、お母上、そして凛とした佇まいの姉君。
 近づくほど、視線の圧が濃くなる気がして、唇が乾いた。

「本日は、よろしくお願いいたします」

 言葉は短く、声の震えを完全に隠すことはできなかった。
 それでも——新年の祝賀会のときより、彼らの瞳をまっすぐ見つめて口にできた。
 足がすくまない。逃げない。そう決めて来た。

「……少し、顔色が良くなったわね。その色も、よく似合っているわ」

 姉君からかけられた、思いがけず穏やかな言葉に、私は思わず瞬きを繰り返した。
 疑いの混じらない声音。まるでと認めてくれたようで、胸の奥がじんと熱くなる。

 たった一言。
 けれど、その一言だけで、胸に溜まっていた澱が、すっと和らいでいく。

 一年前とは違う。
 本当に、ほんの少しずつではあるけれど。
 私もこの世界にいてもいいのだと、自分自身に許しを与えられる瞬間が、確かに増えてきた。

 挨拶を終え、人々の喧騒から逃れるように暁臣様と歩を進める。

「すみれ。少し、奥へ行こうか。人混みに疲れただろう」
「はい……。暁臣様」

 私が小さく頷くと、慈しむように自然な仕草で、肩を抱き寄せられる。
 その腕の重みが、今は怖くない。むしろ、頼もしい。

 庭園の奥へ向かうにつれ、華やかな話し声は遠のき、木々の影がしっとりと濃くなっていく。
 葉擦れの音が近くなり、空気が少し冷える。
 そして、曲がり角を抜けた瞬間——

 視界いっぱいに、優美に垂れ下がる無数の紫の光が、滝のように降り注いだ。