テストやレポート提出で無事に前期の単位を落とすことなく夏休みに入った僕は、2週間ほど地元へ帰ることにした。久々に家族に会いたくなったのと、地元の友人から『海の家で一緒にバイトしないか?』と誘われたからだった。
近年の酷暑日が続く中、それでも遊びにくる人は多い。熱中症にならないように屋内で休めるスペースを増やし、僕はひたすら注文されたラーメンやかき氷を運んでいく仕事だった。
仕事終わり、海の家を運営している友人の父親から褒美としてかき氷をもらった。海に沈む夕日を眺めながら頬張り、潮風の香りに目を閉じる。
(王子さまは、この香りは好きかな)
ふと頭に思い浮かぶ王子さまに、僕自身が驚く。勝手に知っているのは僕だけで、多分王子さまは僕のことを知らない。初めて会った日に「隣、いい?」と声をかけたことも覚えていないだろう。
「なによ、恋してる顔しちゃって」
友人に声をかけられわたわたしてしまえば「図星かよ」と笑われる。そういうキミだって、地元の大学で彼女出来たんだって? 去年までは坊主だったのに、髪伸ばして茶髪にして。似合うから良いけど。
「僕、そんな顔してた?」
「んー。なんか、誰かを想っている顔?」
同じ大学の王子さまのことを考えていた僕は読みを当てられて、黙って夕日を見つめるしかなかった。
(恋……とは、違うだろうけど。そういえば、いつも目線で追っていたな)
王子さまはカッコよくて。多くの人を魅了して両脇を侍らせていそうなのに、意外と孤高で。
その理由は、匂いに敏感だから。
(海と夕日と王子さま、似合いそうだな)
僕がその姿を見ることはないだろうけど。
王子さまは夏休みの間、何をしているのかな。
友人ですらないから、僕が知る由もなかった。
*
後期は、火曜日と金曜日。
王子さまと授業が被る日があった。
地元で友人と会ってメンタル回復した僕だったが、大学ではサークルにも入らず未だぼっちだったため、今日も1人で1限目から2限目までの空白の10分間の間に講義室を移動する。
「会う日? 俺は行かないよ。親父が勝手に再婚すればいい。俺はもう家には基本帰らないから。……新しい母が嫌? そんな子供っぽいこと言わないよ。何で会いたくないかって――」
2限目開始前。早めに席について授業受ける準備をしていれば、通話をしながら入ってくる王子さま。一匹狼とはいえ人の視線を奪う人だから室内は一瞬静まり返り、王子さまの会話内容が少し聞こえてしまった。相手は王子さまの父親らしい。
(王子さまの父親さん……つまりは王さま……なんつって……)
「あの人、香水臭いいから嫌なんだよね」
うんざりしたように父親に言い放つ言葉が室内に響き渡った。王子さまは全く気付いていないが、香水をつけていた学生たちがサッと王子から離れていった。それから、妙に納得している顔。
「だから、誰とも連まなかったのか……」
と、それぞれに話し合っている。
「じゃあ、切るからね。もう電話して来ないでいいよ」と通話を切った王子さまは、ズカズカと歩いてきて僕の隣にドカッと座った。苛立っていたのか荷物をバンッ! と机に勢いよく置いてあからさまに僕の肩が跳ねてしまった。
「ひゃっ」
「あ。……ごめんね」
冷酷な人間ではない。苛立っているだけ。僕が驚いてしまったことに凛とした眉を八の字にして謝ってきた。
「ううん、大丈夫……」
会話はそれだけ。
教授の話を聞きながら、横目で王子さまの横顔を盗み見る。
(絵になる……綺麗……)
「はい」
「わ、」
ボケッとしてたら、王子さまから突然プリントを回されてびっくりした。何のことはない。授業後半は回されたプリントの問題を解いて時間内に提出するものだった。
「あ、ありがとう」
「うん」
王子さまから渡されたプリントを1枚取り、残った分を隣に回す。
初めに学籍番号と名前を書き……隣をもう一度見てしまう。
篠田 龍斗。
(かっ……こいい……)
顔も良ければ名前も完璧だった。じっと見つめてしまえば「……?」と王子さま――龍斗くんと目が合いそうになり慌てて顔を伏せる。
