大学1年生。僕――風見 薫は、初日の授業にドキドキしながら大勢の学生が待機している講義室に入り込む。
「でさ、それでさ〜」
「ギャハハ、受ける〜!」
既に仲良いグループは出来ているのか室内は賑やかだった。まだ友人がいない僕は席を見渡し……前から3列目の、1番左端に歩いていく。
席について背負ったリュックサックを下ろそうとさたら後ろで駄弁っているピアスに金髪のいかにもヤンチャそうな男子学生にぶつけてしまう。
「あ、すみません」
「……あー、いいよ」
じろ、と頭からつま先まで見られている感覚に萎縮してペコペコ頭を下げ、急いで席に着く。
「中学生かと思った〜」
「流石にそれはねえよ〜」
ヤンチャな学生の周りにいた人たちも便乗する。先月まで高校生だったのに、大学デビューで見た目に大きな違いが出来ている。彼らは派手な見た目で集団でいるとイキってきて正直怖い。対して僕は卒業してからそのままの姿で、黒髪のままだった。背も低いから中学生だと揶揄われる。
(……というか、机の上に座ってる方が悪いんじゃ……)
物申したくても、僕にそんな度胸はない。
1限目の授業が始まる前なのに既にブルーな気分になっていると。
授業開始5分前に背の高い男子学生が入ってきた。切れ長の目、スッキリした顔。王子さま、という言葉が似合う人だった。その人が入ってきただけで室内の空気は代わり、女子学生は賑わい「ここ空いてるよ〜」と手を振っている。
声に誘われたように王子さまは女子学生たちの元へ向かうが……途端に顔を顰め彼女たちの元を素通りした。当然そこに座ると思ったのに皆が「あれ?」という空気を出している中……王子さまは室内を歩き回る。
でも、ずっと顔を顰めて何かに怒っているようだった。ゆっくり席を物色していた王子さまはついに僕の元までくる。見上げると、目が合い……数秒後。
「……隣、いい?」
王子さまが僕に声をかける。まさか隣にくるとは。慌てて頷いて彼を奥に通そうとし……僕が奥に進めば良いのだと気づいて立ち上がって1つ右に移動する。その際にまたヤンチャな学生にリュックサックをぶつけてしまう。
「あっ、すみませんっ」
「中学生くん〜、気をつけなよ〜」
ニヤニヤされて、周りの学生も楽しそうにしていて。早くこの場所から離れたい……そう思いながら俯いてやり過ごそうとすれば「机に座ってるあんたの方が邪魔なんだけど」と王子さまが言った。
「は?」
「うん、邪魔。退いて。机は座るところじゃないよ」
僕が言えないことを、王子さまは堂々と言い放った。「あぁん?」とキレそうになる学生を、流石に周りの人たちが止め舌打ちした学生はやっと離れた席についた。
僕の隣には、皆に注目されている王子さま。
「はぁ……きっつ……やってられねえ……」
机に突っ伏してしまった。何かに耐えているらしいが、僕にはわからないことだった。
この後教授が入ってきて無事に1限目を受けることが出来たが。
……正直、隣の綺麗な王子さまが気になって何度もチラチラと横目で見てしまった。しかし王子さまは僕のことなんて全く眼中に無いようで、頬杖をついてただ黒板を真っ直ぐに見つめていた。
*
月曜日と、水曜日と、金曜日。
王子さまを同じ授業で見かける。
彼の人気は相当で、男子学生からも女子学生からもよく声をかけられる……のを、僕は隅の席でいつも眺めている。
王子さまも一度は彼らの元へ向かうも、何かが気に触れるのか「ごめん、やっぱ一緒はムリ」と言って1人で別の先に座る。
理屈はよくわからないけれど、王子さまはいつも僕の前後左右に決まって座る。そのことに気付いているのは僕と、周りの学生だけで王子さま自身は気付いていないようだった。
僕の近くに座るたびに、周りの学生たちは遠くからヒソヒソ囁き合う。
