匂いに敏感な彼のために試行錯誤した結果、僕の存在が1番だと愛されてしまいました

 無意識なのかわからないけれど、龍斗(りゅうと)くんは僕の近くにくると必ず頭や首筋をスンスン、と嗅ぎにくる。匂いに敏感な龍斗くんのことだから「汗臭いのかな⁉︎」と身構えたりもしたけれど、特に何を言うこともなく隣にいるだけだった。

 文句は言われない。でも距離が縮まった日のように「良い香り」と言われることもない。もう冬になって金木犀(きんもくせい)は枯れてしまったし、その香りを年中楽しむとなると香水になってしまうのだが……。

 龍斗くんは、金木犀の香水だったら身につけてくれるのだろうか。

 龍斗くんは、学食で食べ物の匂いが混ざり合うのも苦手なようで僕らはいつも中庭のベンチで昼食をとる。コンビニで購入したおにぎりをもぐもぐしていると、隣でサンドウィッチを頬張っていた龍斗くんが「もうすぐ雨降るかも」と呟く。

「え? こんなに晴れているのに?」
「なんか……土の匂いするっていうか。上手く言えないけど……雨が降る前の、独特な匂いがする」
「へぇ……予知出来るんだ」

 だから早めに昼食を切り上げ大学の建物の中に避難すれば、しばらくするとパラパラと雨が降り出した。

「すごい! 龍斗くん……予言しちゃったね!」
(かおる)は、雨の匂いしなかった?」
「うーん……あまりわからなかったかも。……龍斗くんよりは鈍いんだと思う、鼻が」
「いいなあ」

 そう言って、また無意識に僕の匂いを嗅ぐ。
 僕の匂いは、どうなんだろう。
 何度も嗅ぎにくるあたり、臭くはないと思うけど。……好きな匂いでもないのかな。

 何も尋ねない代わりに、僕の心臓はドキドキッと高鳴りっぱなしだ。





 *





「これ? ……いや、なんか違う……これ? うーん……これ?」

 大学からの帰り道。少し遠回りして香水ショップに立ち寄り、金木犀の香りを嗅いでみる。色んなブランドのものが並んでいる。……正直、わからない。香水に関しては無頓着だったから。

「あれ、中学生くんじゃ〜ん」

 いつも僕を揶揄ってくる、初日に揶揄(からか)ってきたチャラい男子学生――以下チャラ男くんと呼ぶ――は僕を見つけると目をまんまるにして近寄ってくる。僕は嫌なところを見られた……と離れようとしたけど。

「どしたん。話聞こか? 何を探してんの」
「いや、いいです、遠慮します」
「オレ、ここでバイトしてるんよ」

「え」と改めてチャラ男くんを見ると、確かにいつものヤンチャ感を隠すように髪はきっちり整えられ、ショップ専用の制服を着ている。

「……ここで働いてるんだ……」
「で、どんな香りをお求めで?」
「……。自然に近い、香りを探していて」

 公園で香った、キツすぎない優しい香り。説明していけば「なるほどねえ」とチャラ男くんは腕を組んで考え……「これとかどう?」と少し離れたものを取り出してくる。

「金木犀の香りはそんなに強くない。……その代わり、石鹸(せっけん)の香りが強い。でも、石鹸だったら流石に()()()()も毎日体洗ってる時に匂いをつけているだろうし独特な香りが強いよりは良いかなって」
「へ、へぇ……! ん? 王子さまって?」
「だって中学生くん、王子さまに夢中じゃん。振り向かせたくなっちゃった?」

 ニヤニヤと。興味津々な顔で尋ねられる。嘘、バレてる? 僕が、僕のために香水を選びにきたわけじゃなくて。

 龍斗くんに受け入れられる香水を探しにきていたと、チャラ男くんは知っている?