(僕、匂ってないかな……変な匂いじゃないかな……)
急に不安になってきて、気が気じゃなくて、プリントの問題を解きながらドキドキしっぱなしだった。
どうしてこんなに龍斗くんのことが気になってしまうのだろう。
*
夏が過ぎ、少し肌寒い秋。
大学に向かう途中の公園で、小さな少年2人が泣いていた。上を見上げて泣いているので視線を向けると、木に風船が引っかかってしまったようだった。
周りをキョロキョロ見渡すも、他に手助けしてくれそうな人はいない。腕時計で時間を確認する。
(あと10分くらいなら)
あまり時間は取れないけれど、風船を取るくらいなら。駆け寄り「お兄さんが取るよ」と声をかけ背伸びをして引っかかった紐を解いていく。
細い枝が揺れるたびに、ほわほわと漂う香り。視界が橙色に覆われて……この樹木が金木犀だったと気づく。
(毎日通ってるのに気付かなかった……花が咲いて金木犀だって気付いた。花だけでも正直わからないし……香りって、すごいな)
ぼんやり思いながら無事に風船を救いだし「どうぞ」と少年に手渡した。「ありがとう、お兄ちゃん!」とはしゃいで家に帰っていく姿を見届けながら「3限目の授業!」と思い出し慌てて大学に向かう。
間に合わないと思ったけど走れば案外余裕で15分前には大学に辿り着いた。廊下を歩いていれば別の授業を受けるために向かいから歩いてくる龍斗くん。挨拶をする仲でもないので存在だけ気付いてから通り過ぎ――「金木犀ついてるよ」とふわりと頭を撫でられる。
振り返ると、僕のことなんか認識してないはずの龍斗くんが目の前にいた。金木犀? 龍斗くんの手に乗っている小さな花を見つめて……風船を救い出した時に頭や肩にたくさんついてしまったのだと気づく。龍斗くんは匂いに敏感……ヤバい。
「ご、ごめん! さっき近くの公園に寄った時に頭から被っちゃったみたいで……匂いキツいよね、ごめんね……!」
慌ててパッ、パッ、と手で金木犀を払い落としていると「ううん」と言われ、そのまま肩を抱き寄せられ……首筋に龍斗くんの鼻が寄る。
「……えっ」
「――良い香り……」
うっとりと目を閉じているようだった。あの王子さまが。龍斗くんが。香水の匂い嫌いだというのは周りの学生は知っているから、その発言にとても驚いて皆固まっていた。当然僕も。
というか、近い。綺麗な顔が真横にある。綺麗。見惚れる。僕、走ってきたから多少汗臭いかもしれないのに……。
「あ、の……」
「……ハッ。ご、ごめん!」
龍斗くんは我に返ったように距離を取る。香水は嫌いでも……自然の香りは好き? 雨の匂いも、すぐに気付いていたし。
それとも、好きな香りというものに出会っていないだけなのだろうか。
「金木犀の香り好きなの?」
思い切って、聞いてみる。龍斗くんは「うーん」と首を傾げた後「よくわからない」と返ってくる。
「俺、基本的にキツい香りは嫌いなんだけど。……この香りは、自然に身に纏っているようで……優しい香りで……好き」
龍斗くんはまた僕の頭に鼻を寄せてスンスン、と嗅ぐ。意外な行動だった。金木犀、きっと好きなんだ。
「えと……じゃあ僕は……この後授業あるから……」
「ついていっていい? 俺3限目は空いていて4限目まで暇なんだよね」
突然の龍斗くんからの距離の縮め方に驚く。孤高の狼だと思ったけど、今は懐いた大型犬のように、尻尾をブンブン振っているようだった。
「うん、いいよ……?」
僕にぴったりくっついて講義室まで歩き、そして隣に座る。授業中は教授の話を聞く僕をじっと頬杖ついて見つめていて……顔が赤くなっていく。
「風見 薫っていうんだ……薫って、呼んでも良い?」
今日中に提出するプリントの名前を見て尋ねられる。コクリ、と頷けば嬉しそうにニコッと笑う。今までのイメージが崩れていく。狼じゃない、犬だ。
「俺のことは龍斗って呼んで」
知ってるよ。いつも僕の前後左右に座ってるから。でも龍斗くんは僕のことを今回初めて認識したのだろう。わざわざ突っ込むことはしないけれど。
「うん。よろしくね、龍斗くん」
