去年ぶりの海の家でのバイト。
しかし酷暑日が長く続き海水浴に来る客は少なかった。去年の賑わいは嘘のように、僕と地元の友人はクーラーの効いた屋内からかき氷を食べながらきらきら眩しい海を眺める。
「……」
「振られたのかよ」
「えっ。そんな顔してた?」
「去年は恋してる顔だったけど……今日は……傷心してるっていうか」
「はは……まあ、その通りだよ」
波の音だけが聞こえる。友人は特に何も尋ねてくることはなかった。「そっか」とだけ返し、かき氷を食べていく。
ありがたかった。
「もしかしたら、この綺麗な海一緒に眺めること出来るかもって……思ってたんだけどな……っ」
僕がもう少し大人だったら。
気持ちを隠し通すことが出来ていたら。
僕の地元に遊びにきてくれていたのかな。
(そもそも、潮風の香りが苦手かもしれないし……)
大学生になった初日から、今日まで。ずっと頭の中にいるのは龍斗くんのことばかり。
「好き……だったんだ、なあ……っ」
一緒にいる時は気づけなかった。
こんなに好きだなんて気持ちが僕にあるなんて、知らなかった。
離れてから、やっと気づく。
ふと、スマホに通知音。
やることがなくて暇だったので確認すれば、もう関わりが無くなると思っていた龍斗くんからだった。
『会いたい』
ただ一言。表示されているだけだった。
「……え」
「行ってこいよ。海の家はオレと親父だけで回せるし。後悔すんなよ?」
友人にバシッと背中を叩かれる。話を聞いていたのか親父さんにも親指を立てられ……。
「行ってきます!」
僕はスマホを片手に海の家を後にする。
*
僕の地元の場所は、過去に話していたから。電車を調べて、わざわざ時間をかけて会いにきてくれる龍斗くん。
『今どこにいるの』
『薫の地元に向かってる。11時30分には駅に着く』
現在26分。ここから走っても5分はかかる。どうしてこんな急に……!
走っていた足を止め『わかった。少し遅れる』とだけ打って送信し、再び海から近い地元の駅まで急いで走っていく。
そもそも外が危険な酷暑の中、汗が一気に体から湧き出る。駅が見えた時、電車が丁度走り去っていくのが見えた。人が少ない時間帯、階段から降りてくるのは1人だけ。
「……龍斗くん!」
声をかけると俯いていた視線を上げ「薫!」と一気に顔が綻んで僕の方へ駆け寄り……そして思い切り抱きしめられる。
「……かおる」
「龍斗くん……? どうしたの?」
「……すぅ〜、はぁ〜。……これだ。この匂いだ。……薫だ……」
「え? ……あ! 駄目だよ! 僕今とても汗臭いから……っ」
抱きしめられて呆然としたが、慌てて離れようとすれば「ううん、このまま」とさらに抱き竦められ、頭や首筋の匂いを嗅いでくる。
「やめてよ、恥ずかしいよ……」
「ううん。違う。良い匂い……俺が好きな匂いだ」
汗臭い僕なのに?
香水もつけていないのに?