「何であんな地味な男のところにいくのか意味わかんない」
「王子さまなんだから、もっと派手なのかと思ったのに。期待外れ」
所謂陽キャな女子学生は王子さまとのハッピー大学ライフを送りたかったようだった。僕のことをよく思っていないようで、教材なんか入ってなさそうな小さく軽い鞄で通りすがりに頭を叩かれた。
「痛ッ……けほっ」
痛いのはまだ耐えられる。でも、女子学生がそばを通り過ぎた時の、空気の匂い。鼻が曲がりそうな程の甘く濃い香りに咽せてしまった。鼻と口を覆い数秒耐える。
「……げほっ、ゴホッ……マジ……きっつ……」
今日は僕の前の席に座っている王子さまが咳き込み、同じように手で鼻と口を覆った。
――あ。なんかわかったかも。
王子さまがいつも断っている集団は。
香水の匂いがキツい人たちなんだ、と。
だからいつも無意識に僕の元へきている……? 僕以外にも香水つけていない学生たちはいるはずなのだけれど……。
1人で首を傾げていたら、教授が入ってきて授業が始まる。
*
王子さまだけど、一匹狼。
皆から声をかけられるけど、最終的には断って誰とも仲良くならない。大学に慣れた6月、梅雨の影響で中庭に出ることが出来ず皆が大学内のどこかで昼食をとっていた。
じめじめした湿気と、雨独特の匂い。それから、人が行き交うたびにそれぞれの匂いがある。身嗜みの香水だ。でも、慣れていない人には少しキツい。
僕は相変わらず友人が出来なかったのでなるべく1人になれる講義室を探して歩き回った。片手には自販機で購入したコーヒーの入った紙コップを持って。
(コーヒーの香りって癒される……あ、ここ空いてるかも)
かなり奥まで歩いてきた。誰もいないと思って堂々と入ったら、片隅に学生が1人机に突っ伏していて心臓が飛び出そうになった。眠っているようだったので、極力音を立てないように歩いて席に着き、コンビニで購入したおにぎりを取り出す。
「うう……」
おにぎりを頬張りながら呻く人を振り返る。だいぶ顔色の悪い王子さまだった。人々の香水の匂いにやられてしまったのだろうか。
(雨だし、窓閉め切ってるし、空気の循環悪いからな……僕はそこまで敏感じゃないけど。……駄目な人は駄目なんだろうな……)
大勢の人が集まる講義室に王子さまのような人間が向かうのは気力が必要だと思う。色んな匂いが混ざっているから。
今の講義室には2人しかいないのを良いことに、窓を開けて換気をする。ザー……と降り注ぐ雨の音が大きくなり、王子さまは机に突っ伏していた上半身を起こす。
「雨の匂い……」
目は閉じたまま。匂いで雨を感じているのだろうか。僕はおにぎりの匂いが彼に届かないように、窓の手すりにもたれながら頬張った。
雨独特の、土のような匂い。
キツい香水の匂いよりは、いいかも。
「あ、この部屋人少な〜い」
「午後の授業まであと50分あるし、ゲームでもしようぜ」
2人だけの空間は一瞬で崩れた。
僕が初日から苦手なヤンチャ集団が講義室に入ってきてしまい、おにぎりを食べ終えた僕はリュックサックを背負ってこの場から出る準備をする。
「あ、中学生くんじゃ〜ん」
ずっと童顔を揶揄われている。陽キャのノリというものかもしれないが、大学生なのでやめて欲しかった。手を振ってくるから無視も出来ずペコ、と一度頭を下げて歩き出した。
最後にもう一度だけ王子さまを見る。……あの人たち、香水を使っている人がいるんだったよな。……鼻が曲がるほどではないけれど。
まだ一口も飲んでいないコーヒーの入った紙コップを王子さまの目の前に置く。上半身起こしたまま目を閉じている王子さまは気付いていない。
一言だけ、声をかけておくか。
「……気休めに、コーヒーの香りをどうぞ」
聞いているかはわからないが、それだけを告げて離れていく。
「……良い香り……」