そう返事をする。
それからは、今まで僕がぼっちだったのは嘘のように、毎日龍斗くんが隣にいるようになった。
近年の酷暑日が続く中、それでも遊びにくる人は多い。熱中症にならないように屋内で休めるスペースを増やし、僕はひたすら注文されたラーメンやかき氷を運んでいく仕事だった。
仕事終わり、海の家を運営している友人の父親から褒美としてかき氷をもらった。海に沈む夕日を眺めながら頬張り、潮風の香りに目を閉じる。
(王子さまは、この香りは好きかな)
ふと頭に思い浮かぶ王子さまに、僕自身が驚く。勝手に知っているのは僕だけで、多分王子さまは僕のことを知らない。初めて会った日に「隣、いい?」と声をかけたことも覚えていないだろう。
「なによ、恋してる顔しちゃって」
友人に声をかけられわたわたしてしまえば「図星かよ」と笑われる。そういうキミだって、地元の大学で彼女出来たんだって? 去年までは坊主だったのに、髪伸ばして茶髪にして。似合うから良いけど。
「僕、そんな顔してた?」
「んー。なんか、誰かを想っている顔?」
同じ大学の王子さまのことを考えていた僕は読みを当てられて、黙って夕日を見つめるしかなかった。
(恋……とは、違うだろうけど。そういえば、いつも目線で追っていたな)
王子さまはカッコよくて。多くの人を魅了して両脇を侍らせていそうなのに、意外と孤高で。
その理由は、匂いに敏感だから。
(海と夕日と王子さま、似合いそうだな)
僕がその姿を見ることはないだろうけど。
王子さまは夏休みの間、何をしているのかな。
友人ですらないから、僕が知る由もなかった。
*
後期は、火曜日と金曜日。
王子さまと授業が被る日があった。
地元で友人と会ってメンタル回復した僕だったが、大学ではサークルにも入らず未だぼっちだったため、今日も1人で1限目から2限目までの空白の10分間の間に講義室を移動する。
「会う日? 俺は行かないよ。親父が勝手に再婚すればいい。俺はもう家には基本帰らないから。……新しい母が嫌? そんな子供っぽいこと言わないよ。何で会いたくないかって――」
2限目開始前。早めに席について授業受ける準備をしていれば、通話をしながら入ってくる王子さま。一匹狼とはいえ人の視線を奪う人だから室内は一瞬静まり返り、王子さまの会話内容が少し聞こえてしまった。相手は王子さまの父親らしい。
(王子さまの父親さん……つまりは王さま……なんつって……)
「あの人、香水臭いいから嫌なんだよね」
うんざりしたように父親に言い放つ言葉が室内に響き渡った。王子さまは全く気付いていないが、香水をつけていた学生たちがサッと王子から離れていった。それから、妙に納得している顔。
「だから、誰とも連まなかったのか……」
と、それぞれに話し合っている。
「じゃあ、切るからね。もう電話して来ないでいいよ」と通話を切った王子さまは、ズカズカと歩いてきて僕の隣にドカッと座った。苛立っていたのか荷物をバンッ! と机に勢いよく置いてあからさまに僕の肩が跳ねてしまった。
「ひゃっ」
「あ。……ごめんね」
冷酷な人間ではない。苛立っているだけ。僕が驚いてしまったことに凛とした眉を八の字にして謝ってきた。
「ううん、大丈夫……」
会話はそれだけ。
教授の話を聞きながら、横目で王子さまの横顔を盗み見る。
(絵になる……綺麗……)
「はい」
「わ、」
ボケッとしてたら、王子さまから突然プリントを回されてびっくりした。何のことはない。授業後半は回されたプリントの問題を解いて時間内に提出するものだった。
「あ、ありがとう」
「うん」
王子さまから渡されたプリントを1枚取り、残った分を隣に回す。
初めに学籍番号と名前を書き……隣をもう一度見てしまう。
篠田 龍斗。
(かっ……こいい……)
顔も良ければ名前も完璧だった。じっと見つめてしまえば「……?」と王子さま――龍斗くんと目が合いそうになり慌てて顔を伏せる。
(僕、匂ってないかな……変な匂いじゃないかな……)
急に不安になってきて、気が気じゃなくて、プリントの問題を解きながらドキドキしっぱなしだった。
