清掃の時間からはじまる推し活物語

それからというもの、八神との距離感が掴めないまま、怒涛の日々に流されるように、時間が過ぎていった。

八神と疎遠になることは、望んでいない。

だけど、八神がオレのことを憧れの対象として見ているなら、オレはあいつの前で常にかっこよくいなくてはならないし、本音で話せない。
もっと言えば…欲望に忠実になることもできない。

そんなことを悶々と考えていたら、
メンバーやマネージャーから
「矢野、無理してないか?」
と心配されるくらい、メンタルが落ちてしまった。

オレにとって、八神の存在は、それくらい大きなものになっていたのだと自覚した。

八神とカフェで会った日から、2週間ほど経った金曜の夜。
ダンスレッスンが終わり、ロッカーで帰り支度をしていたら、カバンの中からスマホの着信音が聞こえた。

マナーモードにするのを忘れていたため、メンバーたちから
「なんだよ、その愉快な着信音」
とツッコまれた。

電話は八神からだった。

八神からの着信音は、『ねこふんじゃった』に設定していたから、画面を見なくても誰からかすぐにわかった。

「先輩!俺、先輩に伝えたいことがあって!
今から会えませんか?」
やたら勢いのある声だった。

「いいけど、オレいま事務所なんだよね。」

「よかった!俺、こないだのカフェの近くまで来てるんで、そこで待っててもいいですか?」

「あー、いや、駅の西口側に公園があるから、そこで待ってて。すぐ行くから。
あ、念のため地図送る。」

あのカフェは、平日の夜は仕事帰りのOLで賑わっているから、落ち着いて話ができる場所を指定した。
オフィス街の端にあるその公園は、夜になると人通りが途絶える穴場だった。

急いで着替えを済ませ、駅前のコーヒーショップでカフェオレを2つテイクアウトし、公園へ向かった。

八神はマフラーを首から鼻までグルグル巻きにして、公園のベンチに行儀良く座って待っていた。
遠くから見ると、かわらしさと不審さが同居していて、なんとも味のある佇まいだ。

「ごめん、ここ寒かったよな。」
と言ってカフェオレを差し出し、隣に座った。

「あ、ありがとうございます!」
鼻を覆っていたマフラーを口元まで下げて、カフェオレをひとくち飲んでから、八神は勢いよく話し始めた。

「こないだ、先輩から『八神はオレのファンなの?』って聞かれて、上手く答えることができなかったんですけど、」

「うん」

「はっきり言って、俺、先輩のファンです。大ファンです!」

「ああ、うん…」

「でも!それってダメなんですか?!ってことが言いたくて来ました!」

「え?」

「俺は、先輩のこと世界一、いや、宇宙一の推しだと思っているし、これからも一生推し続けられる自信があります!
先輩が嬉しい時も、悲しい時も、同じ気持ちを分かち合いたいし、何があってもずっと、先輩の味方でいたいです!
誰かを好きだと思う気持ちに、優劣はないはずで…だから、この想いは、胸張って先輩に伝えるべきなんじゃないかって思って、それで、」

一生懸命に気持ちを伝えようとしている八神が愛おしくてたまらなくなって、衝動的に八神を強く引き寄せ、唇を重ねた。

「もう、充分伝わったよ。
オレがわかっていなかっただけだった。
ごめん。」
と言って抱きしめた。

八神は突然のキスに驚いて、身体が硬直していたが、
「…先輩の気持ちも、今、伝わりました。」
と言って、オレの背中に腕を回し、抱きしめ返してくれた。

そうだよな、八神だってオレの好きがどんな好きなのか、明確な答えは持っていなくて、不安な時もあっただろう。

澄ました顔していても、中身は熱くて真っ直ぐな八神のことを、オレも一生好きでいられる。

八神がオレの隣にいてくれたら、これからの人生で迷ったり不安になる時があったとしても、きっと大丈夫だ。

「推し」って単語に、勝手に浅い意味を持たせてしまっていたのはオレだけで、本当はすごく大きくて愛がこもった表現なんだって、気付くことができた。

…それに、よく考えたら、オレのバッグに付けている灰色猫のキーホルダーは、推しグッズみたいなもんじゃないか?

オレも、八神のこと一生推せる。

そう思いながら見つめた八神の顔が愛おしくてたまらなくて、オレは我慢できずに、もう一度キスをした。