匂いに敏感な彼のために試行錯誤した結果、僕の存在が1番だと愛されてしまいました

 長い期間、香水をつけているけれど龍斗(りゅうと)くんにはバレていない。本当に不思議だった。いつも「良い香り」と言ってくれるけれど、本当に僕そのものの匂いだと思っているようだった。

(今更打ち明けたところで、裏切ることには変わりないよな……でも、このまま騙し続けるのも……)

 正直、僕自身が限界だった。

 隠し続けて季節は巡り、春。

 僕たちは大学2年生になった。

 新しく入ってきた1年生の子たちが龍斗くんのことを「王子さまみたい」と(はや)し立て、そして「もしかしたら」の可能性を信じてストレートに「付き合ってください!」と申し込むパワーに僕は呆然と立ち尽くす。

 大学の廊下を歩いているだけで3人には告白されている。それも僕が隣にいるのに。勇気があるなあ……! と関心するも、龍斗くんは初めはやんわり断っていたものの何度も足止めされることが嫌なようで眉間に皺を寄せて「退いて」と言う。
 そして苛立ちをぶつけるように「香水つけてる人は論外なんだよね」と冷たく言い捨て、僕の腕を掴んで歩き去っていく。

 龍斗くんの香水嫌いは増していくばかりだった。

「なんだよ、どいつもこいつも。臭い匂いつけて、何がいいわけ?」

 こっそり香水をつけている僕は、その発言に萎縮(いしゅく)していくばかりだ。香水つけている人たちは、少なくともその香りが好き。真っ向から否定されたら傷ついてしまうのではないか……と振り返れば、やはり俯いて項垂れている女子学生がいた。
 
 龍斗くんを好きな気持ちと、好きな香りを全否定されることが。今の僕と重なってしまい胸が苦しくなる。

 まだ誰もいない講義室に入り込む。手を離され、振り返った龍斗くんに「(かおる)?」と声をかけられる。心配したような声で「どうしたの」と頭に手が伸びる。

「……断ることは悪くないと思う。でも……必要以上に傷つける必要は、ないんじゃないかな……」
「存在自体が不快にさせてるのに?」

 ああ、龍斗くんは。
 本当に香水が嫌いなんだね。
 こんなに棘のある言葉を吐く龍斗くんは初めてだった。
 僕たちは、近づきすぎた。
 嫌なところが目に入ってくる。

 僕の好きな香りが否定される。

 そのうち、龍斗くんは僕が香水つけていることに気づいて、離れていく。

 じゃあ、どうすればいい?

 好きだし、離れたくないから……香水つけるのやめた方がいいの?
 僕は好きなのに。龍斗くんの隣にいるために、気持ちを殺していくの……?

「薫……かおる? お腹痛い?」

 頭を撫でられる。僕は今どんな顔を見せてしまっているのだろう。何も気づかない龍斗くんが、心配そうに顔を覗き込んでいる。

「ああ、可哀想に。匂いにやられちゃったんだね」

 そう判断した龍斗くんに、抱きしめられた。好きな人に抱きしめられたのに、気持ちは穏やかにならない。

「匂いなんか、なくなればいいのにね」

 体が触れ合うことで。ほわん、と香水が漂う。でもその香りに龍斗くんはとても鈍感だった。

 本当に匂いが存在しなくなってもいいの?
 無意識にまた僕の匂いを嗅いでいるのに?
 本当は、安心出来る匂いを求めているんじゃないの?

「くすぐったいよ」

 そう言って誤魔化(ごまか)すのが精一杯で、離れようとするのに龍斗くんは離してくれない。

「やだ。薫だけは、特別だから」

 その特別は、どんな意味合いが含まれているのだろう。不快な匂いがしない特別? 僕のことを好きっていう特別?