どうしてこんなに龍斗くんのことが気になってしまうのだろう。
*
夏が過ぎ、少し肌寒い秋。
大学に向かう途中の公園で、小さな少年2人が泣いていた。上を見上げて泣いているので視線を向けると、木に風船が引っかかってしまったようだった。
周りをキョロキョロ見渡すも、他に手助けしてくれそうな人はいない。腕時計で時間を確認する。
(あと10分くらいなら)
あまり時間は取れないけれど、風船を取るくらいなら。駆け寄り「お兄さんが取るよ」と声をかけ背伸びをして引っかかった紐を解いていく。
細い枝が揺れるたびに、ほわほわと漂う香り。視界が橙色に覆われて……この樹木が金木犀だったと気づく。
(毎日通ってるのに気付かなかった……花が咲いて金木犀だって気付いた。花だけでも正直わからないし……香りって、すごいな)
ぼんやり思いながら無事に風船を救いだし「どうぞ」と少年に手渡した。「ありがとう、お兄ちゃん!」とはしゃいで家に帰っていく姿を見届けながら「3限目の授業!」と思い出し慌てて大学に向かう。
間に合わないと思ったけど走れば案外余裕で15分前には大学に辿り着いた。廊下を歩いていれば別の授業を受けるために向かいから歩いてくる龍斗くん。挨拶をする仲でもないので存在だけ気付いてから通り過ぎ――「金木犀ついてるよ」とふわりと頭を撫でられる。
振り返ると、僕のことなんか認識してないはずの龍斗くんが目の前にいた。金木犀? 龍斗くんの手に乗っている小さな花を見つめて……風船を救い出した時に頭や肩にたくさんついてしまったのだと気づく。龍斗くんは匂いに敏感……ヤバい。
「ご、ごめん! さっき近くの公園に寄った時に頭から被っちゃったみたいで……匂いキツいよね、ごめんね……!」
慌ててパッ、パッ、と手で金木犀を払い落としていると「ううん」と言われ、そのまま肩を抱き寄せられ……首筋に龍斗くんの鼻が寄る。
「……えっ」
「――良い香り……」
うっとりと目を閉じているようだった。あの王子さまが。龍斗くんが。香水の匂い嫌いだというのは周りの学生は知っているから、その発言にとても驚いて皆固まっていた。当然僕も。
というか、近い。綺麗な顔が真横にある。綺麗。見惚れる。僕、走ってきたから多少汗臭いかもしれないのに……。
「あ、の……」
「……ハッ。ご、ごめん!」
龍斗くんは我に返ったように距離を取る。香水は嫌いでも……自然の香りは好き? 雨の匂いも、すぐに気付いていたし。
それとも、好きな香りというものに出会っていないだけなのだろうか。
「金木犀の香り好きなの?」
思い切って、聞いてみる。龍斗くんは「うーん」と首を傾げた後「よくわからない」と返ってくる。
「俺、基本的にキツい香りは嫌いなんだけど。……この香りは、自然に身に纏っているようで……優しい香りで……好き」
龍斗くんはまた僕の頭に鼻を寄せてスンスン、と嗅ぐ。意外な行動だった。金木犀、きっと好きなんだ。
「えと……じゃあ僕は……この後授業あるから……」
「ついていっていい? 俺3限目は空いていて4限目まで暇なんだよね」
突然の龍斗くんからの距離の縮め方に驚く。孤高の狼だと思ったけど、今は懐いた大型犬のように、尻尾をブンブン振っているようだった。
「うん、いいよ……?」
僕にぴったりくっついて講義室まで歩き、そして隣に座る。授業中は教授の話を聞く僕をじっと頬杖ついて見つめていて……顔が赤くなっていく。
「風見 薫っていうんだ……薫って、呼んでも良い?」
今日中に提出するプリントの名前を見て尋ねられる。コクリ、と頷けば嬉しそうにニコッと笑う。今までのイメージが崩れていく。狼じゃない、犬だ。
「俺のことは龍斗って呼んで」
知ってるよ。いつも僕の前後左右に座ってるから。でも龍斗くんは僕のことを今回初めて認識したのだろう。わざわざ突っ込むことはしないけれど。
「うん。よろしくね、龍斗くん」
そう返事をする。
それからは、今まで僕がぼっちだったのは嘘のように、毎日龍斗くんが隣にいるようになった。



