エロ漫画家が転生したら人物画が禁止されていたので猫を描いていたら、王太子殿下の溺愛が始まりました

「そなたか。あの評判の絵師は」

 国王陛下の低い声に、私は深く頭を下げた。

「も、申し訳ございません。風紀を乱すつもりは……」
「乱れておらぬ」
「はい?」
「皆、行儀よく猫を愛でておる」

 国王陛下は真顔だった。
 隣で、王妃陛下がそっと扇を下げる。その瞳は、なぜかきらきらしていた。

「ソフィア嬢。白猫ちゃんが黒猫様の外套にくるまれた後のお話は、いつ拝見できますの?」

 王妃陛下も読者だったことに、私は気が遠くなりかけた。

「あの……恐れながら、陛下」
「よい。申せ」
「私の絵は、問題ないのでしょうか」
「人物ではなかろう」
「猫です」
「ならば猫である」

 国王陛下の判定は、驚くほど雑だった。
 ただ、雑で助かった。

 その日から、「にゃんこ夜会」は非公式ながら王家公認のような扱いになった。
 もちろん、公に売ることはできない。けれど、王妃陛下主催の茶会で絵が披露されるようになり、令嬢たちはますます熱狂した。

 そして事件は、さらに大きな方向へ転がっていく。

「――君が、噂の絵師どのか」

 王妃陛下の茶会で声をかけてきたのは、この国の王太子アレクシス殿下。
 輝くような金髪に、湖の底を思わせる青い瞳。涼やかな顔立ちに、隙のない物腰。誰が見ても、次代の王にふさわしい青年だ。

 そして、その手には一枚の絵があった。
 黒猫が、白猫のリボンを結び直している絵である。

 よりによって、それ。

「僕も三作目から読んでいる」
「で、殿下も……?」
「黒猫が白猫の足元に手袋を敷いた絵を見た時から、作者に会いたいと思っていた」

 内心、うわぁ、と叫んだ。
 三作目って、だいぶ古参ではないか……
 だが、顔には出さない。公爵令嬢の表情筋は、こういう時のために鍛えられている。

「この黒猫は、白猫を振り回しているようで、実は一度も傷つけていない」
「……はい」
「白猫も、逃げるふりをしているが、本気で拒んではいない」
「猫ですので」
「猫にしては、随分と人の心に近い」

 息が止まりかけた。
 アレクシス殿下は、絵を眺めたまま静かに続けた。

「人物画が禁じられているから猫にした。そこまでは誰でもわかる。だが、この絵が面白いのは、抜け道を見つけたところではない」
「……では、どこでしょうか」
「誰かに大切に扱われたいという願いを、笑える形に包んでいるところだ」

 胸の奥を、細い針で突かれたような気がした。
 令嬢たちは、猫を愛でる。
 王妃陛下は、続きが気になると言う。
 国王陛下は、猫だから問題ないと笑う。

 けれど、この人は違う。
 絵の奥にあるものを見ている。

「ソフィア嬢」
「はい」
「今度の庭園茶会で、皆の前で一枚描いてもらえないだろうか」
「え」
「無論、無理にとは言わない。ただ、あなたがどうやってこの猫たちに命を吹き込むのか、見てみたい」

 言葉は丁寧だった。
 しかし、王太子からの依頼である。
 無理にとは言わない、の中に含まれる圧は、全然無理ではない顔をしていない。

「……私でよろしければ」

 私は頷いた。
 そして、頷いてから後悔した。
 人前でお絵描き実演。それすなわち、ライブドローイング。

 前世でも配信作画は苦手だった。手元を見られていると思うだけで、線がぶれる。タイムラプスでの撮影すら面倒だったのに。

 しかも今世は、紙も筆も高価だ。やり直しもきかない。
 それでも、王太子殿下にあんなふうに言われてしまったら、逃げられなかった。

 茶会当日。
 会場となった王城の庭園には、令嬢たちがずらりと居並んでいた。
 初夏の風が薔薇の香りを運んでくる。噴水の水音が涼しげに響き、白いテーブルクロスの上には焼き菓子と果実水が並んでいる。

 どの令嬢も、私の一挙一動を見逃すまいと目を輝かせていた。
 王妃陛下は上機嫌だった。
 アレクシス殿下は、少し離れた場所からこちらを見ている。
 その視線に気づくと、指先が落ち着かなくなった。

 大丈夫。
 猫を描くだけ。
 いつものように、黒猫と白猫を描くだけ。
 そう自分に言い聞かせ、私は画材の入った箱を開けた。

 そして、血の気が引いた。

「……ない」

 筆がない。
 確かに自宅を出るときにはあった、大事な特製の筆が、一本残らず消えている。
 細い線を引くための筆も、毛並みを描くための筆も、影を落とすための平筆もない。昨夜、自分で確かめて箱に入れたはずなのに。
 会場のざわめきが、耳の奥で遠くなる。

「どうした」

 アレクシス殿下が近づいてきた。
 私は箱の中を見せた。

「筆が……誰かが持ち去ったようです」