 僕は……龍斗くんのこと、好きだけど、苦しいよ。
 香水を好きになったことを、打ち明けられないから。

(こうなったら……どこまで気づかないか、試してみよう)

 明日から、金木犀(きんもくせい)の香水をつけることにした。





 *





 結論からいえば、バレるどころかどんどん龍斗くんからの密着が激しくなるばかりだった。匂いに敏感なはずなのに、隙あらばずっと僕の匂いを嗅いでいる。僕たちが周りから浮いてしまうほどに。

 僕たちは付き合ってはいないけど「あの2人は付き合ってる」という噂が流れてしまい6月頃には龍斗くんに告白する人はいなくなった。その代わり、興味津々の目が周りから突き刺さる。

「近いよ……」
「だって、周りは嫌な匂いだけど薫だけは、違うから」

 匂いがしないと思われている?
 香水、バッチリつけているんだよ。

 廊下でチャラ男くんとすれ違った時「お、金木犀の香水つけたん? 良い感じ〜」と通りすがりに親指を立ててもらったのだ。

 香水の存在が無いことになって、苦笑する。

「なんか……薫といると、嫌な匂いも忘れられるんだよね……」

 ねえ、龍斗くん。
 多分、毛嫌いしてるだけで。
 龍斗くんが好きな香り、あると思うんだよね。
 僕の体を通して、伝わったらいいな。

 お手洗いに行った時、こっそり足首に少量を追加して金木犀を身に(まと)う。

 龍斗くんは香水の存在にまだ気づかない。
 僕たちが出会った香りだよ。





 *





 夏休み前の授業で、小さな事件。

 大学生はたくさんいるから、もちろん龍斗くんを知らない人だって中にはたくさんいる。その人たちと席が近くになった時に強い香水の香りが漂った。

 近くに座るチャラ男くんが顔を顰めるくらいだったから相当。チャラ男くんが講義室の窓を開けて換気をしたけれど、少し遅かった。隣に座る龍斗くんの顔色がどんどん悪くなっていく。鼻と口にハンカチを当てている。
 でも今日は最後にレポートを提出する日だから抜け出すわけにもいかない。

「……大丈夫?」

 換気で外から熱風が入ってくる。じわ、と汗が出てきて思わず服をパタパタと扇ぎ……身につけている金木犀の香水が龍斗くんの鼻に届く。

「龍斗くん? ……わ、わ」
「ごめん……ちょっとだけ……」

 限界だったのか、僕の胸元に顔を埋めるようにして眠り込んでしまった。汗かいてあるから、良い匂いだけではないはずなのに。龍斗くんは、安心し切ったように眠っている。

(……僕の好きな香り。……龍斗くんも好きだったら、嬉しいな)

 授業が終わったら、打ち明けてみよう。隠し続けるのもしんどいから。それで、龍斗くんが離れてしまったら僕たちはそれまでの関係なのだ。

 だから、今だけは。

 授業を受けながら、そっと龍斗くんの背中を撫で続けた。





 *





「よく寝た……」
「レポートは代わりに出しておいたよ」
「ありがとう。助かるよ」

 もう誰もいない講義室に2人きり。僕の胸元に(もた)れて龍斗くんはよく眠っていた。

「薫のとなり、すごく居心地がいい」
「……そっか」

 それは多分、僕が香水つけているから。

 意を決して、リュックサックの中から金木犀の香水が入ったボトルを見せる。

「……これは?」
「僕……実は、ずっと香水をつけていたんだ」

 龍斗くんの目が、大きく見開かれる。

 香水を見つめ……「嘘だ。薫はキツい匂いしない」と言ってくる。

「去年の冬から……ずっとつけてたんだよ。龍斗くんが『良い香りだ』とよく僕の匂いを嗅いでいた時……必ず香水をつけていたんだ」
「……そんな」
「黙っていて……ごめんね」

 返事はなかった。
 ああ、もう……今日で最後かな。

「これ、僕の好きな香りなんだ。本物の香りには敵わないけど、お気に入りで」

 香水を手渡す。

「……金木犀?」
「あげる。好きになってくれたら嬉しいな」

 声が震えた。
 僕の好きな香りも、龍斗くんを好きな気持ちも。
 受け入れてくれたら、どんなに嬉しいか。

 荷物を纏めて、先に帰る。

「どこにいくの」

 少し焦っているような龍斗くんの声。

「もう、地元に帰るから。じゃあね、龍斗くん」

 振り返る勇気は出ず、言葉だけを告げて講義室を飛び出した。

 ……言っちゃった。
 香水が好きだと言っちゃった。
 もう隣にはいられない。

 そのまま直行で地元へ向かう電車に飛び乗る。
 涙が止まらなかった。

(僕、龍斗くんのこと……本気で……)

 好きだったのだと、ようやく気づいた。

 気持ちは全て金木犀の香水に預けてしまった。