けれど、ほわんと甘い空気が鼻を掠める。これは……金木犀だ。
「香水……つけたの?」
「薫。……ずっと我慢させててごめん。俺が、言いづらい雰囲気にさせていたよね。俺のために……香水をずっと探し続けてくれていたこと、チャラ男くんに教えられて」
チャラ男くん。
どうもありがとう。僕が打ち明けられないことを、龍斗くんに教えてくれて。
「香りを楽しんでいる薫に、俺心無いこと言っていたと思う……反省してる、ごめん」
『香水つけてる人は嫌い』
『存在自体が不快』
僕に向けて言われたことではないけれど。間接的に、ダメージは食らっていたから。
「もう、いいんだよ……」
「よくない。薫、ごめん……薫の、愛情深くて、俺の気持ちを尊重してくれる優しさに胡座をかいていた。薫がいなくなって気づいた。……金木犀の香水、好きだ。でも……俺は。金木犀の香りを纏った、薫が好きだ」
やっぱり、匂いに敏感でも好きな香りはあったんだ。それは、香水の単体の香りではなくて、僕の体臭と混ざり合った匂い。
「……香りだけが好きなの?」
「薫が好き。だから、薫が好きな香りも、好きになった」
胸が熱くなる。
龍斗くんが、僕を求めてくれている。
こんなに嬉しいことはない。
言葉にすぐ出来ず、返事の代わりに龍斗くんのTシャツにしがみつく。「可愛いなあ」なんて溢し、頭をわしわし撫でてくれる龍斗くん。
「薫。……ずっと俺のとなりにいて。俺を安心させて。俺も……香りというものを受け入れてみようと思うから」
頷くと、顎をそっと掬われキスされた。ほわん、とまた甘い香り。
僕たち、本当に体の相性いいのかもね。……なんて、まだ教えないけど。
その後は、2人でほぼ誰もいない海の家に戻った。友人の親子に「やったな〜!」と喜ばれ、お祝いにとかき氷も渡され(僕は本日2杯目)、太陽が海に沈むまで、ずっと一緒にいた。多くを語ることはなかった。ただ、龍斗くんが隣にいてくれるだけで。十分だった。
「……これが、潮風の匂いかあ」
初めて感じるものかな。僕が高校生まで、いつも吸っていた空気。
「……悪くないかもね?」
夕日をシルエットに僕を振り返る龍斗くんはとてもカッコいい。モデルみたいだった。いつか、色んな匂いが平気になったらいいな。僕が好きな香り、好きになりたいって言ってくれたし。
「……綺麗だ」
「うん、夕日がね」
「夕日もだけど」
手を繋がれる。誰もいない海辺。でも驚いて顔を見上げると、頬をそっと撫でられる。
龍斗くんが、優しく僕に微笑んでいる。
「薫が、1番綺麗だよ」
ベタな言葉だった。それでも天に舞い上がるほど嬉しいのは、僕が龍斗くんに惚れているから。
僕らは手を繋いで海辺をしばらく歩き、もう一度愛の確認のキスをして。僕の実家に帰る。
家にいる母や妹から大歓迎された龍斗くんは、ずっと2人と話をしていた。リビングの隅で僕と父はこっそりビールを飲む。
「……友人なのか?」
父に尋ねられ……隠すのはしんどいって知っているから、ゆっくり首を振った。本当のことを伝えるのも、とても勇気がいるけど。
「……僕の、好きな人」
返事はなかった。
父がビールを煽る姿が横目に入る。怒らせたかな、がっかりさせたかな……と思っていれば「薫」と名前を呼ばれ。ビール瓶を持っている父がいる。空になった僕のコップを持っていくと、注がれていく。
「幸せになりなさい」
愛の言葉だった。
僕はまた、すぐに言葉を返すことが出来ずにコクコクと頷くので精一杯だった。
幸せになるよ、2人で。
*
後期の授業。
隣には僕の恋人、龍斗くん。
僕たちは同じ香水を身に纏っている。
「薫。授業後、一緒に香水選びに行かない? どんな香りがあるのか知ってみたい」