「まあ、王子さまは中学生くんからのプレゼントならなんでも喜びそう――」
「駄目だよ。龍斗くん……とても匂いに繊細だから。……正直、本当に香水が彼のために良いのか、わからなくて」

 嫌いな匂いを我慢するなら、好きな匂いに包まれた方がいいのではないか。龍斗くんは金木犀の香りは拒まなかった。たったそれだけの情報を頼りに、金木犀の香水を探している。
 ……こんな僕、危なっかしくないだろうか。

「……結構、マジなんじゃん」
「……」
「まあ、香水って。その単体の香りと、身につける人と、その周りにいる人との相性でも香りって変わってくるから。少なくとも王子さまは中学生くんのそばから離れないし、相性は良いってことだと思うぜ?」

 謎の根拠でチャラ男くんはグッと親指を立てる。

「相性……」
「まー。身も蓋もない話すると。体臭(たいしゅう)な?」
「……。……! 体臭……⁉︎」
「そー。王子さまは中学生くんの匂いをいつもクンクン嗅いでいるし、相性は悪くないと思う!」

 僕の香りどころか、体臭の話になった。僕は知らない間に、僕自身の匂いを嗅がれていたというのか……!
 今更ながらに恥ずかしくなり顔からボボボッと火が吹いてしまえば「まあいきなりが怖かったら、まずはこれかなー」と、石鹸の香水を渡される。

「スタンダードな香りから、他の香りを中学生くんの体を通して慣れさせていく……ての、なんかエロくね?」
「や、やめてよお……」
「揶揄ってねえよ。応援してんぜ!」

 その後は僕も香水に慣れていないということで、付け方も教えてもらい。

 金木犀と石鹸の香水を購入した。
 まずは、不自然のない石鹸から。

「中学生くんって、ちゃんと大学生くんだったのな」

 レジまで付き合ってくれたチャラ男くんが言う。今まではその呼び名は嫌だったけど、今はもうそこまで不快ではない。少し距離が縮まったから。僕も心の中でチャラ男くん、と呼んでいるしどっちもどっちだ。





 *





 家を出る前、右足首に香水をかけ、左足で軽くトントンし、靴下を履いていつも通りに大学へ向かう。家の中では香りがわかったけど、外に出て風が吹くと正直もうわからなかった。本当についてるかな、付け足した方がいいかな……いや、濃い匂いになると嫌われる……でも龍斗くんの変化も見てみたい……! とぐるぐる考えていれば講義室に辿り着いた。

 今日は僕より早めに座っていた龍斗くんだったが、前期のように机に突っ伏している。

「おはよう。……龍斗くん?」

 近くに歩み寄り声をかけると、顔色の悪い龍斗くんがいた。しかし僕を見るや否や、首を伸ばしてスンスン、と首筋の匂いを嗅ぐ。

(バレた……?)

「なんか、今日……薫、めっちゃ良い香りする……かも」
「……ほんと?」

 尋ねたのに、返事はない。不思議に思っていると、そのまま寝落ちしてしまったようだった。……昨日の夜、眠れなかったのだろうか。

 僕は音を立てないようにそっと座り、教授が入ってくるまで眠らせておいた。





 *





「……昨日、親父の再婚相手と会ってきたんだよね」

 中庭のベンチで昼食。いつものようにサンドウィッチを手に持ちながら、龍斗くんは僕に打ち明けてくれる。

「……そうだったんだ」
「俺ももう大人だし、親父が誰と結婚しようが関係ないと思ったんだけど。……正直、香水の匂いがキツくて」

 知ってる。まだ僕たちがこんなに仲良くなる前、電話で『香水キツい人嫌い』と親父さんに言っていたの覚えているから。

(僕の香水、大丈夫かな……)

 じわじわ焦っていることなど(つゆ)知らず、龍斗くんは「昨日、それでちょっと親父と揉めたんだよね」と僕に言う。

「『彼女の好きなものを否定するな!』とか言われちゃってさ。いやわかるよ? 香水好きな人もいるって。でも、俺は嫌い。だから極力会わないって言っただけなのに……なんか怒られちゃって、うんざり。1人暮らしで助かったよ」

 なるほど。昨日までその再婚相手の人と一緒にいたから、匂いにやられて午前中は顔色悪かったのか。
 龍斗くんだって相手を傷つけたいわけではないし、再婚相手も悪気はないはずだ。
 でも好きと嫌いが、噛み合わない。

