暁臣様の声が、僅かに鋭利な響きを帯びる。
差し出された箱を前に私は硬直してしまい、助けを求めるように隣の暁臣様を見上げた。
拒んでいいのか、受け取るべきなのか。何が正解なのか。頭が真っ白になる。
「婚約の祝いだよ。従兄弟として、贈り物があっても不自然ではないだろう?」
贈り物……。
仰る通り……なのだろうか……。
東宮殿下から、なぜ『無華』の私に、これほど直接的な品が贈られるのだろう。
私なんかが、次期天皇からの祝儀を拒んでよい理由などどこにもない。
けれど、胸の奥が騒がしい。ざわめきが止まらない。
「受け取れ、すみれ……ここでは、皆が見ている」
暁臣様の、押し殺したような低い声に促され、逃げ場を失って両手で箱を受け取った。
指先に伝わる木の質感は、室内の温かさに反して、やけに冷たく、重く感じられた。
まるで、祝意ではなく重石を手渡されたみたいに。
「……身に余る光栄に存じます。恐れ入ります」
「今は開けなくていい。後で、自分の部屋でゆっくり見ればいいよ」
東宮殿下はそう言い捨てると、次の瞬間には、興味を失ったかのように客間の奥へと視線を逸らした。
冷淡なまでの切り捨て。
けれど——肌に張り付いたままの視線の残り香が、いつまでも消えない。
見られていたのは確かなのに、捨てられたようでもあって、余計に息が苦しい。
ふと、東宮殿下の斜め後ろに佇む綾乃様のお姿が目に入った。
とてもお美しく装っていらっしゃるはずなのに。
その表情はどこか暗く澱んでいて、先日お会いしたときよりも、その輝きは酷く霞んで見えた。
彼女の視線が、私の持つ桐箱を射るように見つめていることに気づき、思わず箱を抱きしめる手に力を込めた。
違うんです。私が望んだわけじゃ——
口にできない言い訳が喉の奥でつかえて、痛い。
「では、茶を始めようか」
こうして、東宮殿下に招待された二度目の茶会が幕を開けた。
季節の花を象った芸術品のような菓子。淡い湯気を立てる、至高の香りを放つ茶碗。
交わされる挨拶は穏やかで、選ばれる言葉の端々はどこまでも優しい。
誰も声を荒げない。誰も笑顔を崩さない。だからこそ、余計に怖い。
なのに、私は一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いに駆られていた。
周囲に溢れる笑顔の奥に、こちらの価値を品定めするような、冷徹な目が潜んでいる。
『無華』の婚約者という異質な存在を珍しがっているのか、それとも——。
考えたくないのに、考えてしまう。視線が刺さるたび、背中の皮膚が薄くなる。
耐えきれず、そっと上座へ視線を送ると、東宮殿下がこちらをじっと見つめていた。
まるで、最初から一秒たりとも目を離していなかったかのように。
目が合い、慌てて逸らす。
その繰り返し。
視線を外したはずなのに、執拗に追いかけられているような感覚が消えない。
膝の上の桐箱が、ずっと冷たい。
「……大丈夫か、すみれ」
「は、はい……。ただ、少し緊張してしまって……」
「無理に笑う必要はない……俺だけを見ていろ」
耳元で囁かれたその力強い言葉に、凝り固まっていた肩が少しだけ軽くなる。
暁臣様の掌が、私の手を握ってくださる。
たったそれだけの触れ合いで、遠のいていた現実の世界が、ようやく私のもとに戻ってくる。
——私は一人ではない。ここに、帰れる場所がある。
茶会が終わり、客間を辞する段になると、東宮殿下は再び私たちの前に音もなく立った。
気づけばそこにいる。気づいた瞬間には、逃げ道がない。
「今日は来てくれてありがとう……すみれ、また改めて二人で話したいな」
「え……っ」
「暁臣も。近いうちに時間を作ってくれ」
『作る』でも、『作れ』でもない。
けれど、拒絶という選択肢を最初から奪い去るような、傲慢な響き。
暁臣様が一拍の沈黙を置き、氷のような声で答えた。
「……承知いたしました」
それ以上の言葉を交わすことなく、暁臣様は私の手を取った。
客間を出るまで、その手は強く、けれど決して痛みを与えない絶妙な力加減で、私を離さない。
廊下に出て、ようやく他人の気配が遠のいた所で、暁臣様が肺の奥に溜まった澱を吐き出すように小さく息をついた。
「……やはり、面倒な男だ」
「暁臣様……」
「すみれ。その贈り物は、帰ってから俺が確認する。俺が許可するまで、勝手に開けないよう」
その声は、今まで聞いたことがないほど硬く、険しい。
怒っているのではない。——怯えているのだと、なぜか分かってしまう。
私は胸の前で冷たい桐箱を抱きしめ、小さくこくりと頷く。
祝福であるはずの『贈り物』は、理由の分からない黒い影を、私の胸の奥に深く落としていた。
そして、その影が何なのかを考え始めた瞬間から、時間の針が少しだけ重く進み出した気がした。