講義室を出る瞬間、そう呟く声が聞こえて少しだけ満足した。
「でさ、それでさ〜」
「ギャハハ、受ける〜!」
既に仲良いグループは出来ているのか室内は賑やかだった。まだ友人がいない僕は席を見渡し……前から3列目の、1番左端に歩いていく。
席について背負ったリュックサックを下ろそうとさたら後ろで駄弁っているピアスに金髪のいかにもヤンチャそうな男子学生にぶつけてしまう。
「あ、すみません」
「……あー、いいよ」
じろ、と頭からつま先まで見られている感覚に萎縮してペコペコ頭を下げ、急いで席に着く。
「中学生かと思った〜」
「流石にそれはねえよ〜」
ヤンチャな学生の周りにいた人たちも便乗する。先月まで高校生だったのに、大学デビューで見た目に大きな違いが出来ている。彼らは派手な見た目で集団でいるとイキってきて正直怖い。対して僕は卒業してからそのままの姿で、黒髪のままだった。背も低いから中学生だと揶揄われる。
(……というか、机の上に座ってる方が悪いんじゃ……)
物申したくても、僕にそんな度胸はない。
1限目の授業が始まる前なのに既にブルーな気分になっていると。
授業開始5分前に背の高い男子学生が入ってきた。切れ長の目、スッキリした顔。王子さま、という言葉が似合う人だった。その人が入ってきただけで室内の空気は代わり、女子学生は賑わい「ここ空いてるよ〜」と手を振っている。
声に誘われたように王子さまは女子学生たちの元へ向かうが……途端に顔を顰め彼女たちの元を素通りした。当然そこに座ると思ったのに皆が「あれ?」という空気を出している中……王子さまは室内を歩き回る。
でも、ずっと顔を顰めて何かに怒っているようだった。ゆっくり席を物色していた王子さまはついに僕の元までくる。見上げると、目が合い……数秒後。
「……隣、いい?」
王子さまが僕に声をかける。まさか隣にくるとは。慌てて頷いて彼を奥に通そうとし……僕が奥に進めば良いのだと気づいて立ち上がって1つ右に移動する。その際にまたヤンチャな学生にリュックサックをぶつけてしまう。
「あっ、すみませんっ」
「中学生くん〜、気をつけなよ〜」
ニヤニヤされて、周りの学生も楽しそうにしていて。早くこの場所から離れたい……そう思いながら俯いてやり過ごそうとすれば「机に座ってるあんたの方が邪魔なんだけど」と王子さまが言った。
「は?」
「うん、邪魔。退いて。机は座るところじゃないよ」
僕が言えないことを、王子さまは堂々と言い放った。「あぁん?」とキレそうになる学生を、流石に周りの人たちが止め舌打ちした学生はやっと離れた席についた。
僕の隣には、皆に注目されている王子さま。
「はぁ……きっつ……やってられねえ……」
机に突っ伏してしまった。何かに耐えているらしいが、僕にはわからないことだった。
この後教授が入ってきて無事に1限目を受けることが出来たが。
……正直、隣の綺麗な王子さまが気になって何度もチラチラと横目で見てしまった。しかし王子さまは僕のことなんて全く眼中に無いようで、頬杖をついてただ黒板を真っ直ぐに見つめていた。
*
月曜日と、水曜日と、金曜日。
王子さまを同じ授業で見かける。
彼の人気は相当で、男子学生からも女子学生からもよく声をかけられる……のを、僕は隅の席でいつも眺めている。
王子さまも一度は彼らの元へ向かうも、何かが気に触れるのか「ごめん、やっぱ一緒はムリ」と言って1人で別の先に座る。
理屈はよくわからないけれど、王子さまはいつも僕の前後左右に決まって座る。そのことに気付いているのは僕と、周りの学生だけで王子さま自身は気付いていないようだった。
僕の近くに座るたびに、周りの学生たちは遠くからヒソヒソ囁き合う。
「何であんな地味な男のところにいくのか意味わかんない」