少しずつだけど、好きな香りを見つけたことで、香水に対してそこまでネガティブな思考を龍斗くんは持たなくなった。
「うん、いいよ。行こう」
「それから……親父の再婚相手にも。プレゼントしたくて……あれ以来、会えていないから、謝りたくて」
「……うん。僕も香水の初心者だから、チャラ男くんに教えてもらおう」
頷けば、頭を撫でられ。ついでにスンスン、と匂いを嗅がれる。未だに慣れない。恥ずかしい。だけど。
「薫。良い香り」
そう言って微笑んでくれる龍斗くんの言葉が嬉しくて、いつも強調しすぎない香水をつけている。
龍斗くん。
僕と一緒に、香りの世界を楽しもうね。
匂いに敏感な彼のために試行錯誤した結果、僕の存在が1番だと愛されてしまいました【完】
しかし酷暑日が長く続き海水浴に来る客は少なかった。去年の賑わいは嘘のように、僕と地元の友人はクーラーの効いた屋内からかき氷を食べながらきらきら眩しい海を眺める。
「……」
「振られたのかよ」
「えっ。そんな顔してた?」
「去年は恋してる顔だったけど……今日は……傷心してるっていうか」
「はは……まあ、その通りだよ」
波の音だけが聞こえる。友人は特に何も尋ねてくることはなかった。「そっか」とだけ返し、かき氷を食べていく。
ありがたかった。
「もしかしたら、この綺麗な海一緒に眺めること出来るかもって……思ってたんだけどな……っ」
僕がもう少し大人だったら。
気持ちを隠し通すことが出来ていたら。
僕の地元に遊びにきてくれていたのかな。
(そもそも、潮風の香りが苦手かもしれないし……)
大学生になった初日から、今日まで。ずっと頭の中にいるのは龍斗くんのことばかり。
「好き……だったんだ、なあ……っ」
一緒にいる時は気づけなかった。
こんなに好きだなんて気持ちが僕にあるなんて、知らなかった。
離れてから、やっと気づく。
ふと、スマホに通知音。
やることがなくて暇だったので確認すれば、もう関わりが無くなると思っていた龍斗くんからだった。
『会いたい』
ただ一言。表示されているだけだった。
「……え」
「行ってこいよ。海の家はオレと親父だけで回せるし。後悔すんなよ?」
友人にバシッと背中を叩かれる。話を聞いていたのか親父さんにも親指を立てられ……。
「行ってきます!」
僕はスマホを片手に海の家を後にする。
*
僕の地元の場所は、過去に話していたから。電車を調べて、わざわざ時間をかけて会いにきてくれる龍斗くん。
『今どこにいるの』
『薫の地元に向かってる。11時30分には駅に着く』
現在26分。ここから走っても5分はかかる。どうしてこんな急に……!
走っていた足を止め『わかった。少し遅れる』とだけ打って送信し、再び海から近い地元の駅まで急いで走っていく。
そもそも外が危険な酷暑の中、汗が一気に体から湧き出る。駅が見えた時、電車が丁度走り去っていくのが見えた。人が少ない時間帯、階段から降りてくるのは1人だけ。
「……龍斗くん!」
声をかけると俯いていた視線を上げ「薫!」と一気に顔が綻んで僕の方へ駆け寄り……そして思い切り抱きしめられる。
「……かおる」
「龍斗くん……? どうしたの?」
「……すぅ〜、はぁ〜。……これだ。この匂いだ。……薫だ……」
「え? ……あ! 駄目だよ! 僕今とても汗臭いから……っ」
抱きしめられて呆然としたが、慌てて離れようとすれば「ううん、このまま」とさらに抱き竦められ、頭や首筋の匂いを嗅いでくる。
「やめてよ、恥ずかしいよ……」
「ううん。違う。良い匂い……俺が好きな匂いだ」
汗臭い僕なのに?
香水もつけていないのに?