差し出された箱を前に私は硬直してしまい、助けを求めるように隣の暁臣様を見上げた。
拒んでいいのか、受け取るべきなのか。何が正解なのか。頭が真っ白になる。
「婚約の祝いだよ。従兄弟として、贈り物があっても不自然ではないだろう?」
贈り物……。
仰る通り……なのだろうか……。
東宮殿下から、なぜ『無華』の私に、これほど直接的な品が贈られるのだろう。
私なんかが、次期天皇からの祝儀を拒んでよい理由などどこにもない。
けれど、胸の奥が騒がしい。ざわめきが止まらない。
「受け取れ、すみれ……ここでは、皆が見ている」
暁臣様の、押し殺したような低い声に促され、逃げ場を失って両手で箱を受け取った。
指先に伝わる木の質感は、室内の温かさに反して、やけに冷たく、重く感じられた。
まるで、祝意ではなく重石を手渡されたみたいに。
「……身に余る光栄に存じます。恐れ入ります」
「今は開けなくていい。後で、自分の部屋でゆっくり見ればいいよ」
東宮殿下はそう言い捨てると、次の瞬間には、興味を失ったかのように客間の奥へと視線を逸らした。
冷淡なまでの切り捨て。
けれど——肌に張り付いたままの視線の残り香が、いつまでも消えない。
見られていたのは確かなのに、捨てられたようでもあって、余計に息が苦しい。
ふと、東宮殿下の斜め後ろに佇む綾乃様のお姿が目に入った。
とてもお美しく装っていらっしゃるはずなのに。
その表情はどこか暗く澱んでいて、先日お会いしたときよりも、その輝きは酷く霞んで見えた。
彼女の視線が、私の持つ桐箱を射るように見つめていることに気づき、思わず箱を抱きしめる手に力を込めた。
違うんです。私が望んだわけじゃ——
口にできない言い訳が喉の奥でつかえて、痛い。
「では、茶を始めようか」
こうして、東宮殿下に招待された二度目の茶会が幕を開けた。
季節の花を象った芸術品のような菓子。淡い湯気を立てる、至高の香りを放つ茶碗。
交わされる挨拶は穏やかで、選ばれる言葉の端々はどこまでも優しい。
誰も声を荒げない。誰も笑顔を崩さない。だからこそ、余計に怖い。
なのに、私は一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いに駆られていた。
周囲に溢れる笑顔の奥に、こちらの価値を品定めするような、冷徹な目が潜んでいる。
『無華』の婚約者という異質な存在を珍しがっているのか、それとも——。
考えたくないのに、考えてしまう。視線が刺さるたび、背中の皮膚が薄くなる。
耐えきれず、そっと上座へ視線を送ると、東宮殿下がこちらをじっと見つめていた。
まるで、最初から一秒たりとも目を離していなかったかのように。
目が合い、慌てて逸らす。
その繰り返し。
視線を外したはずなのに、執拗に追いかけられているような感覚が消えない。
膝の上の桐箱が、ずっと冷たい。
「……大丈夫か、すみれ」
「は、はい……。ただ、少し緊張してしまって……」
「無理に笑う必要はない……俺だけを見ていろ」
耳元で囁かれたその力強い言葉に、凝り固まっていた肩が少しだけ軽くなる。
暁臣様の掌が、私の手を握ってくださる。
たったそれだけの触れ合いで、遠のいていた現実の世界が、ようやく私のもとに戻ってくる。
——私は一人ではない。ここに、帰れる場所がある。
茶会が終わり、客間を辞する段になると、東宮殿下は再び私たちの前に音もなく立った。
気づけばそこにいる。気づいた瞬間には、逃げ道がない。
「今日は来てくれてありがとう……すみれ、また改めて二人で話したいな」
「え……っ」
「暁臣も。近いうちに時間を作ってくれ」
『作る』でも、『作れ』でもない。
けれど、拒絶という選択肢を最初から奪い去るような、傲慢な響き。
暁臣様が一拍の沈黙を置き、氷のような声で答えた。
「……承知いたしました」
それ以上の言葉を交わすことなく、暁臣様は私の手を取った。
客間を出るまで、その手は強く、けれど決して痛みを与えない絶妙な力加減で、私を離さない。
廊下に出て、ようやく他人の気配が遠のいた所で、暁臣様が肺の奥に溜まった澱を吐き出すように小さく息をついた。
「……やはり、面倒な男だ」
「暁臣様……」
「すみれ。その贈り物は、帰ってから俺が確認する。俺が許可するまで、勝手に開けないよう」
その声は、今まで聞いたことがないほど硬く、険しい。
怒っているのではない。——怯えているのだと、なぜか分かってしまう。
私は胸の前で冷たい桐箱を抱きしめ、小さくこくりと頷く。
祝福であるはずの『贈り物』は、理由の分からない黒い影を、私の胸の奥に深く落としていた。
そして、その影が何なのかを考え始めた瞬間から、時間の針が少しだけ重く進み出した気がした。