「大変だったんだね……」
「薫は、香水つけない人だから助かるよ」

 龍斗くんはそう言って僕に微笑みかける。

『今日、香水つけてみたんだ』

 タイミングがあったら言ってみようと思った言葉は、お蔵入(くらい)りになってしまった。

 香水が嫌いな彼にそんなカミングアウト出来るわけないじゃないか。チャラ男くんにせっかく紹介してもらった香水……紹介出来ずに終わってしまうなあ。幸いなのは、今日は僕は初めて香水をつけてみたけど龍斗くんにはバレていないことだった。それに開口一番「良い香り」と言ってもらえた。

 多分、この香水と僕の体臭は相性が良い。

(香水のことは、黙っていよう。紹介もしないで、こっそり僕だけで楽しもう。龍斗くんにバレない限り……)

 チクチク痛み出す胸に気づかないフリをしながら、龍斗くんの香水嫌いな話に「うん、うん」と付き合っていく。





 *





「で。最近どーなのよ」

 数日後。龍斗くんがまだ講義室にきていない時。早めに席について予習しようとしていれば背後から肩を叩かれる。振り返ると、香水を紹介してくれたチャラ男くん。

「王子さまとは上手くいってんの?」

 ニヤニヤ。でも、それは意地悪というか、興味本位の目。それが、段々と心配顔になっていく。「どしたん、上手くいってないん?」と声をかけられ……僕はよっぽど情けない顔をチャラ男くんに向けていたのだと気づく。

「……香水つけてる人、嫌いだって言ってて」
「おん」
「僕は、香水つけない人間だから助かるって、言われて」
「おん。……おん? 中学生くん、今つけてるよね?」

 チャラ男くんの顔が首元にきてスンスン、と嗅がれる。「石鹸の香水」と言われコクリと頷く。

「王子さまは中学生くんが香水つけてることに、気づいていない……と」
「……うん」
「は〜〜〜〜ん、へ〜〜〜〜、ほ〜〜〜〜〜ん?」

 納得したように、腕を組んで。
 今度は意地悪な笑みでニヤニヤし出す。

「こりゃあ、予想の斜め上いきましたわあ」
「え?」
「中学生くん、王子さまは多分――」
「離れて」

 不機嫌そうな低い声。影が差し、見上げると龍斗くんが僕とチャラ男くんを睨んでいる。奥に入りたいのだと気づき、慌てて後ろに身を乗り出していた上半身を戻し龍斗くんを通すと、そのまま隣に座って僕をじろ、と見てくる。
 なんか……怖い目。

「な、なに……?」
「……」

 頬杖をついて、ただ僕を見ている。少し眉間に皺が寄って、やはり怒っているような。怖くなってしまい、後ろにいるチャラ男くんを振り向こうとすれば頬をムニッと摘まれ引っ張られる。

「いひゃいっ」
「……」

 少し満足したように口元が緩む。その後僕の胸元に鼻を寄せスンスンと嗅ぐ。

(香水つけてるの、バレちゃう……)

「薫ってさ。……本当に、良い香りするよね」
「……そうかな?」

 香水つけてるからだよ、とは勇気がなくて言えなかった。
 元々龍斗くんは僕の体臭が好きだったのかもしれない。そこに香水の香りが相俟(あいま)って、さらに彼好みの香りになった。

(龍斗くんが嫌いな香水で、好みの香りになってるって言ったら……どんな反応するのかな……)

 でも離れたくなくて、何も言えない。
 僕の気持ちを隠す方が簡単だったから。
 依存してるのは、きっと僕の方。

「薫の匂い、誰にも嗅がせないで。俺だけにして」
「……えっ」
「なんか……ちょっとムカついたんだよね。……俺も理由よくわかっていないんだけど」

 それは。それって。
 独占欲、というものではないだろうか。龍斗くんが、僕に。どうして?

(僕が離れたくないように、龍斗くんも同じ気持ちを抱いているということ……?)

 だとしたら、香水の話を打ち明けても大丈夫なはずだ。でも、それでも……。

 僕には勇気がなかった。
 無難な方を選択した。

 僕たちのやり取りを後ろの席のチャラ男くんが終始見て、ニヤニヤしていたなんて知る(よし)もない。