けれど、ほわんと甘い空気が鼻を掠める。これは……金木犀だ。
「香水……つけたの?」
「薫。……ずっと我慢させててごめん。俺が、言いづらい雰囲気にさせていたよね。俺のために……香水をずっと探し続けてくれていたこと、チャラ男くんに教えられて」
チャラ男くん。
どうもありがとう。僕が打ち明けられないことを、龍斗くんに教えてくれて。
「香りを楽しんでいる薫に、俺心無いこと言っていたと思う……反省してる、ごめん」
『香水つけてる人は嫌い』
『存在自体が不快』
僕に向けて言われたことではないけれど。間接的に、ダメージは食らっていたから。
「もう、いいんだよ……」
「よくない。薫、ごめん……薫の、愛情深くて、俺の気持ちを尊重してくれる優しさに胡座をかいていた。薫がいなくなって気づいた。……金木犀の香水、好きだ。でも……俺は。金木犀の香りを纏った、薫が好きだ」
やっぱり、匂いに敏感でも好きな香りはあったんだ。それは、香水の単体の香りではなくて、僕の体臭と混ざり合った匂い。
「……香りだけが好きなの?」
「薫が好き。だから、薫が好きな香りも、好きになった」
胸が熱くなる。
龍斗くんが、僕を求めてくれている。
こんなに嬉しいことはない。
言葉にすぐ出来ず、返事の代わりに龍斗くんのTシャツにしがみつく。「可愛いなあ」なんて溢し、頭をわしわし撫でてくれる龍斗くん。
「薫。……ずっと俺のとなりにいて。俺を安心させて。俺も……香りというものを受け入れてみようと思うから」
頷くと、顎をそっと掬われキスされた。ほわん、とまた甘い香り。
僕たち、本当に体の相性いいのかもね。……なんて、まだ教えないけど。
その後は、2人でほぼ誰もいない海の家に戻った。友人の親子に「やったな〜!」と喜ばれ、お祝いにとかき氷も渡され(僕は本日2杯目)、太陽が海に沈むまで、ずっと一緒にいた。多くを語ることはなかった。ただ、龍斗くんが隣にいてくれるだけで。十分だった。
「……これが、潮風の匂いかあ」
初めて感じるものかな。僕が高校生まで、いつも吸っていた空気。
「……悪くないかもね?」
夕日をシルエットに僕を振り返る龍斗くんはとてもカッコいい。モデルみたいだった。いつか、色んな匂いが平気になったらいいな。僕が好きな香り、好きになりたいって言ってくれたし。
「……綺麗だ」
「うん、夕日がね」
「夕日もだけど」
手を繋がれる。誰もいない海辺。でも驚いて顔を見上げると、頬をそっと撫でられる。
龍斗くんが、優しく僕に微笑んでいる。
「薫が、1番綺麗だよ」
ベタな言葉だった。それでも天に舞い上がるほど嬉しいのは、僕が龍斗くんに惚れているから。
僕らは手を繋いで海辺をしばらく歩き、もう一度愛の確認のキスをして。僕の実家に帰る。
家にいる母や妹から大歓迎された龍斗くんは、ずっと2人と話をしていた。リビングの隅で僕と父はこっそりビールを飲む。
「……友人なのか?」
父に尋ねられ……隠すのはしんどいって知っているから、ゆっくり首を振った。本当のことを伝えるのも、とても勇気がいるけど。
「……僕の、好きな人」
返事はなかった。
父がビールを煽る姿が横目に入る。怒らせたかな、がっかりさせたかな……と思っていれば「薫」と名前を呼ばれ。ビール瓶を持っている父がいる。空になった僕のコップを持っていくと、注がれていく。
「幸せになりなさい」
愛の言葉だった。
僕はまた、すぐに言葉を返すことが出来ずにコクコクと頷くので精一杯だった。
幸せになるよ、2人で。
*
後期の授業。
隣には僕の恋人、龍斗くん。
僕たちは同じ香水を身に纏っている。
「薫。授業後、一緒に香水選びに行かない? どんな香りがあるのか知ってみたい」
少しずつだけど、好きな香りを見つけたことで、香水に対してそこまでネガティブな思考を龍斗くんは持たなくなった。
「うん、いいよ。行こう」
「それから……親父の再婚相手にも。プレゼントしたくて……あれ以来、会えていないから、謝りたくて」
「……うん。僕も香水の初心者だから、チャラ男くんに教えてもらおう」
頷けば、頭を撫でられ。ついでにスンスン、と匂いを嗅がれる。未だに慣れない。恥ずかしい。だけど。
「薫。良い香り」
そう言って微笑んでくれる龍斗くんの言葉が嬉しくて、いつも強調しすぎない香水をつけている。
龍斗くん。
僕と一緒に、香りの世界を楽しもうね。
匂いに敏感な彼のために試行錯誤した結果、僕の存在が1番だと愛されてしまいました【完】