「王子さまなんだから、もっと派手なのかと思ったのに。期待外れ」
所謂陽キャな女子学生は王子さまとのハッピー大学ライフを送りたかったようだった。僕のことをよく思っていないようで、教材なんか入ってなさそうな小さく軽い鞄で通りすがりに頭を叩かれた。
「痛ッ……けほっ」
痛いのはまだ耐えられる。でも、女子学生がそばを通り過ぎた時の、空気の匂い。鼻が曲がりそうな程の甘く濃い香りに咽せてしまった。鼻と口を覆い数秒耐える。
「……げほっ、ゴホッ……マジ……きっつ……」
今日は僕の前の席に座っている王子さまが咳き込み、同じように手で鼻と口を覆った。
――あ。なんかわかったかも。
王子さまがいつも断っている集団は。
香水の匂いがキツい人たちなんだ、と。
だからいつも無意識に僕の元へきている……? 僕以外にも香水つけていない学生たちはいるはずなのだけれど……。
1人で首を傾げていたら、教授が入ってきて授業が始まる。
*
王子さまだけど、一匹狼。
皆から声をかけられるけど、最終的には断って誰とも仲良くならない。大学に慣れた6月、梅雨の影響で中庭に出ることが出来ず皆が大学内のどこかで昼食をとっていた。
じめじめした湿気と、雨独特の匂い。それから、人が行き交うたびにそれぞれの匂いがある。身嗜みの香水だ。でも、慣れていない人には少しキツい。
僕は相変わらず友人が出来なかったのでなるべく1人になれる講義室を探して歩き回った。片手には自販機で購入したコーヒーの入った紙コップを持って。
(コーヒーの香りって癒される……あ、ここ空いてるかも)
かなり奥まで歩いてきた。誰もいないと思って堂々と入ったら、片隅に学生が1人机に突っ伏していて心臓が飛び出そうになった。眠っているようだったので、極力音を立てないように歩いて席に着き、コンビニで購入したおにぎりを取り出す。
「うう……」
おにぎりを頬張りながら呻く人を振り返る。だいぶ顔色の悪い王子さまだった。人々の香水の匂いにやられてしまったのだろうか。
(雨だし、窓閉め切ってるし、空気の循環悪いからな……僕はそこまで敏感じゃないけど。……駄目な人は駄目なんだろうな……)
大勢の人が集まる講義室に王子さまのような人間が向かうのは気力が必要だと思う。色んな匂いが混ざっているから。
今の講義室には2人しかいないのを良いことに、窓を開けて換気をする。ザー……と降り注ぐ雨の音が大きくなり、王子さまは机に突っ伏していた上半身を起こす。
「雨の匂い……」
目は閉じたまま。匂いで雨を感じているのだろうか。僕はおにぎりの匂いが彼に届かないように、窓の手すりにもたれながら頬張った。
雨独特の、土のような匂い。
キツい香水の匂いよりは、いいかも。
「あ、この部屋人少な〜い」
「午後の授業まであと50分あるし、ゲームでもしようぜ」
2人だけの空間は一瞬で崩れた。
僕が初日から苦手なヤンチャ集団が講義室に入ってきてしまい、おにぎりを食べ終えた僕はリュックサックを背負ってこの場から出る準備をする。
「あ、中学生くんじゃ〜ん」
ずっと童顔を揶揄われている。陽キャのノリというものかもしれないが、大学生なのでやめて欲しかった。手を振ってくるから無視も出来ずペコ、と一度頭を下げて歩き出した。
最後にもう一度だけ王子さまを見る。……あの人たち、香水を使っている人がいるんだったよな。……鼻が曲がるほどではないけれど。
まだ一口も飲んでいないコーヒーの入った紙コップを王子さまの目の前に置く。上半身起こしたまま目を閉じている王子さまは気付いていない。
一言だけ、声をかけておくか。
「……気休めに、コーヒーの香りをどうぞ」
聞いているかはわからないが、それだけを告げて離れていく。
「……良い香り……」
講義室を出る瞬間、そう呟く声が聞こえて少しだけ満足した。



